2012年8月
 信心の人は その心
  すでにつねに 浄土に居す    (親鸞聖人御消息)
 
 受験戦争などという言葉は、もはや古いのかもしれませんが、子どもたちの受験競争は
ますますエスカレートして、小さい頃から勉強、勉強で、気の休まる暇がありません。
少子化の今、親の期待はますます大きくなり、子どもも大変です。よい大学に入るためには
幼稚園から競争が始まっています。
 
 遊びや趣味を我慢し、毎日プレッシャーを感じながら勉強を続けてきた子どもが、
本当にほっとするのはいつでしょうか。小学校、中学校、高校と受験勉強を続けてきたのは
大学に入るためですから、やっと大学生になれた「入学式」が、一番うれしいのでしょうか。
そうではないはずえす。一番嬉しいのは、ほっとするのは、大学入学が決まった
「合格発表」の時ではないでしょうか。
 
 まだ大学生にもなっていないのに、手続きもしていないのに、合格通知をもらったときに、
「やっと大学に入れた」と、喜んで家族や友だちに報告することでしょう。
 
 阿弥陀如来の本願を信ずる身となれたなら、浄土に往生して必ず仏になる身と定まる
(正定緊)わけですから、実際の浄土往生を待つまでもなく、「往生できる」と喜ぶことが
でき、安心することができます。
 
 仏道を歩む私たちの目標は、仏になることです。その成仏は浄土往生によって可能と
なるわけですから、私たちの一番の関心は、浄土往生ができるか否かということです。
その浄土往生が定まるのは臨終の時ではなく、阿弥陀如来の本願を信じるときです。
往生の意義はそこにあるのです。
 
 臨終まで不安に過ごすことなく、この世で浄土往生が定まるからこそ、今ここに本願の
救いが成立し、阿弥陀如来の本願を喜ぶことができるのです。
 
 浄土往生が定まった今、身はこの世にあっても、心はすでに浄土にあり、浄土での
仏としてのはたらきを思う心には、常に浄土の世界が理想として心に響き、その心を
大切にする日々の暮らしが始まるのです。
 
 大学の合格通知をもらえば心はすでに大学にあり、どんな大学生活を送ろうかと
わくわくすると共に、私も、もう大学生になるのだから、きちんと自覚をして過ごさなくては
ならないと思います。そのように、浄土往生が定まり、仏となる身と定まったなら、
それにふさわしい生き方をしなくてはならないのです。