2011年5月
至徳の風 静かに 衆禍の波 転ず 
「顕浄土真宗教行証分類」


先月分は引文でしたが、再びご自釈(親鸞聖人ご自身のお言葉)の文となります。
 阿弥陀さまは、私たちをさとりへ至らせる方法として、弘誓の船に乗せて
浄土へ迎えとり、浄土で往生即成仏のさとりを開く手だてをご用意くださいました。
 私たちは、自からの内に、さとりへ至りうるものを持ちあわせておりません。
さとりへと至る道のりにおいては、迷いに沈む方向性しか持っていないのです。
ちょうど、石は水の中では沈むしかないのと同じです。ですが、石も船に乗せれば
水の中でも浮かぶ事ができます。。迷いの底に沈む私たちも、弘誓の船に乗せられて
初めて浮かぶ力を得て、この大悲の願船は、至徳の風を静かに受けて、禍の波を
穏やかに転じ、さとりの岸へと至ります。
 蒸気船の登場による動力性能を得るまで、船は帆に風を受けて進む
乗り物でした。ですから、風が吹かねば船は進みません。。しかし、
台風のような暴風では、難破・沈没してしまいます。中国から鑑真和尚が
渡日する時も何度も暴風雨に遭い、違唐使船もまさしく命がけで、
多数の留学僧が命を落としました。
 私たちの日暮らしも、さまざまな荒波が押し寄せます。悲喜交々の人生に
心が大きく波打ちます。この心の波を、穏やかに転じてくれるのが、「至徳の風」
すなわち、お念仏の静かな風なのです。

 悲しい時やつらい時、あるいは腹が立った時などのように、心の中に
大きな波が起こった時は、静かに仏さまに手をあわせ、お念仏申してみると
少しずつ心が落ち着いてきます。それは、お念仏の静かな風が、私たちの
心の波を穏やかに転じてくださっているからです。
 もしも、家族でけんかが起きてしまった時、次のことを覚えて
くださっていると良いかもしれません。けんかというのは、お互いに
言い分があるからけんかになるのです。どちらかが一方的に悪ければ
けんかになりません。謝ってすぐに済む話です。お互いに正当性を主張するから
けんかになるのであって、お互い自分が正しいと思っていますから、簡単に
決着しませんね。そんな時、こういうルールにしておいたらどうでしょう。
喧嘩をした時には、先にお仏壇の前に行ったものが勝ちだと決めるのです。
そうすれば、すぐに決着しますし、お仏壇の前に座って、静かに手を合わせ
お念仏申してみると、「つまらないことに腹を立てたなあ」としみじみ
気づくものです。それが「至徳の風」、お念仏の静かな風が、私たちの心の
波を穏やかに転じてくださっている表れです。