ソクラテス(B.C.469?-B.C.399)
 大学の哲学科という世間的にはあっても無くてもどうでもいいようなものすごく狭〜い狭ぁ〜い狭ぁァ〜〜い領域ではどうだか知りませんが、一般社会でもっとも名前が通っている哲学者は間違いなくソクラテスでしょう。
 しかし、「ソクラテス」という名前のメジャーさ加減とは裏腹に、このソクラテスという人物の実像や彼が主張したと考えられる学説の内実はいまいちはっきりしません。
 結局、ソクラテス自身が著作を記さなかったということが原因なんですが、このコンテンツでは、ソクラテスが著作を残さなかったという事実も含めて、その生涯から、学説、そして、一般に「ソクラテス問題」といわれているソクラテスに特有の困った事柄について概観していきたいと思います。


生涯
 ソクラテスの人格的な内面やその主張の内実という点に関しては先にも示した「ソクラテス問題」という厄介な問題があるのでサクッと書くことができないんですが、ここではとりあえず、ソクラテスの生涯に関する客観的な事実(いつ生まれていつ死んだとかね…)についてチョロッと書いてみたいと思います。
 さて、このソクラテス、紀元前469年にアテナイの地で生まれたとされています。
 父親は石工(石を切り出してきたり、石に彫刻を施したりする職人さんですね)を営むソプロニスコス、母親はお産婆さんをしていたパイナレテといわれています。
 このソプロニスコスという人物、あんまりはっきりしたことはわからないんですが、当時のアテナイではけっこう有力な市民だったらしく、共働き効果もあってかソクラテス一家はかなり裕福な家庭だったようです。
 ところが、そんな裕福な家庭事情もソクラテスの哲学贔屓で一気に傾くことになります。
 幼年時代や青年時代など、若かりし日のソクラテスの実像については全くわかっていませんが、中年に差し掛かったあたりから(もしくはそれ以前から)、ソクラテスはポリスの中のアゴラ(今で言うところの広場みたいなもんです)で若くてルックスのいい男性をつかまえては議論をふっかけるようになります。
 ソクラテスがこのアテナイ市民との対話をどういう意識でやっていたのかは本人でないのでわかりませんが、ソクラテスがこの対話をお金に結びつけることは一切なかったらしく、ある意味、趣味的にやっていたらしいです。
 どんなに家が裕福でも、息子が日がな一日ろくに働きもせずズーッと駄弁っていたら、経済状況は傾いていきますよね。
 ソクラテスの家もドンドン貧乏になっていって、結局、ソクラテス自信もかなり貧しい生活を送ることになってしまいます。
 この状況って、現代でもけっこうありますよね。
 家がある程度裕福なもんだから、大学で哲学なんかを専攻して、さらに、学部でやめておけばいいものをドクターまで進んじゃって、結局はその後も大学に正規雇用されることもなく、人生のデフレスパイラルにハマって落ちぶれていく。
 今も昔も、そんな現状は少なからずあると思いますね。
 結局、哲学なんかやったって、生活には何の足しにもならないんですよ。
 本当に、早いとこ就職した方がいいです。
 さて、激烈な貧乏状態に陥ってしまったソクラテスですが、結局、自分の稼ぎ(そもそも「稼ぐ」っていうことを放棄していたんじゃないかという気がしますが…)だけでは食べていけないので、生活は友人の援助や実家のたくわえに依存して生活していたようです。
 そんな具合で、一般的な日常生活ではダメ人間一直線のソクラテスですが、ペロポネソス戦争に参加するため合計で三回出征しています。
 戦地でのソクラテスは普段のダメ人間っぷりからは想像もつかないような勇猛な戦いぶりでアテナイ市民から賞賛されています。ソクラテスっていうと、なんか、本当に、無駄話ばかりしているバイセクシャルの中年というイメージしかありませんが、こういう一面もあるんですね。
 さて、普段はアゴラで一日中おしゃべりをして、戦地では大活躍という生き様をさらしてきたソクラテスですが、B.C.399年のある日、ソクラテスは突如としてメレトスという若者に告発されてしまいます。
 罪状は「国家の認める神々を認めず、それとは異なる新たな神を取り入れている」ということと、「若者を堕落させている」ということの二点です。
 「不敬神とは何か?」とか、「堕落とは何か?」とか、そういったことは個々人の判断によって多様ですから、ここでソクラテスの実際の行動が本当に不敬神であったのかとか、本当に若者を堕落させるようなものであったのかということを議論するのは無意味です。
 とにかく、ソクラテスの実際の行動がどうこうではなく(「若者を堕落させた」っていうのはなんとなくあたっているような気がしますが…」)、現実に、ソクラテスはメレトスにこれら二つの罪状で告発されたんですね。
 ところが、この告発、どうやら裏があったようなんです。
 この当時のアテナイは、三十人政権という暴力政治が終わって、再び民主制が回復された時期でした。この民主制回復の立役者はアニュトスという人物なんですが、どうやら、このアニュトスの身近にいた人物、まぁ、アニュトス一派なんていう言い方をしてもいいかもしれませんけど、そういったアニュトス一派の中の誰かがメレトスを裏で操ってソクラテスを告発したらしいんです。
 「なんでそんな民主制の立役者がソクラテスを告発しなきゃいけないんだ?」という疑問が湧くと思うんですが、どうやら、ソクラテスがアゴラで日常的に行っていた議論の相手の中に、クリティアスをはじめとした三十人政権に深く関係していた人物が多数いたらしいんですね。
 つまり、アニュトスの側から見れば、ソクラテスは自分達が倒した三十人政権と深く関係する危険人物だったわけです。
 『ソクラテスの弁明』や『クリトン』といったプラトンの手による対話篇を見てみるとわかることですが、最終的に、ソクラテスはこの告発をきっかけとした裁判で有罪を言い渡され死刑になります。
 以上が、ソクラテスの生涯に起こった事実だけを坦々と並べた結果です。
 裕福な家の子供として生まれたけれども没落して貧乏になり、戦争にも参加して、最終的には訴えられて死刑になるという人生ですから、かなり波乱万丈な人生といっていいと思うんですが、そんな人生の中でソクラテスは何を主張し、何を考えていたのでしょうか?
 これについて言及する際には「ソクラテス問題」という大きな困難が横たわっていますが、ここからは、そんな「ソクラテス問題」も検討しながら、自分自身の著作を残していないソクラテスの主張について概観していきたいと思います。


