エピクロス(B.C.341-B.C.270)
 いやぁ〜、アリストテレス、長かったですねぇ…
 ていうか、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのコンテンツは、どれをとっても質、量ともに強烈だったので、なんかもう、脱力感があります。
 きっと、このコンテンツを最初から読んでくださっている方も同じような感想をもたれたかと思いますが、書いている方はそれ以上にドハ〜っときております。
 ですが、そんな読んでいる方にとっても書いている私自身にとってもうれしいお知らせがあります。
 ここから、休憩時間です。
 哲学をどの視点から研究するかによって解釈は異なるとは思うんですが、やっぱり、なんだかんだいっても古代哲学の花形はソクラテス、プラトン、アリストテレスの三人ですよね。
 一応、アリストテレス以後も、ここで扱うエピクロスやストア派、それに、新プラトン主義などがありますが、そういた人たちの思想って、先の三人に較べると、どうしてもワンランク落ちますよね。
 まぁ、ヘーゲルなんかは新プラトン主義を古代ギリシア哲学の完成形として高く評価しますけど、でも、やっぱり、ねぇ…、燃えカス的な印象はぬぐえないですよね。
 さて、そんな燃えカス集団の中から、ここではエピクロスを取り上げようと思います。
 エピクロスはデモクリトスと同じく原子論の立場を取った人で、その学説は大きく分けて自然学と倫理学に分けられるんですが、自然学の方はその大部分がデモクリトスとかぶってるんですよ。
 ですから、自然学の分野において、ここで改めて言及しなければならないようなエピクロスにオリジナルな概念って「逸れ」ぐらいしかないんですね。
 こういうふうに書くと、「逸れ」って何?っていう疑問が当然出てくると思いますが、それは、まぁ、後々に置いておいて、ここではエピクロスの主張する自然学の学説にはそれほど目立ったオリジナリティが無いということだけおぼろげながら意識しておいてもらえればそれでけっこうです。
 むしろ、エピクロスにおいて注目すべきなのは倫理的な方面でしょうね。
 まぁ、「注目すべき」といっても、所詮は燃えカス集団の一員ですから、そんなにものすごい考え方ではないんですけど、でも、オリジナリティという観点から言えば、エピクロスの存在意義は「自然学」よりも「倫理学」でしょうね。
 ていうか、さっき自然学における概念として書いた「逸れ」っていう概念が、実は自然学と倫理学の間を横断しているような概念なので、純粋に倫理学という分野に限定されない複合的な観点から検討されることを許すような独特な倫理観を示したっていうのがエピクロスの意義なんだと思います。
 さて、エピクロスの学説に対する大まかな感想はこれぐらいにして、最後に、エピクロスの学説を今日に伝える資料について言及して本編に移りたいと思います。
 ソクラテス以前の哲学者に関する資料がそうだったように、エピクロスに関する資料も数通の手紙といくつかの著作断片しか残されていません。
 もちろん、その数少ない資料の中からでも、ある一定レベルの情報は読み取れるんですが、それでも、さすがに資料の量が少なすぎるので(直接資料の量だけを見たらデモクリトスよりも少ないんじゃないでしょうか…)、エピクロスの全体像を把握するにはちょっと心もとないんですよね。
 ですから、エピクロスの学説の全体像を把握するためには、他の人が書いた著作に頼らなければならないんです。
 で、その「他の人が書いた著作」というのがルクレティウスの『事物の本性について』(岩波文庫あり、ちなみに、岩波文庫版のタイトルは『物の本質について』)です。
 このルクレティウスという人はローマの詩人なんですが、エピクロスの学説に共感してこの『事物の本性について』という著作を書いたということ以外に確かなことはわかっていません。
 実際、残っている著作も『事物の本性について』だけなので、この人個人の思想がどのようなものだったのかということを問題にするのはまず不可能でしょう。
 ただ、単純にエピクロスの学説の保存という観点から見ると、この『事物の本性について』はかなりありがたい著作です。
 全六巻7400行で構成されるこの長文の詩は、エピクロスに関するものとしては、質、量ともに、もっとも質の高い参考資料です。
 もちろん、ルクレティウスがどれほどの純度でエピクロスの学説を保存しているのかという点については議論があると思います。
 しかし、そういった思想の「純度」を問題にしたとしても、それでもなお『事物の本性について』に収録されている情報は参照するに価するクオリティです。
 ですから、このコンテンツでは、ここから先エピクロスの学説に言及する際には、エピクロス本人から発信された残存資料である数通の手紙と、後世のルクレティウスによって書かれた『事物の本性について』の二つをもとにして発言していきます。


生涯
 先ずは、例によって、エピクロスの生涯を概観してみましょう。
 B.C.341年、エピクロスはネオクレス(父親)とカイレストラテ(母親)の間にサモス島で生まれました。
 父親であるネオクレスは、もともとはアテナイの市民であり、アテナイの市民権も持っていましたが、ギリシア人がサモス島に入植してきた際に、アテナイからサモスへと移住しました。
 エピクロスはその父親の移住先で生まれ育ったわけですが、B.C.323年、エピクロスが18歳のとき、彼は単身父親の故郷であるアテナイに移住します。
 このアテナイで、エピクロスは兵役の義務に従事するなどして忙しい生活を送っていたようですが、B.C.321年、突如としてこのアテナイを離れてコロポンに移住します。
 アリストテレスの項目でもチラッと触れましたが、エピクロスがコロポンに移住する二年前のB.C.323年、東方遠征をしていたアレクサンドロス大王が遠征先で病死します。
 当時のアテナイはアレクサンドロス大王に代わってマケドニアのアンティパトロスという人物が代理統治していたんですが、アレクサンドロスの死の報をきっかけにして、統治されていたアテナイ人達の側で「マケドニアを追い出せーーー!!!!!!」という「反マケドニア」の気運が一気に高まります。
 そして、実際に、デモステネス等によってアテナイのマケドニア人排斥を目指した反マケドニアの戦争が勃発します。
 突然の戦争勃発に、アンティパトロスは窮地に追い込まれますが、このアンティパトロス、土壇場で踏ん張るんですよ。
 一時はアテナイから追い出され、ラミア地方にまで追い詰められるんですが、そこから一気に盛り返して再びアテナイに舞い戻り、もう一度トップの座に返り咲くんです。
 再びマケドニアの統治下になったアテナイでは、当然のことながら戦争を起こしたアテナイ人たちに対する圧政が始まります。
 戦争を主導したデモステネスをはじめとする中心人物たちは即刻処刑され、戦争を支持したアテナイ市民達にも市民資格の剥奪など強い圧力がかけられました。
 そんな状況下にあって、エピクロスはどのポジションにあったのかというと、このときのエピクロスは、アテナイの市民権を持つ父親の息子としてサモスから移住し、兵役の義務を終えて正式に市民権を獲得したアテナイ市民という立場にありました。
 つまり、アンティパトロスをはじめとしたマケドニア側からすれば、自分達を追い出そうとした敵側に位置していたんです。
 当然、移民とはいえアテナイ人であるエピクロスの生活にも、アンティパトロスの圧政の影響が及んできます。
 圧制とはいえ、アテナイ人達の中でも富裕層は比較的豊かな生活を送っていたようなんですが、エピクロスはプラトンのように名家の出というわけでもありませんし、富裕層でもありませんでしたから、一般のアテナイ民衆と同様に反マケドニア戦争を支持した人々とみなされ、所有可能な財産は制限されて苦しい生活を余儀なくされました。
 そんな生活から脱却すべく、エピクロスはアテナイを捨て、家族も移住していたコロポンへと移住するんです。
 圧政下のアテナイを逃れたとはいえ、たいした財産も無かったので、このコロポンでの生活もエピクロスにとって楽なものではなかったようです。
 しかし、そんなコロポンの地で、エピクロスは自らの学説の基盤となる原子論と出会います。
 ソクラテス以前の学説を概観した際に見たように、古代の原子論はレウキッポスによって提唱され、デモクリトスによって大成されましたが、当然のことながら年代的にデモクリトスはこのときすでに亡くなっています。
 デモクリトスの死後、原子論の流れは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスという哲学史上の大メジャー三人衆が作った巨大な流れに思い切り飲み込まれて、歴史の表舞台から完全に消えていましたが、歴史の影で細々と生き残っていたんです。
 具体的には、デモクリトス亡き後も、デモクリトス→キオスのメトロドロス(年代的に、直接デモクリトスに学んだのではなく、著作などを通じて間接的に原子論を学び継承する)→アブデラのアナクサルコス→エリスのピュロン→テオスのナウシパネスという具合に、哲学史上の日陰者として生き残っていたんですね。
 この流れの最後に位置しているナウシパネスは、エピクロスが移住していたコロポンの目と鼻の先にあるテオスという都市の人物でしたが、エピクロスは恐らくこのコロポン時代にナウシパネスから原子論を学んだと考えられます。
 さて、自らの学説の基盤を獲得したエピクロスですが、彼はこのコロポンの地で、小規模ながらも弟子を取り、哲学的にはある程度充実した日々を過ごしていました。
 しかし、B.C.311年にエピクロスは突如としてコロポンを出て、ミュティレネ、ランプサコスを経由し、B.C.306年、再びアテナイに戻ってきます。
 アテナイに行く途中、短い期間滞在したミュティレネ、ランプサコスの地でも、エピクロスは弟子を取って小規模な学園のようなものを作って学究活動をしていたらしいんですが、最終的に到達したアテナイで、エピクロス郊外に家を買って本格的に弟子を取り、後に「エピクロスの庭園」と呼ばれるその家の庭で本格的な学究生活を送ることになります。
 人里離れたアテナイの郊外に設営されたこの「庭園」では、弟子として集まった人々がエピクロスと共に共同生活を送っていました。
 アテナイに移住したとき、エピクロスは35歳になっていましたが、その後、エピクロスはこの「庭園」に留まり、71歳で没するまで弟子達と共同生活を送りながら学究生活に没頭したそうです。
 さて、以上がエピクロスの生涯です。
 やっぱり、三大メジャーと較べると記述量も少ないですね。
 でも、まぁ、いいですよね…
 ここに書かれている記述は、おおよそ、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』に基づいているんですが、その中に残されているエピクロスの生涯に関する記述もそれほど多くないですし、生涯に関する記述は、まぁ、これぐらいが限度だと思うんですよね。


