ローズ・イン・タイドランド
監督:テリー・ギリアム
出演:ジョデル・フェルランド、ジェフ・ブリッジス、ジェニファー・ティリー、ジャネット・マクティア
時間:1h57

 近所のミニシアターで見てきました。
 前評判もそれなりに高かったように思いますし、私が見たのと同じ回の客の入りも悪くなかったので、期待してみたのですが、正直、ちょっと、いまいちでした。
 ヤク中の両親に劣悪な環境で育てられたローズという女の子が、両親の死に遭遇しながらも、一人で生きていくというストーリーなんですけど、このストーリーの中で、ローズが発揮するとてつもない想像力を監督のギリアムはどういう意味で描きたかったのか、最後までなんとなく不明瞭だったんですよね。
 主人公のローズがおかれている環境って、どう考えても最低なんですよね。母親が薬の中毒で死んだ後、父親と一緒に引っ越してきた祖母の家は倒壊寸前のぼろ屋敷で、しかも、その家の中で父親も薬によって中毒死してしまうし、近所に住んでいる人も完全に変態ですから、ローズの生活環境って、どこをどう見ても逃げ場がない変態的な閉塞空間なんですよ。
 そんな中で、ローズは生首状態のバービー人形を友達にしながら、その変態的な環境を物語の世界に置き換えて生きていくんです。
 その、現実の環境を物語りに置き換えるときに発揮されるのが、ローズの想像力なんですが、この想像力って強さなんでしょうか、それとも弱さなんでしょうか?
 なんとなく、映画を見ていると、子供の想像力の強さというものをリスペクトした側面があるような気がするんですけど、現実を物語りに置き換える想像力って「強さ」なんでしょうか?
 むしろ、個人的には「弱さ」のような気がするんですよね。ある種の現実逃避というか…。
 実際、この映画の中で、ローズは友達の生首バービー人形と独り言的に会話(自分の言葉も、人形の言葉も一人二役)するんですけど、このとき、バービーの台詞として語られるローズの言葉って、すごく現実的で目の前の困難な状況に対する危機感を表していることが多いんですよ。そして、そんな危機感を表す主張をするバービーに対して、ローズが現実を物語りに置き換えてポジティブに返答するんですけど、この場合の「物語への置き換え」って強さでしょか、弱さでしょうか?
 もし、この想像力を「強さ」で捉えるなら、この映画はものすごく楽観的な映画のような気がします。
 しかし、逆に、この想像力を「弱さ」で捉えるなら、この映画はものすごくサディスティックな映画のような気がします。なにせ、現実という困難を物語という娯楽に変えていくわけですから、現実という舞台設定を提示する監督と、その舞台設定に対応していく映画の主人公は完全にSとMの関係のような気がします。
 結局、主人公の想像力を「強さ」と見るか「弱さ」と見るかでぜんぜん印象の変わる映画のような気がします。
 最後に、個人的には、あんまり笑えるシーンが少なかったんですけど、ローズの父親がジャケットのインナーとして日本の「はっぴ」を着ていて、そのはっぴのあわせの部分に「ことぶき」って書いてあったのには笑えました。

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