12月の言葉
如来二種の回向の 恩徳まことに 謝しがたし 正像末和讃


 親鸞聖人は、阿弥陀さまは私たちに二種の恵みを与えてくださると
味われました。その一つは「往相」を回向し、ふたつは「還相」を回向して
くださるということです。
 「往相」とは、私が浄土に往生して、仏に成るということです。それは
マコトの人生の目的、”いのち”の方向性をあらわした言葉です。私たちは
自らの人生の目的と方向を定めて生きているでしょうか。そしてその実現を
目指して、真剣に努力しているでしょうか。人生が終われば”いのち”もなくなり、
すべてが消滅すると考えています。そして、現実生活では目の前のことに追われて、
”いのち”の行方など、まじめに考えたことはないのではありませんか。そんな私に、
仏さまは「あなたの”いのち”は浄土をめざし、仏をめざして生きるべきである」と
教えられました。

 では、なぜ浄土をめざさなければならないのでしょうか。仏さまはその理由を
「還相」を実現するためであると教えられます。

 「還相」とは、浄土に生まれて仏に成って、ふたたび迷いの世界に還り来たりて、
迷いの人びとを導き”いのち”の本来の目的、正しい生き方を教え、自分自身が
仏さまに導かれたように、分け隔てなく人びとを導いてゆくことです。それが
仏になる真の目的であるといわれるのです。ですから浄土に往生する目的は
単に自分の安らぎ、楽しみを実現するためではなく、万人の幸福、安楽を実現
するためだったのです。

 このように、人々に人生の恵みを与えることを、如来の「往相」「還相」、二種の
回向といわれたのです。また、回向というと、何かものをいただくように考えがち
ですが”いのち”の目的と、それを実現できる生き方とを、私自身の現実の上に
めぐむことです。それは教えを聞くところから開かれます。

 人を救うなんて・・・正しい生き方なんて・・・考えられない。
そう言う前に今までそんなことを考えたこともなかった自分を思い浮かべて
ください。そして、自分自身”いのち”をめぐまれたものとして、今日まで
生かされてきたにもかかわらず、本当に正しい生き方など考えたことも
無かったことを深く顧みるべきでしょう。そして何も考えなかった自分に
恥ずかしさを感ずるべきです。それを感ぜしめるところあら、仏さまは
すでにはたらきかけてくださっているのです。
恥ずかしさを知らされたら、恥ずかしくない生き方、
そして目標が自覚させられます。