アリストテレス(B.C.384-322)
 世間一般で最も有名な哲学者というとたぶんソクラテスだと思うんですが、それに負けず劣らず有名なのが、このアリストテレスです。
 やっぱり、あの〜、あれですよ。フジテレビ系列で放送した『トリビアの泉』の影響が強いと思うんですよ。もともと、「アリストテレス」という言葉の響きにインパクトがある上に、全国に発信されるテレビ番組のオープニングで「人間は本性的に知ることを欲する」なんていう言葉をガンガン放送された日には、そりゃ、否が応にも知名度は上がりますよね。
 ちなみに、このサイトで哲学関係のページを開いたときに表示されている左側(←)の文字、これが「人間は本性的に知ることを欲する」のギリシア語原文です。この言葉は『形而上学』の冒頭に書かれているものなんですが、まぁ、なんとなく、哲学を一言で表す標語としてよさげかなぁと思い、背景に使っています。
 さて、逸れた話を元に戻しますが、このアリストテレスの知名度は今日の日本に限ったことではなく、古代のギリシア世界、および、その後の西洋世界においてもアリストテレスという名前は哲学史上の大メジャーとして知られていました。
 ていうか、ちょっと前の西洋世界ではプラトンやソクラテスの名前よりもこのアリストテレスの名前のほうが知られていたようです。
 実際、トマス・アクィナスの主著『神学大全』の中で使われる「哲学者」という言葉は、哲学者一般のことではなく「アリストテレス」個人のことをさしています。
 つまり、トマスの生きていた時代あたりでは、「哲学者=アリストテレス」という図式が成立するぐらいメジャーな存在だったんですね。
 そんな哲学史上の大メジャーであるアリストテレスですが、メジャーというだけあって、その著作量もプラトンと肩を並べます。
 今日まで残存しているアリストテレスの著作は、プラトンの対話篇のように完成された作品ではなく、もともとアリストテレスがアカデメイアなどで行った講義の際に用いるメモとして残されていたものを、後々、アンドロニコスという人がテーマごとに編集したものです。
 現代では図書館で検索すると『アリストテレス全集』と銘打たれた著作がひっかかりますが、この一般に『アリストテレス全集』と呼ばれている一連の著作群は、アンドロニコスが編集したものなんですね。
 日本で出版されている『アリストテレス全集』の赤茶色の著作群を一目でも観たことのある人はわかると思いますが、あの分量から想定されるように、当然、このコンテンツの記述量もかなりのものになるであろうということは想像できますよね……。
 いやぁ〜、ツラい……
 「書く!!」って決めたからには書きますけど、先を思うとねぇ…、シンドイ……
 さて、それじゃあ、また、例によって、アリストテレスの生涯からみていくことにしましょう。


アリストテレスの生涯
 アリストテレスって、学説の部分はすごく大きく取り上げられるんですけど、それに較べてその「生涯」に関する部分は意外と取りざたされない哲学者ですよね。
 プラトンやソクラテス、それにカントあたりだとエピソードが多いっていうこともありますけど、けっこう「生涯」の部分もクローズアップされるじゃないですか。
 アリストテレスも、アレクサンダー大王の家庭教師になったりした人ですから、色々とエピソードはあるんでしょうけど、なぜか、あんまりアリストテレスの生涯は注目されない傾向にありますよね。
 たぶん、資料が残されていないとか、そういう理由もあるんでしょうけど、それでも、ちょとさびしい感じはしますよね。
 そんな、「生涯」に光があてられてこなかったアリストテレスですが、このコンテンツではアリストテレスの人生を大きく四つの時期に分けて紹介しいこうと思います。
 こういう四つに分けるやり方は一般に流通しているアリストテレスの入門書などでも行われている方法なので、「パクリか?」といわれてしまえばパクリなんですけど、まぁ、そこはね、やり方は一緒でも書き方とかがね、一般的な入門書よりははるかにくだけた感じになってますから、その点は許してください。


1、幼年期〜青年期
 アリストテレスはB.C.384年にアテナイのはるか北方にあるスタゲイラというド田舎で生まれました。
 プラトンやソクラテスが活躍し当時のギリシア世界における文化的な中心地であったアテナイを現代の東京とすれば、このスタゲイラはどこでしょうね。
 仙台とか札幌とかだとちょっと都市の規模が大きすぎる感じがします。
 ていうか、秋田、青森、盛岡といった県庁所在地にしてもちょっと規模がデカいかもしれません。
 どのへんでしょうね。横手市とか、一関市とか、弘前市とか(ん?弘前は規模的には青森よりデカいか…?)、そんな感じの地方都市が例えとしてはちょうどいいかも知れませんね。
 このアリストテレス、生まれはド田舎ですけど家庭環境はすこぶる良好だったようです。
 まぁ、さすがにね、プラトンほどの名家というわけにはいきませんけど(ていうか、そもそもド田舎なので良家といえるほど由緒正しい家柄がなかったのかもしれません)、父親のニコマコスはマケドニアの王であるアミュンタスという人と長年の友人であり、かつ、この人物の主治医でもありました。また、父親だけでなく、母親であるパイスティスという人物も医者の家系の娘だったらしく、アリストテレスの家庭は父方をたどっても、母方をたどっても経済的には昔からかなり恵まれていた家柄だったようです。
 ここで、父親の「ニコマコス」という名前に「ん?」とひっかかる方もいらっしゃると思いますが、それはちょっと後に置いておいて、ここはアリストテレスの生涯に関する話題を続けます。
 そんな、いわゆる「いいとこ」の家庭に生まれ育ったアリストテレスですが、子供の頃のアリストテレスは父親のつてでマケドニアの宮廷などにも出入りしながら、学のある両親のもとで、それ相応に高度な教育を受けていたと考えられます。
 アリストテレスの幼年時代に関してはあんまり資料がないので、「彼が両親から高度な教育を受けた」ということに関しては、あんまりはっきりしたことは言えないんですが、彼が残した著作の中に明らかに解剖学的な知識があったであろうと思われる箇所があるので、そういった知識をどこで身につけたかということになると、恐らく、若い頃に医者である自分の父親から得たのであろうと考えるのが一番妥当だと思うんですね。
 確かに、アリストテレスは後々アカデメイアでも一定の時期を過ごしていますが、アカデメイアと解剖ってあんまり結びつかないんですよね。
 ですから、ここは、アリストテレスは、幼年期から青年期にかけて、ある一定以上の医学的な知識を獲得していたと考えておくのがよいでしょう。
 このように、比較的恵まれた子供時代を過ごしたアリストテレスですが、アリストテレスの両親は彼がまだ若い頃に死んでしまいます。
 両親二人の死因はわかりませんが、両親の死後、アリストテレスはアリストテレスの姉夫婦のところに預けられます。
 NHKの朝ドラなんかだとここら辺から主人公がドンドン不幸になっていきますけど、幸いなことに、アリストテレスを預かることになった義理の兄であるプロクセノスはなかなかの好人物であったらしく、アリストテレスにちゃんとした教育を施し、彼を一人前の青年に育て上げます。
 このように、アリストテレスの幼年時代から青年時代までをザッと概観してみると、確かに、両親との死別という不幸はありましたが、全体的に観て、おおむね幸せだったと考えていいでしょう。
 別に、いじめられたとかそういう暗いこともなく、マケドニアの王宮に出入りしながら暮らしていたぐらいですからね。
 しかし、この後、父親の仕事上の関係もあって自然と構築されたマケドニア王宮との親密な関係が、アリストテレスの残りの人生に大きな影響を及ぼしていくことになります。


2、アカデメイアでの生活
 両親と義兄夫婦から高度な学問的教育を施されたアリストテレスは、17歳になったとき、生まれ故郷のド田舎スタゲイラを離れ、花の都アテナイに向かいます。
 長渕剛でしたっけ、歌の中に♪死にたいくらいに憧れた、花の都大東京♪っていう歌詞がありますよね。
 アリストテレスがアテナイという都市に憧れを抱いていたのかどうかは定かではありませんが、とにかく、アリストテレスは家業である医者を継がずにアテナイに行き、プラトンの開いたアカデメイアの門を叩きます。
 ここで一つ問題なのは、なぜアリストテレスがアカデメイアに入学(?)したのかという点です。
 確かに、アカデメイアは当時としてもある程度の名声を獲得していたようですが、この頃のアテナイにはアカデメイア以外にも学校が存在し、それらの学校との評価を較べると、アカデメイアはそれほど有力な教育機関ではなかったようです。
 実際、当時おそらく最も大きな勢力を持っていたであろうと思われる学校は、イソクラテスという人物が開いた修辞学校でした。
 ですから、普通に考えると、アカデメイア以外の学校に入学していてもおかしくないはずなんですが、なぜか、アリストテレスはアカデメイアを選びました。
 この選択の理由はいくつか考えられますが、アリストテレスはアテナイに出向く前に、前もってプラトンの記した対話篇に触れていたのかもしれません。
 年代的に言えば、アリストテレスが産まれた段階ですでにプラトンは40代ですからいくつかの対話篇は世に出ていたでしょうし、哲学者としての能力を買われてシケリアに招かれるぐらいですから、その名声も他国にまで轟いていたのでしょう。
 ですから、仮に、アリストテレスがプラトンの著作に触れて何らかの知的影響を受け、そのことのゆえにアカデメイアの門を叩いたのだとしてもさして不思議はありません。
 さて、アカデメイアに到着したアリストテレスですが、そこに学頭であるプラトンの姿はありませんでした。
 プラトンの生涯について概観した箇所を見ていただけるとわかるんですが、アリストテレスがアカデメイアにやってきたちょうどその時、プラトンはシケリアのディオンとディオニュシオス二世の求めに応じて、二回目となるシケリア旅行に旅立った直後だったんですね。
 そんなプラトン不在状況のアカデメイアだったんですが、アリストテレスはそんなこともおかまいなしにアカデメイアに入学します。
 そして、翌B.C.366年、シケリアから失意のどん底で帰郷したプラトンとアリストテレスは始めて顔を合わせることになります。
 アカデメイアでのアリストテレスの生活は、プラトンの三度目のシケリア旅行などもあってアカデメイア自体のちょっとした動乱はあったものの、基本的には平穏なものだったと考えられます。
 さて、師匠であるプラトンが帰還したことでようやくアリストテレスの学究生活も軌道に乗ってきたわけですが、プラトンの帰郷後、アリストテレスはこのアカデメイアでメキメキと頭角を現し、最終的には師匠であるプラトンから「知性(ヌース)」という異名で呼ばれるほどの人物になります。また、アカデメイアに入学してある程度の年月がたち、アリストテレスが比較的「先輩」的なポジションに立つようになると、彼は後輩たちからも信頼を集め、学生としてではなく、教師として教える側の立場にも立っていたそうです。
 アリストテレス自身も充実した学究生活を送ることができるアカデメイアの生活に満足していたと考えられますが、B.C.347年、アリストテレス37歳の年に、プラトンがその80歳の生涯を閉じます。
 そして、このプラトンの死に呼応するかのようにアリストテレスもまた同じ年にアカデメイアを去っていきます。
 ただ、ここで一つ問題なのは、アリストテレスがアカデメイアを去った時期です。
 具体的に言うと、アリストテレスがこのB.C.347年という年にアカデメイアを去ったのは間違いないんですが、アリストテレスがプラトンの生前にアカデメイアを去ったのか、プラトンの死後にアカデメイアを去ったのかという点について意見が分かれているんです。
 西洋古典叢書の『ニコマコス倫理学』を翻訳した朴一功は、アリストテレスはプラトンが死ぬ前にアカデメイアを去ったとしていますし、講談社学術文庫に収録されている『アリストテレス』を書いた今道友信は、プラトンが死んで次の学頭選挙でスペウシッポスが選ばれたことを受けてアリストテレスはアカデメイアを去ったとしています。
 なんとなく、アリストテレスがアカデメイアを去ったことの理由付けだけをみてみると、今道友信が主張するように、プラトン死後の学頭選挙などが絡んでいた方がわかりやすいですけど、朴一功が主張する「プラトンが死ぬ前」説にもそれなりの根拠があるんです。
 アリストテレスの幼年時代を概観したときに、アリストテレスが父親の職業上の関係でマケドニア王宮と深い関係を持っていたということを示しましたよね。
 朴一功の側の人たちは、このマケドニアとの深い関係がアリストテレスがアカデメイアを去った主な原因であると考えるんです。
 この当時、マケドニアはギリシア地方の北方に位置するテッサリアを攻め落とし、アテナイにとって大きな脅威となっていました。
 しかも、それに輪をかけるように、プラトンの死の前年にあたるB.C.384年にマケドニアはカルキディケ半島の中心都市オリュントスを攻め落とし、アテナイに取ってはまさに「今そこにある危機」になっていたんです。
 当然、そんな社会情勢ではアテナイ国内の反マケドニアの気運は高まります。
 「そして、アリストテレスは自分がマケドニア王家と深い関係を持っていることを自覚し迫害を受ける前に早々にアテナイを脱出したのだ。」
 アリストテレスがアテナイを去った時期について朴一功の側に立つ人は、このような当時の政治的、もしくは、軍事的状況を根拠にして、アリストテレスはプラトンが死ぬ前にアテナイを脱出したと主張するんですね。
 でも、まぁ〜、ぶっちゃけた話し、どっちもありそうなんですよね。
 ですから、このコンテンツでは、これら両陣営の争いに首を突っ込むことなく、とにかく、B.C.347年、プラトンが死んだ年にアリストテレスはアカデメイアを去ったとだけしておきましょう。