ソクラテス問題
 このコンテンツのはじめから、なんだかバカの一つ覚えみたいに二言目には「ソクラテス問題」「ソクラテス問題」と繰り返してきましたが、そもそも、ソクラテス問題とは何なんでしょうか?
 先にも書きましたが、ソクラテスは自分自身で書いた著作を残しませんでした。そのため、ソクラテスがどのような人物だったのか、その具体的な人物像を探るためには、他の人が残した著作物に登場するソクラテス像から推測しなければなりません。
 ここまでは、孔子とかイエス・キリストなんかにも同様のことがいえるので、ありがちといえばありがちなんですが、問題なのは、他の人物の著作の中に描かれているソクラテス像が、その著者によって、さらには、同一の著者であっても著述年代によって大きく異なっているという点です。
 よく、テレビのニュース番組で、殺人事件なんかが起こって犯人が捕まったとき、「犯人をよく知っている」とされている人たちがインタビューをうけるじゃないですか。
 そのときに、犯人と同じ職場のAさんが「働きぶりもまじめで、無断欠勤もないし、折り目正しいおとなしい感じの人だったから、あんな事件を起こすなんて信じられない!!」と発言しているのに対して、犯人が昔付き合っていた女性Bさんは「付き合う前は、優しかったけど、体の関係を持ったとたん、人がかわったようになって、日常的に暴力を振るわれていた。今回の事件も、彼ならやるかなって感じですね…」と発言したとします。
 そして、この二人のインタビュー映像が流れた後、カメラがスタジオに戻ってきたとき、おそらくそのニュース番組の司会者は、「犯人の実像に関する証言はこのように複数の人物相互間でかなりの矛盾が見られますが、どういった人物と考えるべきなんでしょうか?どうでしょう?○○さん……」なんてことをいって、コメンテーターに発言を求めるでしょう。
 これと同じ状況がソクラテスにも起こっているんです。
 生前のソクラテスの状況が書かれているのは、主に、直弟子であるプラトンの対話篇と、クセノフォンの手による著作『ソクラテスの思い出』や『ソクラテスの弁明』(プラトンにも同名の著作がありますが一般的に有名なのはプラトンの方です)、そして、喜劇作家であるアリストパネスが残した『雲』という喜劇です。
 これら三者の描き出すソクラテス像はそれぞれに異なっており、もっとも資料的に分量の多いプラトンにいたっては、前期対話篇で描き出されるソクラテスと中期および後期対話篇で描かれるソクラテスに違いがあります。
 このように、ソクラテスの実像に関する著作の記述が相互に異なっていて、実際のソクラテス像がきわめて特定しにくいというのが一般に「ソクラテス問題」と呼ばれる現象です。
 では、これらの人たちが残したソクラテス像は、相互にどのような仕方で異なっているのでしょうか?
 プラトンの著作は分量も多い上に、先にも書いたように著作時期によってソクラテスに対する扱いが違いますから、ここはちょっと置いておいて、まずは、クセノフォンとアリストパネスの著作に見られるソクラテス像の違いについて検討してみましょう。
 両者の著作に見られるソクラテス像の違いをおおざっぱにまとめるとおおよそ以下のようになるのですが、

