原子論者
レウキッポス(生没年不詳)
デモクリトス(B.C.460?-B.C.370?)
タレスから始まってもうずいぶん長いことソクラテス以前の学説について検討してきましたが、この原子論者の思想を扱ってソクラテス以前は最後になります。
さて、「原子論者」という言葉で人括りにしましたが、一般的に、ソクラテス以前で「原子論者」というと、レウキッポスとデモクリトスという二人の哲学者のことを意味します。
この両者の関係ですが、一般には、レウキッポスが原子論の最も基本的な部分を作り上げ、デモクリトスがその後を引き継いで原子論を大成させたといわれています。
しかし、デモクリトスはともかくレウキッポスに関しては資料が全く残っていませんし、一部(エピクロスなど)では、あたかも昭和三十年代にもてはやされたヒバゴンのように、その存在すら疑われていたようです。
個人的には、確かに少ないとはいえちゃんとした資料は残っているので、レウキッポスという人は間違いなく実在したと思うのですが、でも、その影の薄さは長い哲学の歴史の中でもトップクラスなので、その存在を疑いたくなる気持ちもわからなくはないです。
そんなわけで、レウキッポスに関してはあまりにも影が薄すぎてなんとも言いようがないので、いちいち、生涯と学説に分けてそれについてとやかく書くということはできません。
ですから、レウキッポスに関しては以下にチョロッと書いて終わりということにして、この原子論のコンテンツでは主にデモクリトスを扱おうと思います。
で、レウキッポスですが、この人、本当に何もないんですよね。一応、出身地はトラキア地方のアブデラか、もしくは、タレスなど初期の自然学者たちと同様にミレトスだったのではないかといわれていますが、どちらだったのかはっきりとは特定できません。
また、学説上の師匠もゼノンなどといわれていますが、その主張の内実を検討してみると、ちょっとゼノンとのつながりは薄いような気がします…。
他には……、特に…、ないですね………。
一応、宇宙論に関してチョロッと学説めいたものが記載されている資料もないわけではないんですが、デモクリトスとレウキッポスとの峻別が困難ですし、その資料がどれほど信憑性のあるものなのかもわからないので、ここでは特に取り上げません。
以上でレウキッポスは終わりです。
「早ッ!!」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、ほんとうに資料が少ないのでどうしようもないんですよ。
さて、気を取り直して、ここからは、古代原子論の大成者であるデモクリトスについて検討していきたいと思います。
このデモクリトスは、ソクラテス以前の中で最も多くの資料が残存している哲学者です(ちなみに、二番目に多いのはエンペドクレス)。
ですから、そういった意味では、かなり詳しくその生涯や学説をたどることができるので、ここはソクラテス以前の総まとめ的な意味も込めてガッツリみていくことにしましょう。
生涯
デモクリトスの生涯については、ヘラクレイトスやエンペドクレスのような強烈なエピソードこそ残っていないものの、比較的多くの事柄が伝えられていて、その人物像も大まかにではありますが把握することができます。
出身地はトラキア地方のアブデラ。父親の名前はいくつか伝承がありますが、ヘゲシストラトス、アテノクリトス、ダマシッポスという三人の名前が挙げられています。
さて、資料がたくさん残っているということで、様々な角度から切り込んでいけるデモクリトスですが、先ずはその著作についてみてみましょう。
デモクリトスはタレスやピュタゴラス、それに、デモクリトスと同時代を生きたソクラテスなどとは対照的に、非常に多くの著作を残したとされています。
どれが本物でどれが偽者なのかは定かではありませんが、以下に示すように、数にして50冊以上、しかもありとあらゆるテーマについて著作を残しています。
『ピュタゴラス』『ハデスにいる者たちについて』『トリートゲネイア』『男の卓越性について、あるいは徳について』『アマルテイアの角』『快活さについて』『倫理学覚書』『大宇宙体系』『小宇宙体系』『世界形状論』『諸惑星について』『自然について、第一』『人間の本性について、第二』『知性について』『感覚について』『味について』『色について』『種々の形態について』『形態の変換について』『学説の補強』『映像について、あるいは、予知について』『論理学上の基準について、三巻』『原因雑纂』『磁石について』『意見の相違について、あるいは、円や球との接触について』『幾何学について』『幾何学の諸問題』『数』『通約不可能な線分と立体について、二巻』『投影図』『大年、あるいは、天文学、暦』『水時計と天との争い』『天界の記述』『大地の記述』『極地の記述』『光線論』『韻律と調和について』『詩作について』『詩句の美しさについて』『発音しやすい文字と発音しにくい文字について』『ホメロス論、あるいは、正しい措辞と稀語について』『歌について』『語句論』『語彙集』『予後』『養生について、あるいは、養生論』『医療の心得』『時期はずれのものと季節にかなったものに関する諸原因』『農業について、あるいは、土地測定論』『絵画について』『戦術論、および、重装戦闘論』
もちろん、これら全てがデモクリトスの著作であったという確証はありませんが、仮に、著作量がこれの半分であったとしてもかなりの量ですよね。
また、伝承によると、プラトンはデモクリトスのことを激烈に嫌っていたらしいですが、アリストテレスは極めて高く評価していたようです。
この著作の幅を見ると、デモクリトスは、後世になって万学の祖とよばれ極めて多様な事柄について思索を展開したアリストテレスと、物事に対する興味の持ち方という点で似通っていたのかもしれませんね。
続いて、デモクリトスを語る上で欠かすことのできないのが、「旅行」という要素です。
このデモクリトス、かなりの旅行好きだったようで、アテナイ、エジプト、ペルシア、紅海、インド、エチオピアなどなど、実に様々なところに出向いて、その土地のお坊さんや神官といった当時のインテリ層(ヨーロッパ中世では修道院が学問の中心になっていましたし、日本でも、一昔前は学問といえば主にお寺で行われていましたよね)と交流を深め、幾何学、神学、天文学といった異国の進んだ学問を貪欲に吸収していったようです。お父さんがある程度金持ちだったらしく、亡くなったときにその遺産を相続して、その金を使って旅行していたらしいのですが、現代のように交通機関が発達していないにもかかわらず、これだけあっちこっち行ったっていうあたりにデモクリトスの好奇心の強さが伺えますね。
ちなみに、このデモクリトス、父親の遺産を継いだところまではよかったんですけど、あまりにも旅行ばっかりしていたもんだから、その遺産をすぐに使い切っちゃったらしいんですね。旅行から帰ってきた後は兄弟のダマソスという人物に養われていたようなんですが、所詮は居候的なポジションですから、生活的にはかなり苦しかったようです。
これまでの哲学者を見ていて思うんですけど、哲学者って金持ちがいませんよね。
タレスはオリーブ搾り機で一山当てましたから、ある程度裕福だったと思うんですけど、それ以外はなんかいまいちパッとしない感じですよね。
