クセノパネス(B.C.560?-B.C.470?)
生涯
 これまでみてきたタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスの三人は主にギリシア北部にあるイオニア地方のミレトスという都市で活躍していました。
 それに対して、これからみていくクセノパネス、ヘラクレイトス、ピュタゴラスの三人は主にイタリアで活躍した哲学者です。
 このクセノパネスですが、もともとの生まれはタレスやアナクシマンドロスが活躍したイオニア地方にあるコロポンという都市です。しかし、20代のころに祖国を離れて、イタリアのシケリア地方(今で言うところのシチリアです)に移住し、その後はシケリア地方に点在する様々な島々を転々としながら生活していました。
 しかし、いくつかの資料には、アテナイのボトンという人に師事していたという証言もみられるので、イタリアに移住した後にギリシアに戻ってきたのか、それとも終生イタリアで過ごしたのかは不明です。
 『エレゲイア』と『シロイ』というタイトルの著作を筆頭に様々な作品を残しましたが(『ペリ・ピュセオース(自然について)』という著作も残したとされていますが、この著作についてはちょっと疑わしい感じがするので「?」ということにしておきます)、これらはいずれも詩の形式で書かれていたため、後世の人たちの中にはクセノパネスのことを哲学者や自然学者ではなく、単なる詩人とみなす人も少なからずいます。
 しかし、この時代、学問的な事柄を散文形式ではなく詩の形式で記すということはよくあったことなので、単に詩の形式で書いているからといって、その作者を「詩人だ!」と決め付けてしまうのはちょっと安易です。
 これらの詩の具体的な内容については後々「学説」の部分で詳述しますが、大きな特徴の一つとして、ホメロスが提示するような擬人的な神の概念に対する批判的な態度があげられます(特に『シロイ』にその傾向が顕著です)。ですから、後世の人の中には、クセノパネスの神学的な発言を根拠に、彼のことを神学者とみなす人もいます。
 ただ、当時のギリシアは学問が現在のように細分化されておらず、ご存知のようにPhiosohyの語源となった「ピロソピアー」という言葉も「知を愛する」という意味ですから、神学的な内容のことが書いてあったからといってその作者を「神学者」とみなすのもどうかと思います。
 実際、クセノパネスは神学的な内容以外のことも色々と書いていますから、業績の中の一つに着目して安易にレッテルを貼ってしまうのではなく、広くおおらかに「知を愛した人」ぐらいに捉えておいたほうが、その人の実像を正しく把握するという意味では適切だとおもいますね。


学説
 ミレトス派の人々の学説を概観したときには、「アルケー」という概念を中心にしてみてきましたが、場所がイタリアに移ると、それまで中心的な感心ごととされていた「アルケー」の存在感が若干薄まってきます。
 実際、現在まで残っているクセノパネスの資料にはこの「アルケー」に関する記述がほとんど残っていません。むしろ、そこに残っているのは、先にも書いた神学的な内容に関する事柄や、「知」と「思惑」の対比(いきなりテツガクっぽいことを書きましたが、これに関しては後々説明します)を検討した内容のものがほとんどです。
 もちろん、ミレトス派の場合は資料的な問題が大きいので、彼らも実際には「アルケー」に関してはそれほど多くを語っておらず、むしろそれ以外の分野に関してたくさん発言していたと考えることは十分に可能です。純粋に私個人の考えとしては、恐らくそちらの方が真実に近いように思うのですが、しかし、現実問題、それを示す資料が残っていないので、この点に関してはなんともいえないというのが現状ですね。
 それから、学説の本論部分に入る前にあらかじめ言っておきますが、このクセノパネスから問題の複雑さのレベルがワンランクUPします。
 ですから、説明の文章も問題のレベルアップに比例して、これまでよりも多少難解な表現を多めに使うことになります。
 書く側としては、できる限り平明な言葉で読んでくださる方の理解を促したいと考えているのですが、どうしても読みづらくなるところは出てきますので、その点に関しては、「問題のレベルが上がったんだ」と思ってご了承ください。


1、クセノパネスの神学
 さて、「生涯」の部分でも少しだけ触れたように、様々な分野で色々な発言を残したクセノパネスですが、先ずは、その神学的な主張について検討してみましょう。
 当時のギリシア人は、一般的に、ホメロスの著作に見られるような擬人的な神の概念を信じていました。
 この擬人的な神というのは、ゼウス、アテネ、アポロンといった神々に代表される、我々が「ギリシア神話」に関する本を読んで目にするような神様のことです。
 実際にギリシア神話を読んでもらうといちばんわかりやすいんですが、これらの神様達って、色々と「よからぬこと」をやらかしますよね。
 ヘラという正妻がありながらゼウスがレダと浮気したとか、プロメテウスが神の火を盗んだとか…
 クセノパネスは、主にホメロスが提示しているこのような「よからぬこと」を行う神々のあり方を否定しました。
 そして、神というのはホメロスが言っているように、人間と同じようなあり方をするのではなく、もっと違うあり方をするものだと主張したんです。
 では、クセノパネスが主張する神の在り方とはどのようなものなのでしょうか。
 クセノパネスは神の特徴を以下のようにまとめます。