学説
 ここからはエピクロスの学説について検討していきましょう。
 今日、エピクロスの学説をエピクロス自身の言葉で知ることができる資料は『ヘロドトス宛の手紙』『ピュトクレス宛の手紙』『メイノケウス宛の手紙』という三通の手紙と小数の断片だけです。
 このなかでも『ヘロドトス宛の手紙』と『ピュトクレス宛の手紙』には自然学的な事柄が書かれており、『メイノケウス宛の手紙』には倫理学的な事柄が書かれているんですが、このコンテンツでは、エピクロスの学説を大きく自然学と倫理学に分けて(まぁ、こういうわけ方ができるのはエピクロスに限ったことではないんですけどね…)解説していきます。


1、エピクロスの自然学 〜「逸れ」と「自由意志」〜
 ここではエピクロスの自然学について概観していこうと思います。
 今日残されている資料(手紙やルクレティウスの『事物の本性について』)からうかがえるエピクロスの自然学は、メインとなる原子論だけでなく、その応用系である気象学や天文学など、かなり多岐にわたっています。
 本来であれば、こういった気象学や天文学などにも踏み込んでいくのが筋なんでしょうけど、そういった細かい領域にまで検討していくのはあまりにも専門的になってしまいますし、下手に手を広げると逆に理解の妨げになりそうなので、このコンテンツでは見出しで「エピクロスの自然学」と銘打っておきながらも、自然学全般ではなく、その基盤になっている原子論に関する部分にのみ言及していきたと思います。


1-1、エピクロスの原子論
 何度も書いているように、エピクロスは自らの学説の基盤として、デモクリトスと同様に、原子論を採用します。
 それゆえ、エピクロスの原子論について検討する際には、エピクロスの原子論とデモクリトスの原子論の違いを概観するのが最も効率のいいやり方になります。
 ただ、「違いを検討する」って言っても、この二人の原子論ってあんまり違いが無いんですよね。
 基本的には、両者共にアトムの性格として「不生不滅」「運動」「不可分」「極微小」「数的に無限」「形の種類において無限」といった要素を共有していますし、原子論におけるもう一つのアルケーである空虚に関しても、「広がりとして無限」「ありてあらぬ」といった最も基本的な性格を共有しています。
 ですから、そういったアトムと空虚の基本的な諸性質に関しては、エピクロスの項目ではなく、デモクリトスの項目を参照してください。
 でも、共通している部分が多いとはいえ、当然、違いはあるわけで、ここではその「違い」を中心にすえて言及していきます。


1-1-1、アトムの「重さ」と「等速直線運動」
 デモクリトスの原子論とエピクロスの原子論の大きな違いは、アトムの「重さ」と「動き方」(「動き」ではなく「動き方」ですよ)です。
 以下の引用文に示されているように、エピクロスはデモクリトスと違って、アトムには「重さ」があると考えていました。

『ヘロドトス宛の手紙』
さらにまた(a これらの特有性の不転化なこと)、原子は、形状、重さ、大きさ、および形状に必然的にともなう性質、をもっているが、それ以外には、われわれに現れる諸事物に属するいかなる性質をももたない、と考えねばならない。

 このように、エピクロスはアトムには重さがあると考えていたわけですが、これ、厳密にいうと、デモクリトスとエピクロスの差異と言えるかどうか微妙なんですよね。
 というのも、エピクロスの場合、この引用文にあるように、アトムの重さに対するエピクロス自身の言及がしっかりと存在しているんですが、デモクリトスの場合、「デモクリトスはアトムに重さがあると考えていた」という証言と「デモクリトスはアトムに重さを想定していなかった」という相反する二通りの証言が存在しているんですね。
 ですから、デモクリトスがアトムに重さを想定していたかどうかについては、厳密に言うと、「なんともいえない」というのが実像なんですね。
 まぁ、そういった事情も考慮すれば、この「重さ」っていう要素がエピクロスとデモクリトスの間の違いといえるかどうかは微妙なんですが、なんにせよ、エピクロスはアトムを重さを持つものとみなしていました。
 アトムが重さを持つか否かという問題は一見すると、どうでもいいような問題に思われるかもしれませんが、この「重さ」という問題が、最終的に、エピクロスの原子論における最大の特徴に向かって収斂していくことになります。
 以下の引用文でいわれているように、エピクロスはこのアトムの「重さ」を「運動」と結び付けます。

エピクロス『ヘロドトス宛の書簡』61
さらにまた(a 原子の速さ)、原子は、何ものの衝突をも受けないで空虚中を運動してゆくときには、必ず等速で運動する。というのは、そこでは、重いものの方が小さくて軽いものよりも――何ものも後者と衝突しないかぎり――より速く運動することはないであろうし、また、すべてのものが一様な進路をとるから、小さなものの方が大きなものよりも――やはり何ものも後者と衝突しないかぎり――より速く運動するということもないであろうからである。なおまた、他の原子の衝撃による原子の上方あるいは側面への運動も、原子固有の重さによる下方への運動も、すこしもその速さを変えはしない。というのは、これらの運動のどれかがおこなわれるかぎり、原子は、思想と同じ速さで運動をつづめけだろうから、――何かが外部から衝突する(そしてその運動を妨げる)か、あるいは打撃を与えたものの力を打消すところの固有の重さのためにその運動が弱まるまでは。さらにまた、原子の空虚中での運動は、それと衝突しそうなどのような物体とも出会わないかぎり、思料しえないほどの短時間に、理解しうるどのような長距離をも、通過してしまう。というのは、衝突と不衝突とが、遅い速いという外観をとるのだからである。

