はな子さんに関しての記事を新聞や動物園の資料などから抜粋し、年表にしてみました。
新聞は、縮小版やマイクロフィルムの為、不明確な所がありましたが、わかる範囲で掲載しています。
その他、神戸港へ到着した時間や、船の名前などは新聞社によって多少違っています。

はな子さんの記事の周囲には
「食糧を無料配布 都の対策 税の減免も考慮」
「食用油を配給 砂糖も11月までに」
「三鷹事件の新容疑者逮捕」
「新柄ネクタイ 380円 新宿伊勢丹」
「懐かしい我が家へ 引揚第一陣 きょう入京」
と、いうような記事の見出しがあり、当時の様子を伺う事が出来、はな子さんやその他、他国の動物達が日本の動物園にくる為には、いろいろな方の努力や、経済的な事や企業的なものが関わっていたんだろうなぁと思いました。

不明な点について、ご解答くださった読売新聞社広報部の方、講談社広報室の方、
井の頭自然文化園の石川Fさんを始め飼育ご担当の皆様、ありがとうございました。
この他にも、
「私のおばあちゃんが子供の頃、移動動物園を見に行ったって言ってたよ」とか
「この年表は間違っているよ」とか
「はな子さん、好きです」など等
ご意見、ご感想、ご指摘、新情報などがありましたら、メール頂けると嬉しく思います。
宜しくお願いします(^-^)

葛西瑞絵 mizue@kuf.biglobe.ne.jp




1947年(昭和22)

タイ国の王室とゆかりの深いクンジャラ農園生まれ
おばあさんの世代からチャツクリ王朝に仕え、日本にくるまでご主人はモムルアン・プローム・クンチャラ殿下でした

1949年(昭和24)7月1日

東京都の江東区・墨田区の小学校の代表者1500名が「象よこいこい子供大会」を開く
※この大会は、インドのネール首相に当てたもので、後日インディラ(メス・15歳)が来日する

1949年(昭和24)8月22日

タイのバンコクを出向
当時2歳半
身長約4,2フィート
体重約100キロ

1949年(昭和24)9月2日

神戸港へ到着
<当時の新聞に記載されていた到着時間と見出し>
○朝日新聞(S24.9.3)朝8時到着
・・・・・「ガジャ嬢、今夕都入り 無事に神戸に着きました」
○ 読売新聞(S24.9.3)午前8時半
・・・・・ 「豆象ガジャ子さん いよいよ今夕東京入り」
○ 毎日新聞(S24.9.3)朝9時
・・・・・「賑やかな出迎えに逃げ腰 神戸でガジャコ悲しそう」

夕方4時半、特別貨車にて東京へ向かう

1949年(昭和24)9月3日

午後6時半 東京汐留駅に到着

1949年(昭和24)9月4日

朝、トラックで上野動物園へ向かう

1949年(昭和24)9月10日

贈呈・命名式行われる

1949年(昭和24)9月23日

午前9時 横浜港 インディラ到着

1949年(昭和24)9月25日

午前2時40分 インディラ上野動物園へ到着

1949年(昭和24)10月21日

気温17℃を割ると寒さで食欲不振になり、動作も鈍くなった為、ペチカを使用

1949年(昭和24)10月24日

ペチカで火傷

1950年(昭和25)2月17日

はな子を送ってくれたタイのプラ・サラサス氏の息子ゾムワン・サラサス氏が来日。はな子と対面

1950年(昭和25)10月6日〜23日

都下移動動物園へ参加 井の頭自然文化園

1951年(昭和26)5月3日〜5日

世田谷区 砧大緑地

5月6日〜8日

八王子 富士森公園

5月9日〜11日

立川  諏訪公園

5月12日

五日市

5月13日〜14日

青梅市

5月15日

氷川町(現在の奥多摩)

5月16日〜18日

井の頭自然文化園

5月18日

夕方、上野動物園へ戻る

都下移動動物園の日程については、1951年5月8日の読売新聞 三多摩版によると
7日 五日市
8日 青梅・氷川
9日 立川
10日 町田
と、記載されていて、上野動物園百年史と若干の違いがありました