いつまでたってもブラウン管テレビで、プラズマなんて夢のまた夢みたいな、そんな感じの生活をしている人が多いような気がしますね。
これって、古代に限ったことではなく時代を下ってみても、哲学者で金持ちって…、思いつかないですよね。
ヴィドゲンシュタインは例外的に「超」がつくほどの大金持ちでしたけど、最終的には、自分から進んで貧乏路線に進んで行きましたし、やっぱり、哲学者と金っていまいち結びつきませんよね。
ライプニッツあたりは外交官とか色々な仕事をしてたので、蛇口も多くて身入りもそれなりにあったのかなぁという気もしますが、実際のところはどうだったんでしょうね?なんとなく、雰囲気的にヘーゲルあたりがものすごくため込んでた感じがするんですけど……。
ヘーゲルの講義は学生にものすごく人気があったらしいですし、当時のドイツの場合は聴講生が教授に一人一人お金を払うシステムだったらしいので、「聴講者数が多い=お金持ち」という構図が成り立つと思うんですけどね…。
話が思いっきり横にそれましたが、とにかく、デモクリトスは当時の人としては異例なほどあっちこっちに旅行をした人物だったようです。
ただ、デモクリトスの学説の柱となっている原子論に関しては、旅行の最中にどこかの地方のお坊さんあたりから教えられたというものではなく、師匠であるレウキッポスから伝えられたもので、その意味でギリシアの自然学的な伝統に根ざしたものだったようです。
さて、旅行から帰った後、全財産使い果たして貧乏な居候暮らしをしていたデモクリトスですが、周囲の人からは基本的に優秀な人物として評価されていたらしく、自らの著作である『大宇宙体系』を読み上げてお金を貰ったり、若い女の人が一晩あけて処女から女になったのを見抜いたりして(現代なら大セクハラですけどね…)、様々なエピソードを残しながら平穏に暮らしていたようです。
当時としては異例なほど長生きだったらしく、いくつかの資料では「100歳を超えても生きていた」なんてことがいわれています。古代ギリシアの哲学者には、現代的な感覚でみても長生きの人が多いので、デモクリトスが100歳以上生きていたというのも不可能ではないとは思いますが、でも、さすがにここまで長生きとなるとちょっと疑わしいですね。
まぁ、でも、それでも80〜90歳ぐらいまでは生きていたようですから、十分長生きの部類に入るでしょう。
「欲情することなしに女を見れなかったから」だとか、「思索の邪魔になるから」だとか、いくつかの理由は挙げられていますが、晩年は自らの意思で目をつぶし、盲目の人として生きていたようです。
また、死ぬときも、自分の死期をおおよそ悟っていたらしく、食事の量を毎日少しずつ切り詰めるなどして、自分の方から死に向かって行ったようです。
このように、他の哲学者達と比べると、どちらかといえば、平穏で幸せな人生を送ったように思えるデモクリトスですが、性格的にも温厚で人あたりのいい人だったようです。
ヘラクレイトスの項目を見たときに、ヘラクレイトスが性格的に破綻していて、他人を見下し、いつもなぞなぞのようなことばかり言ってしかめっ面をしていたことから「暗い人」と呼ばれていたということを書きましたが、そんなヘラクレイトスとは対照的に、デモクリトスは「笑う人」といわれていました。
もちろん、この笑いが本当に朗らかなエビス顔だったのかどうかは今となってはわかりません。もしかしたら、他人を蔑んだようなニタニタした笑いだったかもしれませんし、なんとなく鼻につく馬鹿笑いだったのかもしれません。
でも、あちこち旅行をしたときに、すぐに現地の人の弟子になれたっていうことを考えると、やはり、親しみやすい性格をしていたんじゃないかと思います。
やっぱり、ヘラクレイトス的な人は、例え「弟子になりたい!」と言ってきても、あんまり身近にいて欲しくないじゃないんですか。
ですから、それを考えると、ヘラクレイトスとは対照的な穏やかな人物だったと考えてまず間違いないんじゃないでしょうか。
さて、以上が、デモクリトスのおおまかな人物像です。
資料が多いので、こちらも書きやすいですし、読んでらっしゃる方もデモクリトスの人物像がそれまでの哲学者達と比べて把握しやすかったんじゃないでしょうか。
生涯を大まかに概観したところで、ここから先はデモクリトスの学説について検討していきたいと思います。
原子論はソクラテス以前の総決算的な意味あいをもっているといわれていて、そこだけ聞くとなんとなく取っ付きにくそうですが、現代の科学的な知識をもつ我々からすると、そこで展開されている主張は、恐らく、古代哲学の中でも最もスンナリ理解できるものだと思います。
学説
デモクリトスの学説は大まかに分けて自然学と倫理学の二つに分かれます。
これまでのソクラテス以前の流れをみると自然学系の学説ばっかりでしたし、デモクリトスっていうとどうしても原子論のイメージが強いので、倫理学っていわれてもいまいちピンとこないかもしれませんが、デモクリトスに関する資料の中で、今日まで一番多く残っているのは、じつは、倫理学に関するものなんですね。
ですから、このコンテンツでは、デモクリトスの学説を自然学(要は原子論ですが…)と倫理学の二つに分けて紹介していきたいと思います。
1、デモクリトスの自然学
1-1、アトム
ここからはデモクリトスの自然学を見ていきますが、デモクリトスは自然万有のアルケーとしてアトムと空虚という二種類のものを提出しました。
ここではまず、それら二種類のもののうち、アトムについて説明します。
このアトム、日本語に訳されるときには「原子」といわれますが、もともとは古代ギリシア語で「割ける」という意味を持つ「トメオー」という動詞の分詞が元になって作られたものです。
古代ギリシア語で接頭辞の「ア」は否定の意味を持ちますが、この「アトム」はもともと「ア」「トメオー」、すなわち、「割けられない」という意味なんですね。
デモクリトスはこのアトムの概念をオリジナルのものとして生み出したのではなく、師匠であるレウキッポスから受け継ぎました。
ですから、本来であれば、レウキッポスとデモクリトスとの間にアトムの概念の相違がある可能性があるので、両者の考え方を比較するべきなんでしょうが、先に書いたように、レウキッポスの学説については資料がほとんど残っていないのでなんともいえないんですね。
ですから、ここでは両者の比較といったことはせずに、デモクリトス関係の資料から得られる情報だけを使ってアトムの概念について説明していきます。
先ずは以下の資料を見て下さい。
Test.37