ルクレティウス『事物の本性について』第二巻184-190
ところで今こそ私の考えでは、物質的なものはいずれも
自分の力で下から上に動いたり、進んだり
しないことをあなたに確信させるときであろう。
それについて焔の粒子があなたに惑わしとならないように。
まことに焔は上にと伸び、上にと大きくなり、
ゆたかな穀物も、草木も上にと伸びてゆく、
重さがあるものは本来すべて下に向かうものなのに。

 さて、ここでは、エピクロスの手紙と、ルクレティウスの『事物の本性について』の両方から引用しましたが、注目してもらいたいのは、前者の「原子固有の重さによる下方への運動も」という一節と、後者の「重さがあるものは本来すべて下に向かうものなのに」という一節の二箇所です。
 つまり、エピクロスはアトムの運動として上から下に「ストン!!」と落ちていく落下運動を想定したんです。
 しかも、この引用文をもう少し読み込んでいくと、『ヘロドトス宛の書簡』で「必ず等速で運動する」「すべてのものが一様な進路をとる」と言われていることから、これらの主張を考え合わせると、エピクロスがアトムの運動として想定していたのは「上から下へと向かう等速の直線運動」であると考えることができるでしょう。
 つまり、エピクロスが想定するアトムの最も基本的なありかたは、無数のアトムが等速直線運動をしている状態であるとみなすことができます。
 このようなエピクロスの想定していたアトムの基本的な状態をルクレティウスは以下のような仕方で非常にうまく表現しています。

ルクレティウス『事物の本性について』第二巻221-222
すべての粒子(アトム)は下に向かって、
ちょうど雨滴のように、深い空虚を通っておちてゆき、

 この引用文でいわれている「原子の雨」という状態をイメージしてもらうと、エピクロスの想定していたアトムの基本的な状態を、もっとも正確に捉えられるでしょう。
 多少しつこいかもしれませんが、この状態をさらに図で示すと以下のようになります。



 ここで示している矢印の一つ一つが個々のアトムの動きだと思ってください。
 エピクロスにおいては、無数のアトムが上から下へ向かう「等速直線運動」をしているので、すべてのアトムが一切接触することなく、ただ坦々と、雨が降るように延々と落下し続けるんですね。
 さて、これがエピクロスの示すアトムの基本的な動きです。ここで、デモクリトスが示すアトムの動きを思い出してもらいたいんですが、デモクリトスは無数のアトムがそれぞれがバラバラに動くと考えていました。
 この動きに「似たものが似たものへ」という法則性や、「似ていないもの同士が互いに反発する仕方で」という法則性を読み込むかどうかは意見の分かれるところですが(個人的には一切の法則性のないバラバラな動きだと思うんですが…)、いずれにせよ、デモクリトスが主張するアトムの動きはエピクロスの主張するような等速直線運動とは違いますよね。
 そして、この「アトムの動き方の違い」こそがエピクロスとデモクリトスの大きな相違です。
 「たいした違いじゃねぇなぁ…」と思う方もいらっしゃると思いますが、先にも書いたように、このちょっとした違いが後々ものすごい問題になっていきます。


1-1-2、アトムの「逸れ」と「宇宙形成」 〜「逸れ」の自然学的な意義〜
 1-1-1で、エピクロスにおけるアトムの基本的な状態は図で示したような上方から下方へと向かう等速直線運動であるということを示しました。
 この記述を見た段階で「…?」と違和感を感じる勘のいいかたもいらっしゃると思うんですが、エピクロスの主張するアトムの動きがこのような等速直線運動であるならば、アトムは決して相互に衝突することなく、永遠に上から下へと落ち続けるはずであり、アトムの構成物である諸々の事物は決して生まれないことになってしまいます。
 このような不都合を解消するために、エピクロスはアトムの「逸れ」という概念を導入します。
 一部、二重引用になってしまいますが、以下の引用文を見て下さい。

エピクロス『ヘロドトス宛の書簡』43
 また、原子は、たえず永遠に運動する。或るものは<垂直に落下し、或るものは方向が偏り、或るものは衝突して跳ね返る。衝突して跳ね返るもののうち、>(a)或るものは遠くへ運動して相互にへだたり、(b)或るものはさらにそのまま跳ね返りの状態を保ちつづける。

ルクレティウス『事物の本性について』第二巻216-224
こうしたことにつきあなたに知ってほしいことがある。
つまり粒子(アトム)が空虚をとおってまっすぐにそれ自身の
重さのため下に向かって進む時、時刻も全く確定せず
場所も確定しないがごくわずか、その進路から、
外れることである。少なくとも運動の向きがかわったといえるほどに。
もし外れないとしたら、すべての粒子(アトム)は下に向かって、
ちょうど雨滴のように、深い空虚を通っておちてゆき、
元素(アトム)の衝突もおこらず、衝撃も生ぜず
こうして自然は何ものをも生みださなかったであろうに。

 さて、この引用文で注目して欲しいのは、『ヘロドトス宛の書簡』からの引用にある「或るものは方向が偏り」の部分と、『事物の本性について』からの引用にある「粒子(アトム)が空虚をとおってまっすぐにそれ自身の重さのため下に向かって進む時、時刻も全く確定せず場所も確定しないがごくわずか、その進路から、外れることである。少なくとも運動の向きがかわったといえるほどに」の部分です。
 つまり、エピクロスにおいては、ただ上から下へと落下する等速直線運動を繰り返しているアトムの状態から、諸事物が形成されるアトムの絡み合い状態が発生するために、アトムの「逸れ」(引用文中では「偏り」という言葉が用いられたり、同じ「それ」という読みでも「外れ」という当て字が用いられたりしていますが、ここでは「逸れ」という漢字、「それ」という読みで統一します)という概念を取り入れるんです。
 1-1-1で以下のような図を提示しましたが、



エピクロスは、この図にあるような何も生じない永遠の落下運動の状態の最中に、ある不特定のアトムが以下の図のように直線運動から「逸れ」て、その「逸れ」をきっかけにして、アトム相互間の大規模な多重衝突が起こり、そこから宇宙万有を始めとしたありとあらゆる諸事物が生じたと主張するんです。



 あまりいい例えじゃないかもしれませんが、何億・何兆と並列している道路に大量の車がずっと同じスピードで同じ方向に進んでいる状況を考えて見て下さい。
 この状況において、個々の車がアトムです。
 通常、これらの車はなにごともなく道路を走っています。
 しかし、あるとき、一台の車がスッと車線を「逸れ」るんです。
 当然、その「逸れ」をきっかけにしてものすごい数の車が多重衝突を起こしますよね。
 この多重衝突状態が、エピクロスのいう宇宙形成です。
 車の例で考えると、なんか『ブルースブラザーズ』のカーチェイス状態みたいなのが思い浮かびますけど、わかりやすい話、ものすごく大量のアトムが次から次へと衝突していって、雪だるま状態にドンドン膨らんでいくアトムの塊こそが、エピクロスのいう宇宙なんですね。
 さて、「逸れ」をきっかけに生じたアトムの絡み合い状態の中では、以下の引用文で示されているように、「上方から下方へ」と進む等速直線運動とは別のアトムの運動が発生しています。

エピクロス『ヘロドトス宛の書簡』62-
 さらにまた(b 合成体内での原子運動)、原子は、じっさいにはいずれも等速であるが、合成体内においては、或る原子(速く運動する合成体内の原子)は他の原子(遅く運動する合成体内の原子)よりも速い、と言われもしよう。というのは、集合体内の原子は、最小限の連続的な時間においてさえ、当の集合体の運動してゆく一つの場所へ向かって運動するからである。もっとも、思惟によってのみ認知される短時間(原子的な時間)においては、原子は、一つの場所へ向かって運動するのではなく、むしろ、当の集合体内で(原子的速さで運動して)さかんに衝突し合っているのであって、その結果、こうした運動の連続性がわれわれの感覚の圏内に入ることになるのである。

