鈴と、小鳥と、それから私
  みんなちがって、みんないい (金子みすず)

   
出典「金子みすず童謡全集」(JULA出版局)

1930年(昭和5年)、512編の詩を残して満26歳で生涯を終えた金子みすずさん
とその詩のことは、長い間顧みられることなく埋もれたままでした。
没後50余年を経て児童文学者、矢崎節夫氏の努力で出版され、光を浴びる
ことになりました。

 昨年6月、岐阜市で開催された講演会で私は矢崎氏とご一緒する機会に
恵まれました。その折、氏は「みすずさんのうれしいまなざし」と題して
次のように語られました。

 20世紀、私たちはもしかすると「私とあなた」というまなざしで駆け抜けて
 きたのかもしれません。自分中心、人間中心の眼差しで、生かされている
 ことの喜び、この世のすべてと共に生きる喜びは、「私とあなた」から
 「あなたと私」というまなざしに変わることなくして、出会うことはできない
 でしょう。

 また、矢崎氏は当日の演題と同名の書物の中で、「金子みすずさんの
「私と小鳥と鈴」では、題は「私」が先ですが、作品の中では「鈴と小鳥と、
それから私」と「私が後になっています。どうしてなんですか」という
小学校3年生の女の子の質問に次のように説明をされています。

 私が空を飛びたいと思ったのは、小鳥が空を飛んでいるのを見たからです。
 私がきれいな音を出したいと思ったのは、鈴の音を聞いたからです。
 私と小鳥と鈴は、みんなちがうんだ、と気づかせてくれたのは私の前に
 まず小鳥がいてくれたからです。鈴がいてくれたからです。(中略)
 「私と小鳥と鈴と」いう私を優位に置いた”私とあなた”というまなざしが
 「鈴と小鳥と私と」という”あなたと私”のひっくり返ったと時、はじめて
 「みんなちがって、みんないい」というすてきな言葉がうまれたのです。
 ですから、(みんなとがって、みんないい)といううれしい言葉が
 生まれるためには、その前の一行がとても大事なのです。
  (矢崎節夫「みすずさんのうれしいまなざし」 JULA出版局)

 私たちは自覚しよとしまいと人間中心、自分優先に考えて生きています。
例えば団体で集合写真を撮ったとき、ほかの人から見るということはありません。
無意識的に先ず自分を見て次に他の人や風景をみます。阿弥陀如来はすべての
いのちある存在ー男性・女性、若者・高齢者、富者・貧者、知者・愚者、
日本人・外国人など区別することなく、同じ慈しみの心をもって、
「われにまかせよ、必ず救う」と誓われています。