3、放浪の時代(アッソスからミュティレネへ)
 プラトンの死、アカデメイアの学頭選挙、マケドニアのギリシア侵攻、アテナイ国内における反マケドニア機運の高まりなど、理由は色々考えられますが、とにもかくにもB.C.347年に、アリストテレスは同じアカデメイアの学友クセノクラテスとともにアテナイの地を去りました。
 そして、ここからアリストテレスの放浪生活が始まります。
 アリストテレスはアテナイを去った後、小アジアのアタルネウスに向かいます。
 当時、このアタルネウスはヘルミアス(ヘルメイアス)という人物が僭主として取り仕切っていたんですが、このヘルミアスは奴隷から身を起こした後アカデメイアで学んでいた人物で、アリストテレスとはアカデメイア時代に親交があったらしいんですね。
 当然、アカデメイアで学んでいたぐらいですから、ヘルミアスは哲学にも理解があり、アタルネウスにやってきたアリストテレスを、自分の支配下にあるアッソスという町に住まわせ、そこで哲学をするのに十分な環境を整えてくれたそうです。
 そんなヘルミアスの好待遇もあって、アリストテレスはこの地に三年の長きにわたって滞在します。
 アカデメイアを去った後、学究生活という面では不安定な立場にあったであろうと思われるアリストテレスにとって、アッソスにおける三年間という時間は非常に有意義なものだったでしょう。
 しかし、そんな幸せな状況にあったアリストテレスは、B.C.345年にアッソスからレスボス島のミュティレネへの移住を余儀なくされます。
 先にも書いたように、アッソスが位置しているのは小アジアという地方なんですが、当時、この小アジアは東方にあるペルシアという超大国の脅威にさらされていました。
 高校の世界史の授業を思い出してもらいたいんですが、当時のペルシアといえば超ド級の大国でしたよね。
 しかし、ヘルミアスはそんな超大国の圧力にも屈せず、持ち前の政治力で、西の大国マケドニアとの関係を強化し、なんとかアタルネウスの独立を維持していたんです。
 でも、やっぱり、ペルシアの側から見たら、そんな小国の僭主なんて邪魔なだけじゃないですか。
 当時、ペルシア王だったアルタクセルクセスは、目の上のたんこぶであるヘルミアスを排除すべく、アタルネウスの地に刺客を送り、ヘルミアスを捕虜にしてしまいます。
 ペルシア側がヘルミアスを捕虜にした理由としては、当然、目の上のたんこぶ的な存在を排除するという意味もあったんですが、もう一つ、裏の理由として、ヘルミアスが関係を強化しようとしていたマケドニアの情報を探るという目的もあったようです。
 ていうか、個人的には、恐らく後者の理由の方がメインだったと思うんですよね。
 当時のペルシアの勢力を考えれば、ちょっと気合を入れれば小アジアの小国なんて一掃できたと思うんですよ。
 むしろ、国力的なことを考えると、ペルシアにとって本当の脅威となり得るのは、小アジアの背後にあるマケドニアでしょう。
 さて、捕虜にされてしまったヘルミアスは、最終的に絞首刑にされてしまいます。
 この事件を受けて、保護者であるヘルミアスを失ったアリストテレスは仕方なくレスボス島に移住したんですね。
 レスボス島のミュティレネに移住したとき、アリストテレスはすでに40歳になっていましたが、この年、アリストテレスはヘルミアスの姪にあたるピュティアスという女性と結婚し、二人の子供をもうけます。
 また、この地には後にアリストテレス最大の弟子となるテオプラストスがいました。
 暖かい家族と優秀な弟子に囲まれて、ミュティレネでの学究生活は、アッソスにいたときほどの充実感はなかったものの、アリストテレスにとってある程度満足のいくものだったと考えられます。
 アッソスとミュティレネで、アリストテレスは主に生物学的な探究を行い、このときの探究結果は『動物部分論』などの著作にまとめられ、今日に伝えられています。
 さて、ミュティレネの地で学究生活を送っていたアリストテレスですが、B.C.342年、そんなアリストテレスのもとに、時のマケドニア王フィリッポス二世から、「息子であるアレクサンドロスの教育係になってほしい」という要請が届きます。
 アリストテレスとマケドニアとの間には幼い頃から密接な関係があったので、アリストテレスはこの要請を受けて早速マケドニアの地に向かいます。
 アリストテレスがマケドニアに着いたとき、アレクサンドロスは14歳でした。後にアレクサンドロス大王として全世界にその名をとどろかす人物と、後世、万学の祖として知られる天才がここで始めて顔を合わせることになります。
 マケドニアでのアリストテレスの生活ぶりはいまいちよくわかっていませんが、アリストテレスは自分をマケドニアに招集したフィリッポス二世が暗殺され、アレクサンドロスが20歳の若さにして王位を継承したB.C.336年までマケドニアに滞在します。
 即位から二年後のB.C.334年、アレクサンドロスはギリシアと同盟関係を結び、マケドニアとギリシアの連合軍を率いて小アジアに攻め込んで、有名な東方遠征を開始します。
 しかし、このとき、アリストテレスはすでにマケドニアの地を後にしていました。
 アレクサンドロスの東方遠征が始まる一年前のB.C.335年、アリストテレスは再びアテナイの地に戻ります。
 アリストテレスがなぜここで再びアテナイに戻ったのかは定かではありませんが、当時のアテナイは、アレクサンドロスの代理として実質的にギリシア地域を支配していたアンティパトロスの統治下におかれていました。
 つまり、アリストテレスがアテナイを去ったときにアテナイの人々が「今そこにある危機」として実感していた事態がある意味では現実化していたわけです。
 しかし、このときのマケドニアによる実質的な支配は、一方的な占領という形式のものではなく、一応、同盟関係に基づくものだったので、アテナイにもアリストテレスが離れたときほど「反マケドニア」の雰囲気はなかったようです。
 アテナイに到着したとき、アリストテレスは49歳。
 この後、アリストテレスはこのアテナイの地で、自らを初代学頭とする新たな学園を作り、その学園でただひたすら研究生活に打ち込むことになります。


4、リュケイオンの創設と死 〜二度目のアテナイ生活〜
 12年ぶりにアテナイに戻ったアリストテレスですが、自分がかつて学んだアカデメイアに再び戻ることはありませんでした。
 その理由としては、当時のアカデメイア(このときの学頭はアリストテレスがアテナイを去ったときに一緒だったクセノクラテス)が研究の方向性を哲学ではなく数学的な方向に向けて大きくシフトしていたからだといわれることがありますが、本当のところはわかりません。
 アリストテレスは、アテナイに戻った後、郊外にいくつかの建物を借り、そこにアカデメイアとは別に「リュケイオン」と呼ばれる自らの学園を作ります。
 アリストテレスはこの学園の歩廊をプラプラ歩きながら、学園に集った弟子達と共に哲学談義を繰り広げていたそうです。
 古代ギリシア語で(現代ギリシア語だとどうなんだろう?)「歩廊」のことを「ペリパトス」といいますが、リュケイオンの人々がこの「歩廊」で哲学をしていたことから、後々、アリストテレス学派の人々は「ペリパトス派」と呼ばれるようになりました。
 再び安住の地を得たアリストテレスは、かつてアカデメイアで行っていたように、新しい学園で講義をしながら充実した学究生活を送ります。
 リュケイオンでアリストテレスが行った講義の内容はよくわかっていませんが、12年の放浪生活の最中にも学問的な研鑽を積んでいたアリストテレスの講義は、アカデメイア時代に行っていた講義よりも広さにおいても深さにおいてもさらにいっそう充実したものになっていたと思います。
 しかし、そんなアリストテレスの学園生活も長くは続きません。
 アリストテレスがアテナイにやってきたB.C.335年から12年後のB.C.323年、アテナイの地にマケドニアのアレクサンドロス大王が遠征の途中に病死したという知らせが届きます。
 先にも書いたように当時のアテナイは、マケドニアのアンティパトロスが、トップであるアレクサンドロス大王に代わって代理統治している状況でした。
 そんな状況下にあって、統治されている国に統治している国のトップが死んだという報告が届いたらどうなるでしょうか?
 当然、統治されているアテナイ国民の側からしたら、「やった〜!!!!!!」的な状況になりますよね。
 そして、「やった〜!!!!!!」の次に来る行動は「あいつらを追い出せ!!!!!!!!!」ですよね。
 当時のアテナイでもこれと同じことが起こってしまいます。
 アレクサンドロス大王死去の報を受けて、アテナイの民衆の間に、かつてアリストテレスがアテナイを後にしたときと同じような反マケドニアの機運が再び高まります。
 そんな中にあって、アレクサンドロス大王の家庭教師を務めていたアリストテレスはアテナイの民衆から格好のターゲットにされてしまいます。
 まぁ、厳密に言うと、「ターゲットにされる」というところまではいかなかったみたいなんですが、アリストテレスの周囲(もちろん、リュケイオンの学生とかは別ですよ…)では明らかに「あいつってさぁ…」みたいな雰囲気が漂うようになっていたらしいです。
 そして、ついに、アリストテレスはエウリュメドンという神官によって、「不敬神」の罪で訴えられてしまいます。
 この告発は、アリストテレスがかつてヘルミアスを讃える歌を作ったということを理由になされたものだったんですが、まぁ、はっきりいって、言いがかりです。
 結局、ソクラテスが裁判にかけられたときと同じように、政治犯的な行動を実際には取っていないんだけれどもあらかじめ処理しておいたほうがいいだろうと思われる人物に対して、表向きなんとなくもっともらしい罪をでっちあげて告発し、最終的には死刑にしてしまおうということですね。
 この告発を受けて、アリストテレスは自分の身に迫る危険が現実化してきたことを深刻に受け止めて、アレクサンドロスの悲報が届いたのと同じB.C.323年中に、リュケイオンのすべてを愛弟子であるテオプラストスに託し、アテナイからエウボイアのカルキスに旅立ちます。
 このカルキスという土地はアリストテレスの母親であるパイスティスの故郷です。
 カルキスに移住したとき、アリストテレスは61歳になっていましたが、この移住の翌年、B.C.322年にアリストテレスは62歳の生涯を閉じます。
 アリストテレスの死因は「病死」とされています。移住してすぐに死んだことを考えると、恐らく、アテナイを出るときにはもうすでにアリストテレスの体は病魔に蝕まれていたんだと思います。
 アテナイを去るとき、アリストテレスは、自らの身におこった告発事件をかつてソクラテスの身に起こった事件になぞらえて、自分がアテナイを去る理由を「アテナイ人たちが、哲学に対して再び同じ過ちを犯すことがないように」と説明したと伝えられています。
 この伝承が真実かどうかは定かではありませんが、こうやってアリストテレスの生涯を追いかけてみると、アリストテレスはソクラテスやプラトンと同じようにアテナイという土地で哲学に専心しながらも、最後までそのアテナイという土地に根を下ろすことができなかった哲学者だといえるでしょう。

 さて、以上がアリストテレスの生涯です。
 スタゲイラ→アテナイ→アッソス→ミュティレネ→マケドニア→アテナイ→カルキス、様々な土地を転々としながら自らの学説を完成させていくアリストテレスの生涯は、ある意味、プラトンやソクラテス以上に当時の社会状況に翻弄された人生だったと見ることができるでしょう。
 しかし、そんなふうに世の中に翻弄されながらも、アリストテレスの作り上げた学説は、それ以後の西洋世界に圧倒的な普遍性を持って絶大な影響力を与えていくことになります。


アリストテレスの学説
 ここからはアリストテレスの学説について検討していきます。
 岩波版のアリストテレス全集の背表紙をザッと見てもらうだけでもわかると思うんですが、アリストテレスの興味関心は形而上学だけでなく自然学、天文学、生物学、気象学、論理学、ひいては心の哲学に至るまできわめて広い分野にわたっています。
 ですから、ソクラテス以前の自然学者達や、ソクラテス、それにプラトンといった人たちと較べて、「まとめる」っていう作業がきわめて困難です。
 それゆえ、このコンテンツでは、アリストテレスの学説を、「何であるか」を問題とするプラトン的探究と、自然万有の原因を問題とする自然学的探究の二つに分類して解説し、最終的にそれらを総合してまとめるという方針でいこうと思います。


1、個物
 先に、このコンテンツではアリストテレスの学説を「何であるか」を問題とする探究と、自然万有の原因を問題とする探求の二つに分けて解説していくといいましたが、どちらの方向で探究を進めるにしろ、その探究のスタートとなるものは同一のものです。
 つまり、仮に目の前に一本の木があるとして、それに対して、プラトン的な方向でその木が分有しているイデア的な要素を探究するにしろ、ソクラテス以前の自然学者的な方向でその木のアルケー的な要素を探究するにしろ、どちらもおおもとの探究対象は「その木」ですよね。
 ですから、ここでは、このおおもとの探求対象について、アリストテレスがどのような考えを持っていたのか概観します。
 我々のように生前からすでに歴史に埋もれてしまっている一般庶民に限ったことではなく、プラトンやアリストテレスのような哲学史上の超天才も、探究のスタートは木、椅子、山、海、家、財布といった身の回りにある感覚的な諸事物です。
 そりゃね、いくら天才っていったって、オギャ〜って産まれた瞬間から「イデア!!」とか言ってるわけじゃないですからね。
 で、それら様々な感覚的な諸事物から色々な考察を進めていくことになるわけですが、これら様々な感覚的な諸事物のことをアリストテレスは「個物」と呼んでいます。
 ここで一つ注意して欲しいことがあるんですが、ここまでの記述を読んで、「ふ〜ん、アリストテレスは木とか石とか人とか椅子とか、そういうのを個物って呼んだんだねぇ」という感じで理解してしまうと、間違っている可能性があります。
 問題なのは「木とか石とか人とか椅子とか」っていう部分です。
 というのも、アリストテレスが「個物」とみなしているものは「この木」や「この人」「この石」であって、「木」「人」「石」ではないんですね。
 なんか、「なに言ってるのかわかんねぇ…」って思っていらっしゃるかもしれませんが、「個物」っていう言葉の「個」っていう部分に着目してくれると理解の糸口がつかめるかもしれません。
 つまり、アリストテレスが「個物」とみなしているのは、まさしく「個」なんです。わかりやすい話、指をさして「この木!」「この人!」「この石!」って言えるものが、アリストテレスのみなす「個物」なんです。
 そして、いわゆる、「木」とか「人」とか「石」っていう一般的な概念(「これ!!」って指差せないものだと考えてOKです)については、アリストテレスは「個」「物」とみなさないんです。
 ですから、さっきみたいに「アリストテレスは木とか石とか人とか椅子とか、そういうのを個物って呼んだんだねぇ」って言ったときに、この発言をした人が、「木」っていう言葉で「この木」のことを意味しているのであれば、この発言者の理解は正しいですが、「木」って言って一般的な「木」の概念を意味しているのであれば、それは間違いなんですね。
 「なんでそんなところに差をつけるんだ?」と思う方もいらっしゃると思いますが、これねぇ、ちょっと論点先取になっちゃうんですが、アリストテレスは「個物」とそれら個物をまとめる一般的な概念とを、「実体」という観点からランクに差をつけるんです。
 後々、もう少し詳しく書きますけど、アリストテレスは「この木」や「この人」のような「個物」のことを「第一実体」と呼び、それらの個物が属する「類」や「種」をあらわす一般的な「木」や「石」といった概念を「第二実体」と呼んで区別するんです。
 ですから、ここでは、この「個物」と呼ばれているものを、感覚的に把握されるもので尚且つ「これ!!」と言えるようなものだと理解しておいてください(英語だったら「theがついているものか固有名詞で表現されるもの」っていう理解でもいいかもしれないですけどね)。
 なんか、すごく大まかな感じのする説明ですが、それでも、だいたいこんな感じで理解しておけば、アリストテレスの「個物」について、大きくはずすことはないと思います。


2、「何であるか」とは何であるか 〜アリストテレスの『カテゴリー論』〜
 アリストテレスの探究のスタート地点である「個物」の概念を概観したところで、ここからはアリストテレスによる「何であるか」の探究について言及しようと思います。


2-1、10のカテゴリー
 どんな対象についてであれ、我々がその対象の本質について定義しようとするとき、我々は「AはBである」という形式の命題を用います。
 この場合、当然のことながら、Aは主語、Bは述語ということになるわけですが、アリストテレスはこのBにあたる述語の部分に来る概念を10のカテゴリーに分けました(このコンテンツで「カテゴリー」を扱う際には、主に『カテゴリー論』を中心に扱うのでカテゴリーの数は10としておきますが、同じアリストテレスの著作でも『形而上学』の中では、このカテゴリーの数は8つとされています)。
 つまり、アリストテレスはある事物の本質を探究する前に、そもそもその事物の本質を記述する際に用いられる形式(「AはBである」)が、どれほど広い範囲に適応されているのかを検討し、その範囲のなかで本質として機能し得るものを取捨選択しようとしたんですね。
 では、アリストテレスが諸事物を分析する際に用いる10のカテゴリーとはどのようなものなのでしょうか?
 先ずは、以下にあげる引用文を見て下さい。

