雪の女王
監督:レフ・アタマーノフ
出演(声):Y.ジェイモー、A.カマローワ、M.ババノーワ、G.コナーヒナ、V.グリプコーフ
原作:アンデルセン
時間:1h25(『雪の女王』と『鉛の兵隊』2本分の上映時間)

 近所のミニシアターでみてきました。
 他の劇場ではどうだか分かりませんが、私がみにいったミニシアターでは『雪の女王』と『鉛の兵隊』の日本が同時上映されました。
 配給会社的にもミニシアター的にもメインは『雪の女王』なんでしょうが、私個人としては、『雪の女王』よりも『鉛の兵隊』の方がおもしろかったですね。
 ここ最近、ハリウッド系のアメリカ映画を中心に「ハッピーエンド症候群」とでもいいたくなるような風潮が蔓延していて、ストーリー的にどんなに悲劇的な流れであっても最後にはそれまでの流れをすべて無視して無理やりハッピーエンドにしてしまうような作品が垂れ流し状態で量産されていますが、そんな風潮のなかだと、ひときわ、この『鉛の兵隊』が強く輝きますね。
 鉛のスプーンを溶かして作られた一本足のおもちゃの兵隊が、同じ家にある踊り子の人形に恋をします。踊り子もそんな兵隊に惹かれて二人は相思相愛に…。しかし、同じ部屋にある空っぽの煙草入れの中には踊り子に一方的な恋心を寄せる悪い魔法使いが…。悪い魔法使いから踊り子を守るため、兵隊は必死に戦いますが、魔法使いの策略にはまって兵隊は窓から家の外に転げ落ちてしまいます。愛する踊り子と再会するため、鉛の兵隊は必死の冒険をすることに…
 大まかに書くとこんな感じのストーリーなんですが、これねぇ、ラストがものすごくいいんですよ。
 決してハッピーエンドじゃないんですけど、「あぁ…」っていう感じで、完成度の高さを感じさせてくれます。
 この手の作品はネタをばらしてしまうと台無しになってしまうので、ラストについては敢えて何も書きませんが、ハリウッド的な「ハッピーエンド症候群」に侵されている感性を思いっきりまっとうな方向に戻してくれました。
 20分あるかないかの短編ですが、すごくよかったですね。
 もう一本、メインとして上映された『雪の女王』は、宮崎駿が全面プッシュする形で上映された映画ですが、正直、いまいちでしたね。
 幼馴染のカイとゲルダは互いに思いやって暮らしていました。ある冬の日、暖かい部屋で二人がおばあさんから「雪の女王」の話を聞いていると、表に雪の女王の気配が…。怖がるゲルダにカイは「雪の女王が来たら暖炉の上に座らせてやるよ!!」と強がってみせますが、この言葉に激怒した雪の女王は魔法をかけてゲルダの性格を思いっきり捻じ曲げてしまいます。これまでやさしかったゲルダが突然豹変してしまって戸惑うカイ。そして、ある日、カイはついに雪の女王に連れされられてしまいます。愛も、喜びも、痛みもない、平穏と孤独が支配する氷の宮殿で暮らす女王とカイ。そんなカイを助け出すべく、ゲルダは一人で旅立つが……
 大まかに書くとこんな感じのストーリーですが、本作に描かれるゲルダのあり方に「愛するもののために身を呈して戦う女の子」という「ナウシカ」や『ラピュタ』の「シーダ」に通じるジブリのモチーフの原型を見て取ることができますね。
 ただ、でも、一本の映画としてみた場合は、正直、いまいちですね。
 60分ほどの短い作品なんですが、40分ぐらいしたら何度も時計を見てしまいましたからね。
 途中からなんとなく映画から気持ちが離れてしまったので、「このダルさの原因はなんだろう」と自問自答してみたんですが、これ、恐らく、「魔法」の多様に原因があると思います。
 この『雪の女王』では、ことあるごとに「魔法」が使われます。
 「物語において『魔法』とは何か?」っていう問いを立てた場合、その答えはきっと「無理やり形成された因果関係」ということになるでしょう。
 通常は、誰かの行為Aから何らかの事柄Bが生じ、その事柄Bからまた別の人の行為Cが生じ…、という仕方で因果関係が形成され、その全体像として物語が生じます。
 しかし、物語の作者が、ある事柄Aの結果として別の事柄Bを成立させたいんだけれども、どう考えてもAからBが生じない場合、その無理やりな因果関係を成立去るために用いられるのが「魔法」です。
 例えば、主人公が敵と遭遇したとします。作者の思い描くストーリー上、主人公はこの敵を倒さなければならないのですが、この敵は火で燃やさないと倒すことができず、普通にポコポコ殴って戦っても倒せません。ところが、主人公は火をおこす道具を持っていません。つまり、この段階で、主人公はこの敵を倒せないんです。
 しかし、ストーリー上は倒さないと話が進んでいかない。そこで、「主人公の攻撃」という原因から「敵を倒す」という本来成立不可能な結果を無理やり生じさせるために、火をおこすための「メラ」的な「魔法」が登場するわけです。
 つまり、物語における「魔法」とは、本来、成立させることのできない因果関係を無理やり成立させるために用いられる道具なんです。
 そして、その無理やりな因果関係を生じさせる道具である「魔法」が多用されるということは、その作品は因果関係の構造が緩い部分が多い、いいかえるならば、構成が緩いんです。
 この「魔法」の多様に現れる構成の緩さが、私が『雪の女王』にダルさを感じた原因だと思います。
 『雪の女王』のDVD版には『鉛の兵隊』は収録されていないみたいですが、個人的には、むしろ『鉛の兵隊』の方をメインにして欲しかったですね。

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