 文章の表現が独特(「原子的時間」とかね…)なのでいまいちわかりにくいんですが、エピクロスは集合体内でのアトムの運動として大きく分けて二通りの運動を想定していたようです。
 つまり、(1)アトムの集合体全体が動いていく方向に向かって動いていく運動と、(2)集合体内のなかでアトムが相互に衝突し合って動く反発運動の二つです。
 ここでは便宜上(1)(2)という番号を振りましたが、この番号はあくまでも区別のために振っているだけで、運動の順番がこの番号順というわけではありません。
 ていうか、むしろ、これらの運動に順番をつけるのはちょっとナンセンスだと思います。

エピクロス『ヘロドトス宛の書簡』
合成体の運動は、それを構成する原子相互の衝突が呈する外観であろうから。

 この引用文をみてもわかるように、(1)(2)という二つの運動は同時に生じている運動と考えるのが適切でしょう。
 ただねぇ、「適切でしょう」なんて書いておいてこんなことをいうのもなんですけど、この引用文も今私が書いたような仕方で解釈していいのかちょっと微妙なんですよね。
 仮に、アトムの集合体全体が右方向に動いていたとします(「右とは何か?」っていう問いは哲学の問いとして十分に成立する問いですが、そういった疑問は置いておいて…)。そのときに、その集合体内で複数のアトムが左右方向で衝突していた場合、衝突前にしろ衝突後にしろ、集合体全体の「右方向」という動きとは真逆の動きが生じていることになります。
 これはちょっと困りますよね。
 ですから、集合体内でのアトムの運動に関しては、まぁ、だれか、このコンテンツを読んでくださっている優秀な方が直接原典にあたって研究してみてください。
 さて、最後の最後にちょっとした問題を提示して、残尿感を残したままこの項目を終わりにしようと思うんですが、最後に、一応ね、エピクロスの「自然学」における「逸れ」の働きをまとめておきます。
 つまり、エピクロスにおいて、アトムはその最も基本的な運動(余談ですが、哲学の文脈では「最も基本的な」という意味を表す言葉として「本性的な」とか「第一次的な」という言葉を用います)として、上方から下方への等速直線運動をしており、あるとき何のきっかけもなくスッと「逸れ」ます。そして、その「逸れ」をきっかけとして原子の多重衝突が起こり、宇宙万有が構成されるんですね。

等速直線運動→「逸れ」→アトム同士の多重衝突→宇宙形成

 この順番はエピクロスの原子論に特徴的なものなのできっちり覚えて置いてくださいね。


1-1-3、アトムの「逸れ」と「自由意志」 〜「逸れ」のもう一つの意義〜
 1-1-2では、アトムの「逸れ」が持っている意義を「宇宙形成」という純自然学的な領域に限定して説明してきましたが、1-1-3ではエピクロスの学説のなかで「逸れ」が関係してくる他の分野について言及していこうと思います。
 こういうふうに書くと、当然、「他の分野ってなに?」っていう話になりますが、エピクロスはこの「逸れ」を、以下の引用文でいわれているように、人間の「自由意志」と関係付けます。

ルクレテイゥス『事物の本性について』251-262
さてそれでは、もしすべての運動はいつもつながり、
古い運動から新しい運動が、一定の順序で生じ、
もしまた元素がその進路からそれることによって、
宿命の掟をやぶる新しい運動をはじめることなく、
原因が原因に限りなくつづくとすれば、
地上の生物の持つ自由な意思はどこからあらわれ、
いかにしてこの自由な意思は宿命の手からもぎとられたというのか?
人はその意思によってこそ、よろこびの導くところに進み、
さらにまた時を定めず、所もはっきり定めないで
心のおもむくままに運動を逸らすものではないか。
なぜなら疑いもなく、各人自身の意思が、これらのことに
きっかけを与え、それから手足に運動がひろがるのだから。

 このように、エピクロスはアトムの「逸れ」を無限因のものと捉え、その「逸れ」を人間(考察の範囲をエピクロスのみに限定した場合、ここは「人間」だけではなく「生物一般」と考えた方がいいでしょう…)のもつ「自由意志」と関連付けているわけですが、ここでいわれている「自由意志」というやつがかなり厄介なんですよね。
 ですから、ここでは、エピクロスにおける「逸れ」と「自由意志」の関係について言及する前に、「自由意志」というものについて、極々簡潔にではありますが、チョッとだけ言及してから本題に入ろうと思います。


1-1-3-1 「自由意志」ってなに?
 「自由意志」って、ただその言葉だけを聞くと「ああ、わかるよ、なんとなく…」みたいな感じでぼんやりと理解できている気になってしまうんですが、哲学の分野でいう「自由意志」って、われわれがぼんやり理解している「自由意志」とは概念的にちょっと違うものである可能性があります。
 ていうか、なにが悪いって、やっぱり、「自由」っていう言葉が悪いんですよ。
 「自由」っていう言葉は、現代では、「言論の自由」なんていう言葉で使われているように、「外的な強制力によって束縛されない」みたいな意味で使われていますが、時代時代によってその定義がだいぶ異なるんですよね。
 例えば、古代ギリシアで「自由」って言うと、「奴隷ではない」ということであり、これは一般の市民全体にあてはまる概念でした。また、日本国憲法において基本的人権の一つとして定められている「職業選択の自由」などで用いられる「自由」の概念は、人間が持っている基本的な権利がいかなる強制力によっても制限されずに行使することができることを意味します。
 このように、「自由」っていう言葉はそれを単純に定義することが難しい極めて厄介な概念なんですね(だいたい、日本語だと「自由」っていう一言で括られてますけど、英語だと同じ「自由」でも“free”と“liberty”っていう二通りの言葉がありますよね)。
 では、このエピクロスの「逸れ」と関連して使われている「自由意志」とは、どういう意味での「自由」な「意思」なんでしょうか。
 範囲を「哲学」に限定しても、「自由意志」はそれぞれの時代によって多様な仕方で定義されますが、その多様な定義の根底にある共通項は「決定論からの脱却」です。
 「決定論」なんていう言葉を使うと、途端に話がものものしくなって嫌なんですが、この「決定論」というのは、ものすごく簡単に言うと、ありとあらゆる事柄は「原因→結果→原因→結果→原因→結果→…」という「因果関係」の連鎖によって支配されている考え方のことです。
 つまり、「決定論」とは、この世界に生じた事柄、生じている事柄、生じるであろう事柄は、そのすべてが必ずそれに先立つ事柄によって「決定されている」ということであり、この因果関係の縛りから脱却する原動力となるものとして用意されているのが「自由意志」なんです。
 そして、この「決定論」との対比で考えると、「自由意志」というものの基本的な性格がなんとなくわかると思います。
 つまり、「自由意志」っていうのは、その「意思」が発動される前にその「意思」の原因となるようないかなる事柄も存在しない「意思」のことです。
 大まかに言えば「自由意志」とは大体こういうものなんですが、この「自由意志」がアトムの「逸れ」とどのように関係してくるのでしょうか。


1-1-3-2、「逸れ」と「自由意志」の関係
 さて、前の項目で見たように、「自由意志」は「無限因の意思」のこなんですが、ここで、勘のいい方は「原子論の場合、あらゆる事物はアトムの構成物なんだから『意思』の前には常に何らかのアトムの状態が先立つんじゃないの…」と考えると思います。
 確かにその通りです。
 原子論という考え方において、われわれが「意思」と認識できるものは、その「意思」をもっているとみなされているものを構成しているアトムの状態に還元して説明されますから、そのアトムの状態が「意思」の原因とみなすことができます。
 しかし、この原子論における「意思」の因果関係をズ〜ッと遡ってみると、最終的には、アトムの個々の動きに帰着します。
 原子論における「意思」は以下のような経過を経て発動されるんですが、