『カテゴリー論』第四章
 どんな結合にもよらないで言われるものどものそれぞれが意味するのは、あるいは実体か、あるいは「なにかこれだけ」[量]か、あるいは「何かこれこれ様の」[質]か、あるいは「或るものとの関係において」[関係]か、あるいは「或るところで」[場所]か、あるいは「或る時に」[時]か、あるいは「位している」[体位]か、あるいは「持っている」[所持]か、あるいは「為す」[能動]か、あるいは「為される」[受動]かである。
 しかし、実体というのは、大ざっぱに言って、例えば人間、馬。「何かこれだけ」は例えば二ペーキュス、三ペーキュス。「何かこれこれ様の」は例えば白い、文法的。「或るものとの関係において」は例えば二倍、半分、より大きい。「或るところで」は例えばリュケイオンにおいて、あるいは市場において。「或る時に」は例えば昨日、昨年。「位している」は例えば横たわっている、座っている。「持っている」は例えば靴をはいている、武装している。「為す」は例えば切る、焼く。「為される」は例えば切られる、焼かれる。
 しかし上に挙げられたものどもは、それぞれがそれ自身としてただそれだけで言われることは、どんな肯定においても存しない、いや、これらのものどもの相互の結合によって肯定はできるのである。というのは肯定はそのすべてが真であるか、偽であるかと思われるのに、どんな結合にもよらないで言われるものどもの何ものも(例えば、人間、白い、走る、勝つ)、真でもなければ、偽でもないからである。

 この引用文は『カテゴリー論』において、アリストテレスが10のカテゴリーをズラッと列挙している箇所です。これは岩波版のアリストテレス全集から取ったものなんですが、訳が古いせいもあって、「位している」っていうのがちょっと表現としてわかりづらいですよね。
 ただ、これは、要するに、主語にあたるものの物理的な姿勢というか、状況のことだと考えればわかりやすいと思います。
 さて、これらのカテゴリーを簡潔にまとめると以下のようになります。

アリストテレスの10のカテゴリー
番号カテゴリー意味具体例
1実体主語が何であるかアリストテレスである
2主語がどれほどの量であるか中肉中背である(たぶん…)
3主語がどのような質であるか乾燥肌である(知らないですけど…)
4関係主語が他のものとどのような関係にあるかアレクサンダー大王の教師である
5場所主語がどのような場所にあるかギリシアの人である
6主語がいつあるかB.C.384-322
7状況主語がどのような状況にあるかリュケイオンの教壇に立っている(そのときによって異なる)
8状態(所有)主語が(物との関係で)どのような状態にあるか指輪をつけている(そうだったらしいです)
9能動主語が他のものに対してなにをしているか学生に講義をしている
10受動主語が他のものから何を被っているか(アカデメイアで)プラトンに教えを受けていた


 このような仕方で、アリストテレスは「AはBである」という形式で述べられる内容を分類します。
 そして、これら10のカテゴリーの中から、主語に当たるAの本質を表しているものとして最も適切なものを特定するんですね。


2-2、各カテゴリーの特徴
 2-1で、探究の対象である事物Aを定義する際に我々が用いる「AはBである」という命題について、アリストテレスはそのBの部分を10のカテゴリーに分類したということを確認しました。
 この2-2では、分類された10のカテゴリーのそれぞれについて、その内容を確認してみましょう。


カテゴリー1…実体
 いきなり結論みたいな感じになってしまうんですが、「AはBである」という形式の命題のうち、アリストテレスが主語であるAの本質を表現しているとみなしているのが、この「実体」のカテゴリーに分類されるものです。
 アリストテレスは『カテゴリー論』第五章の冒頭で、以下のように述べて、この「実体」を「第一実体」と「第二実体」の二つに分けています。

『カテゴリー論』第五章
 実体――それも本来的な意味で、そして第一に実体と言われ、また最も多く実体であると言われるものは、何かある基体について言われることもなければ、何かある基体の内にあることもないもののことである、例えば或る特定の人間、あるいは或る特定の馬。そして第二実体と言われるのは、第一に実体と言われるものがそれのうちに属するところの種とそれらの種の類とである、例えば或る特定の人間は種としての人間のうちに属し、そして動物がその種の類である。だからそれらのもの、例えば人間や動物は実体としては第二と言われるのである。

 まぁ、なんとも、例によって、非常に読みにくい文章ですが、この引用文で言われている主張を簡潔に要約すると、第一実体とは、このコンテンツの1で言及した「個物」のことです。アリストテレスは第一実体である「個物」について、「何かある基体について言われることもなければ、何かある基体の内にあることもないもののことである」という仕方で特徴付けていますが、この主張を簡潔に説明すると、「他の個物の述語として機能することも無ければ、個物が属している概念(第二実体)を主語とした文の述語になることもない」ということです。なんか、言い直すとよけいに混乱すると言われてしまうかもしれませんが、第二実体についてちょっと書いた後に、もう一度、具体例を使いながら詳しく説明しますね。
 続いて、第二実体についてですが、ここで言われる第二実体とは、個々の個物が属している「種」のことです。つまり、個物である「アリストテレス」が属している「人間」という「種」が第二実体です。
 さて、第二実体の概念が明らかになったところで、ここでもう一度、第一実体に戻りましょう。
 先に私は、第一実体の特徴を「他の個物の述語として機能することも無ければ、個物が属している概念(第二実体)を主語とした文の述語になることもない」と言うふうに説明しましたが、ここでいわれている二つの特徴、すなわち、

(1)他の個物の述語として機能することがない
(2)個物が属している種(第二実体)を主語とした文の述語になることはない

の二つを、具体例を用いながらよりわかりやすく説明します。
 先ず、(1)についてですが、「実体」のカテゴリーに分類される具体的な述語として、「アリストテレスである」という述語を使って検討してみましょう。
 ある一つの探求対象、「この人」を定義する場合、我々は探究対象である「この人」の実体を主張する命題として、「この人はアリストテレスである」と主張することができます。
 しかし、この「アリストテレスである」という述語は、他の個物、すなわち、アリストテレス以外の人物や物を主語にした場合は使うことができません。もちろん、「プラトンはアリストテレスである」とか「この椅子はアリストテレスである」とか言ったり書いたりすることはできますけど、これらの命題は間違ってますよね。
 このように、「実体」のなかでも「第一実体」に分類されるものは、ある一つの個物以外のものの述語として機能することはできないんですね。
 次に、(2)についてです。
 第二実体について言及したときに、この第二実体のことを、個々の個物が属している「種」という仕方で定義しましね。それを考慮に入れた上で、(2)をもう一度みてみると、第一実体はこの第二実体を主語とした文の述語にはなれないということでした。これは、どういうことなのでしょうか?以下のような命題を考えてみましょう。

人間はアリストテレスである

 この命題、明らかにおかしいですよね。当然のことですが、「人間」はアリストテレスだけじゃなく、ソクラテスやプラトン、そして、それ以外にも、たくさんの人がいるわけです。つまり、第一実体を第二実体の述語として用いてしまうと、明らかにおかしな命題が出来上がってしまうんですね。
 さて、以上が「実体」のカテゴリーの説明です。「実体」は主語の本質を表すものであり、同じ「実体」のカテゴリーの中でも、「第一実体」と「第二自体」の区別があります。
 「実体」以外の他のカテゴリーに関しては、後々問題になるということはあまりないんですが、この「実体」のカテゴリーだけは、後々、改めて言及する必要がありますから、頭の片隅にしっかりととどめておいてください。


カテゴリー2…量
 次に、「量」のカテゴリーについて検討します。
 アリストテレスは、この「量」を、『カテゴリー論』のなかで以下のように四つの仕方で特徴付けます。

『カテゴリー論』第六章
 「量」は[1a]それの或るものは分離的なものであるが、[1b]それの或るものは連続的なものである、[2a]また或るものは、それの中にある部分が相互に位置をもつもので、それらから構成されているが、[2b]或るものはそのような位置を持たないものから構成されている。

 この引用文中に書かれている[1a][1b][2a][2b]は、岩波版のアリストテレス全集に書かれているもの(これはあくまでも翻訳者が読者の理解の助けとなるようにつけたもので、もともとのギリシア語原文には書いてないですよ)ですが、アリストテレスは、一般に「量」を表すとされる「数」や「線」「面」といったものを以下の一覧表に示すような仕方で分類しています。

[1a]分離的…数、言葉
[1b]連続的…線、面、立体、時、場所(空間)
[2a]部分が相互に位置を持つ…線、面、立体、場所(空間)
[2b]位置を持たない…数、言葉、時

 これら四つの区別のうち[1a][1b]は「分離」という観点からなされた区別であり、[2a][2b]は「位置の有無」という観点からなされた区別ですが、上述した「数」や「線」のような諸事物がなぜこのような仕方で分類されているのかはなんとなくわかりますよね。。
 [1a]の分離的に分類される「数」の概念をみてみても、例えば「1」という数は他の「2」や「150」などの数とは分離していますよね。1は1ですし、2は2です。確かに、数直線というものはありますが、あれも、便宜的に直線として表しているだけで、あれは無限に分割可能な点が並んでいるだけで、幾何学的な「線」と同じように切れ目の無い連続体ではないんですね。
 そして、このように考えると、[1b]の連続的という区別の規準もわかりますよね。「線」や「立体」「面」「時」といったものどもは、数直線の事例のように無限に分割されちゃったらどうしようもないですよね。仮に、無限に分割されてしまったら、それは、「線」や「立体」ではなく、ただの点になってしまいます。
 もちろん、概念的なことを言えば、どんなものであれ、「ひろがり」を持つ以上は分割可能ですが、分割可能だからといって分割すると、それは「線」や「立体」として存在できなくなってしまいます。ですから、「線」が「線」として、「立体」が「立体」として存在している状態のことを考えれば、これは連続したものですね。
 また、「位置の有無」という観点からなされた[2a]と[2b]の区別を見ても、[2a]に分類されているものは何らかの仕方で空間的な「ひろがり」を持っているので、立体Aのポイントαのような仕方で、その広がりの中のある特定の部分について「位置を持つ」と主張することができます。
 しかし、それに対して、[2b]に分類されている諸事物は空間的な「広がり」を持たないものなので、「位置」と言われてもなんともしようがありません。
 このような仕方で、アリストテレスは一般に「量」を表すとされる諸事物を分類し、大別したわけです。
 アリストテレスの行う分類のしつこさにはほとほと感心してしまいますが、カテゴリーの一つとして分類された「量」を、さらにもう一回区別したところで、アリストテレスは、せっかく分類した「量」に対して、今度は、その「量」のカテゴリー全体を統括するような一つの最も特徴的な性質を示します。

『カテゴリー論』
しかし量に最も独特なことは、それが「等しい」とか、「等しくない」とか言われることである。というのは以上に言われた量のそれぞれは「等しい」とか、「等しくない」とか言われるからである、例えば物体は「等しい」とか、「等しくない」とか言われる。また数も「等しい」とか、「等しくない」とか言われるし、また時も「等しい」とか、「等しくない」とか言われる、しかし量でない残りのものどもは何ものも「等しい」とか、「等しくない」とか決して言われないと思われるだろう、例えば状態は「等しい」とか、「等しくない」とか決して言われないで、むしろ「同様な」と言われる。また白も「等しい」とか、「等しくない」とか決して言われないで、むしろ「同様な」と言われる。従って「量」に最も独特なことは、それが「等しい」とか、「等しくない」とか言われることであるだろう。

 アリストテレスが示す「量」に最も特徴的な性質というのは、この引用文が示すように、「等しさ」で表現されるということです。
 つまり、アリストテレスが示す最終的な「量」の概念というのは、途中、色々な仕方で区別されたりしましたけど、最終的には、「『等しさ』の概念で表現されるもの」なんですね。


カテゴリー3…質
 「量」に続いて、今度は「質」について検討してみましょう。
 アリストテレスがこの「質」について言及しているのは『カテゴリー論』の第八章ですが、ここでアリストテレスは「質」の最も基本的な特徴として以下のように主張します。

『カテゴリー論』第八章
しかし、「性質」と私が言うのは、それに基づいて何か在るものが「これこれ様の」と言われるところのものである。

 この引用文は、岩波版のアリストテレス全集から取ったものですが、この中では、「質」のかわりに「性質」という言葉が使われていますが、まぁ、これは、意味的な差ではなく解釈者の差ですから気にしないでください。
 さて、肝心の「質」の定義についてですが、これに関しては、特別に説明を加えなくても、この引用文だけで、「まぁ、そうだよね…」ぐらいな感じで納得していただけるんじゃないでしょうか。
 「これこれ様の」っていう日本語が古くてわかりにくいという方がいらっしゃれば、「そのようである」ぐらいの意味で考えておけば大きくはずすことはないと思います。
 「色白」という質を持つ主語Aに関する文章であれば「色白である」という表現になりますし、カテゴリーわけをした図に描かれている「乾燥肌」という質であれば「乾燥肌である」という表現になりますからね。
 さて、「質」をこのような仕方で大きくまとめたアリストテレスですが、彼は「質」全体に関するこのようjな大きな定義を提出した後、この「質」をさらに四つに分けます。
 この四つの区別は先に「実体」の項目であげた「第一実体」と「第二実体」の区別ほど重要ではないので、別に覚えなくてもいいと思いますが、一応、以下にその分類を書いておきます。

(1)性状、状態…知識や徳(性状)、熱、冷え、病気、健康(状態)
(2)能力…ボクシングができる、健康的である、etc
(3)受動的性質…甘さ、辛さ、酸っぱさ、暖かさ、冷たさ、白さ、黒さ、etc
(4)姿かたち…三角形、四角形、etc

 こんな感じで、アリストテレスは「質」を四つに分類するんですね。この中で、(1)(2)(4)はなんとなく直感的にわかると思うんですが、(3)はちょっと「?」な感じですよね。
 なんで「甘さ」や「辛さ」みたいなやつが「受動的」なのか?
 「甘さ」と「受動的」っていまいち結びつかないですよね。
 これ、アリストテレスは、

「甘いもの」は「甘さ」を受け入れているから「甘い」のであってその意味で受動的だ

みたいな説明をするんですが、これねぇ、正直、私自身もいまいち納得いってないんですよね。
 後々、より詳しく説明しますが、アリストテレスはプラトンが主張する「イデア」の代りに「形相」という概念を取り入れるんですね。
 そして、この「形相」というやつが「質料」と呼ばれる諸事物の材料と結びつくことによって、「そのものはそのものとしてある」ことになるんです。
 アリストテレスは諸事物がそのものとしてある仕組みをこのように考えるんですが、しかし、だからといって、「甘さ」などの性質について、アリストテレスが主張するような説明を受け入れてしまうと、あらゆる性質は「受動」にまとめられてしまうと思うんですよね。
 つまり、せっかく、性質を上に上げた四つに分類したのに、その意味がなくなっちゃうと思うんですよ。
 これねぇ、アリストテレスを専門にしている研究者の人なんかはどう考えるんでしょう。
 正直、このあたりの問題について、私はちょっと適切な見解を出せる能力がないので、この「質」の四分類にまつわる問題に関しては、ただ単に、「アリストテレスは「質」を上にあげた仕方で四つに大別していた」と主張するにとどめたいと思います。


カテゴリー4…関係
 続いて、四つ目のカテゴリー(まだ四つ目か…)である「関係」についてみてみましょう。
 この「関係」のことを、アリストテレスは以下のように語っています。

『カテゴリー論』第七章
しかし、「関係的」と言われるのは、それ自らまさにあるところのものが「他のものの」[あるいはより]であると言われたり、あるいはたとい何でもその他の仕方で「他のものとの関係において」あると言われたりするようなもののことである。

