2013年11月の言葉


忘れても 慈悲に照らされ 南無阿弥陀仏  浅原才市

1月の足利源左さんの時にご紹介した「妙好人」。今月の妙好人は、浅原才市さんです。

浅原才市さんは、1850(嘉永3)年、石見国(島根県)に誕生しました。11歳の時、

両親が離婚。19歳の時、船大工として出稼ぎに行き、25歳で結婚。40歳から下駄職人

として生計を立てるようになりました。50歳ぐらいから家庭内の問題で苦悩の中にあった

才一さんは、お寺詣りをされ、真剣に聴聞されました。64歳から聞法のよろこびの詩を

残しています。


 その詩の中で数多く出てくる言葉が「ご恩うれしや なむあみだぶる」です。現代は

浄土真宗にとって最も大切なお念仏の声が聞かれなくなったように思われます。

その理由の一つにはお念仏は不吉な、また、悲しい時代だけのものであるというような

誤解や先入観があるようです。また、普段は無宗教を標榜している人でも、

自分の希望、目標、欲望を叶えるために、お念仏を一時借用して仏様にお願いする

ことばになっています。ところが才一さんは、うれしいときにお念仏を称えられています。

「ご恩うれしや 南無阿弥陀仏」と。このご恩とは何でしょうか。

ご先祖の恩、師の恩、自然の恩とたくさんありますが、才市さんは阿弥陀如来

「おやさま、あなた(にょらいさんとも表現しています)のご恩をよろこんでいるのです。

聴聞を重ね自分の全てが智慧の光明に照らし出された才市さんは、「あさまし」と

詠んでいます。


 このような「あさまし」ものを見捨てずに必ず仏にせずにはおかないという念仏のせきが、
でるでるの心が至り届いた時、喜びのお念仏を称えずにはおれなかったのです。

 こんなにご恩をうけたるわたし

 せかいにないぞくににない

 ご恩うれしやなむあみだぶつ

才市さんの肖像画があります。よく見ますと頭には二本の角が描かれてある得意な構図です。

「あさましい」自性と受け止め、角を加えてもらったのです。一方、顔は笑みを浮かべ、念珠を

かけて合掌してお念仏を称えている姿です。

日頃、わたしたちは阿弥陀如来に背を向け妄語(うそをつくこと)、き語(かざりたてたことば)

悪口(人をあしざまにいうこと)両舌(他人をそしること)などの罪業を重ねる日暮をしています。

その口からお念仏が出てくれるのです。それは阿弥陀如来が常に照らしはたらきかけて

いただいているからです。その世界を才市さんは、このように書き記しておられます。

 かぜをひけば、せきがでる

 才市が、御ほうぎのかぜをひいた
 念仏のせきが、でるでる