クセノフォンの著作にみられるソクラテス…学問的な主張を展開するのではなく、ある種の教訓や人生訓のような事柄を述べる人物。
アリストパネスの著作に見られるソクラテス…無宗教の自然学者、ソフィスト的。

これら二つの著作で示されるソクラテスのあり方は、われわれが普段知っている「哲学者ソクラテス」の姿ではありません。
 とりわけ、アリストパネスの喜劇『雲』に描かれるソクラテスのあり方に、この「非哲学者的」な要素が強いんですが、そもそも、アリストパネスの『雲』は、その当時アテナイで流行(?)していたソフィスト達の振る舞いをコミカルに表現することを意図して作られた作品なんですね。
 そして、そんなソフィスト達の筆頭としてソクラテスが登場し、その振る舞いが笑いものにされているわけです。
 ところで、そもそもソフィストってどんな人だったんでしょう?
 「ソフィストとは何か?」という問いに関しては、最近だと慶応大学(2007年12月現在)の納富信留が『ソフィストと哲学者の間』といった大きめの本を書いて議論を展開していますが、そちらの方はこのコンテンツを呼んでいただいている皆さんにご自分で購入して読んでいただくとして、ここでは、哲学という狭い領域で一般的に流布されているソフィストに対するイメージだけを示しておきたいと思います(本音を言うと、「ソフィストとは何か?」なんて事を言い出すと問題が強力すぎて、今の私には太刀打ちできないんですよね…)。
 で、一般的に知られるソフィスト像ですが、簡潔に言うと、現代に生きるわれわれが小学校から大学まで慣れ親しんできたいわゆる「先生」にあたるような雰囲気、もしくは、午後のワイドショーなどで司会者の横に座っているコメンテーター的な人々のたたずまいを考えておけばおおよそ間違いないと思います。
 つまり、月謝なり学費なりとにかく何らかの仕方でお金を取って、そのお金と引き換えに一般に「役に立つ」とされている事柄を教える。それがソフィストです。
 当時のアテナイは、外政的には、ペルシア戦争において迫り来る大国の脅威をなんとか押し返し、その後急速に発展していく途上にありましたし、内政的には、国力の発展期であると同時に、アテナイが長年ポリス運営の柱として用いてきた「民主制」という制度がドンドン強化されいく時期でもありました。そして最終的に、アテナイの民主制は「アテナイ市民である」という条件と「成人男子である」という条件の二つさえ満たせば、その家柄や財産の有無に関係なく、どんな人物であっても政治に参加することができるというところまで進展します。
 このように、「誰でも政治に参加できるぞ!!」的な雰囲気が蔓延した場合、当然、それに続いて盛り上がるのは「俺も政治家になろうかなぁ…」という成り上がり的発想です。
 しかし、誰も彼もが政治家になろうと思ったところで、やっぱり、政治家になるためにはそれなりの能力というか、技術が必要になるわけです。
 そこで、ソフィストが登場します。
 当時、政治家に必要な能力とされていたのは、一般大衆を前にして自らの主張を堂々と、尚且つ、説得力のある仕方で披露する弁論の技術でした。
 当然、この弁論の技術には修辞的な技法などもかかわってくるわけですが、ソフィストたちはこの政治家として必須の能力とされていた弁論の能力について、それを教えることができると自称して活躍していた人たちでした。
 もちろん、プラトンの対話篇『メノン』で指摘されているように、当時のソフィストたちは表立って「弁論術教えます!!」と看板に書いて生徒を集めていたのではなく、むしろ、表看板には「徳、教えます!!」と書いて、社会的に地位のあるお金持ちの息子達を生徒として集めていたらしいのですが、実際に彼らが教えていたのは、「徳」と呼ばれるものではなく、具体的な弁論の技術だったようです。
 さて、そんなソフィスト達のあり方を面白おかしく表現することを意図して書かれたのがアリストパネスの『雲』ですが、ここで問題となるのは、そういう意図で描かれた作品の中にソクラテスが登場しているという事実です。つまり、この喜劇の中でソクラテスは「哲学者」としてではなく完全に「ソフィスト」として扱われているんですね。
 『雲』は今日までその資料が残っているぐらいですから、その当時もある程度の人気を博したと考えれれますが、ソクラテスがソフィストとして登場する喜劇が人気を博したということは、作者であるアリストパネスだけでなく当時のアテナイ市民たちの間に「ソクラテス=ソフィスト」という図式がある程度確立していたということを意味します。
 それゆえ、以上のことから、アリストパネスの著作が示してくれているソクラテス像として「ソフィストとしてのソクラテス」というものが考えられますし、このようなソクラテス像は当時のアテナイではある程度の説得力を持って流通していた考え方だったように思われます。
 続いて、クセノフォンの手による『ソクラテスの思い出』および『ソクラテスの弁明』に描き出されるソクラテスについてみていきましょう。
 先に、クセノフォンが提示するソクラテス像について「学問的な主張を展開するのではなく、ある種の教訓や人生訓のような事柄を述べる人物」と書きましたが、この人生訓を述べる人物としてのソクラテス像は、同じソクラテスを扱った著作の中でもプラトンの著作と同名である『ソクラテスの弁明』よりも『ソクラテスの思い出』の方に顕著です。
 この著作は、ソクラテスの周りで何かが起こったときソクラテスがどのように振舞ったのかということを坦々と記述した言行録なんですが、この著作の中に登場するソクラテスは「哲学的」と思われるような主張をほとんど展開しません。
 もちろん、後々詳述する「エレンコス」というソクラテスに独特の議論の方法は使っているのですが、その議論が向かう方向性は「哲学者ソクラテス」が追い求めたより高次のものへと向かうものではなく、あくまでも現世の事柄のみに終始します。
 そういった意味で、このクセノフォンが描き出すソクラテス像はプラトンが示すような「哲学者」ではなく、どこかこう、世俗的というか、テレビで一般人に説教している芸能人のような印象を与えます。
 もちろん、一般人に説教している芸能人には「論証」といえるようなものはほとんど無く、単に自分の人生経験をぶちまけているだけだと思いますから、その点はソクラテスの議論とだいぶ異なるのですが、しかし、「人生における教訓」めいたことを述べているという点では似通ったものがあります。
 さて、最後に、プラトンが自らの著作の中で示しているソクラテス象についてみてみましょう。
 ソクラテスの実像について最も多くの情報を得られるのはプラトンの著作からであり、そこに書かれているソクラテス像は、アリストパネスが描き出すソフィスト的なあり方でもなければ、クセノフォンが描き出す人生論的訓戒を述べる人といったあり方でもなく、われわれになじみのある「哲学者」としてのあり方です。
 プラトンはまず、前期対話篇の中でアリストパネスが示しているソフィストとしてのソクラテスというイメージを徹底的に払拭します。作中のソクラテスにソフィストに対する文句を言わせたり、ソクラテスと他の人々との対話を描き出すことで、ソクラテスの活動がソフィストのそれとは全く違うものであったということを知らしめたり、まぁ、色々やるわけです。
 そして、その甲斐あって、アリストパネス的なソクラテス像は後世には伝わることなく、「哲学者ソクラテス」というおなじみのソクラテス像が現代まで生き残っているんですね。
 そんな哲学者ソクラテスのあり方を示してくれているプラトンの対話篇ですが、この項目の最初の方で示したように、プラトンの対話篇に登場するソクラテスの言行は前期対話篇とそれ以後の中後期対話篇で異なります。今日では、その違いについてブラストス(Vlastos)という人がうまいことまとめてくれていますので、このコンテンツでは、ブラストスによるまとめをさらにまとめて一覧表の形式にすることで簡潔に紹介していきたいと思います。
 ちなみに、以下に示す表の中で用いられているS1とは前期対話篇のソクラテスを意味し、S2とは中期対話篇以後のソクラテスを意味します。