 アリストテレスの文章はあいかわらず非常にわかりにくいですが、でも、ここにあげた引用文に関しては、意外と、「うん、まぁ、そうだろうね…」ぐらいな感じで、すんなり頭に入ってくると思います。
 つまり、アリストテレスは「関係」のことを、「あるものが他のものに対してどのようにあるか」というふうに考えているんですね。
 ていうか、これ、当たり前ですよね。
 なんか、自分で書いてて、「何をダラダラと書いているんだ…」と軽い自己嫌悪が起こっています。
 いや、もちろんね、何の理由もなくダラダラ書いているわけじゃないんですよ。
 『カテゴリー論』のなかで「関係」について書かれているのは、先に引用文をあげたときに示したように第七章なんですが、この第七章、他の章にくらべて長いんですよね。
 ですから、なにかしら、書くことがあるんじゃないかなぁ…、みたいな感じで全体を眺めてるんですけど、特に…、これといって…、無いかんじなんですよね。
 ていうか、アリストテレスのテキストの中では、色々と事例を挙げて、その事例が「関係」に属するものとみなすべきものであるのかどうかを検討しているんですが、その箇所に関しても、「関係」のもともとの定義である「あるものが他のものに対してどのようにあるか」ということを念頭においておけば、いきなり原典にあたっても、すんなり理解できると思います。
 そうですね、「関係」については、下手にゴチャゴチャ書くよりも、これぐらいにしておくのが無難でしょうねぇ…


カテゴリー5…場所
 これまで、「実体」「量」「質」「関係」の四つを見てきました。
 『カテゴリー論』のなかで、これら四つの質は、それぞれ一個の章を割り当てて説明されていたんですが、ここから先の六つの質はものすごく短い第九章にまとめて収録されています。
 ですから、ここから先の「質」については、もう、本当に、場合によっては一行程度でサラッと説明していきたいと思います。
 で、「場所」についてですが、これは、もう、ただ、主語に当たるものがどこにあるのかを表すというだけのことです。
 以上です。
 アッサリしていていいですね。


カテゴリー6…時
 主語にあたるものがいつあるのかを表す述語。「アリストテレスはB.C.384-322を生きた人である」みたいなことです。
 以上ですね。


カテゴリー7…状況
 続いて、「状況」です。これは、要するに、「主語がどのような状況にあるのか」ということを示すものなんですが、日本語で「状況」っていうとちょっと意味が広くてとらえどころがない感じがしますよね。
 ですが、ここでいわれる「状況」っていうのは、「主語の外見的な身体の状況」を意味します。岩波版のアリストテレス全集には、読者の便宜を図るためにカッコつきで[体位]という言いかえがなされていますが、要は、その主語に当たるものがどのような姿勢にあるかです。
 「立っている」こともあれば、「座っている」こともあるでしょうし、「寝ている」なんていうことあるでしょう。
 そういった、主語の身体的な状況、それを表す述語が分類されているのがこの「状況」のカテゴリーです。


カテゴリー8…状態(所有)
 次は「状態」です。これは「主語が物に対してどのような関係にあるか」を意味します。
 アリストテレスの表現は色々とわかりづらいものがありますが、さすがにこの「状態」は、このままだと意味が全くわかんないので、「所有」という言い換えを括弧内に示しておきました。
 つまり、「Aは服を着ている」とか「Aは鉛筆を持っている」とかそういうことなんですけど、これを「状態」の一言で表現するのはさすがにきついですからね。


カテゴリー9…能動
 やっとここまで来ました。残すは二つです。
 この「能動」ですが、これに関してもアリストテレスはそれほど詳細な説明は行っていません。
 ていうか、厳密に言うと、どうやらこの部分にテキストの欠損があるらしいんですよ。
 ですから、その部分に詳しい説明があるかもしれませんが、今となっては確認不可能です。
 それゆえ、現段階でこの「能動」のカテゴリーの意味について言えることは、先に示した表で書いたように、「主語が他のものに対してなにをしているか」ということだけですね。


カテゴリー10…受動
 さあ、いよいよ最後のカテゴリーです。
 ただ、最後と言っても、実は、この「受動」も「能動」のときと同じ理由で、『カテゴリー論』のなかであまり詳しい説明がなされていないんですよね。
 ですから、この「受動」も表にあげた「主語が他のものから何を被っているか」ということ以上に説明の使用がありません。
 でも、まぁ、この説明で十分ですよね…
 ていうか、むしろ、あんまりよけいなことを書くと逆にわかりづらくなっちゃいますから…

 さて、以上が10のカテゴリーの細かな説明です。
 「カテゴリー」の概念を本格的に扱い始めた2-1の冒頭でも示したように、アリストテレスは、探究対象である諸事物を主語とした「AはBである」という形式の命題を分析し、分析の結果として提出した10のカテゴリーの中から、その事物の本質を表すカテゴリーを特定しようとしたんです。
 結局、アリストテレスが諸事物の本質とみなしたカテゴリーは「実体」ということになるんですが、これって、ソクラテスやプラトンに関する議論をある程度知っている人にとっては、「あたりまえだろ…」って思いますよね。
 当然、アリストテレスもアカデメイアでプラトンについて学んでいたわけですから、カテゴリーによる分析をしても、最終的に諸事物の本質を表すカテゴリーは「実体」になるであろうということは想定していたと思うんです。
 ただ、それでも尚且つ、実際にアリストテレスはこのようなカテゴリーによる分析を実行したんです。
 いったいなぜでしょうか?
 その理由を特定するに当たって、このカテゴリーの分析によって諸事物の本質として退けられたカテゴリーとソクラテス以前の人々が展開した自然学的な探究の二つに着目してみましょう。
 先にも示したように、「実体」以外のカテゴリーは諸事物の本質として退けられていたわけですが、ソクラテス以前の人々が自然学的なやり方で行ったアルケー探究の結論として提示した諸事物の本質を表す命題を思い出してみると、彼らの示した定義は、どれもみな、アリストテレスが諸事物の本質として退けたカテゴリーによる定義だということがわかるでしょう。
 具体的に言うと、アナクシメネスによる諸事物の定義はアルケーである「空気」の濃度(アリストテレスのカテゴリーで言うところの「量」)でしたし、エンペドクレスの定義も四根とよばれる火、水、土、空気の混合状態(これもある種の「量」ですかね…)でした。また、現代的な観点からみて、恐らく最も自然学的な学説であろうと思われるデモクリトスの原子論をみても、そこでなされる定義は、アルケーであるアトムの形状(これは「質」ですかね)や並び方(これは「質」か「状況」なんですかね…)などに言及することでなされていました。
 つまり、アリストテレスは、このカテゴリー分析を実行することによって、ソクラテス以前の人々が示したような諸事物に対する定義を、諸事物の本質である「実体」に言及していない定義として一掃したんですね。


3、アリストテレスの四原因説 〜アリストテレスの自然探究〜
 このコンテンツでは、アリストテレスの学説を、諸事物の「何であるか?」を問題とするプラトン的な本質探究と、諸事物の自然学的な原因を問題とするソクラテス以前的探求の二つに分けました。
 そして、2では、アリストテレスのカテゴリー論を中心に検討することで、諸事物の「何であるか?」を問題とするプラトン的な本質探究について検討しました。
 この3では、アリストテレスの学説を二つに分けたうちのもう一方、つまり、諸事物の自然学的な原因を問題とする探求について検討しようと思います。

3-1、「がある」と「である」 〜原因を「一」であるとする主張の否定〜
 アリストテレスによる自然学的原因探求を問題とするにあたって、ここでは主に、そのものズバリ『自然学』というタイトルの著作をみながら検討していきます。
 この『自然学』の冒頭で、アリストテレスは以下のように主張して、自然を探究する際に従うべき原理原則を示します。

『自然学』一巻184a10-
 およそいかなる部門の研究においても、その対象にそれの原理、原因、ないしそれの構成要素があるかぎり、われわれがその研究対象を知っていると科学的に認識しているとかいうのは、これら[それらの原理・原因・構成要素]をよく知ってからのことである(というのは、普通われわれは、各々の対象事物の第一の原因、第一の原理を、その構成要素にいたるまで知り尽くしたとき、そのとき初めてその各々を知ったものと思っているからである)、だから明らかに、自然についての学[学的認識]の場合にも、先ず第一にわれわれのつとむべきはそれの諸原理に関する諸事項を確定するにある。

184b-
 さて、ものの原理は、一つであるか、一つより多くあるか、そのいずれかあらねばならない。
〜中略〜
 ところで、「あるもの」[存在]について、それが一つであり不動なものなのではないかと詮索することは、自然を研究するもののすることではない。

185a-
 だがとにかく、われわれ[自然学研究者]としては、自然によって存在するものども[自然的諸存在、自然物]のすべてを、あるいは少なくともそのあるものどもを、動くものであると前提しておきたい。

この引用文をみると、アリストテレスは、自然学を探究する際に従うべき原則として以下の三つのことを主張していると考えることができます。

1、「探究の対象について知るということは、探究対象の最も根本的な原理や原因を知ることである」
2、「自然的な事柄の原因は多である」
3、「探究対象である『自然物』とは『動くもの』のことである」

 つまり、アリストテレスは「探究対象について知る」ということを「その対象の原因を知ることである」とした上で、『自然学』における探究対象である自然物を「動くもの」であると限定し、その自然物がそのようにあることの原因を「一」ではなく「多である」と主張しているんですね。
 古代ギリシア哲学で「一」っていうと、どうしても、パルメニデスおよびそれに連なるエレア派の人々が思い浮かびます。
 実際、アリストテレスも『自然学』のなかでパルメニデスやメリッソスの名前を出して、彼らのことを、自然物の原因を「ただ一つのもの」と考えた人々として解釈していますが、純粋にパルメニデス解釈という観点から言えば、アリストテレスのパルメニデス解釈は間違っています。
 しかし、アリストテレスのパルメニデス解釈がどうこうという問題は別としても、アリストテレスが自然物の原因を数的にたった一つではなく複数であると考えていたことは事実です。
 アリストテレスは先に示した三つの原則を遵守して、自然物の原因を「複数である」と考えているんですね。
 ですが、仮に、アリストテレスの自然探究における原則を先に上げた三つのものとした場合、以下にあげる二つの問題が生じます。

(1)どのような理由で自然物の原因を数的に一であるとみなす主張を排除しているのか。
(2)アリストテレスが示す複数の原因とは具体的にどのようなものなのか。

 これら二つの問題点のうち、まずは、(1)について検討してみましょう。
 「原因は一である」という考え方を排除するに当たって、アリストテレスはまず、エレア派が問題とする「ある」という言葉に着目します。
 アリストテレスは、われわれがこの「ある」という言葉を用いる状況を分析し、「ある」の意味を、量や性質を述べる場合に「何々である」という仕方で用いられる「である」(述定)と、そのものの実体などを述べる場合に「何々としてある」という仕方で用いられる「がある」(存在)の二つに分類します。
 そして、アリストテレスは、このように「ある」には多様な意味があるという観点から、あらゆる状況における「ある」の意味を未分類にしたまま「ある」をあつかっているエレア派の人々を問題視しています。
 つまり、アリストテレスは「ある」が持つ意味の多様性という観点から、自然物の原因が一つのものに収束していくことを論駁しようとするんですね。
 ここからは、その論駁の手順をいくつかに分けてみてみましょう。
論駁1:「ある」を存在の意味でのみ用いることに対して…
仮に、「ある」が存在の意味でのみ用いられるならば、あるもの、たとえば鉄アレイに関する言及は以下のように複数のものが考えられる。
A:鉄アレイは鉄アレイとしてある(「実体」として存在する)
B:鉄アレイは5kgとしてある(「量」として存在する)
C:鉄アレイは硬さとしてある(「性質」として存在する)
この場合、一つの存在者である鉄アレイは三つの存在者である。
仮に、「ある」を存在の意味でのみ用いることが正しいならば、BやCは量や性質として存在することになる。
しかし、量や性質は実体なくしては存在しない。
それゆえ、「ある」を存在の意味でのみ用いることは、存在できない存在者を存在しているとみなさなければならなくなるという点でおかしなことになる。
以上のことより、「ある」を存在の意味のみで用いると不都合が生じる。

論駁2:自然物の原因(「あるもの」)が一であり、それが無限なものであるという主張に対して…
仮に、一つの原因が無限なもの出るならば、それはなんらかの量である。
しかし、量は実体に付帯するものであるから、無限なものは実体を必要とする。
それゆえ、仮に自然物の原因(「あるもの」)が無限であるならば、それは量としてもあり、実体としてもあるのであり、二つのものということになる。
よって、自然物の原因は一ではない。
また、仮に、自然物の原因である無限なものが、量ではなく実体だとすると、無限とは量であるから、無限なものは無限ではないことになる。
それゆえ、自然物の原因を一であり無限なものとみなすことは誤りである。

論駁3:自然物の原因である「あるもの」について「それは一である」とするとき、その「一」が連続的なものであるとする主張に対して…
仮に、原因である「一」が連続的なものであるならば、それは広がりを持つのであり、その意味で無限に分割できる。
それゆえ、連続的である「一」は無限に多になる。
よって、「原因」であるところの「あるもの」が連続的であるならば、それは「一」ではない。

論駁4:自然物の原因である「あるもの」について「それは一である」とするとき、その「一」が不可分であるとする主張に対して…
仮に、自然物の原因である「あるもの」が、不可分であるがゆえに「一」であるとするならば、それは不可分なものとしてある(存在)。
つまり、「不可分なもの」とは「不可分」という性質として存在しているものである。
しかし、性質としてあるものは、その性質が属する実体を伴っている。
よって、「不可分なもの」は性質と実体に別れることになる。
このことから、不可分なものは不可分ではないし、それが性質と実態であるという意味で一でもない。

論駁5:自然物の原因が一であるといわれるとき、それは複数の原因が存在しているけれどもそれらすべてのものが皆同じ仕方で説明されるがゆえに「一」であるとする主張に対して…
この場合、原因は説明という意味では「一」であるが、数的には複数であるから、一であるものが多でもあることになる。
よって、原因は「一」ではない。

 さて、アリストテレスはここに示したような五つのやり方で、自然物の原因を数的に一であるとする考え方を退けています。
 この一連の議論は『自然学』第一巻の第二章で展開されていますが、この箇所でアリストテレスは主に、エレア派の人々を論駁するという体裁をとっています。
 先にも見たように、アリストテレスのパルメニデス解釈を、純粋にパルメニデス解釈という観点から検討した場合、アリストテレスの主張はちょっと受け入れがたいものがあります。
 しかし、ここで展開される一連の議論は、自然物の原因を「数的に一である」とする主張に対する反論としては一定の効力を持っていますし、実際にアリストテレスはこの議論をもって、「原因はたった一つしかない」とみなす主張は論駁されたとしています。
 これで、アリストテレスの自然探究における問題点のうち、一つ目の問題は解決したことになります。
 続いて、先に(2)という仕方で示したもう一つの問題、すなわち、「アリストテレスが示す複数の原因とは具体的にどのようなものなのか」という問題を検討してみましょう。


3-2、アリストテレスが示す自然物の原因 〜アリストテレスの四原因説〜
 3-1では、アリストテレスが自然探究を行う際の基本的な立場を確認し、そのような立場から必然的に生じてくる二つの問題のうちの一つ目、すなわち、「どのような理由で自然物の原因を数的に一であるとみなす主張を排除しているのか」という問題について検討しました。
 この3-2では、もう一つの問題点である、「アリストテレスが示す複数の原因とは具体的にどのようなものなのか」という点について検討してみましょう。


3-2-1、「自然」の再定義
 「アリストテレスが示す複数の原因とは具体的にどのようなものなのか」という問題は、主に『自然学』の第二巻と『形而上学』の第一巻で検討されていますが、このコンテンツでは主に『自然学』の方を主な考察対象にします。
 さて、『自然学』第一巻で、自然物の原因が数的に一であるということが退けられたことを受けて、アリストテレスは第一巻の段階でただ単に「動くもの」とされていた「自然物」について、よりくわしく再定義することを試みます。以下にあげる引用文をみて下さい。