5月31日〜6月15日

東海汽船の黒潮丸で東京港を出発し、伊豆大島へ

6月16日

上野動物園へ戻る

1954年(昭和29)3月5日

井の頭自然文化園へ移住

1956年(昭和31)6月31日

最初の事件

1960年(昭和35)4月15日

二度目の事件

1960年(昭和35)6月

山川清蔵氏、飼育担当になる

1965年(昭和40)1月18日

壕に落ちる

1977年(昭和52)5月

新象舎(現在の象舎)完成し、引越し

1980年(昭和55)4月

体調不良となり、硬いもの採餌不能となる

1983年(昭和58)12月

上あご両側の歯が抜け落ちる

1984年(昭和59)9月

体調快方に向かう

1987年(昭和62)

右下の歯が抜け、残り1本となる

1995年(平成7年)

足爪の細菌感染により足化膿、治療行われる

1996年(平成8年)

体調回復。元気を取り戻す

2016年(平成28年)5月26日

推定年齢69歳で永眠


『上野動物園百年史による抜粋』

・・・・前略・・・・一方、インドの動きとは別に、もう1つ、ゾウを日本につれてくる努力がなされていた。昭和24年6月10日付けの読売新聞には次のような記事がでている。
「タイ国から赤ちゃん象二頭が来ます。このほど同国調達庁長官プラ・サラサス氏から“十月には赤ちゃん象メス、オス2頭を送ります”と嬉しい便が丸ビル六階タイ室理事長宮原武夫(四九)氏の元に届いた。宮原氏が昭和十八年まで十数年間滞日したサラサス氏と親しかったので同氏に依頼したところ、同氏もさっそく奔走、その間先月九日帰国したタイ国使節団中の貿易長官ウワンタピン氏も尽力してくれて、象不足で輸出禁止令が出ているにもかかわらず送ってくれることになったもの。上野動物園の古賀園長も大喜びでいつ来ても大丈夫という準備をはじめた。」
この2頭というのは実現しなかったが、タイ国の王室とはゆかりのふかいクンジャラ農園生まれで、2歳半になるメスのインドゾウがえらばれて、「ガチャ子」と名付けられ、8月22日、デンマークのメルクス・ラインのオラフ・マークス号でバンコクを出帆した。ガチャというのはタイ国で「ゾウ」を意味しているという。このガチャ子が日本へ向かう船内にいるとき、東京ではこのゾウに新しく日本名をつけようということになり、講談社と読売新聞社が、一般から「タイ象、日本名募集」を行っている。インドのゾウでは朝日新聞社がキャンペーンをくりひろげたが、タイ国のゾウについては読売新聞社がこれにあたり、経費は講談社が負担した。
 タイ国からのゾウ「ガチャ子」は、インディラのマイソール出港よりは、かなりおくれていたが、バンコクを出港したのはインディラのカルカッタ出港よりも早く、カルカッタよりバンコクの方がはるかに近いといったことで、タイ国のゾウの方がインドのインディラよりも早く、9月2日には神戸港に着き、鉄道で東京汐留まで運ばれ、9月4日大歓迎のなかを上野動物園に到着した。9月10日には贈呈式が行われ、さきに講談社と読売新聞社で行っていた公募によって、「はな子」という日本名がつけられた。
 この「はな子」は、まだ赤ん坊で小さかったので、15歳のインディラを考えて造られたゾウ舎のT型鋼の柵の間からもれてしまい、閉まっていた雨戸をこわして園内散歩をして宿直者をおどろかせた。このためT鋼の柵のあいだには、もう1本丸鉄棒がはめられるなどの補強工事が行われた。このタイ国から来たゾウに、「はな子」と名付けられたのは、昭和10年タイ国の少年団からおくられ、戦争中処分されたゾウ「花子」にちなむものでもあった。

※デンマークのメルクス・ラインのオラフ・マークス号については、各新聞社によって明記が異なる
朝日新聞(S24.9.3)デンマーク船メルスクライン・オラフ号(八千三百トン)
読売新聞(S24.9.3)デンマーク船オルフ・マースク号(五千二百トン)
毎日新聞(S24.9.3)デンマークのオルフ・マースク号

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