20124

 

 本眼力にあいぬれば

    むなしくすぐる ひとぞなき     (高僧和讃)

 

阿弥陀如来の本願に出遭うことができれば、もはや人生をむなしく

過ごすことはありません。忙しく過ごす人生のなかでは、目先の問題に

心奪われて、なかなか立ち止まって人生をゆっくり見つめる機会はありません。

私たちは何のために生まれて生きているのか、生きるとは何なのだろうか、

命とは何なのだろうか、この世の命が終われば私たちはどこへ行くのだろうか。

そのような人生の問いを考える時間が少なくなってきています。

 人間として生きる限りにおいて、そのような問題は避けて通ることはできませんし、

それを考えるのは大切なことです。毎日をただ生きるだけでは、結局は人生を

むなしく過ごすことになります。

 

平成233月の東日本大震災、それに続く福島の原発事故、そして電力問題

今まで当たり前にそこにあると思っていたものが、本当は当たり前ではないことに

気づかされました。電力に頼った現代の豊かな生活は、本当に豊かなのかと、

多くの人がその生活を見直すようになりました。豊かさとは何なのか。

節電をし、無駄をなくすような生活を始めてみると、ものが富にあることとは

異なる、別の豊かさがあることに気づきます。今までの価値観で豊かさを追い

求めていた毎日を、みなしく感じることもあるでしょう。

 

阿弥陀如来の本願に出遭うと、それまでの価値観に大きな変化が訪れます。

夢をかなえたり希望を満たすことが人生の幸福だと考えていたのが、夢や希望

幸福の意味そのものを考え直したり、結局は欲を満たすことにあくせくしていた

自分の姿に気づいたり、いつの間にか自分中心に物事を考えていたことに気づいたり

します。本願の心に照らしてみると、それまでの人生がむなしく思え、本当に

充実した人生を歩むことを考え始めます。

 

本願に出遭った私たちは、ただ本願を喜ぶだけでなく、生き方が変わります。

迷いの人生の中で、迷いを迷いと気づくこともなかった私が、本願の光に

照らされて初めて迷いを迷いと知ります。阿弥陀如来の本願や、浄土の世界を

理想とし、その鏡に映った私の生き方や価値観を見つめて、それまでの生き方を

反省する。そのように、本当に充実した人生を歩むことができてこそ、本願他力

に出遭ったことのあかしとなります。