『自然学』第二巻192b8-
「ある」と言われるものども[諸存在]のうち、その在るものは自然によって存在し、他の在るものはその他の原因によって存在する。自然によって存在するものども[自然的諸存在、自然物]は動物とその諸部分や植物や単純な物体、たとえば土、火、空気、水などである(というのは、これらおよびこのようなものどもをわれわれは自然によって[自然的に]存在すると言っているから)。そして、すべてこれらは、自然によってでなしに作られ存在するものどもにくらべて明らかな差異を示している。けだし、これら[自然的に存在するものども]の各々はそれ自らのうちにそれの運動および停止の原理[始動因]をもっている。そして、その在るものは、場所的意味での運動および停止の原理であり、在るものは量の増大・減少[成長・萎縮]の意味でのそれのであり、或るものは性質の変化の意味でのそれである。これに反して、寝台や衣やその他のこの類のなにものであろうと、たまたまそう呼ばれているその名前のものとしてのかぎりのすべては、すなわち技術によって存在するものとしてのかぎりのすべては、それ自らのうちに転化への何らかの衝動をも植えつけられていない、ただし、これらも、たまたま付帯的に石から、あるいは土から、あるいはこれらの混合からなるものとしての限りにおいては、そうした衝動をもっている、だがそれもただこのかぎりにおいてのみそうなのである。しかし、まさにこのことは自然なるもののなにものであるかを示している、すなわち、或るものの「自然」とは、これ[自然]がその或るもののうちに第一義的に・それ自体において・そして付帯的にではなしに・内属しているところのその或るものの運動しまたは静止することの原理であり原因であるとのことを示している。

 アリストテレスの文章は、これが講義メモの類であったということを差し引いたとしても、メチャクチャ読みにくいですよね。
 ここに引用した箇所は『自然学』第二巻第一章の冒頭部分なんですが、ここも、まぁ、ひどいですね…
 さて、文章のクオリティはまあ、一旦おいておくとして、内容に関してですが、アリストテレスによる「自然物」の再定義は、基本的に『自然学』第一巻でなされた「動くもの」という定義をより詳しくするというやり方で行われています。
 アリストテレスは先ず、自分が自然物とみなすものの事例として、動物、植物、土、火、空気、水といったものをあげ、これらの共通点として、「自分自身のうちに運動および停止の原理をもっている」ということを主張します。
 引用文中でも言われているように、ここでいう「運動や停止」というのは、量の増大・減少や性質の変化なども含んだかなり広い概念です。
 ていうか、一般的には、たんに「変化」と言った方がわかりやすいかもしれません。
 前に、どこかで(確か、パルメニデスの項目だったと思うんですが…)、古代ギリシア哲学で言われる「運動」の概念についてチョコッとだけ書いたと思うんですが、古代で「運動」っていうと、単純に「ものが動く」という「場所的な」もしくは「空間的な」変化だけじゃなく、性質の変化や状態の変化などとも関係しています。
 実際、ソクラテス以前の項目をみていただけるとわかるんですが、ソクラテス以前のアルケー探究において、万物はアルケーと呼ばれる特定の諸事物から生じそこへと帰っていくものとして規定されていました。
 そして、万物をそのようなものとして考えた場合、諸事物の性質は最終的にはアルケーとされるものの性質に還元されてしまいます。
 それゆえ、諸事物の性質の変化(色の変化とか味の変化とか、色々ありますよね)を考えるときには、アルケーの数と性質はそれぞれの哲学者によって決まってますから、そのアルケーが性質とは別の部分でどのようなあり方をしているのかということを明らかにする仕方で検討されます。
 具体例として、デモクリトスの提出した原子論を考えてみると、原子論において諸事物はデモクリトスがアルケーとするアトムの集合体として規定されていました。それゆえ、ある諸事物Aの色が赤から青に変わるとき、その変化は、その諸事物を形成しているアトムが動いて状態αから状態βへと変わる過程として記述されるんですね。
 つまり、原子論における諸事物の性質変化の過程は、アトムの運動として解釈されるんです。
 これと同じことはエンペドクレスにも見て取ることができます。
 エンペドクレスは火、水、土、空気という四つのものをアルケーとし、それらが万物の生成と消滅を、愛と争いを原理とするそれら四つのアルケーの集合と分離として説明しましたが、このような考え方において、諸事物の生成消滅という変化は、アルケーの集合と分離という動きの過程として説明されます。
 このように、古代ギリシア哲学において、「運動」というと諸事物の様々な変化とも密接な関係(極端な言い方をすると、「運動にに還元できる」という言い方もできるかもしれません)を持っているんですね。
 ちょっと話がそれましたが、古代ギリシアにおける「運動」の概念を考えた場合、アリストテレスが主張している「自然物」の定義、すなわち、「自分自身のうちに運動および停止の原理をもっている」は、そのまま「自分自身のうちに変化の原理を持っている」と読みかえることができます。
 さて、このような仕方で「自然物」の定義を述べた後で、アリストテレスは「寝台」や「衣」という具体例を挙げ、こういった人間によって作られた事物(アリストテレスはこれらの事物を「技術によって存在する限りのもの」という回りくどい言い方をしていますが、要するに「人間が作ったもの」という理解で問題ないと思います)はどう考えるべきかということに言及します。
 この点について、アリストテレスは引用文中で「それ自らのうちに転化への何らかの衝動をも植えつけられていない、ただし、これらも、たまたま付帯的に石から、あるいは土から、あるいはこれらの混合からなるものとしての限りにおいては、そうした衝動をもっている、だがそれもただこのかぎりにおいてのみそうなのである」という、やたらめったらひねくった書き方をしていますが、要するに、人間が作ったものでもその材料が、アリストテレスが「自然物」とみなしているものであればOKということです。
 さて、このように、それが人間によって作られたものであれ、自然界に存在しているものであれ、自分自身の内に「変化の原理」となるようなものを持っているものをアリストテレスは「自然物」とみなしているわけですが、ここで、アリストテレスはさらに、これら自然物のうちにある「変化の原理」を「自然」と呼びます。
 つまり、アリストテレスにとって、「自然物」とは「自然」を持つものであり、この「自然」を持つがゆえに、「自然物」はそのようにあるということですね。


3-2-2、「変化の原理」とは… 〜「四原因」概観〜
 3-2-1でアリストテレスによる「自然」の再定義を検討しました。
 そして、アリストテレスはその「自然」を「変化の原理」であるとし、その「変化の原理」を持つものが「自然物」であり、その「変化の原理(運動の原理)」のゆえに「自然物」はそのようにあると主張しました。
 つまり、「自然物」がそのようにあることの原因として、アリストテレスは「変化の原理」を主張したわけですが、この「変化の原理」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。
 これまでの部分ではまだこの「変化の原理」について具体的なことは主張されていませんでしたが、少なくとも、3-1で自然物の原因が一であるということが退けられていたということから、この「変化の原理」としてなにか複数のものを想定していたということは考えられます。
 それに関して、先ずは以下の引用文を見て下さい。
 この引用文は岩波のアリストテレス全集に入っている『自然学』から抜粋したものですが、ここでは文章字体を変更することはないものの、わかりやすいようにレイアウトだけちょっと変えてあります。
 また、ここで言われている「原因」とはこのコンテンツで言うところの「変化の原理」のことですので、その点だけご注意ください。

『自然学』第二巻第三章
ところで、
(1)或る意味では事物がそれから生成しその生成した事物に内在しているところのそれ[すなわちその事物の内在的構成要素]を原因と言う、たとえば、銅像においては青銅が、銀盃においては銀がそれであり、またこれらを包摂する類[金属]もこれら[銅像や銀盃]のそれである。
しかし、
(2)他の意味では、事物の形相または原型がその事物の原因といわれる、そしてこれはその事物のそもそもなにであるか[本質]を言い表す説明方式ならびにこれを包摂する類(たとえば、一オクターブのそれは[その説明方式としては]一に対する二の比、ならびに一般的には[その類としては]数)、およびこの説明方式に含まれる部分[種差]のことである。
さらにまた、
(3)物事の転化または静止の第一の始まりがそれからであるところのそれ[始動因・出発点]をも意味する、たとえば、或る行為への勧誘者はその行為に対して責任ある者[原因者]であり、父は子の原因者[始動因]であり、一般に作るものは作られたもの、転化させるものは転化させられたものの原因であると言われる。
さらに、
(4)物事の終り、すなわち物事がそれのためにでもあるそれ[目的]をも原因と言う。たとえば、散歩のそれは健康である、というのは、「人はなにゆえに[なんのために]散歩するのか」との問いにわれわれは「健康のために」と答えるであろうが、この場合にわれわれは、こう答えることによってその人の散歩する原因をあげているものと考えているのだから。なおまたこれと同様のことは、他の或る[終わりへの]運動においてその終わり[目的]に達するまでのあらゆる中間の物事についても、たとえば痩せさせることや洗滌することや薬剤や医療器具など健康に達するまでの中間の物事についても、言える。というのは、これらはすべてその終わり[すなわち健康]のためにある物事だから。ただし、これらのうちでも、その或る物事[前の二つ]は行為であるが、他の或る物事[後の二つ]はそのための道具である[そして道具はさらに行為のための手段である]という差別がある。

 ここに上げた引用文中の括弧つきの番号は、私がふったものではなく岩波版のアリストテレス全集にデフォルトでふられているものですが、わざわざ(1)〜(4)まで番号を振って提示されているように、ここで提出されている四つの原因こそが、一般的なアリストテレス関係の入門書や哲学史関係の本で言われている「四原因」というやつです。
 これら四つの原因について、個別的な詳しい言及は後々がんばってやりますけど、ここでは、とりあえず、おおまかな説明だけやっておこうと思います。

 先ず、(1)についてです。これは、いわゆる「質料因」というやつですね。一般に「質料」っていうと「重さ」っていう意味ですが、アリストテレスの言う「質料」って言うのは「材料」のことです。例えば「椅子」を作ろうとするとき、当然、そこには木であれ鉄であれ何がしかの材料がありますよね。その「材料」のことを「質料」と呼びます。

 次に、(2)についてです。これは、いわゆる「形相因」というやつですね。(1)で「質料」のことを「材料」といいましたが、「材料」って、どんなものにもなるじゃないですか。例えば、「椅子」を作ることを考えると、(1)でも書いたように、「木」やら「鉄」やら色々考えられますけど、それらの材料って、別に「椅子」を作らなくても「テーブル」とか「本棚」とか「家」とか色々作れるじゃないですか。つまり、材料だけがあっても、それが何になるかは特定できないんですね。ですから、材料が何者かになるためにはそれを規定するものが必要なんです。その規定するものこそが、ここでいわれている「形相」なんです。

 続いて、(3)についてです。これは、いわゆる「始動因」というやつですね。(1)と(2)で「質料」と「形相」について書きましたが、「質料」と「形相」がバラバラにあっても諸々の事物は生まれませんよね。これら二つのものが結びつく必要があります。「材料」である「質料」が「形相」と結びつくために動いていく。その「動き」の原因がこの「始動因」です。

 最後に、(4)についてです。これは、いわゆる「目的因」というやつですね。(3)で「始動因」について書きましたけど、ただ動いたってダメですよね。なにごとも到達点を置いておかないとどこに向かうかわからない無軌道な動きになってしまいます。例によって「椅子」を作ることを考えてみると、「椅子の形相」と「椅子の質料」と「作るぞ!!」っていう「始動因」があっても、最終的に「こういうふうにしたいなぁ…」っていう椅子のビジョンみたいなものがないと、どんな椅子にすればいいかわからないので、椅子作りも始まらないし、椅子も完成しませんよね。この最終的な到達点が「目的因」です。

 さて、ここにザッと説明したものが、一般にアリストテレスの「四原因説」といわれるものです。さっきも書いたように、これら四つの原因に対する個別的な言及は、後々、なんとか、死力を尽くして、やりますが、四つの原因の関係性だけはここで言及しておきます。
 四つの原因を説明しているときになんとなく気づいた方もいらっしゃるかと思いますが、これら四つの原因は、究極的には「形相因」と「質料因」の二つに絞ることができます。
 具体的に言うと、「質料因」以外の「形相因」「始動因」「目的因」の三つを一つにまとめることができます。
 なぜ、まとめることができるのでしょうか?
 「形相因」「始動因」「目的因」という三つの原因の基本的な性格を具体的な事例を取り入れながら考えてみると、「椅子」の「形相因」はその椅子をその椅子であらしめる原因、すなわち、「こういう椅子」の「こういう」にあたる部分、「椅子」の「始動因」は「こういう椅子が欲しいなぁ…」っていう製作者の気持ち、「椅子」の「目的因」は「こういう椅子がいいなぁ…」っていう椅子のイメージです。
 さて、「椅子」という具体的なものを取り入れながらこれら三つの原因を考えてみると、この三つって同じものですよね。結局は、「こういう椅子」っていうイメージ的なものに行き着くんです。
 アリストテレスが三つに分けて説明しているものを安易にまとめてしまうのはあまりいいことではないと思いますが、しかし、大体のもの(もちろん、常に例外はあります)に関しては、これら三つの原因をまとめることができます。
 さて、以上がアリストテレスの四原因説を概観したものです。『自然学』第一巻から、この四原因説が登場してきた過程を振り返ってみると、アリストテレスはまず第一の手順として、「自然物」の原因が「数的に一」であるということを否定して複数の原因が存在することを示唆し、二つ目の手順として、「自然物」を「変化の原理」を持つものと規定し、最終的な三つ目の手順として、「質料因」「形相因」「始動因」「目的因」という四つのものを自然物の原因として提示したんですね。
 アリストテレスの学説は実に多岐に渡っていますから、その学説にどこから切り込んで行くかによって現れてくるアリストテレス像は異なってきます。
 今回、このコンテンツのなかで私のような何の権威も無いものが提示しているアリストテレス像は、一般に流通しているエライ人たちが書いた本や論文に書かれているものとは異なっている場合も多々あると思います。
 しかし、形而上学的な学説ではなく、自然学的な学説に足場を置いてアリストテレスの学説を切って行くと、アリストテレスの有名な四原因説は、ここに示したような段階を踏んで生じてきたものだと考えることができるでしょう。
 さて、以上が四原因説の概観です。ここから先は、これら四つの原因について個別的により詳しく言及していきます。


3-2-3、「質料因」解題
 四原因説の大まかな説明が終わったところで、ここからは個々の原因について個別的に言及していこうと思います。
 その手始めとして、この3-2-3では「質料因」について言及します。
 3-2-2でサラッと示したように、「質料」というのは「個物」と呼ばれる様々な諸事物の材料にあたるものです。
 例えば、目の前にある「財布」であれば、その材料は皮や金属や布といったものです。
 ですが、これらの材料は「財布」にもなることができますが、同時に「筆入れ」などの他のものにもなることが可能です。ですから、それらの材料が「財布」になるためには、「財布」の「形相」と結びつくことが必要であり、「財布」の「形相」と結びついて初めて「財布」という個物になるんでしたね。
 アリストテレスが示すこのような仕組みを簡単な図で表すと以下のようになります。



