201112

前に生まれんものは 後を導き

  後に生まれんひとは 前を訪え  「顕浄土真実教行証分類」

 

法語カレンダーも、今月をもって最後のお言葉となりますが、今月の邦語も、

ご本典「教行信証」のほとんど最後、結びの部分にあります。

 とても有名なお言葉なので、ご存知の方も多いでしょう。この文は、

七高僧の一人、道綽禅師の「安楽集」からの引文です。

 「安楽集」においても、第一大門「教興所由」という、往生浄土のみ教えの

いわれを述べる一段の結びにあり、親鸞聖人が、ご本典一部六巻を結ぶに当たり

ご本典製作の意図を、いまの「安楽集」のお言葉で表されたものと思われます。

 この娑婆世界においても、人生の先輩は後輩を導くものですし、後輩は

先輩の跡を訪ね、その足跡に学んでいかなければなりません。新しい職場や

新しい学校に入ったとき、先輩の指導とともに、先輩に学ぶ姿勢とによって

仕事や勉強の中身が伝わっていくものです。

 いま、「安楽集」に述べられる「前に生まれんもの」は、この世に先に

生まれた者というより、浄土に先に生まれた者のことでしょう。

先に浄土に往生する者は、先立った方がたの、み跡を慕い、そのことによって

浄土往生を願う願生心が、縁ある人々の導きによりながら、脈々と受け継がれて

いくものです。まさしく、法は人を通して伝わっていくということでしょう。

 愛しい人やかけがえのない人をなくした時、人はみな、悲しみの淵に

沈みます。そして、その悲しみは簡単に癒えることはないのですが、何故か

お仏壇に足しげく向かうようになれたのは、先立った愛しい人への導きに

よるものです。

 「あなたのお陰で仏さまに手を合わす身になれました」

 そのように実感できたとき、そこには「前に生まれんもの」の尊い「導き」

があり、そして後に残ったものが、先立った人を慕い偲ぶなかから、浄土に

生まれたいという願生心が育まれていったのです。

 何より、親鸞聖人は私たちを弥陀の本願へとお導き下さいました。聖人は、

ご自身のなかに摂取不捨の弥陀の願力実感させ、この弥陀の願力は、

「教行信証」一部六巻に結実したからこそ、800年の時空を超えて、今こうして

私たちの心に響き、私たちの心を打つのです。思わず「ご開山さま、

ありがとうございます」と申さずにはおれません。

 私たちもまた、阿弥陀さまの願力の体現者なのであって、阿弥陀さまの

慈悲を伝える身として、ますますご法謝に励まねばなりません。

「また、お浄土で会いましょうね」このことを伝えていける人生でありたい。