アリストテレスの『デモクリトスについて』からの若干の引用によって、かの人たち[原子論者]の考え方が明らかになるだろう。すなわち「デモクリトスの考えるところによれば、恒常的なものどもの自然本性は、微小な実在であり、数的に無限である。そして、それらに対して別に無限に大きな場所を想定している。彼は、場所のことを「空虚」とか「あらぬもの」とか「無限なるもの」といった名前で呼び、他方、真実在の一つ一つを「もの」(デン)とか「堅密なもの」とか「あるもの」とかと呼んでいる。彼の考えでは、真実在はわれわれの感覚に捉えられないほどにも小さいのである。それらには、あらゆる様相あらゆる形態のものがあり、その大きさもまちまちである。そしてそれらのものからすぐさま、ちょうど文字(ストイケイア)を用いるようにして、目に見えるもの、感覚されうる塊体が生み出され、結合が行われるのである。それらは、非同質性などの上述したような差異性のために、空虚の中で反発しあって運動する。そして、運動しながら落下し絡み合いを演ずると、それによってそれらは接触しあい、相互に接近し合う。もっとも、自然本性においては一つのものであるから、それらから本当の意味では何一つとして生まれ出るわけではない。そもそも二つないしはそれ以上の多数のものが一つのものになるなどということが、愚かでしかないからである。真実在同士が一定の間「纏まりを保っている」ことの原因として、彼は、物体の相互適合と相互把捉とを挙げている。なぜなら、それらのあるものは凹凸がはげしく、あるものは鉤型をしており、また窪みをもったものや突起のあるものもあり、その他無数の違いを持っているからである。そのために、一定時期まではそれら自身をしっかり捉まえ合い「纏まりを保っている」のだが、やがてそれらを取り囲むものによって、何らかのより大きな必然性が立ち現れ、それらを激しく揺さぶり、四散させることになるのである」。デモクリトスはまた、生成およびそれと反対の分解ということを、動物についてのみならず、植物や宇宙全体、要するにありとあらゆる感覚的な事物について語っている。したがって、生成とは分割できないものども(アトム)の結合であり、消滅とはそれらの分解であるとするならば、デモクリトスの場合にも、やはり生成とは質的変化であるということになるであろう。
Test.38
アブデラの人デモクリトスも、ほぼ同じように、充実体と空虚を始原とし、一方をあるもの、他方をあらぬものと呼んだ。すなわち、彼らは諸存在の素材として分割できないものども(アトム)を想定し、それ以外のものをアトムのさまざまな違いによって生み出しているのである。その違いとしては「リュスモス」「トロペー」「ディアティゲー」の三つがある。これは「形状」「向き」「配列」と言うのと同じことである。すなわち、自然本来的に、相似たものは相似たものによって動かされ、類縁的なもの同士はお互いに向かって運動するのであり、またさまざまな形状をしたもののそれぞれが、異なった結合状態におかれると別の様態のものになるのである。それによって彼らは、始源となるものが無限であれば、すべての性状も実在性も、それらが何によって生じまたいかにして生ずるかを、理にかなった仕方で説明しうるであろうと主張した。それゆえ、彼らの言によれば、基本要素を無限であるとする場合にのみ、万事が理路整然としたものとなるのである。そして、アトムには無限の数の形態があるのは、「いかなるものも、このようである以上にあのようであることはない」からだ、と彼らは言う。すなわち、これらを彼らは無限であることの原因としているのである。
ここにあげた二つの資料はどちらもともにシンプリキオスという人が残した文章です。
これらの資料は相互に矛盾する点もありますが、基本的にはアトムの性質を実にうまいこと表現しています。
で、そのアトムの性質ですが、おおよそ以下のようにまとめることができます。
(1)ある(存在する)
(2)不生不滅
(3)充実している(中身がピッチリつまっている)
(4)小さい
(5)数的に無限
(6)形の種類が無限
(7)運動している
(8)不可分
どうでしょう、ここにあげた八つの性質ってなんか、いままでのところで何度か見てきたようなものばかりだと思いませんか。
「ああ、そういえば、あそこにあったよね…」と思い起こしながら、ここからは、これらの性質を一つずつ検討していきましょう。
1-1-1、「ある」「不生不滅」「充実」
ここでは、見出しにも挙げた「ある」「不生不滅」「充実」という三つの性質について検討していきます。
パルメニデスを扱ったときに紹介した「ある」の性質を思い出してもらいたいのですが、これら三つの性質はパルメニデスが「ある」の性質として主張したなかに入っていましたよね(「不可分」っていうのもあったんじゃないか…と思う方もいらっしゃるでしょうが、それはまた後で扱います)。
デモクリトスが探究していたのはそれ以前の人々と同様に自然万有のアルケーですが、そのアルケーが持つべき性質として、デモクリトスはパルメニデスが「ある」と呼ばれるもに付した性質を、これら三つの点に関してはほぼそのまま受け入れたんですね。
先ず、自然界について探求するということは当然その自然界が存在していてくれないと困ります。ですから、デモクリトスは自然界の「もと」であるアルケーに「ある(存在する)」という性質を与えました。
続いて、「ある」とされるものが存在しない状態が考えられるのはまずいという観点から、パルメニデスと同様に、デモクリトスにおいて「ある」とされるもの、すなわち、アトムを「不生不滅」であると規定し、さらに、それらが、脆さと関係を持たないように内的な「充実」を主張したんですね。
これらの性質が与えられることで、デモクリトスのアトムはエレア派の人々が主張した「ある」と同じように決して消滅しないものとなります。
1-1-2、「数的に無限」「形の種類が無限」
(4)をちょっと飛ばして、ここでは(5)と(6)の性質である数的な無限性と形の種類の無限な多様性について説明していきます。
これら二つの概念はデモクリトスにオリジナルなものです。
確かに、エンペドクレスはアルケーとして四元と呼ばれる四つのものを想定していたので、多元論という意味ではデモクリトスと同じですが、エンペドクレスはアルケーの数や種類を「無限」とは語っていませんでしたよね。
また、アナクサゴラスを思い出してみると、彼がアルケーだと主張するスペルマタは「無限に小さなもの」でしたし、中身の混合比も個々のスペルマタによって異なっていましたから、一つの考え方としてそれらが数的に、または種類的に無限に存在していたと考えることは不可能ではないでしょう。
しかし、アナクサゴラスの場合はそれを明言していたような資料は残っていません。
ですから、「数的に無限」「形の種類が無限」という二つの性質はデモクリトスにオリジナルなものか、もしくは、デモクリトスのオリジナルではなかったとしても師匠であり同じ原子論者でもあるレウキッポスにオリジナルな考え方だったと考えることができます。
つまり、アルケーに「無限」という要素が取り入れられているという点は原子論者にオリジナルなものと考えていいのではないかということです。
あっ、念のためいっておきますけど、これ「無限定」じゃないですから、その点は誤解しないでください。
確かに、アナクシマンドロスがアルケーに「無限定」っていう考え方を取り入れましたけど、これは「無限定」ではないです。
実際、「それはアトムである」っていう仕方で限定されていますし、大きさ的にも一部の例外を除いて基本的には極めて微小なものですから、その意味で明らかに限定されたものです。
さて、話を「数的に無限」「形の種類が無限」という二つの無限に戻しますが、デモクリトスはなぜアトムにこのような性質を認めたのでしょう?
