ゴリラの元気は1986年6月24日、京都市動物園で生まれました。
お父さんのマックも同じ京都市動物園で生まれ、お母さんのヒロミは小さい時に京都市動物園にやって来ました。
森を知らない両親に育てられた元気ですが、でも、そんな事はちっとも気にならないくらい、元気にゴリラらしく楽しい毎日を過ごしていました。
元気がブリーディングローンの為に東京の上野動物園にきたのは、1997年3月19日。10歳の時の事です。
ブリーディングローンというのは、絶滅しそうな希少動物を動物園同士で貸し借りし、繁殖の可能性を高めようとするものです。
野生のゴリラは、人類発祥の地とも言われるアフリカの限られた場所にしか住んでいません。
種類はマウンテンゴリラ・イースタンローランドゴリラ(東ローランドゴリラ)・ウェスタンローランドゴリラ(西ローランドゴリラ)の3亜種に分かれていて、それぞれ少しずつ顔や体系、毛などに特徴があります。
日本の動物園にいるゴリラはみんなウェスタンローランドゴリラ(西ローランドゴリラ)です。
現在、野生で暮らしているゴリラの数は、年々減っています。その原因の多くは、ゴリラの住む森を人間が伐採してしまったり、つかまえて動物商人に売ったりするからです。
ゴリラにとって一番の敵は人間ですが、戦争から避難してきた人々がしかたなく森の木を伐採し、畑にしたり薪に使ったり、生きていくためのお金が欲しくてゴリラを捕まえて売ったりするのです。
そして、そんな人達からゴリラを守っているのもまた人間なのです。
1973年にワシントン条約という「絶滅のおそれのある野生動植物種の国際取引に関する約束事」が決められ、ゴリラを輸入する事ができなくなりました。
その結果、今日本の動物園にいるゴリラが全部死んでしまったら、日本ではゴリラをみる事がとても難しくなってしまうのです。
「別にゴリラがみれなくなってもいいじゃん」と思う人もいるかもしれませんが、ゴリラは私達人間ととても良く似ていて、人間の進化の過程を探る手がかりを与えてくれる生き物なのです。
ゴリラの行動や仕草をみていても、何だか知っている人に似ているなぁ・・・なんて思う事はありませんか?
そして、人間と同じ繊細で複雑な「心」や「感情」を持っているんです。

  1993年。まだ完成していない東京都上野動物園「ゴリラのすむ森」には、もともと上野動物園にいたブルブル(オス)とタイコ(メス)の他に、各地の動物園からゴリラ達が集まりました。
以前上野動物園にいたのですが1983年に東京都多摩動物公園に行っていたトヨコ(メス)を始め、
4月に広島市安佐動物公園からピーコ(メス)、
7月に大分県別府ラクテンチからリラコ(メス)、
10月に埼玉県東武動物公園からローラ(メス)と東京都多摩動物公園からサルタン(オス)、
11月に宮崎フェニックス自然動物園からドラム(オス)。
合計8頭のゴリラ達の新しい生活が始まりました。
日本の動物園で初めて行われる"群れ"での生活です。
集まったゴリラの中には、コンクリートしか知らないゴリラもいました。
群れの中で暮らすというゴリラ本来の生き方を知らないゴリラもいました。
最初はゴリラも飼育係の人達も戸惑いながらのスタートでした。
ゴリラはシルバーバックといわれる大人のオスを中心とした群れで生活をします。
ですので、ブルブル・サルタン・ドラムを中心に3つのグループに分けなければなりません。
ゴリラも人間のようにはっきりした性格があり、相性があわなければそのグループで生活していくのはとても辛いものとなります。
無理に一緒にさせれば体調を崩し、死んでしまう可能性もあります。
飼育係の人達は、いろいろな組み合わせを考え、試行錯誤でグループ別けを試みました。
そうして次第にゴリラ達は新しい環境に慣れ、野生のゴリラがするような行動が見られるようになりました。
ワラを使ってベッドをつくったり、木の切れ端をつかって穴を掘ったり、虫を探したり。
そして、シルバーバックを中心とした群れが形作られていくようになりました。
しばらくして、上野動物園に20年以上も暮らし、シルバーバックとして群れをまとめてきたブルブルが体調を崩し引退し、ゴリラのすむ森から離れた所で暮らす事になりました。
しかし残念な事にブルブルはこの後、二度と「ゴリラのすむ森」の土を踏むことなく、1997年11月1日に死んでしまいました。
推定年齢44才でした。
亡くなったブルブルの右足のひざには散弾がはいっていたのです。
ブルブルがアフリカの森の中で群れの大人ゴリラたちと平和に暮らしていた頃、密猟者によって受けた傷痕です。
一頭の子供のゴリラを捕獲する為には、沢山の大人ゴリラを殺したり傷つけたりして捕獲します。
そうして捕まえた子供ゴリラが動物園などに売られていたのです。

