処女の泉
監督:イングマール・ベルイマン
出演: マックス・フォン・シドー、ビルギッタ・ペテルスン、グンネル・リンドブロム、ビルギッタ・ヴァルベルイ、アラン・エドワール
時間:1h26

 近所のミニシアターで見てきました。
 地方都市に住んでいると、こういう古い映画をスクリーンで見るという機会は滅多にないので、スタッフの方々の努力に心から感謝いたします。
 さて、この映画、いわゆる「宗教もの」です。
 遠藤周作が、『沈黙』という小説を書いていますが、人の犯した罪と、それに対する神のあり方というものを描いた作品としては、『沈黙』と『処女の泉』は相いれない部分があるように思います。
 というのも、『処女の泉』の方の神は、「沈黙」しないんですよね。
 ある日曜日、田舎の豪農の娘が教会にロウソクを捧げに行く。しかし、その途中、森の中で、「ヤギ飼い」と名乗る男達にレイプされ、撲殺されてしまう。その夜、帰ってこない娘を心配する両親のもとに、娘を殺した「ヤギ飼い」の三人組みが、偶然、一夜の宿を求めてやってくる。快く、三人を迎え入れる父親だが、ひょんなことからこの三人組みが自分の娘を殺した犯人だということを知ってしまう。怒った父親は、復讐のため、三人を殺害する。翌日、娘の遺体を捜しに行った父親は、遺体を発見し、その無残な姿に泣き崩れるが、娘が亡くなったその場所に教会を立てることを神に誓う。すると、娘の遺体が横たわっていたところから突如として泉が涌き出る。END
 作品全体を概観すると、こんな感じのストーリーなんですが、娘の父親が犯人達に「復讐した」っていう部分が、いわゆる、「罪」に当たる部分です。
 現代の我々の感覚からしたら、こんなのは罪でもなんでもないように思いますが、強い信仰心を持っている人達にとってはやはり「罪」なのでしょう。
 そして、問題になるのが、この「罪」に対する神のリアクションということになるのでしょうが、本作の中では、「泉が沸く」という仕方で、神がこの父親の罪を許したという結論になっているように思うんです。
 「『処女の泉』っていうタイトルなんだから、何とかして泉が沸かないとどうしようもないだろ!!」って言われてしまえばそれまでなんですが、この「泉が沸く」っていうラストシーンはけっこう賛否両論あると思います。
 個人的には、泉が沸かないで欲しかったですね。
 神には徹底して「沈黙」を貫いて欲しかったです。
 私自身、宗教的な人間ではないので、神がいようがいまいがどっちでもいいんですけど、でも、どうなんでしょうねぇ、この「泉が沸く」っていうのは…
 シンプルで、上映時間も86分と手頃ですし、まとまりのいい優れた名作だとは思うんですが、この「泉が沸く」という点に共感できるかどうかといわれれば、ちょっと…、という感じの作品でした。

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