第七の封印
監督:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー
時間:1h32
近所のミニシアターで見てきました。
正直、この映画はあんまり客の入りが良くないのではないかと思い、ゆったり座って見れることを期待していたのですが、実際には、思いのほか人が入っていて、ゆったり気分で…、というわけにはいきませんでした。
ごく私的な話になるんですが、この映画、見始めるまでははじめてみる作品だと思っていたんです。でも、映画の途中で、以前見たことがあるということに気付きました。
私がまだ学生だった頃、中世哲学を研究している教官が、学生用研究室の横にあるちょっと広めのスペースに学生を集めて、この映画の上映会をしてくれたんです。
その場に私もいたわけですが、映画の中頃、ちょうど疫病を神の罰だと恐れて村人達が十字架を背負って行進するシーンのあたりになるまで、全く気付きませんでした。
死神の顔とか、むちゃくちゃインパクトがあるのに、何で気付かなかったんだろう…
そんなわけで、二回見ることになったこの映画ですが、基本的に娯楽性はまったくといっていいほどないですね。
一応、コミカルな部分もあるんですけど、現代の日本に住む我々が見て笑えるかといったら、まぁ、笑えないんですよね。
ですから、特に、はじめてみたときなんかは本当になんか小難しい、いわゆる、「文芸」な感じの漂ってる作品だなぁという印象で終わったんですけど、今回は、最初に見たときよりはもうちょっと楽しめましたね。
もちろん、娯楽として楽しんだっていうよりは、むしろ、小難しい小説を読み終わった後の充足感みたいな意味での「楽しんだ」ですけど…
作品の中で、死神に自らの「死」を宣告された騎士が、自分の「死」の免除をかけて死神とチェスで対決するんですけど、このとき、自分が負けそうになると、時間を稼いだり、駒をひっくり返したりして、さりげなく抵抗するんです。
この騎士、一見すると、目前に迫った自らの「死」を全く恐れていないように見えるんですけど、実際はそうではなくて、心の底でには「恐怖」があるんです。
舞台設定が魔女狩りの行われていた中世ヨーロッパということで、この作品にも魔女と疑われて火あぶりにされる少女が出てきます。
この少女が死の間際に、主人公の騎士に向って、「死に直面していても自分には恐れなどない…、私の目を見ればわかる」的なことをいうんです。そして、それを受けて、騎士はその女の目を見て「私には、お前の目の中に、むなしさと恐怖しか見えない」と語るんです。
他人が死を前にしたときのむなしさと恐怖にこの騎士は気付いていたんです。
でも、自分が死に直面したとき、自分の中に芽生えているはずの「恐怖」や「むなしさ」に、この騎士は気付いていたのでしょうか?
劇中、疫病(具体的にはペストですが)を神の罰と恐れて祈りを捧げながら行進する人々が出てきます。
彼らは疫病=死を恐れているわけですから、当然、自らの内側に渦巻く「恐怖」などの感情を自覚しているはずです。
では、この人々、普段はどういう人達かというと、神への信仰など全く関係なく、普通にプラプラと、ある意味では、堕落した生き方をしている人たちなんです。
そして、そういう人達もいるかと思えば、その一方で、神を篤く信仰し、十字軍にも従軍したにもかかわらず、自らの内面的な恐怖に無自覚な騎士がいる。
ここに、信仰を持つものの内面的無自覚と、信仰を持たないもの達の内面的自覚という対立構造が描かれているようにおもいます。
ベルイマンが「信仰」というものをどのように捉えていたのかは、本人じゃないのでわかりませんが、「信仰」という仕方で全てを神に預けてしまうことによって生じる、自分自身に対する「無知」というものを、ベルイマンは一つの要素として「信仰」の中に読みこんでいたのではないかと…、そんなことをふと感じました。
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