 ここまでは、3-2-2で示したことなんですが、問題なのはここから先です。
 確かに、「財布」という個物が生じる仕組みだけを考慮すれば、この図で示した仕組みだけで十分なんですが、この図をよくよく見てみると、「財布」の「質料」である「皮」や「布」そして「金属」といった諸事物も、それぞれ「個物」であるということがわかるでしょう。
 例えば、これら三つの「質料」のうち、具体例として「布」を考えてみると、「布」という「個物」は「糸」という「質料」が「布」の「形相」と結びついてできています。
 さらに、この「布」の「質料」である「糸」も、糸よりさらに細かい「繊維」という「質料」と、「糸」の「形相」が結びついてできています。
 そしてさらに、この「糸」の「質料」である「細かい繊維」も、それが仮にナイロン繊維である場合、その「ナイロン繊維」は「炭素原子」や「水素原子」などの「質料」と、「ナイロン繊維」の「形相」が結びついてできています。
 もうなんとなくおわかりでしょうが、この関係は無限に続く可能性があります。
 しかし、アリストテレスは、この無限に続く可能性がある「質料」の後退を止める究極の「質料」として、「第一質料」という概念を導入します。
 この「質料」の後退と、「第一質料」の関係を図で表すと以下のようになります。



 さて、ここに示した図のような仕方でアリストテレスの「質料」の概念を概観した場合、当然のことながら、究極の質料である「第一質料」が問題となります。
 アリストテレスは、この第一質料について、『形而上学』のなかで以下のように主張しています。

『形而上学』第五巻第六章
 つぎに、(二)それら自体において一つといわれる物事のうちでは、
〜中略〜
 さらに、(2)他の在るものどもの場合には、(a)それらの基体がその種において無差別であるがゆえに一つであると言われる。ただしここに無差別というのはそれらの種が感覚では不可分割的[無区分]なもののことである。ところで、なにものかの基体というのにも、そのものの終わり[完成状態]から見て第一のそれ[そのものに最も近い質料]をいう場合と、最も遠い[終極の]それを意味する場合とがある。だからして、酒が一つであると言われ、水がまた一つであると言われるのは、それぞれがその[最近の]種において不可分割的なものである限りにおいてであり、他方、油や酒やその他およそ溶解されうる液体がすべて一つであると言われるのは、これらすべてのものの終極の[最も遠い]基体が同一であるからである。すなわち、これらすべては水であるかあるいは空気であるかであるから。
 しかし、(b)たとえ対立的な種差[差別性]によって相互には差別されえてもそれらの類は一つであるところのものどもも一つであると言われる。そしてこれらもまた、これらが一つと言われるゆえんは、種を異にするこれらのものの基体たる類が一つであるからというにある。たとえば、馬も人間も犬も、すべて[類においては同じ一つの]動物であるから、なんらかの一つのものである。そして実にこの場合もほぼそれらの質料が一つである場合[すなわち前記a]と同様である。すなわち、ときとしてはこのような意味で一つであると言われるが、ときとしてはさらに上位の類が同じであるのでそう言われる、すなわち、当のそれらがその類の最終の種であるとき、これの最近の類よりも一だん上位の類が同じである場合、たとえば[最終、最下の種としての]等脚三角形と等辺三角形とは、ともに[その最近の類では]三角形であるから、同じ一つの図形であるといわれるがごときである。ただしこの両者は[図形としては同一であるが]三角形としては同一ではない。

 この引用文に関しては下手に詳しく説明すると逆にややこしくなるので、敢えて、細かな説明を避けて、この文章の意味するところだけを大づかみに説明します。
 この箇所は、要するに、様々な諸事物についてそれが「一(同一)である」といわれる場合について、なぜそれらの諸事物が同一といわれるのかということを問題にした箇所です。
 そして、アリストテレスは、複数の諸事物が同一であるといわれる場合について、以下にあげる二つの状況を想定し、この二つの事例において複数の諸事物は「同一」といわれると主張します。

(α):それら複数の諸事物が最も近い種において、同じ種の中に含まれている場合
(β):それら複数の諸事物が最も遠い基体において、同じ種の中に含まれている場合

 この(α)と(β)は、このままの表現だときわめてわかりづらいですし、言葉で他の表現に言い換えても非常に理解しづらいんですね。
 ですから、ここは敢えて、以下に示す図によって説明したいと思います。



 この図では、「酒」「ジュース」「茶」の三つが「水」という一つの種に属しているという点で同一のものとされながらも、それと同時に、「サラダ油」「灯油」「硫酸」「ガソリン」といった「水」に属さないものどもが、「液体」という一つの大きなくくりに属するものとして、「水」に属するものと同一のものとされています。
 この図のなかで、仮に、「酒」を基準にして考えた場合、(α)で言われている「最も近い種」とは「水」のことであり、(β)で言われている「最も遠い基体」というのが「液体」です。
 そして、アリストテレスは様々な諸事物が互いに同一であるといわれるのは、この「最も近い種」が同一である場合と、「最も遠い基体」が同一である場合であると主張するんですね。
 さて、「第一質料」を問題にしているのになんでこんなことをウダウダ言っているのかという話になりますが、この(α)と(β)でいわれているもののうち、(β)で言われている「最も遠い基体」というのが、アリストテレスの主張する「第一質料」なんです。
 もちろん、私が作ったこの図では「液体」っていうのを「最も遠い基体」としていますから、「酒」を基準にしてなおかつこの図に従った場合、「酒」の「第一質料」は「液体」ということになりますが、必ずしも、「酒」に関して「液体=第一質料」という図式が成立するわけじゃないですよ。
 実際、「液体」だって「質料」としていくつかの「分子」を想定できますし、それらの分子と「分子結合の緩さ」という「形相」が合体して「液体」が成立するわけですから、「酒」の「第一質料」を探求する際にはさらに遡ることができます。
 でも、まぁ、便宜上ね、ここでは「酒」の「第一質料」は「液体」ということにしておきます。
 さて、このように、アリストテレスは諸事物を構成する材料を「質料」と呼び、その「質料」をずっと遡って行き着く究極の「質料」として「第一質料」というものを想定して、その「第一質料」を「最も遠い基体」として定義付けたんですね。
 「質料は材料だ!!」っていうところまではわかったけど、そこから先、「第一質料」とかが出てきてからよくわかんなくなったという方がいらっしゃるかもしれませんが、もし、この「第一質料」の概念がいまいちわかりづらいと思うのであれば、思いっきり簡略化して、「第一質料=材料の材料の材料の材料の……」みたいな感じで考えておいても、おおよそ間違いはないでしょう。


3-2-4、「形相因」解題 〜可能態と現実態〜
 続いて、「形相因」について検討してみましょう。
 アリストテレスにおける「形相」の概念は、通常の諸事物の「形相」という観点から「形相」を考える場合と、「生きているもの」の「形相」という観点から「形相」と考える場合で、少し、アプローチの仕方が異なります。
 このコンテンツでは、3-2-4全体を3-2-4-1と3-2-4-2に分けて、前者で通常の諸事物における形相の概念を、後者において「生きているもの」における形相の概念を検討していきますが、3-2-4-2の方で展開する議論はちょっとディープな感じになると思うので、「あんまり哲学臭いのはちょっとね…」という方がいらしたら、3-2-4-2は読み飛ばして、3-2-4-1で「形相」の概念をざっと確認するぐらいで次に進んでいただいてもけっこうです。


3-2-4-1、諸事物における「形相」 〜可能態と現実態〜
 諸事物の「形相」の概念は比較的簡単です。
 3-2-2でアリストテレスが変化の原理として提示する四つの原因を概観したときに、「形相因」についても検討しましたが、ここで行う説明も基本的には同じです。
 何を作るにせよ、そのものの材料は色々なものになる可能性を持っています。具体的にいえば、「椅子」を作るのと同じ材料で「テーブル」や「たんす」を作ることができますし、その材料の量さえ多ければ「家」だって作ることができるかもしれません。つまり、「材料(すなわち、質料)」は色々なものになる可能性があるんですね。
 しかし、色々なものになることができる可能性のあるものは、そのままだと色々なの物になる可能性はありますが、結局何ものにもなれません(なんか、ここらへんの考え方は、現代社会の働かない若者あたりを論じるときにも使えそうです)。何ものにもなることができる材料を、実際に何ものかにするためには、材料があらかじめ持っていた多様な可能性を一つに限定していく必要があります。
 例えば、「椅子」の材料として「木」や「金属」があるならば、「机」や「たんす」になることもできるそれらの材料の可能性を「椅子!!」という仕方で限定することによって、「木」や「金属」は初めて「椅子」になるんですね。
 この「材料(質料)」が持っている可能性を限定するもののことを「形相」と呼びます。
 様々な諸事物は、それを構成している「材料」と、その材料の可能性を「これになれ!!」という仕方で限定する「形相」とが結びついて初めて現実にそういう諸事物として存在することができるんです。
 さて、ここまでの説明が、先に3-2-2で行った説明です。
 「形相」というものの概念を大まかにご理解いただけたでしょうか。
 つまり、「多様な可能性を持つもの」と「可能性を限定するもの」というのが、アリストテレスにおける「質料」と「形相」の基本的な考え方なんですが、アリストテレスはこれら二つのものと、それらが結びついた個々の諸事物のあり方を、ちょっと変わった概念を使って表現しています。
 その概念とは、この3-2-4-1の小見出しにもなっている「可能態」と「現実態」という概念です。
 3-2-4-1の最後に、これら二つの概念を概観しておきましょう。

(α)可能態
 先ずは「可能態」についてです。
 ついさっき、「形相」は「材料が持っている多様な変化の可能性を一つに限定するものだ」と書きましたが、「可能態」とは、この「色々なものになる可能性があるもの」すなわち「質料」のことです。
 何度も書きますが、「質料」は「色々なものに変化する可能性を持っているもの」です。そして、この多様な可能性を持っているがゆえに、この「質料」、すなわち、「可能態」は「これ!!」という仕方で特定することができないんです。
 わかりやすい話、「何ものでもないもの」を「これ!!」っていうことはできないですよね。
 つまり、「可能態」とは、可能性は持っているけれどもその可能性が実現されていないという点で、「これ!!」ということができないものなんです。
 実際そうですよね。目の前に「木」や「金属」や「ねじ」なんかがバラッとあって、それの全体を指して「これ何?」って聞かれても、「えッ…?」って言って終わりですよね。
 もちろん、個々の「木」や「金属」に対して、「う〜ん、木…」とか「鉄…?」とか言うことはできますが、この場合の答えは「質料」という材料全体について答えているのではなく、「木」や「鉄」という個々の個物に対して答えていることになるので、「質料」に対する「これ何?」という問いの答えとしてはナンセンスです。
 このように、「可能態」とは「質料」のことであり、その可能性が現実化していないという点で何ものともいえないものなんですね。

(β)現実態
 さて、今度は現実態についてみてみましょう。
 「可能態」を説明したときに、この「可能態」を「色々なものになる多様な可能性のあるもの」として定義しましたが、「現実態」とは、「可能態」の可能性が現実化したもの、すなわち、「質料」と「形相」が結びついた「個物」のことです。
 少し前のことになりますが、『カテゴリー論』を取り上げてそのなかの「実体」のカテゴリーに言及したとき、そこで「第一実体」という言葉が出てきたことを覚えているでしょうか。
 そのとき、この「第一実体」は

(1)他の個物の述語として機能することがない
(2)個物が属している概念(第二実体)を主語とした文の述語になることはない

という二つの仕方で特徴付けられていましたが、この「第一実体」の特徴はそのまま「現実態」の特徴としても当てはまります。
 つまり、「椅子の形相」と「椅子の質料」が結びついた「この椅子」という「現実態」は、「あの机はこの椅子である」という仕方で他の個物の述語として機能するものではないですし、「椅子はこの椅子である」という仕方で「この椅子」という「個物」が属している概念を主語とした文の述語になることはできないということです。
 このように、アリストテレスにおいては、「個物」「第一実体」「現実態」という三つのものが同一のものとしてイコールの関係で結び付けられます。

 さて、以上が、個々の諸事物における「形相」の概念です。
 このコンテンツを読む前にある程度哲学関係の入門書などを読んだことのある方にはわかると思いますが、一般的に流通している『哲学入門書』や『哲学史』に関する書籍で説明されている「形相」の概念の説明は、おおよそこんな感じですよね。
 ですから、アリストテレスの「形相」の概念を『哲学入門』的なレベルで大づかみにわかっていればいいよというかたは、次の3-2-4-2の部分は読み飛ばしていただいてかまいません。
 ただ、先にも書いたように、アリストテレスの「形相」の概念は、通常の諸事物における「形相」の概念を説明しただけでは、その全体的な説明として不十分なんです。
 以下の3-2-4-2では、一般の『哲学入門書』ではあまり説明されていないアリストテレスにおける「形相」のもう一つの側面である、「生きているもの形相」について言及しておきます。


3-2-4-2、「生きているもの」における「形相」 〜「魂」、この厄介なもの〜
 ここで取り上げるのは「生きているもの」の「形相」についてですが、スタートとなる基本的な問いはきわめて単純です。つまり、

「生きているもの」の「形相」って何?

というものです。
 3-2-4-1で展開してきた議論を踏まえれば、このと意の答えはきわめて簡単です。つまり、

「生きているもの」の「形相」は「生きているものの形相」だよ

と言ってしまえばそれで終わりです。
 ところが、アリストテレスはこの「生きているものの形相」について、以下のように主張するんです。

『魂について』第二巻第四章b10-
 ところで、魂は生きている物体[身体]の原因であり始原[原理]である。だが、原因や始原は多くの意味で語られるのであり、同様に魂は、すでに区別された仕方に応じて、三つの意味で原因である。すなわちそれは、(@)そこから動[運動変化]が始まる始原であり、(A)「それのために」という目的であり、また(B)魂をもつ身体の、本質としての原因である。さて、それが(B)本質としての原因であるということは、明らかである。なぜなら、本質[実体]とは、すべてのものにとって、それの「それであること」の原因であるが、生物にとってその「生物であること」とは生きていることであり、魂こそがこの生きていることの原因あるいは始原だからである。さらに、現実態は可能態にあるものの説明規定である。

 この引用文はこれまで引用してきたものとは違って、岩波版の『アリストテレス全集』ではなく、京都大学出版会から出ている西洋古典叢書の『魂について』からの引用です。
 岩波版は訳が古いということもあって、かなりわかりにくいんですが、西洋古典叢書の方は訳が新しいのでだいぶ読みやすくなってますね。
 まぁ、でも、訳の新しさや役者の努力とか、そういったことをすべて考慮したとしても、アリストテレスはもともとの文章が微妙な感じなので、本質的なわかりにくさは変わらないですね。
 さて、引用文中で言われているように、アリストテレスは『魂について』のなかで、「生きているもの」における「形相因」「始動因」「目的因」という三つの役割を同時に果たすものとして、「魂」というものを提示するんです。
 「魂」という一つのものが「形相因」「始動因」「目的因」という三つの役割を同時に果たしているという点については、3-2-2においてこれら三つの原因は一つにまとめることが可能だということに言及しておいたので、ここで改めて説明することは避けますが、とにもかくにも、アリストテレスが「生きているもの」の「形相」として「魂」という具体的なものを提示しているということは事実です。
 一般の諸事物(無生物と思ってくれればいいです)の場合、「形相」は「そのものの形相」という言われ方をされていて、その「そのものの形相」が具体的に何なのかという点については明らかにされていませんでしたよね。なんとなくわかりにくい感じがするので具体的に言うと、「椅子」の「形相」は「椅子の形相」としか言われておらず、その「椅子の形相」が何なのかはわかりませんでしたよね。
 ところが、この「生きているものの形相」に言及するに至って、アリストテレスは突然「生きているものの形相」として「魂」という具体的なものの名前を挙げるんです。
 アリストテレスは、