ブラストスによる前期対話篇のソクラテスとそれ以後の対話篇におけるソクラテスの相違分類
1、関心領域S1道徳的な領域にのみ関心を抱く
S2存在論や認識論といった形而上学的な(哲学的な?)領域にも関心を持つ
2、数学的知識に対する態度S1数学的な知識を持っていると伺える描写がない。また、数学と哲学を結びつけることもない。
S2『国家』の第7巻などにみられるように、数学的な知識を持ち、なおかつ、哲学と数学を結びつける
3、哲学的生S1万人が哲学的生を生きるべきであり、吟味(これについては後で説明します)の無い生は無意味
S2最良の社会においては、他者を導くような善悪にかかわる議論をするのはエリート層に限られるべき
4、魂に対する見解S1魂について「それは何であるか?」という形式の議論をもちださない。いいかえるならば、魂を哲学的な問題としていない。もう少し厳密に言うと、初期対話篇のソクラテスは、魂に関する一定の信念を持っているが、魂に対する論証的な議論を展開しようとはしない
S2『メノン』における「想起」の議論に見られるように、魂の不死に関する論証を行う
5、イデア論に関する主張S1具体的なもの(「美」や「善」など…)について「それは何であるか?」という問いが立てられるが、「美そのもの」や「善そのもの」といったイデア的なものを直接的に対象とした議論はなされない。
S2「美そのもの」や「善そのもの」といったものに対して直接的な議論が展開される。また、これらのものに対して「自体的な存在」という言い方がなされ、前期対話篇においては「それは何であるか」という呼び方であったのに対して、中期対話篇以降、明確に「イデア」という名前で呼ばれる。
6、神的存在に対する態度S1ホメロスやヘシオドスが提示するようなギリシアの伝統的な神々を信仰していると同時に、自らの内にある「ダイモン」を強く信頼している。
S2人間の魂は真の実在であるイデアと同等の存在であり、人間の体と結びつく前の段階では、それら諸々のイデアを見ることができると主張する。この主張は伝統的な神話的考え方を超えている。
7、政治的見解S1アテナイの法律に強い愛着を示し、アテナイというポリスに対して批判的な態度をとらない。また、政治的な発言も行わない。
S2『国家』にみられるように、家族のあり方や経済のあり方、そしてポリス全体の統治のあり方などについて、現実の社会とは大きく異なる理想的国家像を提示する。「哲人王」などに見られるように、ポリス内の活動は哲学的な教育を受けたエリートの支配下に置かれるべきであると主張した。また、アテナイの民主制についても、堕落した形態であるとして容赦なく批判した。
8、魂の三分割S1道徳的な行為は対象について「それが何であるか」を十分に知ることによって生じるとした。例えば、「節制とは何であるか」ということが十分にわかっているからこそ「節度ある生」がおくれると考えた。
S2理知的部分、気概的部分、欲望的部分という魂の三区分を唱えた。これら三つの部分はそれぞれ独立で働くが、理知的部分が主導権を握って三者の動きを調和させることで、人間の善き行為は実現すると考えた。
9、知識論(?)S1一般社会において「知恵を持つ」とされている人々に対して懐疑的な態度をとる。また、自分自身の知識に対しても「本当のことは知らない」と主張し、懐疑的な立場をとっている。
S2哲学を修めたものは「善そのもの」を明確に認識できると主張し、そんな「善そのもの」を認識できる哲学車こそがポリスの指導者となるべきであると主張する。
10、哲学の方法S1一般に「ソクラテスのエレンコス(吟味、論駁)」と呼ばれる仕方で探究を行う。この探求が行われる際には三段論法や帰納法といった方法が用いられるが、探究の手段は言葉による問答に限定されている。
S2ディアレクティケー(問答法)にのっとった仕方で哲学的探究を行う。イデアなど現実を超越した存在に対する議論を展開する。