個々のアトムの動き→特定のアトムの構成状態→意思

エピクロスはこの因果関係の起点になっている個々のアトムの動きの部分に「逸れ」という原因のない動きを取り入れるんです。
 つまり、エピクロスの議論としては、「意思」というものが発動される際には、その因果関係の究極的な起点の位置にアトムの「逸れ」という原因を持たない運動が介入しているがゆえに、われわれは無限因の「自由意志」を持ちえるということなんです。
 ただ、これねぇ〜、ツッコミを入れようと思えば入れられるんですよね。
 先の図式を見てもわかるように、個々のアトムの「逸れ」は、「意思」と直接的な関係を持つものではなく、間接的な関係なんですよ。
 ですから、一つの批判として、「意思にはその直接的な原因となるものがあるのではないか?」という主張は可能だと思いますし、その主張から、「原因があるかぎりそれは自由意志ではない」という結論も可能だと思います。
 でも、エピクロスを擁護する側からの反論としては、「エピクロスの学説において、意思の直接的な原因であるアトムの状態はその前のアトムの状態から生じているのであり、その状態はさらにその前の…という仕方で延々と遡っていける。そして、そうやって遡っていった場合、最終的には原因のない『逸れ』に行き着くのだから、エピクロスの主張する学説は基本的に偶然の連鎖であって、その意味で『意思』をはじめとするあらゆるものは偶然的なのだ」と主張することもできるでしょう。
 ただ、こういう主張をしてしまうと、エピクロスにおいては本質的に「因果関係」というものが存在しなくなってしまいます。
 つまり、偶然的に発生するのが「自由意志」だけでなく、それ以外のものも突き詰めるとすべてが偶然ということになってしまいます。
 ただ、これはさすがにどうなんでしょうね…
 いくらエピクロスとはいえ、「すべてが偶然」みたいなことは考えていなかったと思うんですよね。
 結局、「自由意志」と呼ばれる生き物の意思だけに限定して「無限因」という性質を付与するっていうのは微妙なんですよね。
 実際、先にあげた引用文の中でも「地上の生物の持つ自由な意思」といわれていますから、エピクロスも、意思を持たない諸々の自然物に関しては決定論的な考え方を適応していたと思うんですよ。
 一つの解決策として、「『逸れ』を生じたアトムを持っているものが生き物だ」という考え方もできるかもしれませんけど、「逸れ」を起こすアトムは不特定ですからこの手のやり口もちょっと厳しいですね。
 また、仮に、「『逸れ』を生じたアトムを持っているものが生き物だ」という考えをを保持したまま、「逸れ」を引き起こすアトムを何か特定のものに限定することで、「その限定された種類のアトムをも持つものが生き物だ」と考えるのも不可能ではないでしょう。
 しかし、この考え方だと、「逸れ」を起こすアトムが或る特定のものに限定されているという意味で、そのアトムは「それがまさしくそのアトムである」ということを原因として「逸れ」を生じているということになります。
 この考え方、要は「逸れ」が自己原因的に生じるということなんですが、エピクロスが「逸れ」に記している「自由意志」の性格を考えると、それは「無限因の意思」ですから、以下に自己原因とはいえ原因がある以上は「逸れ」と「自由意志」を関連付けることができなくなってしまいます。
 こんな感じで、まぁ、色々問題があるわけですよ。
 ですから、エピクロスの主張する「逸れ」と「自由意志」の関係を理解するためには、そこらへんの問題ををうまいことかいくぐって着地点を模索するような解釈を見出す必要があるでしょうねぇ…
 まぁ、でもね、少なくとも、エピクロスはこの「逸れ」という概念を導入し、それを生き物の「自由意志」と結びつけ、「意思」の因果関係からの脱却を(それが成功しているかどうかは別として)主張したということだけは言えると思います。


1-2、エピクロスの認識論
 1-1では、エピクロスの原子論において特筆すべき考え方を大まかに概観しましたが、続く1-2では、エピクロスの認識論に焦点を当てたいと思います。
 とはいえ、この1-2はそれほど長い章にはなりません。
 実際、内容的にも「学説の説明」といったものではなく、エピクロスがおこなう「認識論的な決意表明」を確認するみたいな作業になります。
 では、エピクロスは認識論的にどのような「決意表明」をおこなっているんでしょうか。

エピクロス『ヘロドトス宛の書簡』38
次に、われわれは、確証の期待されるものや不明なものごとを解釈しうる拠りどころをもつためには、すべてを、感覚にしたがってみるべきである。端的にいえば、精神での把握にせよ、いずれの感覚的判定機能での把握にせよ、現前する直接的把握にしたがってみるべきである。同様にまた、(行為にかんしては)現存する感情(快と苦)にしたがってみるべきである。

ルクレティウス『事物の本性について』第四巻475-521
真実および虚偽という概念は何ものが作り出したのか、
疑わしいものが確かなものと異なることを何ものが証拠立てられるのかと。
あなたは、真実という概念がまず感覚から作られ、
感覚は否定しえないものだということを見出すだろう。
なぜなら、他の助けを借りることなく、真実によって虚偽にうちかち、
より大きな信頼をもつものを何か発見しなければならないのだから。
ところで感覚よりも大きな信頼をもつものが何かあるのか?
それとも間違った感覚から生じた理性が感覚に
逆らうことができるというのか、それ自身全く感覚から生まれながら?
感覚が真実でないとしたら、理性もまたすべて誤りとなるだろう。
〜中略〜
さらにまた感覚がそれ自身を吟味することもできない。
なぜなら感覚はいつでも一様に信頼さるべきものなのだから。
〜中略〜
それゆえ感覚に反対して作りあげられたかのものどもは
すべてむなしい言葉の積み重ねに過ぎない。
また家を建てるとき、もし始めから物指がゆがんでおり
曲尺が間違って、直線からずれており、
鉛直線がどこかで少しでもたるんでいるならば、
家全体は間違ってでき、傾き、
歪み、張り出し、前に傾き、後に傾き、調和を持たず
いまにもくずれ落ちるように見え、また実際くずれるにちがいない、
始めの間違った測り方のため、すべて裏切られるわけである。
それと同じように、間違った感覚から生じたものなら、
物にかんするあなたの推論はゆがんでおり、間違っているにちがいない。

 さて、ここにあげた引用文で主張されているように、エピクロスは明確に「感覚は真」という立場を表明し、推論などの知的活動も、それが真であるためにはすべて感覚的認識に基づいたものでなければならないと考えていました。
 デモクリトスの項目で、彼の認識論について検討したときに、デモクリトスは以下のように主張することで、知的活動に対する感覚の優位性と、知的推論は感覚に基づいてなされるものであるということを述べていました。

Fr.125抜粋
「約定において色はあり、約定において甘くあり、約定において辛くあり、真実にはアトム(分割できないもの)と空虚がある」。だから彼は感覚をして思惟に対してこう語らせたのである。「哀れな心よ、おまえはわれわれから信念を得てわれわれをひっくり返すのか。ひっくり返すことはお前にとっての転倒なのだ」。

 デモクリトスの場合、資料的な問題があるので、この資料一つで、エピクロス並に感覚を信頼していたとみなすのはちょっと微妙なんですが、すくなくとも、他の哲学者達と比べて、デモクリトスもまた、感覚により重きを置いていたとみなすことはできるでしょう。
 このように、デモクリトスにおいては、その感覚重視の姿勢が強調されてこそいましたがまだ明確化されていませんでした。しかし、エピクロスはその感覚重視の姿勢を徹底させて、知性に対する感覚の優越を明確に主張したんです。
 エピクロスのように、感覚こそが真であり、感覚こそが正しい認識の源泉であって、他の非感覚的認識はすべてこの感覚的認識に立脚しそれに沿うような仕方でなされなければならないとする立場を「感覚主義」といいます。
 エピクロスの前にも、デモクリトスやソフィストなどは、この「感覚主義」の立場をとっていたと考えられますが、資料的に、感覚主義の立場を取っていたということが最も明確に確認できる哲学者は、おそらく、このエピクロスが哲学史上最初の人物だと思います。
 さて、以上で、エピクロスの自然学に関する言及は終わりにします
 エピクロスは、ルクレティウスが『事物の本性について』という著作を残してくれているおかげで、その学説の全体像が把握しやすく、そこで展開されている学説は、原子論という立場を取った場合に主張することができる天体や気象に関する学説の原始的なモデルとして考えることができるので、ここに言及していない部分でも非常に興味深い点が多々あるんですが、そういった細かな点に関してはこのコンテンツをごらんになっている方が御自分でエピクロスやルクレティウスの著作(もちろん、邦訳で十分です)に当たって確認してみてください。


