み仏のみ名を称ふるわが声は

                         わが声ながら

                                          たふとかりけり                                  甲斐和里子

今月は甲斐和里子さんのことばです。彼女は1868(慶応4)年に広島県の本願寺派勝願寺の

足利義山住職(後に、浄土真宗本願寺派勤学)の五女として生まれました。彼女は仏教精神に

根ざした学校を創設するために、自ら教師を目指します。その後、甲斐駒蔵氏と結婚し、神戸など

で教員生活を送ります。やがて松田甚左衛門氏の助力を得て仏教精神にもとづく女学校を創設し、

さらに「私立文中女学校」を開設し、現在の京都女子が学園の母体となる京都高騰女学校と

なりました。彼女は、退職するまで教員として女学生を指導し、1962(唱和37)年に95歳で

往生されました。

そのような彼女は歌人でもあり、阿弥陀如来のお徳を喜ぶ和歌を多く残しています。

2013年法語カレンダーの9月のことば「み仏をよぶわが声はみ仏のわれをよびます

み声なりけり」もその一つです。

そのこころは、私が「南無阿弥陀仏」と念仏申す時、声はたしかに私の声ですが、そらは

「決して見捨てぬ」我が名を称えよ」という私を喚び(呼び)覚ます阿弥陀如来の大慈悲心に

もとづくみ名のはたらき(名号)でありましたと、讃嘆されているのです。

さて、表紙のことばで味わったように、名号は「ここにいるよ、心配するな」

「我が名をよんでくれ」という願いなのです。その根本は「必ず救い育てる」という無償の

願いなのです。今日の私のいのちのご縁は、そのような親の願いによる無償のはたらきが

なければ、ありえませんでした。それを忘れて感謝もせずに自己中心的な不平不満を

こぼしていますが、私を育む願いの中でこそ、私は今日を迎えているのです。言い換えれば

私たちは「お母さん」とよびながら成長し、歳を重ねる中でその名に込められた願いなどを

知らされながら育てられてきたのです。そして、そのように願いなどを知らされる中で、

縁あれば今度は「お母さん」「お父さん」とよばれる身となっていくのです。

現代社会の私たちは、あらゆる行為に代償を求めたり、見返りを期待します。それは

ある意味、社会を成立させている原理といえるでしょう。しかし、人間の構築した社会の

仕組みはそうであっても、いのちを育むことは違うのです。身勝手な私たちは、自分の力だけで

成長し、生きてることさえ「当たり前だ」と思っています。例えば、犬などの動物は生まれてすぐ

に自ら母親の乳房を探しミルクを飲みますが、私たちはそれすら自分でできません。

ミルクを与えおしめを替える、この私の命を育んだ無償のはたらきがあれなこそ、今日の

私があるのです。それこそが、「育てずにはおれない」大慈悲心の姿です。

私の称えるお念仏は、そのような阿弥陀如来の大慈悲心が今、私に至り届いてはたらいている

姿なのです。私の声ながら、まさにまさに私を喚び続けている阿弥陀如来(親)の声なのです。

だからこそ、それは何と尊いことなのでしょうと、和里子さんは喜ばれているのです。