 このような仕方で、ブラストスは前期対話篇のソクラテスとそれ以後の対話篇におけるソクラテスのあり方を比較検討したわけですが、ブラストス自身は自らが分析したこの結果から、初期対話篇に登場するソクラテスのあり方が歴史的なソクラテスのあり方であり、中期対話篇以降に登場するソクラテスは対話篇の著者であるプラトン自身の思想を語らせられているだけであると考えました。
 このようにみてみると、私個人としては、ブラストスの考え方に特に問題があるとは思えませんが、やはり、真実のソクラテスの姿というのは闇の中という感じがしますね。
 確かに、プラトンの対話篇に描かれるソクラテスのあり方は哲学者のそれですが、他方、アリストパネスのようにソクラテスをソフィストと同一視していた人も少なからずいたわけですし…、結局、ソクラテスが何ものであったかっていうのは、実際のところ、「見る人によって違う」というものすごくあいまいなことしかいえないような気がします。
 実際、年代的なことを考えると、アリストパネスは若かりし頃のソクラテスのことも知っていますが、プラトンやクセノフォンは年齢的に中年期以後のソクラテスのことしか知らないはずです。ですから、若き日のソクラテスを知っているアリストパネスがソフィストとしてのあり方を描いて、中年から晩年までのソクラテスを知っているプラトンが哲学者としてのソクラテス像を提示したとしても、それは、両者ともにソクラテス像としては正しいのであって、むしろ、ソクラテスの方がその知的活動のあり方を年齢が進むにしたがって少しずつ変えていったという可能性もありえます。
 そして、仮に、ソクラテス自信のあり方のほうが変わっているとしたら、そこに固定的なソクラテス象を求めること自体が間違いということになります。ですから、正直、わかんないんですよね。ソクラテスがどういう人だったのか…
 もちろん、「ソクラテス自身が提示した学説とはどのようなものか?」なんていう問いを立てた場合には、「そんなあいまいなことを言ってたんじゃ困る!!!!」というお怒りの声が上がるかもしれませんが、それでもねぇ…。
 やっぱり、人間がイデアを見ることが難しいのと同様に、「ソクラテスそのもの」をつかまえるのも難しいですよね。


