あおげば尊し
監督:市川準
出演:テリー伊藤、薬師丸ひろ子、麻生美代子、加藤武
時間:1h22

 一昔前なら『金八』、最近だったら『ゴクセン』ですか。
 テレビでは、今も昔も、いわゆる「教師もの」のドラマが定期的に公開されています。
 でも、こういうドラマで描かれる「教師」ってやっぱりドラマですよね。
 腐ったみかんじゃないんだぁ〜!!!!!!と絶叫する先生や、美人で、お下げで、ジャージで、極道の娘の先生なんて現実世界にはいませんよね。
 この『あおげば尊し』で描かれる教師像には、『金八先生』のような熱血や、『ごくせん』のようなヒーローっぽさなんかこれっぽっちもありません。
 ある教師は飲み屋で「先生なんか、辞めてやるよ……」と、うつむいて愚痴をこぼし、またある教師は現職時代に嫌われもの役をかっていたため、退職後、高齢と病気のため死が間近であるにもかかわらず、その教え子が誰一人として見舞いに来ないというありさまです。
 そんな死期の迫った老教師を父に持つのが、主人公である現役の小学校教師(テリー伊藤)です。
 彼は自らが受け持つクラスで生じたある問題について生徒自身に考えさせるため、敢えて死に瀕している自分の父親を教材として使います。
 しかし、そんな主人公の期待は、まさにその授業の最中に、一人の心に傷を持つ少年によって、この上なく残酷な仕方で裏切られます。
 私が子供のころ、父親が町内の集会から帰ってきたとき、定年退職した教師達が、退職しているにもかかわらず、お互いを「先生」と呼び合っているのを聞いて、苦々しい口調で「退職してまで『先生』かよ……」と非難していましたが、この映画の最初の方に、私の父の言葉とは違う意味で、「先生をやっていた人っていうのは、死ぬ間際になっても先生なんだな」というニュアンスの台詞が出てきます。
 この台詞がある意味でこの映画の全てを物語っているような気がします。
 死の床に横たわる老教師と一人の少年、たった二人で行われる最後の授業。その中で起こる裏切りと再生。そして映画の一番最後の場面で合唱される「あおげば尊し」。この映画のラストシーンはある意味で「先生」という職業の究極の価値が表現されているのかもしれません。
 先生と生徒、この関係を一度も経験したことがない人というのは恐らくいないと思います。
 みんな誰もが「生徒」だったし、かつて「生徒」だった人が、今、「先生」になっているんです。
「先生」って何なんだろう?
 すごく素朴な疑問ですけど、この映画を見たときに、具体的な答えはわからないけれどもなんとなくその答えがわかったような、そんな気がしました。

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