後々デモクリトスの認識論を説明するときに詳しく書きますが、デモクリトスは感覚的に把握される自然界のあり方を認めたんです。
つまり、「この自然界のあり方は偽りだ!!」とか、そういうひねくれたことをいわずに、見たまま、聴いたまま、感じたままのこの自然界を真なるものとして認めたんです。
そして、この自然界のあり方を見たときに、この自然界にはそれこそ数限りないものが数限りない仕方で存在しているということを見出します。
この「数限りない仕方」っていうのは、「カラス」、「すずめ」、「にわとり」といった程度の意味じゃないですよ。
同じカラスであってもそこにはカラスと呼ばれている無数の個体が存在しています。
確かにそれらはわれわれ人間によって同じ種類のものとして一括りにされていますが、矢沢永吉と渡哲也が違う人間であるように、カラスAとカラスBも違う個体として、違う仕方で存在していますよね。
デモクリトスはこの自然界に存在しているものの数の膨大さ(砂の一粒一粒までとか、髪の毛一本一本とかを考えるととんでもない数ですよね)と、それらの無尽蔵な多様性(砂の一粒一粒、髪の毛の一本一本を違うものと考えていたら、その多様性は無尽蔵ですよね)に着目します。
その場合、万有のアルケーは自然界のあらゆるものがそこから生じてくるものですから、当然、アルケーとされるものは自然界に存在するものの膨大な数と無尽蔵な多様性を引き受けることができなければなりません。
それゆえ、デモクリトスはアルケーであるアトムに数と種類という点で「無限」という要素を組み込んだんです。
つまり、平たく言うと、「自然界にはものすごくたくさんのものがそれぞれ別々に存在しているんだから、それのもとのアルケーがそれより少ない数しかなかったりそれよりも少ない種類だったりしたら材料が足りなくなるでしょ!!」ということです。
このように、デモクリトスは自然界のあり方を認めるという観点からアトムに「数的に無限」「形の種類が無限」という二つの性質を組み込んだんですね。
1-1-3、不可分
(7)の「運動」に関しては、デモクリトスが提出したもう一つのアルケーである「空虚」との関連があるので、後々「空虚」の概念と一緒に説明することにして、ここでは(8)の「不可分」について説明します。
1-1-1でも書いたように、実はこの「不可分」という性質もパルメニデスが示した「ある」の性質の中の一つに入っているんです。
しかし、この「不可分」という性質に関しては、デモクリトスの場合、パルメニデスよりもその弟子であるぜノンとの関係が濃いんですね。
1-1-2で見たように、デモクリトスは感覚的に把握される自然界のあり方を真なるものとして認めていました。
しかし、この自然界の存在者に対してゼノンが主張するような仕方で無限分割を取り入れてしまうと、ゼノンが示しているように、「それは無限に大きい」と「それは無限に小さい」という二律背反が生じてしまいます。
二律背反に陥ってしまうという事態は避けなければなりませんし、また仮に、二律背反のうちのどちらか一方のみを肯定して二律背反を回避したとしても、自然界のあり方を真と認めるデモクリトスにとって、「無限に小さいもの」や「無限に大きいもの」といった自然界に明らかに存在しないものを許容することはできませんでした。
実際、無限分割によって自然界のあらゆるものが無限に大きかったり無限に小さかったりしたら、感覚的に把握される自然界のあり方は全ておじゃんになってしまいますよね。
それゆえ、デモクリトスは自らが真と認める感覚的に把握される自然界のあり方を基準にして、障害となる二律背反を引き起こした原因である無限分割を退けたんです。
無限分割が成立せずに、アトムという最小単位の大きさ(実際にデモクリトスがどれほどの大きさを想定していたのかは定かではありませんが…)が保障されるのであれば、ゼノンが主張するような二律背反は生じませんよね。
つまり、デモクリトスはアトムを不可分なものとして無限分割を食い止めることで、自然界のあり方を守ったんです。
これが、デモクリトスがアトムに「不可分」という性質を取り入れた理由です。
しかし、ここで、数学の知識がある方は、無限分割を「収束」と関連付けて「無限分割による存在の消失を防ぐため」に、デモクリトスはアトムに「不可分」という性質を取り入れたのではないかと考える方もいらっしゃると思います。
確かに、数学において、nを無限とした場合にn分の1は0と規定されますし、この考え方を存在と分割の関係に適応させれば、n回という無限の分割を経た後のものは存在しないということになるでしょう。
しかし、デモクリトスの場合、分割に限界点を用意したのは、今ここに書いたような「無限分割による存在の消失」という要素とは関係なかったように思われます。
実際、ソクラテス以前で始めて無限分割を議論の舞台に登場させたゼノンにしろ、無限分割を受け入れたアナクサゴラスにしろ、無限分割が生じた(無限に分割されるわけですから実質的には「分割された」という分割の成立状態を表す表現はできないんですけどね…)場合に、その無限分割のゆえに「存在」という要素が消え去るという発想は持っていませんでした。
ゼノンとアナクサゴラスの項目を思い出してもらいたいんですが、ゼノンの場合は無限分割によって事物が無限に「小さくなる」とはいっていましたが「無くなる」とはいっていませんでしたし、アナクサゴラスの場合も、スペルマタは「無限に小さい」のであって「存在しない」わけではありませんでした。
ここら辺に数学と哲学の違いを見て取ることができます。
nを無限とした場合のn分の1は、数学では0ですが、哲学では0ではないんです。
哲学では、例えnが無限であったとしても、無限分の1は無限分の1であって0ではないんですね。
ですから、デモクリトスが無限分割にアトムという限界を設けた理由は、数学的な観点から存在が消え去ってしまうということを憂慮したからではありません。
確かに、この「収束」との関連でデモクリトスの「不可分」を考えるのも、おもしろいやり方ではあると思うんですが、やはり、デモクリトスがアトムに「不可分」という性質を認めた理由は、自然界のアルケーとして感覚的に把握される自然界のあり方を保持するためだと考えるのが妥当だと思いますね。
1-1-4、小さい
先にあげたTest.37とかかれた資料をみてみると、そこには「そしてそれらのもの(アトムのことです)からすぐさま、ちょうど文字(ストイケイア)を用いるようにして、目に見えるもの、感覚されうる塊体が生み出され、結合が行われるのである」という一節があります。
これはつまり、自然界に存在するあらゆるものはアトムが組み合わさってできているということです。
「文字(ストイケイア)を用いるようにして」という表現の意味がわかりにくいかもしれませんが、文章を書くときって一つ一つの文字が組み合わさって一つの文章ができますよね。そういう風に、一つ一つのアトムが組み合わさって、最終的に一つのものが形作られるという意味です。
つまり、デモクリトスのアトムは同じTest.37で言われているように、自然界の諸事物を構成する「微小な実在」のはずなんですが、デモクリトスが主張するアトムの大きさについては以下のような資料も残っているんです。
Test.43抜粋
ただし、エピクロスの方はすべてのアトムがきわめて小さなもので、したがって感覚できないとしたのに対して、デモクリトスの方はアトムにはきわめて大きなものも存在すると想定した点では意見を異にしていた。
Test.47抜粋
デモクリトスによれば、第一の基礎的物体には重さがなく、それらは相互に衝突することによって、無限なるものの中を運動している。また、宇宙全体の大きさをしたアトムの存在も可能だとしている。
このように、どうも、デモクリトスには、アトムの中にはものすごく巨大なものも存在していると考えていた可能性があるんです。
ですから、正直言って、このデモクリトスにおけるアトムの大きさの問題に関しては、はっきりしたことがいえません。
原子論という学説上は、微小である方が都合がいいはずなので、一応、アトムの性質として「小さい」という要素も挙げておきましたが、解釈によっては大きなアトムを認める考え方もできるでしょう。
実際、私自身も、個人的にはデモクリトスの学説には大きなアトムが存在する予知があると思っているんですよね…
そんなわけで、この「小さい」という性質については、「解釈の仕方によってかわる可能性もあるよ」ぐらいに思っておいたほうがいいと思います。
1-2、空虚と運動
1-1ではアトムについてみてきましたが、ここからは1-1で残しておいたアトムの性質である「運動」と、その運動を可能にするものであり、デモクリトスが提出したもうひとつのアルケーでもある「空虚」の概念についてみていこうと思います。
1-1で引用したTest.37を思い出していただきたいんですが、そのなかには「彼は、場所のことを「空虚」とか「あらぬもの」とか「無限なるもの」といった名前で呼び……」という一節が入っていましたよね。
この一節では「空虚」というものについて「あらぬもの」とか「無限なるもの」といういわれ方がされていますが、これはどういった意味なのでしょうか?