(1)神は一である
(2)神はあらゆるものの中でもっとも偉大である
(3)神は姿もものの考え方も人間とは全く似ていない
(4)神は全体で見、全体で考え、全体で聞く
(5)神は自分では何もしなくても、心で思うだけであらゆるものを動かす
(6)神は決して動くことなく、ただ一所にずっといる
(7)神は不生である

 さて、クセノパネスが示すこれらの神の性質のうち(2)(3)(5)(6)はなんとなくわかると思いますが、(1)(4)(7)については若干の説明が必要になります。
 「普通は1から検討していくのでは…」という心の声が聞こえますが、それは一旦無視して、先ずは(4)からみていきましょう。
 「全体で見、全体で考え、全体で聞く」という抽象的な表現はどのように解釈すべきなのでしょうか。
 具体的に、われわれ人間の場合を考えてみましょう。
 当然のことながら人間は、「目」で見て、「脳」で考えて、「耳」で聞きますよね。
 つまり、人間は何かを認識するときに常に「部分」に依存して行っているんです。
 しかし、クセノパネスが主張する神は、人間が「部分」に依存して行っている「見る」「考える」「聞く」といった行為を、「部分」で行うのではなく、「全体」で行うんです。
 この「全体」で行う活動をクセノパネスが実際に明記している「見る」「考える」「聞く」という認識行為にのみ限定するべきなのか、それとも、あらゆる行為全てにこの「全体で為す」というあり方を適応させるべきなのかはクセノパネスを解釈する人それぞれによって様々な解釈があると思います。
 しかし、この「全体でなす」といわれている行為を認識行為だけに限定しなければならない理由は特に見当たりませんし、ここは、神のなす行為すべてを「全体でなす」ものと解釈して問題ないでしょう。
 そして、神の行為がすべて「全体」でなされるとするのであれば、神は「部分」を持っている必要がなくなります。
 つまり、クセノパネスは、神に「全体で行う」という性質を見出すことで、神が部分を持っているということを否定しようとしたんですね。
 ここまで読んできて、「なんで部分を持っていることを否定しなければならないんだ…?」と思った方も少なからずおられるでしょう。
 ここで(1)の出番です。
 「一である」
 これも、「全体で見、全体で考え、全体で聞く」以上に抽象的でわかりづらい一節ですよね。
 再び人間のことを考えてみましょう。
 (4)について説明するときに述べたように、人間は様々な「部分」を使って色々な行為を行っていました。
 つまり、人間は「部分」をもつ存在なんです。
 そして、「部分を持つ」というからには、その部分は部分1、部分2、部分3といった具合に数えられますよね。
 具体的にいうと、目、耳、歯、口、骨、胃、心臓といった具合に、様々な部分を数え上げることができますよね。
 つまり、人間は、複数の部分が集まった集合体、言い方を変えると、「多」としてあるということになります。
 ここで、「多ってなに?」という話になりますが、「多」とは「一」ではないことです。
 つまり、二も三も四も五も百も千も万も全部「多」です。
 さっきも書いたように、人間は複数の部分でできています。
 もちろん、その部分をどのように区切るかによって部分の数は変わってきます(目、鼻、口、胃…という仕方で分けるのか、頭、胸、腹、脚という仕方で分けるのか、上半身、下半身という仕方で分けるかによって部分の数は変わりますよね)。
 「人間は人間で一だ」という人がいるかもしれませんが、仮にそういう人がいたとしても、その人が鼻やら口やらを持っている時点で「部分に分けることができる」という点は否定できないでしょう。
 つまり、人間は、部分があるという点で、「一」ではなく、「多」なんですね。
 話を(1)に戻しましょう。
 (1)は「神は一である」という主張でしたが、これまで見てきたように、この「一」というのはそのまま「部分を持たない」ということなんですね。
 即ち、クセノパネスは(3)でいわれる「人間とは全く似ていない」ということの事例の一つとして、(4)と(1)を使って「部分を持たない」ということを主張したんです。
 「部分を持つ人間」に対して「部分を持たない神」。
 当然、部分を持たないのですから、その行為は「全体で行う」ということになりますし、その存在は「一」としかいいようがありません。
 このように(1)と(4)は(3)と合わさって、三つまとめて解釈することによってその意味合いが明らかになってくるんです。
 ただ、ここで、「人間と全く似ていないというのなら、魚のような姿の神を想像してもそれはそれで人間に似ていないのではないか」という考え方をする方もおられるでしょう。
 確かに、魚は人間と全く似ていません。
 しかし、魚も「部分を持っている」という点では人間と共通ですよね。
 つまり、どんなに外見上(もしくは身体の仕組み上)人間と異なっていたとしても、「部分がある」という点で「人間と似ている」んです。
 しかし、そもそも部分を持たないのであれば、外見という表面的な部分だけではなく、もっと根本的な部分で似ていないんです。
 このように、「人間とは全く似ていない」という性質を徹底させるには「部分を持たない」という性質が必要なんですね。
 さて、よくわからなかった(1)と(4)が一挙に片付いたところで、次に、(7)の「不生」という性質についてみてみましょう。
 「不生」とはどういうことでしょうか。
 「不生」とは、読んで字のごとく、「生まれない」ということです。
 もうちょっと硬い言い方をすれば、「生じない」もしくは「生成しない」ということです。
 「生まれないのならば神はいないのではないか」というご意見をもたれる方もいらっしゃるとは思いますが、実はそうではないんですね。
 「生まれる」ということは、当然のことながら、「生まれる前」があるということです。
 そして、あるものが「生まれる前」というのは、そのあるものが存在していないということです。
 では、これを「神」に当てはめてみましょう。
 仮に、「神」が「生まれる」のであれば、「生まれる前」は「神」がいないということになります。
 実際、ホメロスやヘシオドスの著作から読み取れるゼウス、ヘラ、アテネなどの擬人的な神々は親である神々から生まれてきますよね(そして、場合によってはその親を殺したり…)。
 しかし、クセノパネスはそのような「生まれる神」を否定し、神の「不生」を説くんです。
 このことから、クセノパネスの主張する神の「不生」は、神が「生まれない」ということよりも、「神が生まれていない状態」、即ち、「神が存在しない状態」はありえないという主張として解釈すべきなんですね。
 つまり、クセノパネスは神を「不生」と定義することで、神の恒常性(「常にある」)を主張したということです。
 さて、以上のように、クセノパネスはその神学的主張によって、神について、「部分を持たない」という観点から神と人間の類似を否定し、恒常的で、自分は不動でありながら他のものを動かし、それはあらゆるものの中でもっとも偉大なものであると主張したと考えることができるでしょう。


