日々是好日口実 2012.1st q.


龍宮の使い



□120101 賀正


 昨年の災難が尾を引いたまま終り、新しい年がやってきました。果たしてこの言葉が相応しいのか分りませんが、あけましておめでとうございます。

 昨今は見るもの 聞くものヤなことばかりです。とは言え、世間と没交渉ながらネットの小窓から覗き見るくらいの付き合いで、今年を過ごそうと思います。昨年末に「内なる自分に対峙する時代」と書きましたが、極私的な「銀次プロジェクト」を立ち上げ少し考えてみようと、御神酒から冷めつつ思い至ったところです。

 そういえば、昨年末に「読まずに死ねるか」の内藤陳氏が亡くなりました。読むべき本が果てることはないでしょうに。ご冥福をお祈りします。実は、読書傾向は違うとはいえ、ケノはズッとこの言葉と共にありました。種々のメディア上の書評を読むと、偶に「これは絶対に読め」という気迫に満ちた記事に当たります。内藤氏の言葉を思い出して買って読むと大当たり! その成功体験が忘れられず、似たような書評に遭うと己の脳味噌レベルを無視して本を買ってしまいます。そして「読まずに死ねるか」本が本棚で増殖するわけです(それ以外にもホイホイ購入していますので大変です)。読書は今やケノの存在確認になっています。というわけで、当モナ丼は読書感想文の頁に純化しようと、御神酒の影響下で宣言するものであります。多分、ヒト月もたないでしょうが。

 本年も宜しくお願いいたします。

2012年 元旦
 ケノ敬白

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□120107 目米鼻異を笑う

どうもぅ。

 正月早々きたない文字が表題にあってはいけないと文字を分裂させていますが、仕掛けは消化いただけるものと思います。さて、三賀日が済み会社に出てまた直ぐに三連休です。年末も同じように休みがあり、Job に身が入りませんね。で、ケノの頭はアッチの世界へ行ったっきりで、ネバネバ・ドジョウ税やら白黒不満安全弁選挙など遠目で見て、紅旗征戎非我事也とばかり本を読み暮らしています。休みの多さに任せて、ここぞとばかり普段は手を出さない方面の本に手を出しています。高島センセの悪口本ばかりじゃ申し訳ないので、マジな本で昨年末を〆ました。というわけで通勤じゃない読書は;

高島俊男, 漢字と日本人, 文春文庫198
漢字と日本人  今の日本語は漢字なしでは成り立たない。同音異義語が多いが、漢字のおかげで読めば混同することは少ない。漢字の元の国とは異なる音読みをし、且つ訓読みがある。他にも多くの問題を抱えている。この漢字と日本語との複雑な関係をを歴史的に解説し、今後の付き合い方を示した本である。【つづき

 § 

 平成23年12月26日付け法務省告示第582号に、在留カード等に係る氏名が盅国の簡体字であるとき日本語の漢字表記にするときのルールを示しています。在留カードの他に入管法に関する特例法(平成3年法律第71号)にある特別在留者証明書も同様ですが、日本国民の住民基本台帳となっている住民票に外国人を登録するとき簡体字がないので、日本語漢字で代用しようというわけです。これは盅国人サービスですね。元の正字から日盅2種の簡略字ができたときは読替えは楽ですが、別の正字から似た簡略字体がある場合や国語審議会が簡略字体を作らなかった場合などは無茶苦茶の読み換えになるみたい。将に目糞鼻糞を笑う字体、じゃなかった事態が生まれているわけです。

 そもそも、改悪入管法で「外国人登録原票記載事項証明書」を廃止して日本国民の住民票に入れるのがおかしいのですね。偽装結婚して住民票に入いれば、偽装結婚を解除しても住民票があるので滞在できます。できるだけ日本国籍をとるか帰国するかの二者選択を迫るような法律にしておくべきなのに。更に、北朝薊が崩壊して難民が押しかけ、朝薊総蓮が偽装結婚を斡旋したりして、日本は難民国家になってしまいそうです。大阪市は要注意ですね。区長が公募ですから。それに、年金や介護保険も横取りされる惧れもあります。今年施行じゃなかったか知らん。罠主党のやる事は怖いですね。

