アナクシマンドロス(B.C.610?-B.C.546?)
生涯
ソクラテス以前に関する研究は「時代」との戦いです。
二千数百年という「時代」を経てなおどれだけ信頼できる資料が残っているか。これが大きなポイントになります。
タレスについて書いたときも資料的な意味ではけっこう苦労したんですが、そのタレス以上に資料が残っていないのがこのアナクシマンドロスです。
なかでも、とりわけ、アナクシマンドロスという人物の生涯やそこでのエピソード的なものに関する資料となるとほぼ皆無に近い状態です。
わかっていることといえば、「タレスの弟子であった」、「垂針盤を作った(恥ずかしい話ですが、このコンテンツをUPした2008年5月7日現在、この「垂針盤」というものがどういうものなのか私は知りません。「羅針盤」とは違うの?)」、「観測によって春分・秋分・夏至・冬至を発見した」、「師匠であるタレスが著作を残さなかったのとは違って何冊かの著作を残した」という四つぐらいのものです。
ただ、資料全体を概観してみると、どちらかというと天文学に関して顕著な実績を残したということを示すものが多いので、アナクシマンドロスが天文学的な分野に対して強い興味関心を抱いていたということは疑いの無い事実とみなして問題ないでしょう。
学説
タレスの項目で「水がアルケーである」という主張を確認しましたが、アナクシマンドロスはこのアルケーについて「それは『無限定なもの』だ」と主張します。
ここで当然、「『無限定なもの』ってなんだよ…?」って話になりますよね。
「水」というのも捉まえにくい概念でしたが、そこからさらに具体性を排除して「無限定なもの」といわれたら余計に混乱しますよね。
しかし、実は、アナクシマンドロスのポイントはこの具体性の無さにあるんです。ちょっと、以下の資料を見て下さい。
DK12A9(シンプリキオス『アリストテレス「自然学」注解』24、13)抜粋
元のもの(始源)は単一であり運動する無限なるものであると語っている人たちの一人であるアナクシマンドロスは、プラクスアデスを父とするミレトスの人で、タレスの弟子にして後継者であった。彼は「存在するものの元のもの(始源・アルケー)」すなわち基本要素(ストイケイオン)は「無限定なるもの(ト・アペイロン)である」と語った。
DK11A9(シンプリキオス『アリストテレス「自然学」注解』150、24)
対立相反的なものとは、熱いものと冷たいもの、乾いたものと湿ったものなどのことである。
DK11A9(アリストテレス『自然学』A4、187a20)
ある人たちは、一なるものからそれに内在している対立相反的なものが分離する、としている。例えばアナクシマンドロスや、またエンペドクレスやアナクサゴラスのように一なるものと多なるものの存在を述べた人たちが、そのように言っている。彼ら二人もまた、混合体から他の諸事物を分離させているからである。
これらの資料は、アナクシマンドロスのアルケー探究のやり方を示したものですが、アナクシマンドロスは自然を観察しているとき、自然界には、熱いものと冷たいもの、乾燥しているものと湿っているものといった相互に矛盾する対立物が同時に存在しているという点に着目します。
そして、それら相互矛盾している諸事物がタレスの言うように「水」という特定の単一のものから生まれてくるはずはないと考えます。
具体的にいうと、砂や石のようにまったく水気を感じられないカサカサなものと、果物のようにジューシーなものが、両方とも同じ「水」から生じてくるのはおかしいと考えたんですね。
そして、この「相互矛盾しているものが何か特定のものから発生してくるのはおかしい…」という着想から、「もとのものがなんでもないものだったら、相互矛盾しているものの両方が生まれてくるのではないか…」と考えるに至ったわけです。
「なんでもない」っていうことは「このものは何々である」という仕方で限定されていないということです。
ですから、アナクシマンドロスはあらゆるものがそこから生じてまたそこへと帰っていく「アルケー」について、「それは無限定なものだ」と主張したんです。
このような思考過程を経て、アナクシマンドロスは「アルケー=無限定なもの」という図式を確立したんですが、タレスの主張とアナクシマンドロスの主張を比べると、タレスの主張が自然観察によって獲得された諸々の知識をまとめる仕方で帰納的に引き出されたものであったのに対して、アナクシマンドロスの主張は、その自然観察によって獲得された知識を再検討し、「熱い」「冷たい」といった性質的な対立を見出して、さらにその対立を超え出たものを想定するという観察を超え出た思考から引き出されたものということができるでしょう。
「観察によって獲得された知識を超え出た思考」ということを、哲学的(学問的の方が適切なのかな…?)に発展したとみるのか、それとも、「よけいなことしやがって…」とみるのかは人それぞれだとおもいますし、別にどちらの立場を取ったとしても良くも悪くもないでしょう。
ただ、残された資料から読み取れる一つの事実として、アナクシマンドロスはタレスがやったことに対して、「もう一回ひねりを加えた」と主張することはできるでしょう。