「本質」とは、それがそれであることの原因である

生物が生物であることとは「生きている」ということである

生きていることの原因は「魂」である

よって、「生きているもの」が「生きているもの」であることの原因は「魂」である

という段階を踏んで、「生きているもの」が「生きているもの」であることの原因、すなわち、「形相」を「魂」であると特定するんですね。
 しかし、このようにみてくると、当然のことながら「魂って何?」という問題が生じます。
 この「魂」というものは、古代ギリシアにおいても常に問題になっている主題でしたし、現代においても「心」や「脳」というふうに名前を変えて、学問的な探究の中心問題として君臨し続けています。
 そんな大きな問題である「魂」について、アリストテレスはどのように考えていたのでしょうか。
 ここからは、アリストテレスの魂論について検討してみましょう。
 古代ギリシアにおいて、この「魂」というものはもともと「生命原理」として考えられていましたが、ソクラテス以前の自然学者、ソクラテス、プラトンという段階を踏んだ考察を経て、単純な生命原理としてだけでなく、知性的な認識をつかさどる知的器官として認識されるようになりました。
 実際、プラトンにおいて、「魂」は身体と明確に区別されたうえで不生不滅の存在とされ、身体に宿る前に普遍的実体である「イデア」を認識しているものとして定義されていました。
 プラトンの「魂」に関する考え方は良くも悪くも哲学的(形而上学的といってもいいかもしれませんね…)なものでしたが、アリストテレスはそんなプラトンの考え方も踏まえた上で、それに独自の自然学的な考察も加えた自分なりの魂論を展開します。
 その考え方は主に『魂について』と題された著作にまとめられましたが、この著作は西洋哲学の歴史上初めて「魂」(もっと言えば「心」)を主題としてかかれたもので、現代でいうところの「心の哲学」の発端と考えることもできます。
 さて、この『魂について』(『霊魂論』と呼ばれることもあります)のなかで、アリストテレスは魂の機能を以下の表のような仕方で分類しました。

アリストテレスによる「魂」の機能分類
1栄養摂取・生殖能力「生きているもの」の発生や成長に関係する能力。植物の「魂」がもっている能力はこれだけ。
2感覚能力植物以外のすべての「生きているもの」、すなわち「動物」の「魂」がもっている能力。一般に五感といわれるが、それらの感覚のうち、すべての動物が共通して持っているのは触覚だけ。対象が発する特定の「形相」を「魂」が受け入れることによって、その「形相」が「質料」である「感覚器官」と結合し、感覚する能力だけを持っている可能態としての個々の感覚器官が「そのように見える目」「そのように聞こえる耳」という仕方で感覚器官として現実態になることで「感覚」が成立する。
3欲求能力「快」を求める
4運動能力身体の場所的な移動をつかさどる能力。3の「欲求能力」と5の「表象能力」があわさることで身体を動かす。
5表象能力表象を形成する能力。2の「感覚能力」と密接な結びつきがある。
6思惟能力「知性」と呼ばれる知的活動を行う能力。認識対象の「何であるか」をあらわすもの、すなわち「形相」を認識する。


 ザッとこんな感じなんですが、6番目(ここに打たれている番号は便宜上振っているだけなので、特に、この順番がアリストテレスの学説に関係するということはありません)の「思惟能力」に関してはちょっと付け足して説明することがあります。
 表の中では単純に「対象の形相を認識する」とだけ書きましたが、ここで言われる「対象」とは一般的な「個物」のことなので、認識するとき、「対象」は常に「質料」と「形相」が合体した状態になっています。
 ですから、通常の認識方法では、「対象」の認識は感覚的認識と知性的認識の両方を使って「個物」を「個物」として、すなわち、「この財布」を「この財布」として、「アリストテレス」を「アリストテレス」として認識します。
 しかし、ここで言われる「思惟能力」といわれる能力がつかさどる認識は、このような「個物」を「個物」として認識する認識ではなく、表の中でも書いているように、「個物」がもっている「形相」の部分を認識する認識なんです。
 つまり、「質料」と一体化している「形相」の部分を、「質料」から分離させて認識するということです。
 「質料」と「形相」を「分離」させることを「抽象」といいますが、この「抽象」による「形相」の認識とは具体的にどのようなものなのでしょうか。
 今、目の前に三つの財布があったとします。財布Aは迷彩柄のナイロン製の財布、財布Bは黒い皮製の長財布、財布Cはがま口型の小銭入れです。
 仮に、我々人間が、「個物」を「個物」として認識する認識手段しか持っていなかったならば、これら三つの財布は「財布A」は「財布A」、「財布B」は「財布B」、「財布C」は「財布C」であって、それ以外の考え方を我々はしないでしょう。
 しかし、我々は「財布A」は「財布A」というふうに個々の「個物」を別のものとして認識すると同時に、互いに別々の特徴を持つ三つの財布を「財布としては同じもの」という仕方で「同じもの」として認識することができます。
 これが「抽象」による「形相の認識」です。
 2-2でアリストテレスの10のカテゴリーを個別的に詳しく検討したときに、「実体」のカテゴリーの中にはさらに「第一実体」と「第二実体」の区別があるということに言及したのを覚えていらっしゃるでしょうか。
 このとき、「第一実体」は個々の「個物」のことで、「第二実体」はそれらの「個物」が属している「種」のことだという仕方でこれら二つの実体の区別を説明しましたが、今問題となっている「思惟能力」による「形相」の認識とは、ここで言われる「第二実体」、すなわち、「種」を認識することなんですね。
 さて、以上が、「魂」に関するアリストテレスの見解です。
 アリストテレスは、人間をはじめとした「生きているもの」がまさしく「生きているもの」としてあるためには、先に表で示した6つの能力を持つ「魂」が「形相」として「身体」という「質料」と結びついていなければならないと考えたんですね。


3-2-5、「始動因・目的因」解題 〜自然物(人間を除く)における始動因と目的因〜
 「質量因」と「形相因」を概観したところで、残る原因は「始動因」と「目的因」の二つです。
 この二つ、分けてやろうか一緒にしようか悩んだんですけど、まとめてやることにしました。
 ていうか、下手に分けると、「始動因」と「目的因」の結びつきが不明瞭になる感じがしましたし、まとまってた方が都合のいいことが多そうなんですよね…
 まぁまぁ、そういった書く側の事情はともかくとして、ここからは残る「始動因」と「目的因」について検討していきましょう。
 で、それにあたって、一つことわっておかなければならないことがあるんです。
 「自然物(人間を除く)における始動因と目的因」という3-2-5の副題をみてもらうとなんとなくわかると思うんですが、ここで言及する「始動因」と「目的因」は人間以外の自然物にかかわる「始動因」と「目的因」です。
 ていうか、「始動因」と「目的因」について検討する際に、その考察範囲に人間という要素まで組み込んでしまうと、自然学的な観点からの言及に加えて、「倫理」っていう大きな分野が関係してくるんですよ。
 ですから、ここで一気にまとめるにはちょっとしんどいですし、下手に一緒にしてしまうと話題が錯綜してしまってわかりにくくなってしまうので、ここではあえて、「人間」を除外した「自然物」における「始動因」と「目的因」について説明していきます。


3-2-5-1、「自然物」から「神」へ 〜「不動の動者」という究極の原因〜
 えらい物騒な物々しいタイトルですよね。
 とうとう、「神」なんていう言葉が登場するようになってしまいました。
 なんか、話がドンドン身近なところからそれていって、馴染みの薄い領域へ進んでいきそうですが、まぁ、哲学(それも古代哲学)ですからねぇ…、そこらへんはご了承ください。
 さて、タイトル批判はこのくらいにして、ここから「始動因」と「目的因」について本格的に議論を進めていくことになるわけですが、その前に、先ずは、それらの原因の基本的な性格について確認しておきましょう。
 3-2でアリストテレスが自然の四原因を提出した過程を概観したときに、我々は、以下のような段階を経て「四原因」が提出されたということを確認しました。

ステップ1:自然物がそのようにある原因は一つではない
ステップ2:「自然」が「自然である」ことの原因はその内に「変化の原理」を内在しているということである
ステップ3:「変化の原理」は「質量因」「形相因」「始動因」「目的因」の四つである。
ステップ4:よって、「自然」がそのようにあることの原因は「質量因」「形相因」「始動因」「目的因」の四つである。

 つまり、アリストテレスの示す四つの原因は、諸々の自然物が自らのうちに内在している「変化の原理」として提示されたものだったんですね。
 確かに、我々人間であれば、自らの内に「魂」もしくは「心」というやつを持っていますから、それを「変化の原理」、もっと言えば、今問題としている「始動因」や「目的因」として解釈することも可能です。
 そして、現に、アリストテレスはこの「魂」というものを「生きているもの」の「形相因」であり「始動因」であり「目的因」であると解釈していました。
 しかし、これ、「石ころ」のような他の自然物に関してはどうなのでしょうか。
 この「他の自然物」というのはもっと簡潔に「無生物」と言い換えてもいいのかもしれませんが、「魂」を持たない「無生物」の場合は、それらのものの広い意味での「動き」をつかさどる「始動因」と「目的因」をどのように考えればよいのでしょうか。
 この問題について、アリストテレスはきわめてシンプルな主張を展開します。

『自然学』第七巻第一章冒頭
 動くもの[運動するもの]はすべて何かによって動かされるのでなければならない。

 これです。このシンプルにしてものすごく強力な主張。この主張が「自然物」における「始動因」と「目的因」を解明するに当たって、強力な原動力になります。
 さて、ここにあげた一節を「ビシッ!」と示した後、アリストテレスはさらに以下のように主張します。

『自然学』第七巻第一章
 動くものはすべて何かによって動かされなければならないがゆえに、もし在るものが他の動くものによって場所的に動かされ、さらに、その動かすものが他の動くものによって動かされ、さらに、その動かすものが他の動くものによって動かされ、さらに、その動くものが異なるものによって動かされ、このように系列がどこまでもつづくとすれば、何か第一の[最初の]動かすものがなければならず、系列は無限へと進行してはならないのである。

 つまり、アリストテレスは、「石ころA」が動いているのは別の「石ころB」がぶつかったからであり、その「石ころB」が動くのは「落ちてきた木の枝C」にぶつかったからであり、「落ちてきた木の枝C」が動くのは「強風D」が吹いたからであり……というふうに延々と原因と結果の連鎖が続いた先に、それ以上遡れない「運動の起点」が存在すると考えているんですね。
 この「運動の起点」の概念についてですが、この「運動の起点」はあくまでも「運動の起点」ですから、自分自身が動いてはいけません。
 というのも、「運動」に関するアリストテレスの基本的な考え方は先にも引用文としてあげたように「動くもの[運動するもの]はすべて何かによって動かされるのでなければならない」ですから、もしも、この「運動の起点」が自分で動いてしまったら、その「運動の起点」にもほかにそれを動かすものが存在しなければならず、その意味で、「運動の起点」は「運動の起点」にならなくなってしまいます。
 ですから、この「運動の起点」は「動かないもの」すなわち「不動」でなければなりません。
 また、この「運動の起点」は他のものの運動の原因ですから、「動くもの[運動するもの]はすべて何かによって動かされるのでなければならない」という大原則を掲げる以上、他のものを「動かす」 ものでなければなりません。
 つまり、この「運動の起点」は、「不動」でありかつ「他のものを動かす」ものでなければならないんですね。
 でも、これ、ちょっと「?」と思いますよね。
 だって、自分は動かないのに他のものを動かすんですから。
 当然、「どうやって?」っていう話になりますよね。
 それに、そもそも、この「自分は動かないのに他人を動かす」なんていう不自然なものがどこに存在しているんでしょうか?
 少なくとも、我々が生きている自然界では見たことないですよね。
 仮に、超能力者のような得意な人物がいて、その超能力を使って他のものを動かすことができるとしたとしても、その人は「超能力を発動する」という仕方で広い意味で自分自身が動いているわけですからね。
 アリストテレスの自然の定義を概観したときにサラッと説明しましたけど、古代ギリシアの「運動」の概念はもっと広く「変化」と捉えた方が適切な概念ですから、「超能力を使う」というのも、「超能力者」にとっては「使う前」と「使った後」という変化が生じているわけですから、このようなきわめて特殊な事例も「運動の起点」を表すものとして不適切です。
 いったい、この「運動の起点」はどこにあるんでしょう?
 さて、ここに、「運動の起点」をめぐって以下の二つの問題が生じることになります。つまり、

(α)「運動の起点」はどうやって他のものを動かすのか?
(β)「運動の起点」はどこに存在するのか?

の二つです。
 この問題を解決するに当たっては、アリストテレスの宇宙論に言及しなければなりません。
 単純な「動く」「動かされる」なんていう話題からやたらと話が大きくなってしまって、なんとなく話が胡散臭くなってきましたよね。
 でも、これね、それぐらい大風呂敷を広げなきゃダメなんですよ。
 ですから、「胡散臭い…」と思いながらもお付き合いください。
 さて、アリストテレスの宇宙論ですが、アリストテレスは宇宙全体を以下に示すような構造で捉えていました。

○アリストテレスの宇宙の構造


 同心円がずれてるとか色々と御不満な点はあるかと思いますが、図のクオリティに関しては目をつぶってください。
 さて、ちょっとわかりづらいかもしれませんが、アリストテレスは宇宙全体の構造を内側から順番に「四元素の世界(火、空気、水、土)」→「月」→「下位惑星」→「太陽」→「上位惑星」→「恒星圏天球」→「第一動者」→「不動の動者(運動の起点)」という七層構造で考えていました。図がちょっとみづらいかもしれませんが、「不動の動者」は「第一動者」の外側に位置していて、この図ではちょうど、この同心円の外側に広がっている白い部分を指します。
 また、ここで「四元素の世界」と言っている最下層の世界は、図の中では「火」「空気」「水」「土」という四つの具体的なもので示されています。
 この四つの元素は図の中では「土」を一番下にして「火」を一番上にしていますが、実際には、これらは混ざり合っていて、これらの混合によって我々の感覚世界が生じるとされていました。
 さて、話を「不動の動者」に戻しますが、この一番外側に位置しているものとしてあげた「不動の動者」というのが、これまで我々が「運動の起点」と呼んできたものです。
 アリストテレスは、このようにたまねぎを真横にバッサリ切ったような同心円状の宇宙像を作り上げると同時に、「動く」「動かされる」の関係について、内側の同心円に位置するものは、その直近の外側にある同心円に属するものによって動かされると考えました。
 具体的に言うと(上の図を見ながら読んでくださいね)、四元素(「火」「空気」「水」「土」)によって構成される諸事物が属している同心円は、その直近の外側にある同心円である「月」によって動かされます。また、この「月」はそのすぐ直近の外側にある「下位惑星」によって動かされます。そして、この「下位惑星」はすぐ直近の外側にある「太陽」によって…、という具合に、ここに示した宇宙のたまねぎ構造は「動く」「動かされる」の関係が一番下から一番上まで順番に連なっている構造なんですね。
 そして、このたまねぎ構造が示された段階で、先にあげた(β)で示した問題は解決されます。
 つまり、「不動の動者」と呼ばれる「運動の起点」は、たまねぎ構造の宇宙の一番外側に存在しているものなんです。
 ただ、ここまでみてきても、いまだに(α)の問題は残っています。
 ついさっき書いたように、アリストテレスの宇宙像における「動く」「動かされる」の関係は、下の同心円がすぐ上の同心円によって動かされるというものでした。
 そして、この考え方でいくと、たまねぎ構造の一番外側の層である「第一動者」は、たまねぎ構造の外側にある「不動の動者」によって「動かされる」物でなければなりません。
 しかし、「不動の動者」は「自分自身は動かないもの」です。
 いったいどうやって「第一動者」を動かすのか?この問題はまだしっかりと残っています。
 一旦、「第一動者」が動いてしまえば、後は、この「第一動者」が「恒星圏天球」を動かし、「恒星圏天球」が「上位惑星」を動かし…、という仕方で宇宙全体に「動き」が浸透していきます。
 ですが、一番最初に動くものである「第一動者」が「不動の動者」によってどのようにして動かされるかは、この図だけでは解決しないんです。
 ていうか、この図に限ったことではなく、この問題は自然学関係の著作だけをみているのでは、明確な解決は示されないんですね。
 では、アリストテレスはどこでこの問題を解決させるのでしょうか。以下の引用文を見て下さい。

