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硝子の時代考証ー4

「明治時代」
 

 硝子の時代考証―13

「明治時代」

 幕末の混乱期、日本各地の藩窯の多くは廃絶したり休止したりしたため

 日本のガラス工芸は民間の零細な個人工房に於いて継承されていたに

 過ぎなかった。

 しかし、明治新政府は洋式の文物や制度を輸入し、洋式工業の導入を奨励

 して助成金を出したため、有識者の中には本格的なガラス工場の設立を

 企てた者も多かった。

 その筆頭が、三条実美の家令・丹羽生庸とその部下の村井三四之助が創立した

 興業社であった。興業社は後に品川硝子製作所として発展し、明治前半期の

 ガラス界をリードしていくことになる。

 一方、幕末の外来文化の流入と外国人移住者の急速な増大によって、民間の

 ガラス工房は日本人顧客の他に、外国人移住者や西洋文明に目を向けた

 新興商人たちを、新しい顧客に加えて本格的な発展期を迎えることになった。

1)「興業社」

 明治6年(1873年)に東京府品川宿東海寺裏目黒畔に設立された

 洋式ガラス工場。資材の一切をイギリスから輸入し、イギリス人技術者

 トーマス・ウオルトンを雇い入れ、東京・大阪のガラス職人らを呼び入れて

 本格的な洋式ガラス工場としての操業が開始された。

 当初の目的は、建築用窓ガラスの製造であった。

 しかし、江戸時代からの硝子製造技術では製造することはできず、

 1枚の試作品も完成しないままに倒産した

 

2)「工部省品川工作所」

 明治9年(1876年)に丹羽らの要望で興業社を政府が買い入れて

 あたらしくスタートさせたのが官営工場の品川工作所である。

 この工場には新たに旧佐賀藩とイギリスからガラス職人を迎い入れた。

 やはり板ガラスの製造も試みたが試作は失敗に終わり、

 明治15年にその試作を中止した。

 そして新たにガラス工芸の水準を高めるためにイギリスより

 カット・グラヴィール職人のエマニュエル・フォープトマンを

 雇い入れて指導に当たらせた。

 新技術の導入により、ガラス製品は向上し数量の上でも

 相当の量産が可能になった。

 とはいうものの、莫大な官費を使っての製造であったためコストは当然に

 高いものとなり、民間の零細業者の作っていたガラス器具とは比べ物に

 ならないほど高価であった。

 そのため事実上製品は売れず、年々累積赤字が増大していって

 明治17年2月に民間に払い下げられた。

 

3)「品川硝子製作所―有限会社・品川硝子会社」

 明治政府が民間に払い下げた品川工作所。

 20年代に入ってからは、ビール瓶の生産が好調であったが過剰生産となり

 明治25年11月解散した。

 この時代のガラス界は、大工場のほとんどは需要の少ないガラス食器や

 工芸品を作らないで、灯火器や瓶壺類、理化学器具、医療用具器等の製造に

 重点が置かれていて、工芸品や食器、装飾品、日用雑具等の製造は大部分が

 個人工房や小規模工場で作られ、江戸時代の伝統を引き継いだ多くの

 ガラス職人たちが活躍していた。

 ・この時代、東京での中心的な問屋製造業者として、加賀屋と上総屋があげられる

  また、大阪その他の地方では、多くのガラス職人が活躍した。

 

「製品」

1)建築用窓ガラスの西欧を試みるほかに、一般のガラス器も製造されていた

2)日常食器やランプ類の他、船舶用の紅色舷灯用ガラスや板ガラスの製造も

試みた。

  イギリス風のカットやグラヴィールを施したガラス器。

 今日、江戸切子とされている大型の技術がしっかりした

 カット・ガラス器ものは、この工場で作られたものかもしれない。

3)陸軍用水瓶、薬用瓶、ランプ、油壷、食器、理化学器具類。20年前後の

頃より、押し型成形のコップや皿鉢類が生産され、比較的安価で販売された

・食器類、押し型成形による皿・コップ・蓋物、花瓶、装飾品、切子ガラスの製品など

 

「製法」

1)〜3)イギリス製法

・宙吹き成形法、型吹き成形法、押し型成形法の素地にカット加工、

グラヴィール(明治中期まで)エッチング(明治23年以降)サンド・ブラスト

(明治末年に一部、実用化は大正以降)エナメル絵付け(焼き付け技法は

明治43年以降)らスター彩色(明治30年以降)/ 江戸時代からの泥絵や蒔絵

ダイヤモンド・ポイント彫りも若干行われていた。

・切子の加工法は手摺り加工に代わり、グラインダーに取り付けた回転板による

 機械加工法が導入される。

 

「素材」

 江戸期からの伝統的な鉛ガラスに替わってソーダガラスが普及する。

 無色か単色の鉛ガラスと考えられる。

 

「制作場所など」

1)2)3)東京府品川宿東海寺裏目黒川畔など。

 








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