2014年7月の言葉

 本当の相(すがたあ9になる、

          これが仏の教えの目的である        暁烏敏(あけがらすはや


今月は、曙烏敏氏のことばです。

氏は、1877年(明治10)に石川県の真宗大谷派明達寺に長男として生まれました。

氏は、編入した京都の大谷尋常中学校で出会った清沢満之氏に以後師事することになります。

その後、真宗大学(現・大谷大学)入学し、「歎異抄」に出遭います。 

親鸞聖人の生きた言葉を伝える歎異抄を今日のように有名にしたのは、

氏が「歎異抄」を詠む」と題して56回ほど雑誌「歎異抄」に連載したことに由来すると

言われています。また、日本各地で講演を行いそのカリスマ性をもって多くの信者を育てる一方、

二葉亭四迷や西田幾多郎などの文化人たちと交流し、1954年(昭和29)に78歳で往生されました。

その生涯は波乱万丈です。氏には数え切れない程の書物が残っていますが、

34歳の時には異安心(浄土真宗における異端)扱いを受けたり、

38歳頃に「中外目録」誌上でスキャンダル問題を指摘されたりしています。その一方、

晩年には真宗大谷派の宗務総長に就任して、財政的窮地に追い詰められていた宗派を

たった一年で立て直しています。そのためか、明治の「名僧」とか「傑僧」

あるいは「怪僧」と呼ばれ、色々な逸話が伝わっていて、現在でもその影響力は大きいといえます。

晩年に、氏は「大病人だからこそ劇薬が必要だ」と叫んだと伝えられています。

「大病人」とは当時の世間全体のことかもしれませんが、上述のような評価を自認していた氏にとっては、
自らのことをも意味しているのでしょう。

私たちは、自分のことは自分が一番よく分かっていると思っています。まして、自分の顔を

知らないという人はいません。しかし、自分の顔を直接見たことがある人はいないのです。

私たちは、ありのまま写す鏡の前に立って、初めて今の自分の顔を知ることが出来るのです。

言い換えれば、ありのままを写すものが無ければ、私たちは誰も自分の顔をしらないまま、

その人生を生きることになります。それは虚しいことでしょう。まして、私の本当の心のあり様を

自ら知ることはできるのでしょうか。

親鸞聖人は自らを「罪悪深重の凡夫」とか「煩悩具足の凡夫」といわれました。それは、

阿弥陀如来の本願に出遭い、その智慧の光明に照らされて頷かれた、自らの愚かな姿でした。

善導大師は「観経疏」(かんぎょうしょ)でこれ経教(仏の教え)はこれを喩ふるに鏡のごとし。

(註釈版聖典「七祖篇」387頁)

といわれています。苦悩する「大病人」の私たちは、その苦悩の原因が自らの

自己中心的な煩悩であることを知るには、自らの身勝手な姿を「本当の私の相」

であると知らされた時、その身勝手な私をそのまま許してくださる阿弥陀如来の

大慈悲に包まれていることに気づかされるのです。

同時に、その大慈悲の中でこそ「本当の私の相」を受け止めて生きる世界が開かれるのです。