『形而上学』第十二巻第七章
そこで、或るものがあって、これは常に[永遠に]動かされつつ休みなき運動をしている、そしてこの運動は円運動である(このことはたんに言説においてのみでなく事実においても明らかである)。したがって、この第一の天界は永遠的なものであろう。だが、それゆえに、さらにこの第一の天界を動かすところの或るものがある。動かされ且つ動かすものは中間位にあるものであるから、動かされないで動かすところの或るものがあり、これは永遠なものであり、実体であり、現実態である。[では、どのような仕方で動かすか?]それは、あたかも欲求されるもの[欲求対象]や思惟的なもの[思惟対象]が、[欲求者や思惟者を]動かすような仕方で動かす、すなわち動かされ[も動きもし]ないで動かす。

 これは、アリストテレスの『形而上学』から引用してきた一節です。
 個人的に、アリストテレスの『形而上学』は人類が長い歴史のなかで生み出した最高の「睡眠薬」だと思うんですが、それでも尚且つ、アリストテレスの善著作の中でもトップクラスの重要度を誇る作品です。
 結局、あれなんですよね、アリストテレスって、関心領域がものすごく広いんですけど、この『形而上学』の中ではそんなアリストテレスの広大な関心領域全般がメタなレベルで結晶化してるんですよね。
 広範な領域をカバーしながらも尚且つ濃縮されているみたいな、そんな底知れないすごさが文章のいたるところから感じられます。
 しかし、そんな「すごさ」を感じながらも読んでいると眠くなるのはなぜなんでしょう?
 さて、著作に感じる個人的な感想はそれぐらいにして、引用文の主張を具体的に検討していきましょう。
 この引用文のなかで、今我々が着目すべき箇所は、引用文の最後の部分、すなわち、「それは、あたかも欲求されるもの[欲求対象]や思惟的なもの[思惟対象]が、[欲求者や思惟者を]動かすような仕方で動かす」という部分です。
 アリストテレスは「不動の動者」が「第一動者」を動かすやり方をこのように説明するんですが、ここで言われている「欲求されるもの[欲求対象]や思惟的なもの[思惟対象]が、[欲求者や思惟者を]動かすような仕方」とはどのようなやり方なのでしょうか。
 仮に、目の前に一冊の本があり、Aさんがその本に書かれている内容に強い興味を持っていたとしましょう。そのとき、このAはどうするでしょうか。
 当然のことながら、自分から手を伸ばしてその本を取り、その本を読み始めますよね。当たり前のことです。
 また、次のような状況を考えてみましょう。
 BさんがCさんに片思いをしていたとします。BさんはCさんのことが好きで好きでどうしようもありません。こんなとき、Bさんはどうするでしょうか。
 当然のことながら、BさんはCさんに自分の気持ちを打ち明けるか、いきなり告白はしないとしても、メールのアドレスを聞いたり、自分から話しかけたりして、なんとかしてCさんの気持ちが自分に向くように行動しますよね。
 まぁ、もちろん、好きだからこそ何もできないっていうことはありますけど、その場合でも、Cさんという人がいることによって、Bさんの心の中に自発的に様々な感情が湧き出していることは事実ですよね。
 「不動の動者」が「第一動者」を動かす方法としてアリストテレスが提出する方法はこのような方法なんです。
 つまり、「不動の動者」は自分からは動かないし何もしないんだけれども、「不動の動者」よりも一段下のところに位置する「第一動者」の方が「不動の動者」を欲して自分から動き始めるということです。
 ここで言われる「欲して」という概念は「愛する」「欲求する」「知りたいと思う」など様々な概念を含んだかなり広い概念なんですが、とにかく、「不動の動者」は自分から何もしなくても欲求される対象としてただ存在しているだけで、「第一動者」に「動き」を生じさせることができるんです。
 これで、(α)の問題も解決です。
 「運動の起点」である「不動の動者」は自分が動かなくても、直近の「第一動者」がそれを求めてくれるので、宇宙全体に「運動」を引き起こすことができるんですね。
 そして、アリストテレスにおいて、この「不動の動者」は宇宙全体の「運動」の起点となっているという意味で、究極的な「始動因」であるとされており、また、「第一動者」がそれを求めることで「運動」が発生するとされている点で、究極的な「目的因」でもあると考えられています。
 さて、以上がアリストテレスの提示する「始動因」と「目的因」の概念です。
 3-2-5-1の冒頭で示したように、「運動」に関するアリストテレスの最も基本的な考え方は「動くもの[運動するもの]はすべて何かによって動かされるのでなければならない」ですから、個々の自然的な諸事物にとって、その直接的な「始動因」や「目的因」は、それぞれの諸事物の直近にある他の自然的な諸事物です。
 つまり、「石ころ」が動く「始動因」はそれにぶつかった「他の石ころ」ですし、「猫が走り回ること」の「目的因」は「目の前を走るネズミ」です。
 ですが、この直近の「動く」「動かされる」という関係をドンドン遡っていくと、それら自然的な諸事物が属している、宇宙全体の構造としては最も下位に位置する「四元素の世界」とそのすぐ上に位置する「月」との関係や、さらにその上に位置する諸世界との関係にまで到達し、最終的には、ただ存在するだけで「第一動者」を動かし、宇宙全体に「運動」をもたらす「不動の動者」という究極の原因へと行き着きます。
 アリストテレスは、この「不動の動者」という存在を、「運動」の究極の原因として存在者全体に間接的にとはいえ影響を与えているという点で、「神」という存在と同一視されています。
 これまでみてきたアリストテレス以外の哲学者においても、何がしかの仕方で存在者全体に影響を与えるある種の超越的な存在がたびたび登場してきましたが、アリストテレス以前においてはそれらの存在者が明確に「神」と同一視されるということはありませんでした。
 様々な擬人的な神々が多数登場するギリシア神話を見てもわかるように、当時のギリシア世界では多神教的宗教観が一般的でした。そのような、思想的な土壌にあって、クセノパネスのような例外的な人物を除いて、伝統的な宗教的要素から脱却して何らかの単一な存在者を「神」として打ち出すというのは非常に珍しいことです。
 しかし、そういった一神教的な主張を展開する人が少ないということと、その主張の完成度が低いということは全くの別問題です。
 実際、アリストテレスがここに示した「不動の動者」という「神」を導出してくる議論は、自然物という我々の身近なものから始まって少しずつ遡る仕方で展開されているため、対象となる事物の取りこぼしが少なく、議論全体の構造も極めて建設的で完成度が高いです。
 そして、そのような高い完成度を持った「神」に関する議論は、長いときを経てキリスト教徒出会い、西洋の精神世界の基盤を気づくに当たって大きな役割を果たすことになります。
 さあ、以上で、四原因すべてについての説明が完了したことになります。
 これまでのところで、1ではアリストテレスの探究の出発点である「個物」について言及し、2ではその「個物」を「何であるか?」という観点から分析する方法として提示された「カテゴリー」について概観し、3では自然がそのようにあることの原因を探究するという自然学的な観点から提示された四つの原因について検討しました。
 そして、これをもって、アリストテレスの学説を検討するに当たって、その最初に示した二つの大きな方向、すなわち、諸事物の「何であるか?」を問題とするプラトン的探究と、「自然」の「原因」を問題とするソクラテス以前の自然学者的探究という両方向からの大まかな検討が終了したことになります。
 何度もいうように、アリストテレスの学説はその対象範囲が非常に広く、そのすべてを詳細に拾い出すことは不可能です(少なくとも今の私には無理です)。
 ですから、学説全体に関する言及はここまでの検討をもって終わりにしたいと思います。
 でも、実は、これまで言及してきた範囲のなかで、個人的に「ちょっと説明不足だったかな…」と思っているところがあるんですね。
 ですから、次の4では、その「説明不足かな…」と思っている部分についてピンポイントで言及したいと思います。


4、「第一実体」に関するアリストテレスの主張の問題点 〜「第一実体」の三つの定義〜
 2でカテゴリーの概念を検討したときに、アリストテレスの「実体」の概念は「第一実体」と「第二実体」の二つに分けられるということを概観しました。
 しかし、ここで一つの問題が生じます。
 それは、「そもそも実体って何?」というものです。
 確かに、「実体」の特徴については「第一実体」と「第二実体」に区別されるという仕方で言及しました。
 しかし、その特徴は理解できたとしても、その特徴をもつものが具体的にどのようなものであるのかという点に関しては、この『カテゴリー論』をメインとした考察ではそれほど詳しく言及しませんでした。
 ですから、本来であれば、ここで「アリストテレスにおける実体とは何か?」という問いを立てて、それについて見当すべきなんですが、「実体」に関するアリストテレスの見解にはちょっと問題があるんですね。
 何が問題なのかというと、結局、アリストテレスの「実体」に関する主張って、著作全体を通じて一貫してないんですよ。
 『カテゴリー論』を概観したときには、「個物=第一実体」という図式と「個物が属している種=第二実体」という図式を提示しましたが、この図式もあくまで『カテゴリー論』の中で言われている図式であって、他の著作に目を向けると、ぜんぜん違うことが言われていたりするんです。
 ですから、この4では、アリストテレスの著作全体を概観して、それらのなかで言われているアリストテレスの実体に関する主張、より厳密に言えば、第一実体に関する主張を紹介し、それらの著作相互間における「第一実体」の定義の違いを明らかにしていこうと思います。

(α)「個物=第一実体」という定義(『カテゴリー論』)
 先ずは、『カテゴリー論』における定義を見てみましょう。
 まぁ、みてみましょうって言っても、本当についさっき書いたばっかりですからね。
 それをただ反復するだけです。つまり、『カテゴリー論』における「第一実体」の定義は「個物=第一実体」という定義です。以上!!

(β)「形相=第一実体」という定義(『形而上学』)
 『カテゴリー論』で「個物=第一実体」という図式を作っていたのにもかかわらず、アリストテレスは『形而上学』のなかで以下のように語ります。

『形而上学』第七巻第七章1032b-
ここに形相というのは、各々の事物の本質のことであり第一の実体のことである

 ね、これ、どうします…。『カテゴリー論』では「個物=第一実体」という図式を成立させていたのと同時に「個物が属している種=第二実体」という図式が成立していましたよね。
 ここでいわれる「個物が属している種」っていうのは、「この椅子」「その椅子」「あの椅子」というものに対する「椅子」という概念のことですから、これ、すなわち、「形相」のことなんです。
 つまり、アリストテレスは『カテゴリー論』の中では「形相は第一実体じゃない!!」といっていたのに、『形而上学』のなかでは「形相が第一実体だ!!」と言っているんです。
 もう、なんか、思いっきり矛盾しているんですけど、現に、アリストテレスってそういうこと言うんですよね。
 しかも、ここでやめておけばいいのに、アリストテレスは同じ『形而上学』のなかでさらに以下のようにも主張するんです。

『形而上学』第七巻十一章1037a-
さらにまた、霊魂が第一の実体であり、肉体が質料であり、そして人間または動物はこれら両者から成る普遍的な意味での結合体である、……

 3-2-4-2でみたように、アリストテレスは「魂」を「生きているもの」の形相とみなしていました。そこまでは、まぁ、いいんですけど、この引用文中で言われているように、どうやら、アリストテレスはこの「魂」についても、それを「第一実体」とみなしていたようなんです。
 もちろん、「魂」を「生きているもの」の「形相」とみなしていたわけですから、この「魂=第一実体」という図式も広い意味では先の引用文で言われていた「形相=第一実体」という図式の一つとみなすことができます。
 しかし、仮に「魂」を「第一実体」とみなすのであれば、「魂」以外の他の「形相」はどうなるのでしょうか?
 同じように、「第一実体」とみなすのか、それとも、「魂」は「魂」、「その他の形相」は「その他の形相」として別々に扱うべきなのか、その点がいまいち不明確なんです。

(γ)「不動の動者=第一実体」という定義(『形而上学』)
 『形而上学』という著作はアリストテレスの思想全体が濃縮状態で表現されている著作なんですが、なまじ、その適応範囲が思想全体に広がっているだけに、この著作の中ではじつに色々なことがいわれます。
 実際、(β)の項目で観たように、「第一実体」という一つのものについて、「魂=第一実体」といってみたり「形相=第一実体」といってみたり、様々な主張がなされるんですが、『形而上学』の中では、この「第一実体」についてさらにもう一つ別の定義が示されるんです。

『形而上学』第十二巻第八章1073a26-
そして(c)永遠的な運動は、或る永遠的なものにより、唯一の運動は、或る唯一のものによって、動かされねばならないからして、そしてまた、(d)我々の視界内には、第一の不動の実体がそれを動かすのだと……

 このように、『形而上学』の中では、先にあげた二つの定義の他に「運動の起点」であるところの「不動の動者」までもが「第一実体」であるとされているんですね。
 さて、ここにあげた(α)(β)(γ)で示したように、「第一実体」に関するアリストテレスの定義はかなり錯綜しているんですね。
 こういった現実にぶつかった場合、我々としては、当然のことながらこの定義の錯綜状態をいかに解釈すべきかということを考えるんですが、諸々の研究書を呼んでみても、現段階ではこの錯綜状態に関する統一見解のようなものは見出せないようです。
 例えば、『アリストテレスの第一哲学』と題された池田康男の著作では、この三つの定義の相違を、「相違」ではなく定義の「三層構造」として捉え、さらに、この定義の三層構造を「個物」を第一実体とする定義から最終的に「不動の動者」と呼ばれる「神」を第一実体とする定義へと移行していく過程であるとみなしています。
 しかし、それに対して、アクリルや今道友信の著作に目を移してみると、この二人はアリストテレスにおける第一実体の定義に相違があることを認めながらも、自らのアリストテレス解釈としては、「個物=第一実体」という定義を厳守する立場を取っています。
 また、ミネルバ書房から出版されている『西洋哲学史[古代・中世編]』のアリストテレスの項目では、アリストテレスによるプラトンのイデア論批判との関係から「形相=第一実体」という定義を、アリストテレスの第一実体の定義として採用しています。
 このように、アリストテレスによる「第一実体」の定義は、その解釈に統一見解が存在していないだけでなく、それをどう解釈すべきかという解釈のやり方も錯綜しているんですね。
 この問題について、決定的な答えを出すような能力は今の私にはありません。
 ですから、まぁ、そうですね…、このコンテンツでは、アリストテレスの「第一実体」には、そういった問題がまとわりついているということを指摘するにとどめておきます。
 でも、何かの気まぐれで、もしくは、なんらかの見えない強制力が働いて、アリストテレスの著作を読むなんていう羽目になったときには、「そういう問題があるよ」っていうことを心に留めておくと無駄に混乱しなくてすむかもしれませんね。

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