ソクラテスのエレンコス
 「ソクラテス問題」の項目で書いたように、ソクラテスの学説に関しては、どれがソクラテスにオリジナルの学説で、どれがソクラテスの口を借りて語っているプラトンの学説なのかということを峻別するのがきわめて困難です
 ですから、このコンテンツではソクラテスの学説について検討することは避けて(本音を言うと、私の能力ではできません。ごめんなさい。)、ソクラテスの探究方法について概観したいと思います。
 とはいえ、「ソクラテスの生涯」の項目で見たように、ソクラテスは本を書いたりせずにただひたすらしゃべっていたので、「探究」という行為も誰か他の人との対話によって行っていたことになります。ですから、ここで示す探究方法というのも、広い意味では「会話の仕方」に属するものだと考えていただいてけっこうです。
 そんなソクラテスの探究方法ですが、このやり方は一般に「エレンコス」と呼ばれています。
 そもそも「エレンコス」とは「論駁」や「吟味」といった意味を持っていますが、ソクラテスはどのような手順を踏んで、この「エレンコス」を行っていたのでしょうか。
 その過程を形式的に追いかけると以下のようになります。

1、検討すべき命題Aが対話相手から提出される。
2、ソクラテスはAを直接検討するのではなく、他の命題BやCを提出し、それに対して対話者から同意を得る。
3、BやCに対話者が同意したことを受けて、Aの否定命題not Aを提出する。

 これが、ある命題Aについてソクラテスが吟味を行う過程ですが、この書き方だとちょっとわかりにくいですよね。具体的な事例を使って書き換えて見ましょう。

(1)検討すべき命題「食事の回数が多い人は太る」が対話相手から提出される。
(2)ソクラテスは「食事の回数が多い人は太る」を直接検討するのではなく、別の命題「相撲取りは太っている」について検討し、「一日に2回しか食事をしない相撲取りが太っているということを君は認めるかね」と対話相手に問いかけ、対話相手はその問いかけに対して、「同意します、ソクラテス」と応じる。
(3)「相撲取りは太っている」について対話相手が同意したことを受けて、ソクラテスは「食事の回数が多い人が太るのではない」すなわち「太るのは食事の回数が原因なのではなく、食べる量や食べるもの、そして、運動の量が原因なのだ」というもともとの命題を否定する命題を主張する。

 これがソクラテスのエレンコスの具体例です。
 このように、ソクラテスはある主題について対話相手から何らかの命題が示された際に、その主題と関係した他の命題を提示して、その新たな命題に対話相手を同意させることで、もともと対話相手が主張していた命題とは別の異なる命題を自分の側から再提示するという方法をとっているんですね。
 しかし、ソクラテスに特徴的なのは、最終的に自分自身が提示した新たな命題にとどまることなく、今度はその命題をたたき台にして新たにエレンコスを行い、更なる命題へと移行していくという点です。
 そして、そのようなエレンコスの過程を繰り返してソクラテスは真理の高みへ近づこうとしたんですね。


ソクラテスの哲学史的意味
 なんとなく抽象的な小見出しですが、ここでは、これまで検討してきたソクラテス以前の自然学の伝統の観点から見て、ソクラテスという存在がどのような意味を持っていたのかということについて検討します。
 「ソクラテス以前」という表現を見てもわかるように、哲学の流れはソクラテスを境にして大きく変化することになります。では、「どのように変化したのか?」ということが問題となるわけですが、その点に関しては以下に引用するプラトンの対話篇『パイドン』にみられる「アナクサゴラスへの失望」と「ソクラテスが牢獄にいる理由」に関する一節が実にうまいこと表現してくれています。

