2012年9月
如来の願船 いまさずは
  苦海をいかでか わたるべき          (正像末和讃)

 この言葉は「正像末和讃」からのものです。

和讃では、この言葉の前に「小慈小悲もなき身にて有情利益はおもふまじ」「註釈版聖典」
という文言があります。親鸞聖人の晩年の作である「正像末和讃」の言葉であることを
考えますと、この心は、聖人の心の深いところをあらわしていることがわかります。
 
 阿弥陀如来の本願の心を、大慈大悲と言います。如来の本願の船、願船は、さとりに
到ることなく生死を繰り返し苦悩の海に沈む私たちを乗せて、彼岸すなわち悟りの岸である
浄土に渡してくれる、大いなる慈悲をあらわしています。
 
 それに比べて私たちは、人のために何ができるのpでしょうか。
 昨年東日本大震災は、地震と津波によって海岸沿いに広がる漁業の街に壊滅的被害を
もたらしました。街が根こそぎ津波に破壊されたようすをテレビ等で見るたびに、想像を
絶する惨状に言葉を失い、ただ茫然と見ているだけでした。
 
 しかし、その後に放送される避難所のようすを見、一人ひとりが、困難のなか、必死で
耐えながらも立ち上がろうとしている姿に、人間の忍耐強さやたくましさを感じるとともに
私たちにいったい何が出来るかを考えます。
 
 あのような被害にあわずによかったと思うのではなく、被災者の悲しみに寄り添う心が
大切です。その心こそが慈悲の心です。人の悲しみを自分の悲しみとし、人の喜びを
自分の喜びとする心、その心は誰にたいしても無限に広げていかなければならない心です。