2、クセノパネスの知識論 〜「知」と「思惑」〜
 つづいて、クセノパネスの知識論について検討します。
 先ずは、次に引用する資料を見て下さい。

資料1:DK21B32
また、イリス(虹の女神)と呼ばれるもの、これもまた本来は雲である。
紫に紅にまた黄緑色に見えるところの。

 この資料はどのように解釈するべきなのでしょうか。
 「イリス」というのは虹の女神の名前ですが、ここでは単に「虹」のことだと解釈してかまわないでしょう。
 そして、仮に「イリス」を「虹」と解釈した場合、この資料はどのように読むことができるでしょうか。
 普通に読むと「虹は、本来は雲だ」ということをいっているだけのように思えます。
 では、この「虹は、本来は雲だ」を解釈1としましょう。
 次に、もう一つの解釈として、ミレトス派のアルケーに関する主張を考慮に入れた上で、この資料を敢えて深読みし、「虹」は単に自然界に存在する諸々のものを代表しているだけであってそれほど重要ではなく、大切なのはむしろ「それは雲である」の方だと考えて「雲がアルケーだ」と主張しているものと解釈する方法があります。
 そして、この「雲がアルケーだ」を解釈2としましょう。
 さて、解釈1と解釈2、一体どちらが正しいのでしょうか。
 もちろん、古い時代の断片の解釈ですから、やろうと思えば、1と2どちらのやり方でも解釈できると思います。
 しかし、ここで私が注目して欲しいのは、この資料1が「虹は雲からできている」とは主張していないという点です。
 資料1の主張では、「虹」と「雲」の関係は対等の関係であって、「雲」が「虹」の素材というわけではないのです。
 もちろん、クセノパネスの資料は全て「詩」の形式で残されていますから、当時の詩が韻律を非常に重視するものであったということを考慮すると、仮に「虹は雲からできている」といいたかったのだとしても、韻律を重視して敢えてそういう言い方をしなかったということも十分に考えられます。
 しかし、学説の内容を伝えることを重視し、なおかつ、「虹は雲からできている」といいたいのであれば、「虹は雲からできている」と書くか、もしくは、そこまでストレートでなくとも韻律を崩さないようにそれに準じた表現を選び、別の言い方で同じ内容のことを記述することはできたはずです。
 ですから、ここは、クセノパネスが敢えて「虹は雲からできている」といった内容の表現をしていないのだと解釈すべきです。
 この段階で「アルケー」の概念を含んだ解釈2は破棄されます。
 そして以上のことから、この資料1は、虹と雲を対等の関係で記述している解釈1のほうで理解するのが適当だといえるでしょう。
 では、仮に、その「虹は、本来は雲である」でこの資料1を解釈した場合、その言葉にはどのような意味があるのでしょうか。
 問題なのは、なぜ、本来は「雲」であるはずのものを人間が「虹」とみなしたのかという点です。
 それについて、次に引用する二つの資料を見て下さい。