パイドン97d
「わたしは、およそ存在するものの原因を、私の意にかなった仕方で教えてくれる人を、ついに見つけだした、それはアナクサゴラスに他ならない、とおもいよろこんだのであった。そこでまず彼はわたしに、“大地は平面であるのかそれとも球状であるのか”を、告げしらせてくれるだろう。そしてそれを告げるときには、その原因と必然性をきっとくわしく述べてくれるだろう。それはまさに、よりよいということ(善)を、問題とし、大地はそのようにあるのがよりよいあり方だったのだ、と語ることによってである。さらに彼がもし、“大地は全ての中心にある”と主張するのであれば、なぜ、大地が中心にあるということが、他のあり方よりもよりよいことだったのかを、さらに詳しく述べてくれるだろう。で、もしも以上のようなことを、アナクサゴラスが明らかにしてくれるのなら、他の種類の原因などを望むことはもはや決してあるまいと、こうわたしは心に思っていたのだ。そしてほかならぬ、太陽についても、さらには、月やその他の星辰についても、それらの相対的な運行速度とか、またその運行のもつ回帰点とか、その他の[天体の]諸現象に関して、おなじように教えてもらえるものと、こう思っていたのだ。つまり、そのおのおのがそれらの作用をなし、また何であれ他からの作用を受ける場合に、いったいいかなる仕方でそれらがあるのが、まさによりよいことなのかを、述べてくれるものとねえ。なぜなら、これらのものが、ヌゥス(知性)によって、すっかり秩序づけられていると主張する以上は、<現にあるような仕方で、あることが、それらにとっての最高の善なのだ>という原因をさしおいて、何か別の原因をこれらの事柄に、彼が与えようとは、思ってもみなかったからだ。そこで、彼が、以上のようなものの一つ一つにその原因を与え、また万有に共通の原因を与える際には、おのおのにとっての最高の善ということと、さらには万有に共通善であるものを、くわしく述べてくれるだろうと思っていたのだ。まことにその期待たるや、いかほどの価にも、換えがたいものと思っていたのに!いや、なにをさておいてもとばかりに、その書物を取り上げ、一刻もはやく、その最善ということと劣悪ということが知りたいと、できるだけいそいで読んでいったのだった。ところがああ、これほどの期待からも、友よ、わたしはつき放されて、むなしく遠ざからざるを得なかったのだ。この書物を読み進んでいくにつれ、ヌゥス(知性)をなんら役立てず、諸々の物事を一つに秩序づけるいかなる原因も、それに帰することなく、かえって、気(空気)とかアイテールとか水とかその他にも多くのまさに場外れなもの!を持ち出して、それらを原因だとする、そのような男を見つけたときにはねえ。」

 このような仕方でソクラテスはアナクサゴラスの学説に対する失望を語り、また、この本当にすぐ後の箇所で、こんどは、自分がアナクサゴラス説に絶望した理由を「自分がなぜ今この牢獄に座っているのか」という比喩を用いて説明しています。再び引用で恐縮ですがお付き合いください。

パイドン98c
「――ソクラテスは、そのすべての行為を、ヌゥス(知性)によってなしている――といっておきながら、さてわたしのなす個々の行為についてその原因を語ろうとするくだりになると、まず、今ここに座っていること、の原因について、こう語るとしてみたまえ。――ソクラテスの身体をつくっているのものに、骨と腱がある。骨は、固く、各片は分離されて、関節のところでつながっている。他方、腱は伸縮自在なものであり、それが、肉やまた以上の全部を一つに保持する皮膚とともに、骨を包んでいる。さて、そこで骨が、それの結合部において自由な動きをなすときに、腱が伸縮して、わたしがいま四肢を曲げるようなことを可能にするのであり、そしてじつにこの原因によって、わたしはいまここに脚をまげて坐っているのである――さらにまた、いま、君達と話し合っていることについても、それと似たことを原因として語るのだ。つまり、音声とか空気とか聴覚とか他にもそんなものを無数に持ち出す。そして、真に『原因』であるものは、これをいわずに放っておくのだ。いやそれは、ほかでもない、――アテナイの人たちが、わたしに有罪の判決を下す方が、<よい>と思ったこと、そしてそれ故に、わたしとしても、ここに坐っている方が、<よい>と判断したこと、そして彼らの命ずる刑罰ならなにであれ、この地に留まってそれを受けることのほうが、<正しい>と判断したこと――によるのである。」

