いのちの食べかた

更新日:2007.12.3
監督:ニコラウス・ゲイハルター
時間:1h32

 近所のミニシアターでみてきました。
 なんだか知らないですけどやたらめったら客が入ってましたね。
 私がよく行っている近所のミニシアターは座席数90なんですが、60席ぐらいうまってました。
 東京とか、そういった大都市圏では座席の半分以上がうまるなんていうのはよくあることかもしれませんが、私が住んでいるような地方都市でミニシアターが半分以上うまるっていうのは滅多にないことです。
 別に、大々的に宣伝していたっていうこともなかったんですけど、なぜか、ものすごい客の入りでしたね。
 さて、映画の内容ですが、この映画、日本での宣伝のされ方とか日本向けのタイトルがちょっとおかしいですね。
 この映画の原題って“Our Dairy Bread”なんですよ。
 要は「毎日の食事」っていうことなんですけど、これを日本語タイトルで『いのちの食べかた』にするっていうのはちょっと違いますよね。
 それに、本作の予告編の最後にスクリーンに映し出されるどっかの評論家のコメントも「本作に映し出される人間の業を…」的なことが書いてあったんですが、それも、映画の内容から思いっきりずれている感じがするんですよね。
 どうも、日本での宣伝活動は本作で描かれている内容を「人間って残酷だよね〜」とか「他の生命をこういう風に犠牲にしないと生きていけない人間ってなんだかね〜」みたいな「ものすごく安っぽい倫理的なこと」と結び付けようとしている感じがするんですよね。
 でもね、本作で描かれている内容ってそういう倫理的な方向性ではないと思いますよ。
 本作はオープニングからエンディングまでただひたすら食べ物の生産過程が坦々と映し出されているだけなんです。
 もちろん、“Our Dairy Bread”という原題が示しているように、そこで生産されている食材はどこそこの地鶏とか、有名ブランド牛のような手塩にかけて育てられた動物達ではなく、人工授精によって生まれ、人工的に太らされながら狭い厩舎や鳥小屋で大量に育てられている食材用の動物達です。
 そんな食材用の動物達が機械に乗せられて自動的に皮をはがれ、腹を割かれ、内臓を取り除かれ、食肉に処理されていきます。
そんな「生き物から食材へ」という流れが何の飾り気もなく(音楽すらない!!)坦々と映し出されるのが本作のすべてです。
 当然、食肉が生産される過程ですから機械によってオートメーション化された屠畜の現場なども一切の飾り気なく坦々と映し出されるので、そこらへんが、「残酷さ」とか「可哀想」的な安っぽい感情に訴えかける映像として解釈される可能性がありますが、この映画の向かっている先はそういう方向性じゃないと思うんですよね。
 結局、原題の“Our Dairy Bread”が示しているように、われわれの食卓に並ぶ材料の生産過程をただ紹介するっていうのが全てなんだと思うんですよ。
「あっ、こういう過程を経て、食卓に食べ物が並んでいるんだな」ということを伝えるのが全てであって、タイトルの明らかな変更などによって、劇中に映像として映し出されている以上の事柄をあらかじめ刷り込んだ状態で観客に提供していくっていうのはちょっと違う感じがするんですよね。
 実際、この映画を見ても、不快感とか「人間ってね〜」見たいな感情をいだく人は少ないと思いますよ。
 大型の機械で木をゆすって、ものすごく機械的に果物が収穫されていく過程にしろ、逆さづりにされた豚が機械で腹を割かれてそこからプリップリッの内臓がポロ〜ンって出てくる過程にしろ、それらの映像は決して不快感や残酷さに結びつくような負の感情を喚起するようなものではないと思います。
 むしろ私なんか「あっ、清潔な感じで、いいなぁ〜」なんて思って観てましたからね。
 結局、この映画の意図は普段誰も教えてくれない情報を、できるかぎり手を加えることなくそのまんま提供しようということなんだと思うんです。
 その点をちゃんとわかった上でみないと、邦訳版のタイトルやどこぞの評論家のわけのわからん感想によって、せっかくの優れた映画が「人間の業がね…」みたいなどうでもいい安っぽい倫理で終わってしまいます。
 最近はドキュメンタリーでもよけいな倫理観付きで提供されるものが多い中、本作のような「情報」に徹した作品はすごく貴重ですし、その徹底した「何も加えない」感はただそれだけで良作といえるでしょうから、ぜひとも多くの人にみてもらいたい作品ですね。
 なんか、今回は普段にも増して文章にまとまりがないですね…

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