この「空虚」の概念を説明するためには自然に対するデモクリトスの基本的な考え方、「運動」の概念、そして、デモクリトスに先立つエレア派の思想を考え合わせていかなければなりません。
そんなわけで、先ずは、エレア派を振り返ってみましょう。
エレア派の開祖であるパルメニデスを思い出してもらいたいのですが、パルメニデスは「ある」、もしくはその「ある」の主語について、「それは不動である」と主張しましたよね。
そして、そのパルメニデスの主張をゼノンがパラドックスを使って補強していました。
つまり、結果として、エレア派において「動き」(要するに「運動」のことです)は認められていませんでしたよね。
続いて、「運動」の概念について確認しましょう。
この「運動」という概念は、基本的には、ある物体XがA地点からB地点まで動くという概念なんですが、ソクラテス以前の場合、この通常の運動の概念に加えて諸事物の「変化」という概念も含んでいます。
よくよく考えてみれば、「ある物体XがA地点からB地点まで動く」というのも場所的な意味での「変化」ですが、そんな場所的な変化以外にもわれわれの周りには様々な「変化」がありますよね。
朝と夜では気温が違ったり、運動すれば使った部分の筋肉が大きくなったり、煮物の味が甘いなぁと思ったときに醤油を入れれば少ししょっぱくなったり、世の中には実に様々な「変化」があります。
通常、これら温度の変化や、筋肉の増加、それに味の変化といったものはそれぞれ別々のものと考えられていますが、自然万有に「アルケー」というものを想定するソクラテス以前の人々にとって、自然界のありとあらゆる変化は、この「アルケー」に生じる何らかの運動と考えられています。
現代的に見ても、例えば氷が溶けて水になるという変化は温度の上昇によって、それまできっちり並んでいた分子配列がゆるゆるになるということですから、つまるところ、それらの分子の運動と考えることができますよね。
このように、「変化」というのはその考え方によっては「運動」に還元できるんですね。
最後に、自然に対する考え方を確認しましょう。
確認と言っても、1-1-2でチョロッと言っていた「デモクリトスは感覚的に把握される自然界のあり方を認めた」というのを思い出していただければいいだけなんですけどね…
要するに、デモクリトスはパルメニデスをはじめとするエレア派の人々とは対照的に、運動も変化もある自然界を「真」と認めたということです。
さて、さんざん前置きをしてきましたが、確認するものを確認したところで再び「空虚」に戻りましょう。
デモクリトスはなぜ「空虚」という不思議な概念を「アルケー」として取り入れたんでしょうか。
先に確認したように、エレア派は「運動」を否定していました。つまり、「あるものはある」「あらぬものはあらぬ」という矛盾のないスッキリした主張を展開したんですね。
ところが、そんな矛盾のないスッキリした主張に乗っかった結果、エレア派が「真」とみとめる世界観は「ある」でピッチリ満たされることになり、運動するために必要な「余地」というものがなくなってしまいました。
しかし、デモクリトスは「運動」も「変化」もある自然界のあり方を「真」と認めていましたよね。
それゆえ、デモクリトスは「運動はある!!」と主張するために、何らかの仕方で「あるものはある」「あらぬものはあらぬ」というエレア派の主張に穴を開け、運動のための「余地」を残す必要があったんです。
そこで原子論者たちは以下のように主張します。
Test.8レウキッポス(抜粋)
あるものはあらぬものに比していささかも優越して存在しているわけではなく、またそれら両者がひとしく生成の原因をなしている。
これはデモクリトスの師匠に当たるレウキッポスに関する資料ですが、デモクリトスも同様の考え方を抱いていたと抱いていたと考えてまず間違いないでしょう。
この主張の意味するところは、原子論者たちは自然界のあり方を「真」と認めるために、「あらぬ」とされているものに対して「ある」と同等に存在を認めたということです。
そして、その結果、デモクリトスは「あり、かつ、あらぬ」という矛盾した定義を持つものをアルケーとして取り入れることになったんです。
そして、この「あり、かつ、あらぬ」と呼ばれるもの、それが「空虚」です。
この「空虚」があることによって、原子論者たちは「運動」のための余地を確保し、その結果、「運動」と「変化」のある感覚的に把握される自然界のあり方を「真」と認めることができるようになったんです。
ただ、やはり、物事には何か利点があれば当然それにともなうリスクというのもあるわけで…、実際のところ、確かに、原子論者はこの「空虚」の概念を取り入れることで自然界のあり方を「真」と認められるようになったんですが、それと同時に自分達の学説の中に「あり、かつ、あらぬ」という爆弾のような矛盾を抱え込んでしまったんですね。
その矛盾を解消する一つの解決策として、「空虚」の定義である「ある」を、場所としてあるという意味で解釈し、もう一方の「あらぬ」を、その場所を占有するものが存在していないという意味で解釈するというやり方が考えられます。
しかし、このやり方だとちょっとまずいんですよね。
というのも、この定義だと、「ある」については「空虚」に対して主張していることになるんですが、「あらぬ」に関しては、そこを占有していない「もの」が「あらぬ」といっているわけですから、それは「空虚」それ自体に対する定義ではなくその「もの」に対する定義になっちゃうんですね。
やはり、一つのものに対して「あり、かつ、あらぬ」という完全に矛盾した定義をするということにはかなり無理があるんです。
以上のように、デモクリトスの自然学には讃えられるべき功績と非難されるべき害悪が共存しているんですね。
讃えられるべき功績とは、感覚的に把握される自然界を「真」と認めるやり方を示したこと。害悪とは、「空虚」という矛盾です。
このように、「空虚」とはデモクリトスの自然学において諸刃の剣的な働きをしています。
しかし、そんな諸刃の剣を自然学の基礎にすえたうえで、デモクリトスは自らの学説を展開していくんですね。
2、デモクリトスの認識論
これまでの部分では、デモクリトスの自然学の基盤となっている二つのアルケー、すなわち、アトムと空虚について検討してきました。
ここからは、ガラッと主題を変えて、デモクリトスの認識論について説明していきたいと思います。
原子論以前の部分で認識論という言葉を使ったのは、たぶん、クセノパネス、パルメニデス、エンペドクレスの三人について検討したときだったと思いますが、そもそも、この「認識論」って何なんでしょう?
妙に大風呂敷を広げたような問いかけですが、「認識論」とは、
「人間はどのようにして物事を知るのか?」
「人間はどこまで知ることができるのか?」
「人間はどのようにして物事について間違った知識を持つのか?」
「人間はどのようにして物事について正しい知識を得るのか?」
「仮にある知識が正しいとみなされているとして、その知識が正しいことを確かめる手段はあるのか?」
といった問題について探究する分野です。
ソクラテス以前の哲学者達は探究の対象が原則的には「自然」だったので、この認識論という観点から展開された議論は少ないのですが(単に資料が残っていないだけという可能性もありますが…)、デモクリトスにはソクラテス以前としては異例なほど、認識論的な事柄に対する主張が存在しています。
デモクリトスの認識論はそれぞれに影響を与え合っているいくつかの分野に分かれて展開されているので、どこから紹介していくか微妙なところがあるんですが、このコンテンツでは先ずデモクリトスが主張する認識のメカニズムから取り上げていきたいと思います。
2-1、認識のメカニズムと感覚認識
ここからは、デモクリトスにおいて、人間の感覚認識がどのような仕組みで成立していると考えられていたのかをみていきます。
前に、エンペドクレスの学説を検討したときに、エンペドクレスが「通路」と呼ばれるものに何らかのものが適合したときに感覚的な認識が成立すると考えていたということを確認したのを覚えているでしょうか?
デモクリトスが主張する感覚認識のメカニズムも基本的にはこれと同じ仕組みです。
ただ、デモクリトスの場合は「すべてのものはアトムの集合体である」という自然学的な前提がありますから、エンペドクレスにおいては比較的大雑把に言われていたことをもう少し詳しく説明できるんですね。
では、どんな風に説明されているんでしょうか?