2、エピクロスの倫理
 自然学に関しては1-2までの考察で終わったことにして、ここからはエピクロスの主張した倫理について概観していきます。
 勘の良い方は、ここでわたしが「倫理学」ではなく「倫理」という言葉を使っていることにクッとひっかかりを感じていらっしゃるのではないかと思います。
 わたしがここで「倫理学」ではなく「倫理」という言葉を使っているのは、これら二つの言葉に対してわたし個人が持っている印象の問題なんですが、個人的に、どうも、エピクロスの倫理的な主張って「学」と呼べるほどシステマティックなものじゃないような気がするんですよね。
 もちろん、こういうことを言うと、「じゃあ、お前は『学』っていう言葉でどういうものを想定しているんだ!?」っていう話になるんですけど、個人的には、やっぱり、「学」っていうからにはそこに何がしかの覆されることのない原理原則が存在していてそれに沿うような仕方で全体が整えられているべきだと思うんですね。
 例えば、現代において自然学的な分野を探究する学問にとっての「物理法則」とか、数学における「数」であるとか、これらの学問分野において「物理法則」や「数」は、「それを覆してしまったら元も子もないもの」として存在していますよね。
 実際、「数って何?」という問いは「数学基礎論」が扱うものであって「数学」が扱うものではないですよね。
 このように、わたしの極個人的な見解として、「学」っていうとどうしてもそこには侵されざる原理原則が存在してしかるべきだと思うんです。
 そして、そういった考え方からすると、倫理という事柄についてエピクロスが展開する主張って、どうも「学」っていえるような代物じゃないような気がするんですよね。
 確かに、エピクロスの主張の中にもなんとなく原理原則的な働き方をしているんじゃないかと思われるような概念は存在していますよ。
 でも、それが本当に自然学における「物理法則」とか「数学」における「数」みたいなレベルで原理としての働きをしているかっていうと怪しい感じなんですよね。
 ですから、わたしはそういった個人的な考え方を踏まえて、「善さ」とか「人のあり方」などの分野にかかわるエピクロスの主張に言及する際には、「倫理学」ではなく「倫理」という言葉を使いたいと思います。


2-1、死
 エピクロスの倫理についてなにごとかを語るにあたって、われわれは先ず、エピクロスが「死」というものをどのように捉えていたのか検討していましょう。
 それに際して、先ずは以下の引用文を見て下さい。

エピクロス『メイノケウス宛の手紙』125
それゆえに、死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、じつはわれわれにとって何ものでもないのである。なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。そこで、死は、生きているものにも、すでに死んだものにも、かかわりがない。なぜなら、生きているもののところには、死は現に存しないのであり、他方、死んだものはもはや存しないからである。

 このように、エピクロスは「死」というものに対して「恐れるべきものではない」という考え方を持っていました。
 「死」に対して「それは恐れるものではない」という考え方を持っていたのは、エピクロスに限ったことではなく、ソクラテスも同様の考え方を持っていました。
 実際、プラトンの対話篇『パイドン』のなかで、ソクラテスは「死」を「魂」と「肉体」の分離として捉えたうえで、思惟は「魂」の活動であり、かつ、「魂」は不死であると主張し、知を愛する者にとって肉体の束縛を逃れて魂だけの状態になり純粋に思惟することができる状態になることは好ましいことなのだと考えて、「死」は恐れるべきものではないと規定しました。
 このように、ソクラテスもエピクロスも「死は恐れるべきものではない」という共通の考えを持っていましたが、エピクロスの場合、そのように考えた理由はソクラテスのように「魂の不死」などに基づくものではありませんでした。
 引用文中では、その理由として、「われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである」という、なんとなくわかったようなわからないような主張がなされていますが、エピクロスの学説をもう少し深く読み込んでみると、「死は恐れるべきものではない」という主張の基盤にはもう少しドライな理由を読み込むことができます。
 ちょっと分量が多くなりますが、以下の引用文を見て下さい。

ルクレティウス『事物の本性について』第三巻94-

(1)魂は物体である
まず第一に、私たちがしばしば心と呼ぶところの精神は、
生命のもつ考える力と導く力との座であるが、それは、
手や足や目が一個の動物全体の部分であるのと全く同じ意味で
人間の体の部分であると私は主張する。
〜中略〜
しかしながら精神が激しい恐怖にうたれると
体じゅうのすべての魂もそれに共感し、
全身にわたって汗が流れ色は青ざめ、
舌はもつて、声はきえうせ、
目はかすみ、耳は鳴り、手足の力がぬけるのを私たちは目にするし、
ついには心の恐怖のため、しばしば倒れる人があるのを
私たちは見る。このことから誰にも用意に分かるように
魂は心に結ばれており、心の力にうたれると
すぐに体を刺激しておしうごかす。
この同じ推論は精神および魂の本性が物体的な
ものだと教える。じじつそれは手足を押し動かし、
眠りから体をひきおこし、顔色をかえさせ、そしてまた
人の全身を支配し、向きをかえると見られ、
しかもそれらのことは何一つ接触なくしては起こりえないし、
さらにまた接触は物体なくしては不可能であるのだから
心および魂は物体的なものだと認めるべきではないか?

(2)魂は不死ではない
さてそれでは、生あるものの精神とその軽やかな魂とは
生まれそして死ぬものだということを知ってもらうために
楽しい骨折りを長く続けて探究し発見したことを
あなたの生涯にふさわしい歌にしてしめすことにしよう。
〜中略〜
まずはじめに、魂は小さな物体(アトム)からできていて
〜中略〜
魂もまたひとたび人間の体から離れて去ったときには、
それよりも遥かに早く散って消えうせ、ずっとすみやかに
基本物体(アトム)に解体すると信じなければならない。

(3)魂は衰える
さらにまた心は体とともに生まれ、ともに育ち
ともに年とってゆくのを私たちは感知する。
じっさい幼い時は体が軟らかく、かたまらないで
よちよち歩くように、心の判断も同じようにしっかりしない。
そのあとで力が強くなり壮年に達すると
考える能力ももっと大きく、心の力ももっと大きくなる。
そののち体が年月の強い力によって
うちくだかれ、体力が弱り、手足が元気を失うと
才知の働きはにぶり、舌はもつれ、精神は決断を失い
何もかもが一時に不足し失われていく。
それゆえにまた、魂の本性も、煙のように
高い空の微風の中に解体してしまうに違いない。
それは私が教えたように、体とともに生まれ、ともに育ち、
また同時に歳月につかれて弱ってしまうのだから。

(4)魂は病み、そして、死ぬ
それにつけ加えて、私たちは体そのものが恐ろしい
病気や、たえがたい痛みを患うように
心もまた、たえがたい痛みを患うのを見る。
それゆえに心は死にもまたあずかるのが当然である。
〜中略〜
そして心は病気の体と同じく、医術によって直したり、
変えたりできるのを私たちは知っている、そのこともまた
心が死すべきものとして生きていることを示している
なぜなら心をかえようと試みたり、
または何か他の本性を変えようと求める人は
部分を付け加えたり、配列をかえたり、
全体から、少しでもよい、何かを取り去らねばならない。
しかるに不死なるものは、その部分をいれかえたり、
付け加えたり、僅かでも失うことを許さないのだから。

(5)魂の死によって肉体も滅ぶ
次に、肉体は魂の分解に堪えることができずに、たちまち
いやな臭いをだして腐りはじめるのであるから、
魂の力は深い奥底から集まってきて煙のようにひろがり
流出して行くこと、そして肉体はそのようにはなはなだしい
荒廃のためにくずれながら、変化し倒れてしまうことを、
なぜ疑うのか?