  飼育係の人達や、全国・世界中の動物園関係者の人達のさまざまな努力や協力によって、1996年4月「ゴリラのすむ森」は完成し、一般公開が始まりました。
けれども繁殖しそうな気配はいっこうにみられませんでした。
何が原因なのか?飼育係の人達がゴリラにとって良い飼育状況を考え世話をしていても、なかなかうまくいきません。
ゴリラ同士がとても仲良くなって親子や兄妹のような関係になってしまったり、恋をする年齢にズレがあったり、相性がよくなかったり・・・・。いろいろな原因が推測されました。
そして、1997年3月19日。京都市動物園から元気が「ゴリラのすむ森」にやってくる事になったのです。
元気は10歳。人間でいうと調度お年頃の娘さんといった年齢でした。
変わりに、トヨコが京都市動物園へ行くことになり、その後サルタンも京都市動物園へ移動となりました。
動物園生まれ動物園育ちの元気は、京都からの長旅や新しい環境にも物怖じせず、好奇心旺盛で、2ヵ月後にはヒンドンとリラコとの共同生活が始まりました。
ヒンドンは1995年10月にスウェーデンのコールモーデン動物園からきた15歳の青年ゴリラです。
最初のうちは、ヒンドンと元気は仲良く手を握り合ったり、肩をたたいたり、グルーミング(毛づくろい)したりしていたのですが、繁殖には至らなかったようです。
1997年12月。「ゴリラのすむ森」にイギリスのハウレッツ動物公園からビジュという10歳のオスゴリラがやってきました。
ヒジュはまだ若いゴリラですが、ハウレッツ動物園で生まれ、ゴリラの群れの中で育ち、繁殖経験もある、期待の新人といったゴリラでした。1ヶ月の検疫が終わり、1998年2月にはヒジュを中心とした群れ作りがスタートしました。
ヒジュ・元気・リラコの3頭です。
けれど、同居が始まってしばらくすると、リラコが怪我をし、ヒジュと元気の2頭での暮らしが始まりました。
2頭になったのがさみしいのか、ヒジュと元気の距離がだんだん近づき、2頭が仲良く肩を並べて日向ぼっこをしたり、グルーミング(毛づくろい)をする様子が伺えるようになりました。
そして、元気の誕生日の日に、初めての交尾が見られました。
その後、何度か交尾が確認されましたが、元気はなかなか妊娠しませんでした。
しばらくすると、怪我で他の場所にいたリラコや、ローラが同居する事になり、元気にとっては大好きなヒジュを独り占めする事ができなくなってしまいました。
ヒジュは、他のメスとの交尾もし、シルバーバックとしてしっかりと群れを守っていました。
しかし「ゴリラのすむ森」のどの群れからも妊娠の兆候が表れる事はありませんでした。
1999年7月。タイコが静岡市日本平動物園へ行くことになりました。
変わりに日本平動物園のトトが「ゴリラのすむ森」に仲間入りをし、さらに千葉市動物公園からモモコもやってくる事になりました。
新しく仲間入りしたトトは少し神経質で、なかなか新しい環境に慣れる事ができませんでしたが、モモコは堂々とした物怖じしないタイプでしたので、先にモモコをヒジュの群れに入れることになりました。
すると、2日目にはヒジュとモモコの間で交尾が確認されました。
新入りのモモコがリーダーと仲良くする事は、前からいたメスゴリラ達にとっては気に入らない光景です。
ゴリラ社会にも順位があって、年齢の低いものや新入りは遠慮しがちにするのが普通です。
特に32歳という年齢でヒジュの群れの中でも順位が上のリラコは、ヒジュとモモコの間に立ち、いろいろと邪魔をしようとします。
でも、モモコはそんな事あまり気にしない様子で、マイペースでヒジュに接近します。
優しいジェントルマンのヒジュは、間に立たされながらも、双方に対してオスゴリラとしての役目を果たし、群れをまとめていきます。
さらに、後から入ってきた神経質なトトに対しても、優しく接します。
しかし、この頃から元気の元気がなくなってしまったのです。
モモコに追いまわされたり、ヒジュの関心が他のゴリラに行ってしまったりで、次第に孤立し、食欲もなくなり、103キロあった体重が63キロにまで減ってしまったのです。
そればかりか、アカギレから進行した左手小指の自傷行為や、過食と直後の嘔吐などがみられるようになりました。
飼育係の人達の懸命な努力もむなしく、なかなか体調がよくなりませんでした。
動物園で生まれ育ち、たくさんの人たちに可愛がられ、人間にもゴリラにも興味をしめし、元気いっぱいの元気でしたが、初めての試練に身も心もボロボロになってしまったのです。
群れでの生活にうまく馴染めなくなってしまった事。
大好きなヒジュを独り占めできない淋しさ、失恋。
そして、拒食と過食。自傷行為。
元気は心の病気にかかってしまったのです。
ゴリラの心と人間の心がまったく同じなのかどうか、それはわかりません。
人間だって、自分と他人とでは、感じ方が違うのですから。
でもね、悲しいとか、淋しいとか、痛いとか、嬉しいとか、楽しいとか、そういう思いの本質は同じだと思うんです。

