帰ってゆくべき世界は

                  今遇う光によって知らされる      (浅井成海)


今月言葉は、浅井成海先生の著作の中のものです。先生は、1935(昭和10)年に福井県の

本願寺派浄光寺に生まれました。後に龍谷大学で真宗学を専攻し、そのまま龍谷大学に奉職して

多くの学生を育てられました。退職後は本願寺の教学伝道研究センターの所長を務めていましたが2010(平成22)年6月に75歳で往生されました。
私が龍谷大学の仏教学科に入学した当時、
先生は助教授になられたばかりの頃でした。学生時代は専攻が違うのであまりご縁がなかったのですが、
私が本願寺の教学研究所に勤めたいた時、研究会や会議でよくご一緒するようになりました。

そして、2009(平成21)年に「新門徒教区御巡回・直属寺院御巡拝」の法要が大分教区の地元、四日市別院で厳修された際、
随行布教使として来られた先生とお話したのが、最後となりました。

 今月のことば」は、彼岸会の厳修される3月を迎え、その「彼岸」とは我々が往生させていただくお浄土であると、先生が味わっておられるものです。
そのお浄土とは、私のかえってゆくべき仏の世界であり、それを我々一人ひとりを照らし続ける光によって知らされるといわれています。
つまり智慧の光明の源だといただいておられるのでしょう。その智慧の光明は、すべての衆生を区別することなく平等に救い育む
大慈悲のはたらきそのものだからこそ、このような身勝手な凡夫である私にも至り届いているのです。

 

 私事ですが、先生、小中高と12年間一緒であった友人がガンで往生しました。葬儀後しばらくしてお参りし、友人のお母さんとゆっくり話をしました。
子どもの頃の思い出話をたくさんした後で
そのお母さんが私に、「病室で看病しながら、息子に何度も「お念仏せんか」と云ったのですが、
とうとう最後まで私の前では念仏しませんでした。しかし、「お父さんも、おじいさんも、おばあさんも待っているんだから、何も心配せんでいいんだよ」と
だけ言って聞かせたんですよ」というのです。そして
「私も先に往生させていただき、待っていてあげたかった」とつぶやかれました。これが親心でしょう。そういわれた私は、「おばさんも、私も、Y君が待つ浄土にかえらせてもらいましょう」というのがやっとでした後は、
お仏壇の前で一緒に念仏申すよりほかありませんでした。


 私たちは、普段「自分の力でこれまで生きてきたし、今後も生きていける」と思っていますが、

それは身勝手な自己中心(我執)の放漫な心です。仏の智慧の光明に出遭ってこそ、その我執を砕かれていくのです。
そこに、苦難の人生にあって、新たに広く力強いいのちの営みが始まるのです。
言い換えれば、阿弥陀如来の智慧の光明に出遭っているとは、
その温もりである慈悲をいただいているのです。そこに、待っている人がいる世界にかえらせていただける喜びを味わえる日々が始まるのです。
それが念仏者の姿なのでしょう。