(6)魂は感覚を持たないがゆえに不死ではない
さらにまた、もし魂の本性が不死なるものであり
私たちの体をはなれて、ものを感じうるとしたら、
魂は五感をもっているものと思わねばならない。
〜中略〜
しかしながら体から切り離されては魂は
目も鼻も手も持つことができず、舌も耳ももつことができない。
それゆえ魂はそれ自身ではものを感じとることも存在することもできない。

(7)肉体が切り離されれば魂も切り離される
そして私たちは、生命の感覚が体の全体にわたって内在するのを
感じ、全体が魂をもった生きものであることを見るのだから、
もし突然何かの力が急速な一撃によって真中を切りさき
それぞれ二つの部分に分けたとしたならば、
疑いもなく、魂の力もまた分けられて
身体と共に両断されて切り離されるであろう。
しかし分けられ、いくつかの部分に離れるものは
自分が永遠性をそなえていることを明らかに否定する。

(8)われわれは前世の記憶を持たないがゆえに魂は不死ではない
さらにまたもし魂の本性が不死なものであり
私たちが生まれる時に、体の中に入りこんでくるものなら、
なぜ私たちは以前の過ぎ去った生のことをも憶えていることができず
以前にあった出来事の跡を何も記憶してないのか?
なぜなら、もし精神の能力があまりにも変化を受けたがためにこそ
昔の出来事の記憶がすっかり失われたというのであれば、
そのような状態は死とそれほど違わないと私は思う。
それゆえ魂は昔あったものは滅びてしまい、今あるものは
今生まれたのだと認めなければならない。

 ちょっと長くなってしまいましたが、ここに示した引用文は『事物の本性について』の第三巻をかなり大胆にバッサバッサ切って要点だけを抽出したものです(抽出しきれていないというご批判もあるかと思いますが、その点はご了承ください)。
 これらの引用文で言われているように、エピクロスはソクラテスが「死を恐れるべきではない」と考える根拠として用いていた「魂の不死」や「魂単独での活動」をことごとく否定します。
 それどころか、魂は物体であり(1)、魂は衰え(3)、病むものである(4)と主張し、仕舞には、プラトンやソクラテスにおいて魂の不死を支えていた「想起説」的な考え方までも否定します(8)。
 ソクラテスの理論は、「自分が死んでも、それは魂と肉体が分離するだけのことであって、自分は魂のまま永遠に行き続けるのであり、そういった存在の仕方は知を愛するものにとって好ましいことであるから、死は恐れるべきではない」というものでした。
 この論理展開はなんとなく納得できますよね。
 「死」とはいってもそれは「消滅」ではなく、「魂」として永遠に行き続けられるんだし、むしろその方がいい、みたいな話ですから、そういう考え方をする人が「死」に対して「恐れるべきではない」っていう結論を導き出すのも、まぁ、無難な感じがしますよね。
 では、エピクロスの場合はどうでしょう。
 エピクロスの考え方を理解する際には、原子論という自然学的な立場に立った上で、「魂もアトムの集合体である」という考え方を頭にきっちり入れておけば簡単に理解できると思います。
 つまり、エピクロスは自然学的な観点から、人間が死ねばアトムの集合体である魂も再び分散してバラバラの状態に戻るという考え方をしているので、「魂の不死」やら「魂単独での知的活動」といったある種の神秘的な(もっと現代的な言い方をすれば「スーパーナチュラルな」)考え方を拒否するんです。
 で、ここまでは、まあ、いいと思うんですが、問題なのはエピクロスがこのような原子論的な考え方を持ちながらそれと同時に「死は恐れるべきではない」と考えていたという事実です。
 エピクロスはこの「なぜ原子論的な考え方に立脚すると死を恐れなくてもすむようになるのか」という問いについて以下のように答えます。

エピクロス主張教説2
死はわれわれにとって何ものでもない。なぜなら、(死は生物の原子的要素への分解であるが)分解したものは感覚をもたない、しかるに、感覚をもたないものはわれわれにとってなにものでもないからである。

エピクロス『メイノケウス宛の手紙』124
また、死はわれわれにとって何ものでもないと考えることに慣れるべきである。というのは、善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである。

 さて、ここに二つの引用文を示しましたが、この二つの資料の中でなされている主張はどのような仕方で関係を持ち、最終的に「死は恐れるべきではない」という結論に至るのでしょうか。
 先ず、「主要教説」からの資料で言われているように、原子論の立場をとった場合、死ぬと肉体も魂も個々のアトムへと分解されます。そして、その分解がおこなわれると同時に、アトムが個々の器官という特定の集合状態を成しているときに持っていた集合状態としての機能も当然のことながらなくなります。つまり、目や耳といった感覚器官もなくなってしまうわけですから「感覚する」という事実それ自体が成立しなくなります。
 ここで、『メイノケウス宛ての手紙』をみるまえに、1-2で検討した「エピクロスは感覚主義者である」という事実を思い出してみましょう。
 エピクロスは「感覚認識」を何よりも重視し、すべての認識は感覚認識に基礎を置いてそれに沿うような仕方でなされるべきだと考えてました。
 つまり、エピクロスにおいて、あらゆる認識および判断は感覚ありきで成立するわけですが、「死」が訪れた場合、「主要教説」からの資料で言われているようにその「感覚」が生じなくなるんです。
 そして、それを踏まえてもう一つの『メイノケウス宛ての手紙』の方をみてみましょう。
 こちらの資料には「善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである」という首長が含まれています。
 ここまでくれば勘のいい方はもうおわかりでしょう。
 つまり、エピクロスは、

死ぬとバラバラのアトムに戻る

感覚器官がなくなるので「感覚」が成立しなくなる

しかし、あらゆる判断は感覚ありきで成立する(また、その判断や認識の正しさも感覚に基づいているべきである)

「感覚」が無くなれば認識や判断は成立しない

よって、死は「善い」とも「悪い」とも判断を下せないものである

という一連の流れで推論を展開し、その最終的な結論として「判断を下せないもの(死)に対しては、それを恐れるべきではない」という主張に行き着くんですね。
 さて、このようにみてくると、「魂の不死」や「魂単独での活動」を想定しないエピクロスのような原子論者でも最終的にソクラテスと同じような「死は恐れるべきものではない」という結論に至る可能性があると主張することが可能だということが分かりますよね。
 ただ、ここで、一つ気をつけなければならないのは、ソクラテスとエピクロスは最終的な結論として同じところに辿り着いてはいるけれども、その結論へと至る議論の発端となった「死への恐れ」に関しては、両者は全く違うところから出発しているという点です。
 何度も書きますが、ソクラテスの場合、「死」を「恐れるべきではない」とする根拠は「魂の不死」にありましたから、その点から推測するに、ソクラテスが「死を恐れている人」の「恐れ」の本質として想定していたのは「喪失に対する恐怖」何だと思います。
 この「喪失」というのは、「自己喪失」でもいいですし「他者との関係の喪失」でも何でもいいですが、とにかく、それまで「私」もしくは「他者」さらには「うちのペット」とか、そういう仕方で存在していた存在者が「死」によって「喪失」してしまうことへの恐怖なんだと思うんですね。
 そして、「想起説」的な発想に基づく「魂の不死」は、そのような恐怖を緩和する中和剤としての機能を果たし、その中和剤を注入した結果として「死は恐れるべきものではない」という主張が可能になったんっだと思うんですよ。
 ただ、エピクロスの場合は、「死に対する恐怖」の本質として想定されていたもともとの恐怖が「喪失に対する恐怖」ではなく、「悪しきことに対する恐怖」なんですよね。
 引用文の中でも示されているように、エピクロスの死に対する議論は「死は、もろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが」という主張が大前提のようにドーンと存在していることから始まるんですよ。
 でも、当然のことながら、この「悪しきものに対する恐怖」を中和するために必要な中和剤は、「喪失に対する恐怖」のときに用いた中和剤とは異なります。
 そして、エピクロスは、結果として、ここでみてきたように自らが立脚する原子論的な立場に基づいて、この「悪しきものにたいする恐怖」としての「死の恐怖」を中和するわけですが、ソクラテスとエピクロスの両者で中和すべき恐怖として別々のものが想定されており、なおかつ、その中和の過程も異なっているということは、同時に、両者が提示している「死」を恐れないようにするための方法は万能のものではないということを意味しています。
 具体的に言うと、「死」に対して「喪失に対する恐怖」と同意義の恐怖を抱いている人にとってはソクラテス的な恐怖解消法が役に立ちますが、エピクロスのように「死に対する恐怖」として「悪しきものに対する恐怖」を想定している人にとってはソクラテス的なやり方は単に「的外れ」以外の何ものでもありません。
 この問題を突き詰めると、この2の冒頭で「個人的たわごと」として書いた「倫理を学として成立させることができるのか?」という疑問にまで行き着くと思うんですが、その観点で話を進めると色々と考えなければならないことが出てきそうなので、この手の話題はここで一旦やめにして、ここでは、とりあえず、エピクロスの「死」に対する考え方と、そのエピクロスの考え方がソクラテスの考え方と異なっているのは両者が「死に対する恐怖」として想定している恐怖の質が異なっているからだという点だけを大まかに理解してくだされば十分だと思います。