以下の図を見て下さい。
デモクリトスの認識論においては、上の図で示したように、認識者と認識対象の間で「像(古代ギリシア語でエイドーロンといいます)」と呼ばれるものが媒介として機能します。
この「像」がアトムの構成物なのかそれとも認識者と認識対象の間にある空気が変質したものなのかという点については色々と議論がありますが、いずれにせよ、デモクリトスの場合、認識対象である「モノ」の側から何らかの仕方でこの「像」が発出されます。
そして、この「像」が認識者のそれぞれの感覚器官にある「通路(穴みたいなもんです)」に適合し認識者の体の中に入って、認識者を構成するアトムの集合状態に変化を起こします。
この変化によって、認識者の側に特定の認識結果が成立するというのがデモクリトスの認識論の基本的な考え方です。
このような考え方だと、仮に全く同じ像が飛び込んできたとしても、それを受け入れる側の認識者の方は人それぞれ異なったアトムの状態にある(世の中、外見がちょっと似ているぐらいの人はいますけど、外見から体の内側まで何から何まで完全に同じ人なんていませんよね)わけですから、同じものを認識したとしても、個々の人たちによってその認識結果は異なることになります。
実際、デモクリトスも「蜜をなめたとしてもある人には甘く、ある人には辛く」なんてことをいいながら感覚認識の相対性を認めていたようです。
ただ、このような考え方は、後々、感覚的な性質にも実在的な本性(哲学的な用語がポンッと出てきましたけど、ここでは「誰に認識されても変わらないもの」ぐらいに考えておいてください)を想定する人々(具体的には、プラトンや、その流れをくむアリストテレス、テオプラストスなど)から批判されます。彼らの批判は一理も二理もあるわけですが、時代的に彼らに先立つデモクリトスの感覚認識に対する主張は、ここに書いたようなメカニズムに基づいて、個々の認識者によって異なる認識結果の多様性を認めるものだったんですね。
ただ、認識って一言でいっても、感覚認識の他に知的認識っていうのもありますよね。
もちろん、ものすごく現代的な観点から言えば、「知的認識と感覚的認識の間に本質的な違いを認めること自体どうなのか?」ということも問題として成り立つと思いますが、すくなくとも、この古代ギリシアの時代は、この二つの認識は何か本質的に異なるものとして考えられていました。
次の項目では、デモクリトスが知的認識についてどのように考えていたのかを概観してみましょう。
2-2、知的認識と不可知論
ここからはデモクリトスが知的認識についてどのように考えていたのかをみていきますが、それに関しては以下に引用する二つの資料を見て下さい。ぶっちゃけ、私なんかが下手に説明するよりも、その資料をみた方がよっぽどうまいことまとめられているんですよね。
Fr.125抜粋
「約定において色はあり、約定において甘くあり、約定において辛くあり、真実にはアトム(分割できないもの)と空虚がある」。だから彼は感覚をして思惟に対してこう語らせたのである。「哀れな心よ、おまえはわれわれから信念を得てわれわれをひっくり返すのか。ひっくり返すことはお前にとっての転倒なのだ」。
Fr.11抜粋
「認識には二つの形態、つまり真正な認識と暗い認識とがある。そして暗い認識には以下のものがすべて属している。すなわち、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。これに対してもう一方のものは、真正な認識であり、暗い認識から隔絶している」。それから、彼は暗い認識よりも真正な認識の方が優位にあることを分明にし、次のように言い添えている、「暗い認識が、もはやより小さなものへと眼差しを向けることも、聴くことも、臭いをかぐことも、味わうことも、接触して知覚することもできず、しかし、より微細なものへの<探究は遂行されなければならない場合、より微細なものを認識する手段を持っている真正な認識がそれに取って代わるのである>」。
さて、2-1でデモクリトスの感覚認識についてみてきましたが、ここにあげた二つの資料をみると、デモクリトス自身が感覚認識を「暗い認識」と呼んでいたということがわかります。
感覚認識が「暗い」というマイナスイメージを喚起させる表現で呼ばれている理由としては、2-1で示した感覚認識の相対性や、ここにあげたFr.125と書かれた資料で「約定において」といわれているように、その認識結果に何らかの絶対的な根拠があるものではなく、ある認識結果がそのようであるのはしょせんはたんなる「約定(決め事)」程度の根拠しか持たないということが原因だと考えられます。
もっと砕けた言い方をすると、感覚認識の「不安定さ」ということになりますが、この「不安定さ」を理由にデモクリトスは感覚認識について「暗い」と主張したんですね。
続いて、Fr.11に目を向けていただきたいんですが、こちらの資料の後半部分では、感覚認識、すなわち、「暗い認識」では知ることができないものに対して働く認識として「真の認識」というものが提出されています。
この「真の認識」はその探究対象が「微細なもの」といわれている点や、Fr.125で「アトム」と「空虚」という二つのアルケーが同じように「真に」という言葉で述べられている点を考え合わせると、恐らく、「アトム」や「空虚」といったアルケーを直接的に把握する際に用いられる認識だと考えられます。
つまり、デモクリトスは感覚では捉えられないアトムや空虚といったアルケーについて探究する知的認識を「真の認識」と呼んでいたのだと考えられます。
しかし、ここで、一つ気をつけなければならない点があります。
それについて、Fr.125で言われている「哀れな心よ、おまえはわれわれから信念を得てわれわれをひっくり返すのか。ひっくり返すことはお前にとっての転倒なのだ」というフレーズを意識しながら、以下にあげる資料を見て下さい。
Fr.6抜粋
「当該規準の助けにより、人は自分が真実から隔てられていることを認識しなければならない」
Fr.7抜粋
「この説明もまた、われわれが真実にはいかなることについても何ひとつ知っておらず、むしろ、個々の人間のすべてにとってその思わく(ドクシス)は[もろもろのアトムあるいは知覚像の]流れ込みである、ということをまさしく明らかにしている」。
Fr.8抜粋
「しかしながら、各々のものが真実にはどのようなものなのかを認識するのは困難なことである、ということが明白であろう」。
Fr.9抜粋
「しかしわれわれは、真実には何一つ確実なことを理解してはいないのであって、ただ、われわれの身体の状態に応じて、そして身体に流れ込んだりあるいは身体に対し抵抗するアトムの状態に応じて変化するものを理解しているに過ぎないのである」
Fr.10抜粋
「各々のものが真実にはどのような性質のものであり、<あるいは>どのような性質のものでないかをわれわれはいま理解していない、ということが多くの個所で明らかにされた」。
Fr.117抜粋
さらにまた、「真実にはわれわれは何も知らない。というのも、真理は奥底にあるから」と言っている。
さて、ここにあげた六つの資料で言われていることを我々はどのように解釈したらよいのでしょうか?
ザッとみるかぎり、これらの資料はどれも皆「真実」とか「真理」とか「真実にはどのようなものなのか」とか、そういった「真のあり方」もしくは「真理」と呼ばれるような物事について人間は知ることができないということを主張しているようにみえます。
「みえます」というか、これほど短い文章になるとそれ以外は考えられないですよね。
また、これらの資料を引用する前に、チョロッと示しておいたFr.125の「哀れな心よ、おまえはわれわれから信念を得てわれわれをひっくり返すのか。ひっくり返すことはお前にとっての転倒なのだ」というフレーズを思い出してみましょう。
このフレーズは「感覚をひっくり返すことは心にとっても転倒だ」ということを述べていますが、ここでいわれる「心」というやつを知的認識を行う器官(古い言い方をすれば「魂」、現代的な言い方をすれば「脳」ですかね…)だと解釈するのであれば、このフレーズは、「知性が、感覚によってなされた認識結果を覆すということは、知性認識の結果までも自ら覆してしまうことになる」ということを主張するものだと考えることができます。
よりスッキリさせれば、「知性認識は感覚認識に反するものであってはならない」ということですが、こういった意味内容を持つFr.125のフレーズと先にあげた六つの資料の主張を考え合わせてみるとどういった結論が引き出せるでしょうか?
