ベティ・ペイジ
監督:メアリー・ハロン
出演:グレッチェン・モル、クリス・バウアー、ジャレッド・ハリス、ノーマン・リーダス、リリ・テイラー
時間:1h31
近所のミニシアターでみてきました。
どの本で仕入れたのか、情報の出所が定かではないのですが、以前、何かの本で「アメリカのAVは“露出”という点ではオープンだけれども、人権団体の目が厳しいので、“SM”や“レイプもの”に関してはものすごく厳しい規制がかかる」という話を読んだことがあります。
インターネットが世界中に広がって、みようと思えば「殺人動画」まで見れてしまう規制のゆるい現代でさえそういった事情があるわけですから、本作『ベティ・ペイジ』の舞台となる1950年代はそれはもう、今の我々からは考えられないような厳しさだったことでしょう。
実際、映画の冒頭で、警官が一軒の本屋におとり捜査的に忍び込んで、エロ雑誌を裏で売買しているその店の店主を摘発するというシーンがあるんですが、現代だったら、たかがエロ本におとり捜査なんてしないですよね。
ていうか、そもそも、最近はDVDやネットが普及したおかげでエロ本を買うのは若くてもせいぜい30代までで、メインとなる購買層は40代や50代だそうです(この情報はMSNニュースで仕入れました)。
いってみれば、エロ本にとって現代という時代はまさしく「斜陽」の時代ということなんでしょうが、本作の主役であるベティ・ペイジはそういったエロ本に掲載されているエロ系グラビアの走りとなった人物です。
もちろん、劇中にも描かれているように、エロ系グラビアといっても所詮は50年前のグラビアですから、その内容はといえば、おもちゃのようなボンテージファッションと、現代人の感覚では「エロ」とすら思えない健康的なヌード写真だけなんですが、それでも当時の規制と倫理観の中ではものすごく衝撃的な写真だったのでしょう。
ある一つの写真が「エロであるのか否か」とか、「背徳的であるか否か」といった問題には、何か絶対的な規準があるわけではなく、所詮はその時代の社会通念といった曖昧模糊とした空気のようなもので決まってしまうのでしょうが、恐らく、当時としては、これら「エロ系グラビア」雑誌にモデルとして掲載されるということは、現代でいうところの「AV出演」か、もしくはそれ以上に背徳的なことだったのではないかと思います。
そんな、当時としては極めて非道徳的な仕事とされてきた業界でベティ・ペイジは活躍するわけですが、なんか、本作のなかで描かれるベティ・ペイジのありようってものすごく軽いんですよ。
「軽い」というか、厳密に言うと「無邪気すぎる」もしくは「ピュアすぎる」といった表現になると思うんですが、写真を撮っているときのベティ・ペイジや自分の写真が掲載されている雑誌を恋人と購入するときのベティ・ペイジのあり方にまったくといっていいほど「うしろめたさ」を感じないんですよね。
映画の前半で描かれているんですが、このベティ・ペイジという人、宗教的にものすごく厳格な家庭で生まれ育ったらしいんですね。そして、そういった環境で彼女が身につけたキリスト教的な倫理観の強さが劇中では何度も示され、最終的に、ベティ・ペイジはある日ふとみつけた教会で牧師の説教を聞くことで改心し、ピンナップガールを引退して、そこでこの映画は幕を閉じるんです。
しかし、仮に、このベティ・ペイジという人物が本作に描かれているように宗教的な倫理観の強い人であるならば、さっき書いたような「後ろめたさのなさ」はどうも不自然です。ましてや、このコンテンツの最初の方で書いたような1950年代当時のアメリカの社会的な風潮を考え合わせると、なおのこと、劇中のベティ・ペイジの無邪気さは悪い意味で目立ってきます。
確かに、映画の前半で若い頃のベティ・ペイジが男達にだまされてレイプされてしまうシーンがあるんですが、作品全体の描写を考えてみると、そのレイプ事件の段階で神に対してベティ・ペイジが一旦絶望したと解釈するのも不自然な感じです。
結局、全編を通じてベティ・ペイジの健康な無邪気さがものすごく浮いているんです。
もし、これが、現代のAV女優を主人公にしたフィクションだったら、主人公の人物像にもっと深みを持たせると思うんですよね。
それを考えると、本作では、わざわざ1950年代に活躍したピンナップガールを主人公にした意味がなんとなく希薄なんです。
むしろ、本作の終わり方を考慮したうえで、この映画に対してものすごくうがった解釈をすると、この映画自体がアメリカのどこぞのキリスト教団体が広報活動のために作った映画なのではないかと疑ってしまいます。
ものすごくまとまりのいい映画で優等生的な完成度なんですが、「まとまりのよさ」という意味での優等生な部分が映画の内容にまで影響してしまった残念な出来上がりですね。
取り上げた題材も主人公の女優さんもすごくよかっただけに、主人公の人物設定の薄っぺらさがなんとも悔やまれます。