2-2、快楽主義 〜「エピキュリアン」のもともとの意味〜
 2-1では、エピクロスが「死」についてどのように考えていたのかを概観しましたが、この2-2では「生」に対するエピクロスの見解をみてみましょう。
 どこのバンドでしたっけ、BUCK-TICKでしたっけ、まぁ、はっきりしたことは忘れましたけど、昔どこぞのビジュアル系バンドが

♪エピキュリアン、レッツゴ〜〜♪

って歌ってましたよね!(「よね!」っていわれてもたぶんほとんどの方は知らないと思いますけど…、現にわたし自身もはっきり記憶してるわけじゃないですから……)。
 この歌詞で言われている「エピキュリアン」っていう言葉、これ、もともとは名詞で「エピクロス派」、形容詞で「エピクロス派の」もしくは「エピクロスの」という意味を表す言葉なんですが、今日では完全に「快楽主義」という意味で用いられています。
 ですから当然、先に示したどこぞのビジュアル系バンドの♪エピキュリアン、レッツゴ〜〜♪の「エピキュリアン」も、恐らくは「快楽主義」という意味だと思います。
 「快楽主義」っていうと、なんかねぇ、SEX、ドラッグ、SEX、ドラッグ、SEX、ドラッグ、時々グルメみたいな、ものすごいイメージがありますけど、じゃあ、実際のところ、エピクロスが考えていた理想的な生き方というのは現代で言うところの「快楽主義」と同一のものであったのかどうか検討してみましょう(ていうか、こういう言い方をしている時点で「たぶん違うんだろうなぁ…」っていうことは大体検討がつきますよね)。
 先ずは、例によって以下にあげる引用文を見て下さい。

エピクロス『メイノケウス宛の手紙』127-
 つぎに熟考せねばならないのは、欲望のうち、或るものは自然的であり、他のものは無駄であり、自然的な欲望のうち、或るものは必須なものであるが、他のものはたんに自然的であるにすぎず、さらに、必須な欲望のうち、或るものは幸福を得るために必須であり、或るものは肉体の煩いのないことのために必須であり、他のものは生きることそれ自身のために必須である、ということである。これらの欲望について迷うことのない省察がえられれば、それによって、われわれは、あらゆる選択と忌避とを、身体の健康と心境の平静とへ帰着させることができる。けだし、身体の健康と心境の平静(アタラクシア)こそが祝福ある生の目的だからである。なぜなら、この目的を達するために、つまり、苦しんだり恐怖をいだいたりすることのないために、われわれは全力を尽くすのだからである。ひとたびこの目的が達せられると、霊魂の嵐は全くしずまる。そのときにはもはや、生きているものは、何か彼に欠乏しているものを探そうとして歩き回る必要もなく、霊魂の善と身体の善とを完全に満たしてくれるような何か別に捜し求める必要もないのである。なぜなら、快が現に存しないために苦しんでいるときにこそ、われわれは快を必要とするのであり、<苦しんでいないときには>われわれはもはや快を必要としないからである。
〜中略〜
 それゆえ、快が目的である、とわれわれが言うとき、われわれの意味する快は、―― 一部の人が、われわれの主張に無知であったり、賛同しなかったり、あるいは、誤解したりして考えているのとは違って ―― 道楽者の快でもなければ、性的な享楽のうちに存する快でもなく、じつに、肉体において苦しみのないことと霊魂において乱されない(平静である)こととにほかならない。けだし、快の生活を生み出すものは、つづけざまの飲酒や宴会騒ぎでもなければ、また、美少年や婦女子と遊びたわむれたり、魚肉その他、ぜいたくな食事が差し出すかぎりの美味美食を楽しむたぐいの享楽でもなく、かえって、素面の思考が、つまり、一切の選択と忌避の原因を探し出し、霊魂を捉える極度の動揺の生じるもととなるさまざまな臆見を追い払うところの、素面の思考こそが、快の生活を生み出すのである。

 さて、ちょっと長くなっちゃいましたが、以上がエピクロスが人間の求めるべき目的として「快」という概念を提示している部分です。
 ここで問題となるのは、当然、この「快」の内実ですが、それについて、先の引用文の中でもとりわけ注目して欲しいのは

(1)「身体の健康と心境の平静(アタラクシア)こそが祝福ある生の目的だからである」
(2)「この目的が達せられると、霊魂の嵐は全くしずまる」
(3)「快が目的である」
(4)「一切の選択と忌避の原因を探し出し、霊魂を捉える極度の動揺の生じるもととなるさまざまな臆見を追い払うところの、素面の思考こそが、快の生活を生み出す」

という四箇所です。
 エピクロスは先ず「生の目的」として「身体の健康」と「心境の平静(アタラクシア)」という二つをあげ、これらが達成されると「霊魂の嵐は静まる」としたうえで、「生の目的」を語ったときに使ったのと同じ「目的」という言葉を「快」という言葉で置き換えます。
 つまり、この段階で

「生の目的」=「身体の健康」と「心境の平静(アタラクシア)」=「快」

という図式が形成されているわけです。
 それゆえ、以上のことから、「快」の内実は「身体の健康」と「心境の平静(アタラクシア)」であると考えることができます。
 そして、さらにエピクロスは、この「快」を達成する方法として「素面の思考」(4)というものをあげます。
 引用文をみても分かるように、この「素面の思考」が提示されているのは、飲酒やらSEXやらそういった一般に「快楽」に直結しているとみなされている事柄を「快」へ至る道として否定する文脈であり、この「素面の思考」はこれら諸々のものの代わりに「快」へと導いてくれるものとして提示されています。
 つまり、エピクロスの主張する「快」とは、現代使われている「快楽主義」という言葉でイメージするような「SEX、ドラッグ、SEX、ドラッグ、時々グルメ」みたいな手段によって実現されるものではなく、「素面の思考」という純粋に思弁的な手段によって獲得されるものであり、その意味でエピクロスの目指す「快」は、それを現代的な言葉で表すとすれば、「快楽」という言葉よりもむしろ「平穏さ」といった言葉で表す方が適当であるような概念なんですね。
 エピクロスの生涯を概観したとき、エピクロスがアテナイに庭園を構えたあと、そこから一切表に出ることなく、その場所で思索に励み、その場所で生涯を終えたということを確認しましたよね。
 この極めて個性的な生き方は、エピクロス自身が自らの主張する「快」の概念を実践した結果として生じたものだと考えられます。
 つまり、エピクロスは世の中の雑踏とむやみに関係を持って、自らの心が乱れることを憂慮したんですね。
 そして、自分から積極的に世の中から距離を置いて「引きこもる」ことで、自らの理想に自分自身の生を近づけようとしたんです。
 エピクロスは、ここで検討してきたような「心の平安を志向する積極的引きこもり」のことを「隠れて生きよ」というスローガン的な言葉で表していますが、このように、現実から距離をおいて自らの理想に近づいていこうとする態度は、「現実と切り結んでこそ…!」という考え方を持つ人にとっては受け入れがたいものかもしれません。しかし、極私的な感想を言わせていただくと、エピクロスのような生き方も一つの哲学的な生き方として価値のある生き方だと思いますね。

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