飼育係の人達が元気を回復させるにはどうしたら良いのかいろいろ考え、生まれ育った京都市動物園へ帰る事になりました。
1999年10月29日、「ゴリラのすむ森」に来てから2年7ヶ月目の事でした。
ところが、明日は元気が京都へ行ってしまうという10月28日の朝、突然の事件が「ゴリラのすむ森」におこってしまいました。
ヒジュが、吐いた物を喉につまらせ倒れてしまったのです。
異変を感じたリラコと元気がヒジュをとりかこんでいたせいで、飼育係の人達は直ぐに近づく事ができず、午前11時30分に亡くなりました。
優しくて頼りがいのあるヒジュが亡くなってしまったと言う事を、残されたゴリラ達が理解できたかどうかわかりません。
この時、元気はどんな気持ちで京都へ向かっていったのでしょうか?
元気の心の中に、ヒジュはいつまでも生きているのかも知れません。
ヒジュが亡くなって1ヶ月近く経った頃、モモコの様子に変化が現れました。
ヒジュの赤ちゃんを身ごもっていたのです。
悲しみにくれていた「ゴリラのすむ森」に希望が沸いてきました。
飼育係の人達にとっても、何年間も費やしてきたたくさんの時間と努力が無駄ではなかったと確信されたのです。
そして、2000年7月3日。モモコが一頭のオスの赤ちゃんを出産しました。
7月1日の朝8時頃に最初の陣痛が始まり50時間後の分娩でした。
赤ちゃんゴリラの名前は、一般からの公募により「モモタロウ」と名付けられました。
今、モモタロウは「ゴリラのすむ森」でスクスクと元気に育っています。

さて、元気はどうしているのでしょうか?
京都市動物園へ戻り、少しずつですが体調も良くなっています。
いつか元気も可愛い赤ちゃんを産んで、優しいお母さんとなって、ゴリラのとしての幸せな日々を送って欲しいと思います。

ゴリラは優しい生き物です。
人間と同じ様に、傷ついたり、悲しんだり、喜んだり、怒ったりします。
人間と同じ祖先をもち、この地球で暮らしていたヒトなのです。
世界中のゴリラが、ずっと昔に暮らしていた時のように、穏やかに健やかに暮らして行ける様に、私達ができる事はどんな事なのでしょうか?
まずは、ゴリラを見に行く事から始めてみませんか?


東京都上野動物園 http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/index.html


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