資料2:DK21B34
人の身で確かなことを見た者は誰もいないし、これから先も知っている者は
だれもいないだろう――神々についても、私の語るすべてのことについても。
仮にできるだけ完全にほんとうのことを言い当てたとしても
彼自身がそれを知っているわけではない。すべてのことに思惑がつきまとっているのだ。

資料3:DK21B18
まことに神々は、はじめから全てを死すべきものどもに示しはしなかった。
人間は時とともに探究によってよりよきものを発見していく。

 これら二つの資料をみると、資料2は「人間は決して明確なものを知ることはできない」という主張だと解釈することができますし、資料3は「人間は時間をかけて探究すればより明確なものに辿り着く」という主張として解釈することができます。
 つまり、これら二つの資料は相互に矛盾しているように見えるんですが、その矛盾は一旦置いておいて、先ずはこれら二つの資料の共通点に目を向けてみましょう。
 これら二つの資料に共通して言えること、それは、両者ともに「人間が知っている事柄と人間が知らない事柄の二つを想定している」という点と、「人間が知っている事柄を不明確なものとし、人間が知らない事柄をよりよきもの(資料2の言葉では「ほんとうのこと」)としている」という点の2点です。
 そして、さらに資料2を見てみると、人間の場合はあらゆることに思惑が付随しているが故に「ほんとうのこと」に到達できないとされています。
 つまり、人間には常に「思惑」が付いて回るがゆえに、それ以上のものには到達できないということです。
 ここに、人間が何かを「知る」ということに関して、二重構造ができていることがわかるでしょうか。
 「思惑」が付随している状態で人間が獲得する「不明確な知(思惑)」とその「不明確な知」の彼方にある「明確な知(ほんとうのこと)」。
 この二つのものによって形成されている二重構造です。
 そして、この二重構造が確認されたうえで、もう一度資料1の主張に戻りましょう。
 資料1は、「虹は、本来は雲である」というものであり、ここから「本来は雲であるはずのものをなぜ人間は虹とみなしたのか」ということが問題となっていました。
 この問題を解決する鍵は、資料2と資料3から引き出した、「知る」ということに関する「二重構造」にあります。
 つまり、人間が「雲」を「虹」とみなしたのは、人間には常に「思惑」が付きまとっているからだということです。
 そして、この「思惑」をともなった状態で獲得した「虹」という認識結果の陰には、「虹」の本来の姿である「雲」があるのです。
 このように考えてみると、資料1は資料2と資料3が提示する「知る」ということに関する二重構造の具体的な事例を示したものと考えることができます。
 さて、ここで、一旦置いておいた資料2と資料3の矛盾の問題に目を向けてみましょう。
 資料2は「人間は決して明確なものを知ることはできない」と主張し、資料3は「人間は時間をかけて探究すればより明確なものに辿り着く」と主張していました。
 この矛盾はどのように考えるべきなのでしょうか。
 残念ながら、この矛盾に関しては、それを解消することが可能となるような資料も、それをそのまま矛盾として残すべきだと主張できるような資料も残されていません。
 それゆえ、現在のところ、この矛盾をどうするかという点については明快な回答は存在しないと考えるべきでしょう。
 しかし、その矛盾が解決しなかったとしても、クセノパネスにおいては「知る」ということの結果に関して、「思惑」の付随した不完全なものと「思惑」が付随していない「ほんとうのこと」という二重構造が用意されていたということだけでも、それ以前のミレトス派から考えると思想的にかなり洗練されたと主張することができるでしょう。

 以上がクセノパネスの知識論ですが、最後に、ミレトス派における中心問題であった「アルケー」に関するクセノパネスの態度に触れておきましょう。
 クセノパネスにも、一応、自然に関する事柄が書かれている資料が残っているのですが、それらのどの資料を見ても、ミレトス派がいう「アルケー」に対応するようなものは見出すことができません。
 ですから、クセノパネスが実際に「アルケー」というものに対してそれほど強い関心を抱いていなかったのか、それとも、何らかの主張を展開していたのだけれどもそれが今日まで残っていないのか、それは定かではありません。
 個人的には、間違いなく後者であろうと思うのですが、ミレトスからイタリアへと思索の舞台が移った時点で「アルケー」に対する執着が若干薄らいだことを考えると、可能性としてはクセノパネスが「アルケー」にそれほど興味を示していなかったと考えることも不可能ではないでしょう。

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