非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎
監督:ジェシカ・ユー
ナレーション:ラリー・パイン、ダコタ・ファニング
時間:1h22
近所のミニシアターで見てきました。
本作はかなりマイナーな題材を扱ったドキュメンタリーなので、「もしかしたら貸しきり状態なのかなぁ…」という淡い期待を抱いて映画館に行ったんですが、金曜日のいちばん遅い上映回だったにもかかわらず思いのほか客が入っていました。
もちろん、「客が入っている」とはいっても所詮は地方のミニシアターですから、せいぜい20人ほどだったんですが、それでも、マイナーな題材を扱った映画を上映している地方のミニシアターに20人も客がはいるっていうのはすごいことなんです。
さて、冒頭から「題材がマイナー」ということを言い続けていますが、本作は『非現実の王国で』という歴史上恐らく最長であろうとおもわれる長大な小説を残したヘンリー・ダーガーという人物を主題にしたドキュメンタリーです。
「歴史上最長の小説を書いた」といえば十分に歴史人その名前が残っていそうなものですが、このヘンリー・ダーガーという人物の名前はほとんど知られていないですよね。
実際に本作を見ていただけると一番手っ取り早いんですが、とどのつまり、このヘンリー・ダーガーという人物、かなりの変人だったらしいんですね。
ていうか、恐らく、現代であれば、単に「変人」という括りでまとめられる人物ではなく、メンタル面で何らかの病を持つ人という部類にまとめられる人物だと思います。
本作は、そんなヘンリー・ダーガーの少年期から晩年までがダイジェスト的に収録されているんですが、劇中に描かれているヘンリー・ダーガーの様子を見る限り、子供のころは意外と普通の少年だったようです。
しかし、大人になるにつれて、少しずつ少しずつ芽生えてきてしまうんですね。
何かが…
かなり早い段階で両親を失ったということとも関係しているのかもしれませんが、このヘンリー・ダーガー、成長していくにつれて少しずつ周囲の人と距離をとりはじめるんですね。
学校で同級生と遊ぶこともなく、卒業した後も企業に就職することもなく、キリスト教系の慈善団体が運営する病院で清掃員のアルバイトをしながら小さなアパートを借り、そこで生涯独身のままたった一人で暮らしていきます。
たまに他人と会話をするといっても隣に住んでいるアパートの大家さんと雑談をするぐらいで、それ以外は完全に他人とのコミュニケーションを遮断した生活を送るんです。
そして、そんな引きこもり全開の暮らしの中で、あるときから、ヘンリー・ダーガーは長い長い物語を書き始めます。
それが、本作の主題にもなっている『非現実の王国で』です。
この『非現実の王国で』は、グランデリニアという軍事国家と、カトリックを国教とするアビエニアという宗教国家との戦争を描いた作品です。主人公は、アビエニアの軍隊を指揮するビビアンガールズという七人の少女戦士。彼女達は敵国であるグランデリニアにつかまったり、罠にはまったりしながらも、何とかその場を切り抜け、最終的には常にアビエニアの側に勝利をもたらします。
こんな感じでストーリーの概略だけを書くと、なんとなく普通の戦争叙事詩みたいに思われてしまうかもしれませんが、本作に特徴的なのは、そのストーリーよりも作品のところどころに挿入されている挿絵の奇抜さです。
雑誌や広告からの切抜きなどを利用しながら描かれた挿絵の数は300を越え、その一つ一つが数メートルに及ぶ大作なんですが、この挿絵で問題になるのは、その中に描かれている少女戦士達の風貌なんです。
先にビビアンガールズをはじめとして、本作に登場して挿絵に描かれている少女戦士たちにはそのほとんどにペニスが描かれています。
つまり、『非現実の王国で』に登場する少女はそのほとんどが雌雄同体なんですね。
この雌雄同体の少女達が活躍する軍事国家と宗教国家との戦争物語について、本作では、作者であるヘンリー・ダーガー個人の生い立ちや、他者との関係を徹底的に拒む彼の病的な精神状態との関連から解説を試みていますが、個人的にはそれらの解説にはちょっと「?」という感じですね。
みうらじゅんや伊集院光がしばしばDTという概念を提唱していますよね。
DTとは、すなわち、童貞のことなんですが、みうらじゅんや伊集院光は、しばしば、このDTの頃の男性に特有の精神状態を取り上げて、それをすごく特殊なものとして提示しますよね。
ありとあらゆるものを吸収する「人間スポンジ状態」とか、極度のエロと極度の羞恥心が同居した結果、最終的にエロが勝ってはたから見たらものすごく間抜けな行動を取ってしまう哀愁漂う体たらくなどについて、彼らはさまざまなメディアで嬉々として語っています。
そんな彼らのDT理論のなかでとりわけみうらじゅんが好んで使うフレーズに「DTをこじらせた」というものがあります。
この「DTをこじらせた」とは、DTに特有の状態を自分自身でドンドン加速させてしまった結果、通常のDTよりもさらにおかしな精神状態にはまってしまった状態のことを指すんですが、私が思うに、『非現実の王国で』に反映されているヘンリー・ダーガーの状態って、この「DTをこじらせた」という状態を究極まで突き詰めた状態だと思うんですね。
つまり、他人と接点を持たないまま「極度のエロ」と「極度の羞恥心」を加速させていった結果、DTを極限までこじらせてしまい、その結果として生まれた産物が『非現実の王国で』なんだとおもうんです。
本作でなされている解説では、ヘンリー・ダーガーの性的な欲求に関する部分にはあまり触れられていませんでしたが、どうも、私は個人的にヘンリー・ダーガーの性欲と作品の関連性が気になるんですよね。
映画も表現物であると同時にメディアですから、「性欲」っていう要素を強く打ち出すっていうのは厳しいのかもしれませんが、それでも、やっぱり、個人的にはその「性欲」の部分、もっと言えば、「DT」の部分、それこそが一番重要な点だと思うんですよね。
そんなわけで、個人的には「もうちょっと踏み込んで欲しかったなぁ」という欲求不満感が残る作品でしたが、普段、あまり日の目を見ることがないマイナーなアーティストに光を当てたドキュメンタリーとしてはかなり秀逸な出来だったと思います。