2013年1月の言葉

とにかく お慈悲の力は ぬくいでなあ            (足利源左)

「妙好人」という言葉の意味を辞書には次のように記されています。
 
 ひろく念仏者を賞賛した語であったが、とくに真宗の篤信者をさす場合が多い。
 その大部分は無名の農・商人である。その純一な念仏生活と、自己犠牲的な
 順応姿勢とは妙好人という独特の信者像を描き出して真宗門徒の理想とされ
 その映像はなお今日においても生きている。(「岩波仏教辞典」岩波書店)

今月の足利源左さんや、11月の浅原才一さんは、その代表的な妙好人です。
 足利源左さんは1842(天保13)年、因幡国(鳥取県)に誕生しました。
源左さんが18歳の時、父親が死の直前に「おらが死んだら親様たのめ」
と遺言を残しました。親様とは誰なのかを必死に求め、聴聞をかさね、
ついに阿弥陀如来の本願にたどりつきました。キリスト教を一語でいえば
「愛」の宗教、仏教は「慈悲」の宗教といわれます。「慈悲」とは「与楽抜苦」
といわれるように、われわれの苦悩を抜き真実のよろこびを施す仏さまのみの
心であります。同じ仏教でも厳しい修行に励み欲(煩悩)を断ち切り、
きれいな体となって仏になる道があります。しかし、この道を歩める人は
ごくごく僅かに数えるほどの人でしょう。大部分の人間は断ち切れない欲(煩悩)に
振り回されて、腹を立てたり、妬んだり、怨んだりする心が生涯なくならない
存在であります。とてもとても自分の力では仏になる可能性は全くない凡夫です。
このような迷いの世界にしか生きようのない凡夫に対してこそ憐み、常に寄り添い
南無阿弥陀仏と喚びづめの仏さま。冷たく切り捨て、厳しい条件付のすくいではなく
どんなことがあろうともめざめさせ、育て上げ、守り抜き、すくいとらなければ
さとりを開くことはないと誓われた仏さま。この阿弥陀如来のあたたかいお慈悲を
よろこばれたのが源左さんでした。
 一昨年、昨年と源左さんがお育ていただいた願正寺様にご縁がありました。
緑豊かな落ち着いたのどかな田園風景の中に、大きな本堂が建っていました。
かつてこの地方はすばらしい和紙の生産地でしたが、現在では以前のような
活況は見られなくなったようです。ご多分にもれず当地も過疎・高齢化の波が
押し寄せています。しかし、本堂にはご参詣の人々が熱心にお聴聞をし、お念仏を
申されている光景を目の当たりにしますと、ご法義の過疎は全く感じられません。
間違いなく源左さんのご遺徳・余芳が伝えられていることを実感しました。
そこには源左さんの口癖であった「ようこそ、ようこそ」と阿弥陀如来に対して
のお礼と感謝の世界がありました。