永遠の拠り所を 与えてくださるのが

      南無阿弥陀仏の 生活である       (坂東性純)

今月は坂東性純氏のことばです。氏は1932(昭和7)年に東京都に生まれ、

東京大学の印度哲学科卒業後、大谷大学教授や上野学園大学教授などを務める一方

生家である上野公園に比較的近い大谷派の坂東報恩寺の住職でもあり、

2004(平成16)年に72歳で往生されました。

私たち浄土真宗の者にとって大切な聖教の一つが、親鸞聖人の「教行信証」です。

聖人は、関東在住時代にその草稿を完成させ、晩年まで朱や墨で訂正をされました。

この聖人の手による真跡本が「坂東本」と呼ばれるもので、それを伝えてきた

寺院が報恩寺です。

この坂東本は、1923(大正12)年の関東大震災の時、報恩寺により委託されて

保管していた浅草別院が焼け落ちましたが、奇跡的に焼失あお免れました。

そして、氏が20歳の1952(昭和27)年に国宝に指定されます。そのような

因縁のためか、氏は、印度哲学科ですが、日本の浄土教を学ばれています。

そして講演会などで仏教を広める一方、仏教経典の英訳事業に携わるなど、

諸外国に仏教の智慧と慈悲を伝えようとされました。

明治維新後、特に戦後の日本は西欧化してきました。その価値観の一つに

ヒューマニズムがありますが、それは西欧の近代低な価値観に基づく理性的な

人間を絶対視するものです。その人間中心主義は、「極仏的」とでも云えそうな

個人主義の側面があります。そのような価値観の中で発展した現代において、

確かに物は豊かになり便利になりましたが、人として生まれた喜びを感じ、

「しあわせ」になったのでしょうか。

どの時代であれ、人間は「しあわせ」になることを求め、努力してきましたが、

はたして本当の「しあわせ」を得られたかといえば、大いに疑問です。なぜならば、

私たちの求める行為そのものが、自己中心的な欲望にもとづくものに他ならないからです。

その自己中心性(我執)に振り回されている人間を「凡夫」というのです。

今日では「しあわせ」を「幸せ」と書きます。その「幸(さち)」という漢字は

「恩龍」を意味するだけでなく、「貧」と同義で「むさぼる」という欲望をも意図します。

自己中心的な欲望によってみさぼり続け、足ることを知らない生活をしている限り

「幸」は「めぐみ」ではなく、「むさぼり」となってしまい、足らないことに不平不満

をこぼすだけになっていくのです。さらに、自らの欲望を充実させるために他者を

傷つけるだけではなく、気付かないうちに自分をも傷つけているのです。「しあわせ」

は本来、「仕合わせ」と書いていました。それは、それぞれのいのちの営みに相違が

ありながらも、それぞれの出合いの縁を認め合い、許し合って育みながら、ともに

生きていることを喜ぶことだったのです。

 それには、凡夫の身勝手な我執の殻が破られる必要があるのです。その我執を

破る働きこそ、阿弥陀如来の智慧と慈悲であり、「南無阿弥陀仏」の名号の功徳なのです。