一つの考え方として、人間が行う認識は例えそれが知性認識であろうとも、それは相対性を持つ感覚認識を覆すことはできないのであり、人間はどこまで行っても「真の」といえるような絶対的な認識には到達できないという帰結を導き出すことは不可能ではないでしょう。
実際、原子論というデモクリトスの最も基本的な考え方に立ち返ってみると、認識という活動は全て認識者を構成するアトムの状態変化に還元されるはずです。それゆえ、「暗い認識」と「真の認識」という二つの認識の間にレベルの違い程度は見出せるかもしれませんが、本質的な違いを設定することは不可能でしょう。
このことから、デモクリトスにおいて、認識は常にある一定の相対性を持つものであり、人間が絶対的な認識にいたるということは不可能とされていたと考えることができます。
ただ、このように考えた場合、「真の認識」の認識対象はアトムと空虚というアルケーでしたから、デモクリトスにとってアルケーを把握することは不可能であるということになってしまいます。
しかし、アトムのようなアルケーを把握することが不可能であると考えるのはそれほど不自然なことでしょうか?
話が急に現代的になりますが、素粒子を考えて見て下さい。
今日、素粒子は物質を構成する最小構成単位とされていますが、それは直接的に観測されるのではなく、加速器にかけてその衝突反応を観測することで間接的に把握されていますよね。
デモクリトスの考え方は現代の素粒子物理学ほど厳密ではありませんが、諸事物の最小構成単位であるアトムを把握する基本的な方法はこれと似通ったものだと考えることができます。
つまり、アトムを直接的に把握することは「真理は奥底にあるから」不可能ですが、感覚的に把握される認識の結果を媒介にして間接的に知ることは可能だということです。
もちろん、感覚認識の結果を媒介にして把握されたアトムは、直接的に把握されたものではないので、それがどのようなものであるのかという点について絶対的な結論を引き出すことはできません。
しかし、この、アルケーに対する真の認識が絶対的なものではないということこそが、デモクリトスの主張する「感覚認識を覆すことはできない」ということと「真理は奥底にある」ということの意味だと思います。
3、デモクリトスの宇宙論
ここまで、デモクリトスが主張するアルケーと認識論について概観してきましたが、ここで、チョロッと横にそれてデモクリトスの宇宙論について言及しておきます。
ソクラテス以前の哲学者は基本的に「自然」を探究対象にしていたので、アナクサゴラスやパルメニデスあたりにも宇宙論に関する資料はあったんですが、その量とクオリティに若干の問題があったため、特に触れずに来たんです。
ただ、デモクリトスは資料が潤沢に残ってますから、宇宙論についてもある程度のことまではいえるんですね。
で、肝心の宇宙論の内容ですが、デモクリトスは基本的に以下に示すような手順で宇宙が生まれ、滅んでいくと考えます。
(1)アトムが空虚の中でバラバラに動いている状態
(2)複数のアトムが相互に衝突し始める
(3)複数のアトムの衝突がしだいに渦運動になる
(4)比較的大きくてゴツゴツした形のアトムが中心に沈んでいき、比較的小さくてツルツルしたアトムが外側にはじき出される
(5)下に沈んだアトムが大地を形成し、外側にはじき出されたアトムが天体を形成する
(6)ある一定時期まで宇宙としてのまとまりが維持された後、再びバラバラの状態に分解されていく。
これがデモクリトスの主張する宇宙生成と消滅です。しかし、デモクリトスの宇宙論で本当に特徴的なのは、この生成消滅に関する議論ではなく、このような仕方で誕生し滅んでいく宇宙が一つではなく複数、それも無限にたくさん存在するということです。
アトムと空虚について概観した箇所を思い出してください。
そこではアトムが数的に無限であるということと、空虚が無限な広さを持つものとして定義されていましたよね。
仮に、これらのアトムで構成される宇宙が一つ、もしくは数えられるだけの有限な個数しかなかったら、アトムの数はその一つの宇宙もしくは有限個の宇宙を構成する分しか存在しないということになり、アトムは数的に無限であるという定義が破綻することになります。
また、仮に、宇宙一つ分もしくは宇宙有限個分のスペースしか存在しないというのであれば、場所として無限の広さを持っているという空虚の定義が破綻します。
以上のことから、アトムと空虚それぞれの定義に基づいた場合、デモクリトスにおける宇宙の数は必然的に無限ということになります。
このように宇宙が複数もしくは無限個あるという考え方を多宇宙論といいます。
少し後で言及しますが、古代ギリシアにおいてはアリストテレスに代表されるように宇宙は一つと考えられていました(ていうか、現代でも基本的に宇宙って一つですよね…?宇宙論についてあんまり詳しくないんでよくわかんなんですけど…)。そんな思想的背景にあって宇宙は無限個存在するという多宇宙論の究極ともいえるような主張を展開したデモクリトスの宇宙論は、きわめて独創的なものということができるでしょう。
4、デモクリトスの倫理とその問題点
ここまでアルケー、認識論、宇宙論と、どちらかというとデモクリトスの学説の中でも自然学的な事柄について概観してきましたが、最後に、デモクリトスの倫理学について検討します。
これまでさんざん「デモクリトスは資料が多く残っている」と発言してきましたが、残存しているデモクリトスの資料を書かれている内容ごとに分類すると、一番多いのはデモクリトスの代名詞にもなっている「原子論」に関するものではなく、倫理に関するものなんですね。
もちろん、他のソクラテス以前の哲学者同様、デモクリトスに関する資料も全て断片で残されていますから、残存する資料から伺えるデモクリトスの倫理的な主張が「倫理学」といえるほどに体系だてられたキッチリしたものである保障はありません。
しかし、複数の資料を考え合わせて検討してみると、デモクリトスの倫理には一つの「学」として整えられているように思われる形跡を発見することができます。
それゆえ、このコンテンツでは、デモクリトスの倫理に関する複数の断片を参照することで、それらの断片をある程度体系立てられたものとして解釈することを試みます。
4-1、エウテューミエーorエウエストー
出会い頭にいきなりカタカナでエウテューミエーやらエウエストーやら書かれて面食らっているかもしれませんが、ここは「はっ?」という気持ちを抑えて以下に引用する資料を見て下さい。
Fr.3
明朗闊達な生を送りたいと思う者は、公私いずれにおいても、多くのことをやりすぎてはならないし何をするにしても自分自身の力と本性とを越えてそれを得ようとしてはならない。むしろ、幸運が舞い込み、その信頼により過度な多さへと自分を誘惑しようとするときでも、それを振り捨てて、自分の力に適うものより以上のものをつかまないように大いに留意すべきである。なぜならば、適度な多さは過度な多さよりも安全なものだからである。
Fr.159抜粋
もし身体が魂に対して、全生涯にわたって自分が苦しみそして災難にあったことのために、訴訟を起こして、彼自身[デモクリトス]が訴訟の<裁判官>になるならば、喜んで魂に有罪宣告をするであろう。それは、魂が身体のあるものをなおざりによって破壊し、また酩酊によって解体し、またあるものを快楽への欲求によって堕落させ引き裂いたからである。それは、ちょうど何か道具なり用具なりが悪い状態にあるのに、それを惜しみなく使う人に責任を課すようにしてである。
Fr.170
幸福と不幸は魂にかかっている
Fr.187
人間たちにとっては身体よりもむしろ魂に意を用いることがふさわしい。というのも魂の完全さは身体の劣悪さをまっすぐにするが、身体の強さは、考量なしには、魂をなんらより良いものとはしないから。
Fr.191
