2010年9月
弥陀の願力は 生死大海の おおきなるふね いかだなり  「尊号真像銘文」」

昔は、長生きすることは素晴らしいことでした。誰
若い人たちは老人を敬っていました。 最近は、長寿社会になったためか、
老人は今の社会を作った人として、敬われるべきはずなのに、昔ほど敬われて
いません。また年配の方の中には、老年を楽しむがごとくに心豊かに生きて
おられる方もいますが、「早く死にたい」「いつ亡くなってもいい」という
方もいます。
 私の周りには、50代で亡くなった人が何人かいます。みな家族を残しています。
大病を患いながら、亡くなる二日前まで仕事をしていた人もいます。
何れもまだ死にたくなかった人たちです。
 お釈迦さまは、「人生は苦である」といわれました。この苦とは、心身の
さまざまな苦を含めて、思い通りにならないという意味があるそうです。
 誕生を取り上げても、気がつけば、人間として今の時代に生を受けていたので
あって、思い通り誕生した人はいません。死も同様で、思い通りになるもの
ではありません。
 死のときばかりではありません。もう少し足が長ければ、ファッションモデルに
なれたのにという人、もう少し学力があれば、希望の大学に進学できたのに
という受験生もいます。余計なことについ二言ほどいってしまって、
いつも人に誤解される人。逆に、肝心なときに、一言が言えなくてつらい
思いをする人、思い通りにならない様相は、あげればきりがありません。

 阿弥陀如来は、このような私たちに願いをかけておられます。
それは、まかせよ必ず救うという誓願です。この誓いは、浄土で救うと
いうことだけではありません。今の私に仏への道を開くという誓いです。
 この誓いは、船に例えられます。思いが遂げられず苦しんでいても
自分の理想に近づいて満足感があったとしても、取り返しのつかないことを
して後悔していても、何が起ころうとも、願いの船に乗っていますと、
海に沈むことなく進んでいけます。
 私自身のことを考えても、日々の生活の中で、自分の煩悩を見せつけ
られて、つらい思いや恥ずかしい思いをすることがあります。
心から反省して、二度と同じことは繰り返さないと思っても、また気が
つけば、同じことをしています。

 このような私が乗っても、私を沈めたり、海に投げ出したりすることのない
船、すなわち「弥陀の眼力は 生死大海の おおきなふねいかだなり」と
いわれる船は本当に大きな支えになります。