 さて、二つの大きな引用文をみていただきましたが、これら二つの引用文はなにを意味するのでしょうか?
 「なにを意味するのか?」といっても、実は、この箇所は読む人によってかなり広く解釈できる箇所なので、意味を一つに限定するというのはかなり難しいのですが、一つ確実なのは、ソクラテスが自分に先立つ人々、すなわち、タレスやアナクシマンドロス、エンペドクレス、デモクリトスといった自然学者たちが提示した「原因」の概念とはまったく別のものを「原因」として取り入れていたということです。
 ソクラテス以前に関する項目を読んでいただいた方はもうおわかりかと思いますが、ソクラテス以前の人々は、基本的には、世の中のあらゆる事象を自然学的な用語と概念で説明しようとしました。
 しかし、ソクラテスは、何らかの事柄が成立しているということの「原因」を自然学的な部分とは全く異なる部分に求めました。
 それがこの引用文中で「善」と呼ばれているものです。
 ソクラテスにとって、天体などの自然物がいまあるようにあるのはそのようにあるのが最も善いからであり、人間がいましているように行為しているのはそのように行為するのが他の人々にとっても自分自身にとっても最も善いからである。
 これが、ソクラテスが様々な事象に原因として取り入れた「善」のあり方です。
 これは、今日のわれわれからするとかなり奇妙な感じがしますが、しかし、そんな奇妙な感じを抱くと同時に、「なんかちょっとわかる…」という気もしませんか?
 特に、二つ目の引用文で示される「ソクラテスが牢獄にいる理由」についてはかなり賛同を得られると思うのですがどうでしょうか?
 実際、例えば、わたし達がカツ丼を食べているときに、「あなたがいまカツ丼を食べているのは、血液中の血糖値がさがったことによって空腹状態を脳が感じているからであり、実際に、それを食べる際には、腕の筋肉が伸縮することによって、箸と呼ばれる二本の木の棒で、米、肉、脂、コロモ等を口腔内に運び入れ、口の周辺にある筋肉を使ってそれを咀嚼し、胃に送り、そこで胃液によって…」という仕方で説明されてもちょっとピンときませんよね。
 それよりもむしろ、「食べたいから食べてるんでしょ」と冷たく言い放たれる方が「うん!!」て素直にいえますよね。
 話が多少それましたが、このようにしてソクラテスは、自分に先立つ人々が原因として提出した自然学的な概念とは全く別な要素を「原因」として提示したんです。
 ソクラテス個人について研究するというのであれば、その切り口は多用だと思いますが、「哲学史」という観点からソクラテスを見た場合、その最も大きな意味合いは、この「原因」にかかわる部分だと思います。
 そして、このソクラテスの存在によって、哲学の歴史は自然学的な方向から大きくその方向性を変えて、いわゆる、メタフィジカルな方向に進んでいくことになるわけです。
 以上でソクラテスのコンテンツは終了ですが、最後にちょっとだけ、一言付け足したいと思います。
 さっき、二つの引用文を検討する際に、「この箇所は読む人によってかなり広く解釈できる箇所なので、意味を一つに限定するというのはかなり難しい」と書いたことを覚えていらっしゃるでしょうか?
 ここで、そんな多様な解釈の中の一つをチョロッと紹介させていただきます。
 今日、哲学の花形というと「脳」や「心」といったものと密接な関係を持つ「認知科学」および「心の哲学」だと思うのですが、これら二つの分野できわめて大きな問題として扱われているものに「心脳問題」があります。
 この「心脳問題」は現代哲学に固有の問題ではなく、哲学の歴史上長年問題とされている「心身問題」というものがその前進として存在していました。
 ここで紹介する多様な解釈の一つとは、この一節を「心身問題」において物理主義的な還元主義が陥る困難の端緒として解釈するものです。
 突然ですが哲学の劇場というサイトをご存知でしょうか?
 リンクを張っておいたので、ご存じない方は一度のぞいてみるのも楽しいと思うのですが、このサイトを運営している山本貴光氏と吉川浩満氏の共著に『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』という作品があります。
 この著作の中で、両氏は先に示した引用文の二つ目の方(「ソクラテスが牢獄にいる理由」の方ですね)を「心脳問題」なかでもとりわけ「脳還元主義」と関連付けて、還元主義者が陥る困難の端緒を巧みに描き出している箇所と解釈しています。
 たぶん、古代哲学系ドップリの人達はこの箇所を「原因としての善の導入」としてしか解釈しないと思うので、山本・吉川両氏のような現代的な観点からの解釈は、哲学的な視野を広めるという意味でも、また、ソクラテスという傑出した人物を「古代」という空間に無理やり押し込まずに広く開放してあげるという意味でも実に有益だと思います。
 別に宣伝するわけじゃないですけど、この『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』という本は、哲学もしくは思想系の著作としては近年まれに見る「役に立つ」本だと思います。
 もちろん、あれですよ、この「役に立つ」っていうのはアイロニカルな意味じゃないですよ。本当に、心から「これ、けっこういいなぁ…」と思ってますよ。
 私は心の哲学や認知科学系の本をチョロッと読んだ後でこの本を読んだんですが、先にこっちの方を読んでおいて、それから専門的な著作にあたればもっと理解が深まっただろうなぁと思います。
 もしも、「心脳問題」関係に興味がある方で、まだこの作品を読んでいない方(特に、これからそっち方面を勉強していこうと思っている方)は、一度読んでみる価値のある作品だと思います。
 さて、最後の方で多少横道にそれましたが、以上でソクラテスに対する言及は終わりです。
 ソクラテスという人物はその実像がなかなかつかみにくい上に、手ごろな入門書の類も他の哲学者に比べると少ないので(「無い」わけじゃないですよ、「少ない」だけです…。あっ、でも、手に入りにくくなってるのかな…)、名前のメジャーっぷりとは裏腹に意外と知られていない哲学者の一人です。
 今後、どこぞの偉い人がソクラテス関係の著作を書いて、それをみんなが触れやすいようにネット上にアップしてくれることを願ってこのコンテンツを閉じたいと思います。
 次は、いよいよ、プラトンです。

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