2010年6月

「凡夫 煩悩の泥のうちにありて 仏の正覚の華を生ず」   「入出二門偈」

「山のあなた」というカール・ブッセの有名な詩があります。
上田敏の訳詩集「海潮音」(新潮文庫)の中の一つです。教科書で読まれた
方も多いと思います。
 山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ
 ああ、われひとと尋めゆきて、
 涙さしぐみ、かへりきぬ。
 山のあなたななほ遠く
 「幸」住むとひとのいふ。
山の遙か向こうの血に行けば、幸せがあると聞いてその地を訪ねても、
そこには幸はありませんでした。山の向こうのさらなる彼方に幸があると
また、人がいっています。幸を求める人は、さらなる彼方へ行くのでしょうか。
 私たちは今の生活に不満があると、どうすれば満たされた生活ができるかと
考えます。例えば、南太平洋の島で綺麗な海を実ながら生活したいという人も
いるかもしれません。また、職場を変えれば、結婚すれば、幸せになるという
人もいそうです。

 南太平洋で暮らすことは素晴らしいことです。また、転職も今の時代は
よくあることです。しかし、今が面白くないからといって、今の生活をほうって
おいて、南太平洋に移住すれば、どのような生活が待っているのでしょうか。
楽しく幸せな日々もあるでしょうが、やがては悩みもでき、不満も出てきます。
そこで再び次の場所へ移ることになるのかもしれませんが、この様な生活を
して良かったと云えることはないと思います。

 私たちは「あのようになればいい」「このようになりたい」と考えます。
それは無意味だとは思いませんが、「私の住む世界はここしかない」おいう
事実を知ることが大切だと思います。「ここしかない」とわかると、そこに
不満や面白くない気持ちがあっても、「ここで頑張ろう」と思ったり、
「何かいいことあるはずだ」といいことを見つけようとしながら、満足感や
喜びの生活に変えることが出来ます。もちろん、縁あって、離職しても
南太平洋に住んでも、「私の生きる場はここだ」という思いでいれば、
満足感につながる生き方になると考えられます。

 右のことを、親鸞聖人は
「凡夫 煩悩の泥のうちにありて 仏の正覚の華を生ず」と示されまう。
この煩悩に満ちた世界が私の生きる世界であり、ここで自分を見つめ、
生きることが、泥田の中のハスのように、煩悩の泥の中で、仏のさとりに
つながる花を咲かせると説かれていると窺えます。