2010年4月
釈迦は慈父 弥陀は慈母なり       「唯信鈔文意」


「信心一つで、浄土に往生する身に定まる」といいます。確かにその通りですが
考えてみますと、阿弥陀仏が私たちに救いたいという願いを起こされ、釈迦仏が
阿弥陀仏の願いを経典で説かれたから、私たちに往生の道が開けたと云えます。
このことを指して、「釈迦は慈父 弥陀は慈母なり」といいます。

 とはいっても、私たちは、釈尊の説法である経典を読んで、阿弥陀仏の願いを
信じ念仏するようになるというよりも、現実には、さまざまな縁に恵まれて念仏
する身にさせていただいたと思われます。

 親鸞聖人は、今月の言葉に続いて、われらが父、母である釈迦仏、弥陀仏が
さまざまな方便(さまざまな形や方法)でもって信心を示されたと述べられます
(「唯信鈔文意」「注釈版聖典」713頁)。つまり聖人をはじめ、私たちが念仏する
身になったことも釈迦仏、弥陀仏のはたらきであると窺える言葉です。
親鸞聖人は、法然上人に対する思いを次のように詠われます。
 曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき
  本師源空いまさずは このたびむなしくぎなまし 「注釈版聖典596頁」

何度も生まれ変わり死に変わりしても、仏のさとりを開く縁はありませんでした。
もし法然上人(源空上人)がいらっしゃらなかったら、念仏の教えにあうこともなく
この度の生も仏への道を進むことができず、空しく終わっていたでしょうと
詠われます。

 親鸞聖人は比叡山で20年間修行をされましたが、十分な成果をあげられ
ませんでした。29歳の聖人は新たな道を求め、六角堂に百日間参籠されました。
それから、法然上人を訪ねられ、百日間教えを聞かされました。そこで、念仏の
教えに帰依し、法然上人の門弟になられました。

 この和讃は、親鸞聖人が76歳のときにつくられています。聖人は47年前
を振り返られ、法然上人のおかげで仏道が開けたことを、大きな喜びと感謝の気持ち
で詠われています。念仏の教えに出逢う縁は、人それぞれです。親鸞聖人のように
法然上人との劇的な出逢いが縁になることもあります。
悲しみを縁とすることもあれば、たまたま聞いた法話が縁となることも
あります。また、心の依りどころを求めていたことが縁になることもあります。
 縁はいろいろですが、「釈迦は慈父 弥陀は慈母なり」といわれるような
はたらきがあったのかもしれません。