Final Update Oct. 30, 1999

教えない先生

 1968年1月に入門して以来、31年間まったく中断するこ となく尺八を継続してくることができたことを幸せに思っていま す。それ以上に幸せだったのはそのほとんどの期間を山口五郎先 生に直接指導していただいたことです。

 山口先生に習った31年間で、ほめられたことが1回、しから れたことが2回しかありません。それ以外は「結構です、今日は これまでにしましょう。」ということで、良かったのか悪かった のかに対するコメントもなく、ましてやアドバイスもいただかな かったのです。

 先生のお母様がお元気でいらっしゃった頃、お母様から伺った 話です。「昔、大先生(四郎先生)のお弟子さんで大変熱心な方 がおられて、お稽古に来るときにはその曲を完全に暗譜して来ら れます。楽譜は先生のために広げるのです。そして稽古中は先生 の顔を見つめ続けるのです。『先生はここで眉毛をあげられた』 といってはそれを真似するのでした。」というようなお話でした。 また「あるお弟子は、先生(これも四郎先生のこと)は月謝を取 っておきながら何も教えてくれない、と文句を言いました。芸は 教わるものではなく、弟子が盗み取るものなんですよ。」などと いうお話も聞いたことがあります。

 たしかに音楽は感情の微妙な動きを音に託して表現するもので すから、言葉で説明できる部分はわずかなのでしょう。五郎先生 も四郎先生と同様に、芸は盗むもの、という考え方をもっていら っしゃったに違いないと思っています。わからない人にはいくら 言葉で説明してもわからない、わかる人には説明しなくてもわか る、したがっていずれの場合も言葉による説明は意味がない訳で す。私はなんとか後者になりたいと、稽古の時には先天的に鈍い 感性を可能な限りとぎすまして臨むように心がけました。一緒に 吹いていただくときには自分の音をあまり出しすぎないようにし ました。自分が大きな音を出すと、先生が何を伝えようとされて いるのかが聞き取れないからです。先生の芸のごく一部でも盗み 取ることができたかどうかは疑問ですが。

(1999年6月 東大尺八部追悼文集へ投稿)
水野 香盟

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