というのも、人間たちに明朗闊達さが生ずるのは喜びの適度さと生活の調和によってであるから。他方、不足と超過は変化を被り、魂に大きな変動を引き起こすのが常である。そして魂のうちで大きな振れ幅で変動するものどもは堅固でもなければ快活でもない。そこで可能なことどもに思いをいたし、手元にあるものどもに満足しなければならない。羨まれ驚嘆されるものどもにはわずかしか言及せず、思考においてそれに常に関わることなく、他方、苦労にあえぐものたちの人生をみなければならない、彼らがひどく(?)難儀することを理解しながら。それは、君のところにあり備わったものが大きくて羨まれるものに見えるためであり、またもはやより多くのものを君が欲求して魂において災難を被ることがないようになるためである。というのも、財をもち多くの人々によって至福と思われる人々に驚嘆し、いつも記憶においてその傍らにいる人は、常に革新をなすことを強制され、法が禁ずることのうちの何か治癒することのできないことを行おうとする欲求のために転倒することを強いられるから。それ故に、それらのものを求めてはならず、手元にあるものにおいて明朗闊達であらねばならない。自分自身の人生をより劣って行為する人々の人生に比較しつつ、彼らが被ることを考えながら、自分が彼らよりもどれだけよりよく行為し生活しているかを考えて、自分を幸福であると考えなければならない。というのもそうした考えに付き従うならば、君はより快活に暮らすであろうし、少なからざる欠陥を人生において退けるだろうから。つまり、妬みや嫉妬や敵意を。
さて、これらの資料で言われていることを考え合わせるとデモクリトスが主張する倫理についてどのようなことがいえるでしょうか。
具体的な内容に入る前に、先ずは、この項目のタイトルにもなっているエウテューミエーとエウエストーというカタカナ語(古代ギリシア語をカタカナにしているだけで別にカタカナ語っていうわけじゃないんですけどね…)の意味を確認しておきましょう。
引用した資料の中にしばしば「明朗闊達」という普段あまり使わない日本語が出てきたのにお気づきになられたでしょうか。
この資料はもともと古代ギリシア語なんですが、その古代ギリシア語を邦訳するときに「明朗闊達」という訳語を与えれれている言葉が問題のエウテューミエーです。そして、もう一つのエウエストーの方もデモクリトスにおいてはエウテューミエーとほぼ同じ意味だと考えてかまいません。
これらの概念は人間が「善くある」状態を示すもので、デモクリトスにとっては人間のあり方の一つの理想的な状態として想定されています。
さて、言葉の確認が終わったところで具体的な内容に入っていきますが、先ずは159、187、191と番号が打たれた資料を見て下さい。
159の表現がちょっと独特なのでわかりづらいかもしれませんが、これら三つの資料はどれも皆、肉体に対する魂の優越を主張するものです。
もう少し簡潔に言うと、「身体を動かすのは魂だ」ということです。つまり、これらの資料は、デモクリトスが「人間がどんな行為をするかは魂しだいだ」という主張を持っていたということを示しているんですね。よい魂を持っている人はよい仕方で行為しますし、悪い魂を持っている人は悪い仕方で行為します。
では、魂がどのようであればよくて、魂がどのようであれば悪いのでしょうか?
それについて、3と191を見て下さい。
これらの資料では、人間が理想的な状態であるエウテューミエーな状態にあるためには、何ごとにおいても過剰である状態は避けるべきであり、いわゆる、「可もなく不可もなく」的な中立状態にあらねばならないということが示されています。
ここで注目すべきなのは、デモクリトスが悪い意味での過剰だけでなく、よいことについてもその過剰を否定している点です。3の「幸運が舞い込み、その信頼により過度な多さへと自分を誘惑しようとするときでも、それを振り捨てて、自分の力に適うものより以上のものをつかまないように大いに留意すべきである」という一節が象徴的ですが、デモクリトスにとって、「幸運」や「信頼」という一般的にはよいこととされている事柄であっても、それが過剰であることは避けるように主張しています。
こういう主張って、われわれ日本人にはけっこう共感できるんじゃないでしょうか?
よく言いますよね、「やり過ぎなきゃよかったのに…」とか「あそこでやめとけば…」みたいなことを…。
さて、このように、デモクリトスはよい意味でも悪い意味でも過剰を避けることを主張し、その過剰によって人間の行為を司る「魂」に「大きな変動」が起こることを危惧していました。
そして、こうやってみてくると、デモクリトスの倫理は「魂に大きな変動」が生じていないことを理想状態とし、その理想状態とは真逆のものである「魂の大きな変動」を引き起こす元凶ともいえる「過剰」を退けるものとして体系だてて解釈することができるように思われます。
ただ、ここで誰しもある一つの疑問を持ちますよね。
つまり、「どれぐらいだったら過剰なの?」という疑問です。
何かよからぬことに関してであれば、「過剰」といわずちょっとした悪いことでもやらないに越したことはないわけですからそっちの方向性はまあいいとして、問題なのはよいことに関してです。
デモクリトスはよいことに関してもそれが過剰であることを避けるべきこととして退けました。
しかし、よいことは、それがどれほどであれば過剰なのでしょうか?
それを図る規準となるのが、3で言われている「自分自身の力と本性」という考え方です。
とりわけ「本性」という言葉に着目してもらいたいのですが、先に、デモクリトスの感覚認識を概観したときに、デモクリトスは感覚認識の多様性を認めていましたよね。この感覚認識の多様性は個々人を構成するアトムの状態は人それぞれに異なるという認識者の側の多様性に根ざしているものでしたが、ここに「自分自身の力と本性」というものがあらわれています。
「本性」というのは哲学の専門用語で「そのものの本質」のことなんですが、あらゆるものがアトムによる構成物に還元されるデモクリトスにとって、人間はそれぞれに違ったあり方をしているものであり、個々人はそれぞれに違った本性を持つものでした。
そして、この個々人による人間本性の多様性に基づいて「過剰」の概念に着目すると、この「過剰」という概念も「ここまで行ったら過剰」という風に一般的な仕方で定義できるものではないということがわかります。
つまり、デモクリトスの「過剰」というのは個々人によって異なる人間の本性が基準になるのであって、あることがAさんにとっては過剰だけれどもBさんにとっては適度であるということになります。
例えば、メジャーリーグにいるイチローとか松井みたいに類まれな能力を持っている人にとっては、何万人の大観衆から「ワァーーーーー!!!!!!!」っと喝采を浴びることが適度だけれども、商店街の草野球チームの四番を打ってる酒屋のおじさんにとっては何万人からの拍手喝采は明らかに過剰だということです。
要するに、デモクリトスの主張するエウテューミエーとは、個々人の本性に適した程度の「よさ」を維持して、個々人の本性を大きく越えるような「よさ」を求めないということになります。
もっとはっきりいってしまうと、「分相応」ということです。
さっきも同じようなことを言いましたが、こうやって考えてみると、デモクリトスの主張する倫理はわれわれ日本人にとって非常になじみやすいものだということがわかるでしょう。とりわけ、3で言われている「公私いずれにおいても、多くのことをやりすぎてはならないし何をするにしても自分自身の力と本性とを越えてそれを得ようとしてはならない」なんていうフレーズは、2000年以上前のギリシアという時間的にも空間的にもべらぼうに遠いところで言われているとは思えないほど身近に感じますよね。
さて、以上がデモクリトスの主張する倫理です。
そして、これを検討し終えたと同時に、長々とみてきたソクラテス以前の哲学者も完結ということになります。
気楽な気持ちで始めたものの、けっこうな分量になってしまって書いている本人が一番びっくりしていますが、これは西洋哲学の長い歴史から見ればまだまだプロローグです。
次回からはいよいよ、古代ギリシア哲学の源泉ともいえるソクラテスについてみていきます。