 ほら、年頭の約束を1週間と守れなかった。会社に2日間出ただけでストレスがたまったんでしょうね(<ヲイヲイ)。

ではまた。

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□120114 年計に心巡らす

まいど。

 曇がちで寒々として外出したくない気分の毎日です。でも、先週は2日、今週は4日も会社に出ました、って普通のことですが、正月休みが長かったので、リハビリが終ってない感じです。年越しても毎夜、Tube だの Stream だのと動画ばかり見ています。デフレ脱却と東北復興が第一優先の政策であり国家財政の改善=公務員給与確保なぞ後の話だ、と識者が言っていることが当を得ていると思います。どうもネット情報が現実に近くTVは嘘情報に溢れているので、TVは殆ど見なくなりました。

 それでもネット動画を見て時間を浪費しているわけで、そろそろコノ生活からも足を洗って充実した時間を持てるようにしたいものだと、遅ればせながら一年の計に心を巡らしているところです。というわけで、今週というか正月明けらしい今週の通勤読書は;

吉海直人, だれも知らなかった百人一首, ちくま文庫
だれも知らなかった百人一首  藤原定家は、秀歌を撰ぶにあたり従来の三十六歌仙ではなく、後鳥羽上皇の「時代不同歌合」を参考にし、八代の勅撰和歌集から引いた秀歌集「八代抄」から抜粋して、百人各一首の歌合として秀歌撰をなした。それを色紙に書いて小椋山荘に貼った。宇都宮頼綱蓮生の中院山荘にも貼ったようだ。このときは藤原家隆は正三位であった。後に家隆は昇進し、定家の子為家が色紙和歌の家隆を従二位と改めた。更に為家は冊子に編成し「百人一首」と名付けた。【つづき

 § 

 正月休みの間に読書ノートが No.32 となりました。アピカ・スーパーデラックス・ノートでは5冊目です。毎回、引継ぎ式を写真にしていましたが、飽きちゃいましたので、今回はありません。

 以前も書きましたが、ケノは新しい読書ノート綴手帖には右肩にページ番号を振ります。ノートの最初の頁には目次を作り記載箇所のページ番号を入れます。また、書いていて「アレ?前に書いたのと関係あるかも」と思ったら書き込みを探し出して「p.XX 参照」とメモします。松岡正剛の『多読術』に「本はテキストが印刷してあるノートだ」という記載がありました。これには同感で、ケノは本を読むとき斎藤流のマークを入れたり、「p.XX 参照」とメモしたり、著者への反論を書いたりします。このスタイルから見ると、頁付きのノートとなって初めて「ノート型」の本とコンパチになるのです。

 アピカから高級ノートがでますが、そんなモンより、頁付きノートを作っていただけないですか。このままだと、万年筆用の落書き帖が増えるだけですヨって、勿論ためしに買います。春分を過ぎた頃から、そろそろ最後の勅撰和歌集『風雅集』を読もうかと思ってるので。

ではまた。

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□120121 厄払い

どうもぅ。

 今週は全般的に曇がちで、木/金は雨でした。水曜が晴れ、この日T京出張、富士山がキレイに見えました。山頂に少し雪を冠り、谷襞に沿って細い白筋数十本が五合目あたりまで伸びていました。何時も思うのですが、富士山が見えると得をした気分になります。昼食後に松○本舗で文庫2冊を購入、帰りは用事が済むや即新幹線でした。

 K戸に帰り着いて即近くにあるT畑厄神の厄除祭に行きました。八幡と稲荷には参りましたが、厄神祭塚での人形供養はせず。というのも横4列の待ち行列が2往復も大蛇のようにうねっていましたのでネ。本当はこの塚の泉が境界神のご神体だと考えられるのですが、ケノとしては大貝のつぼ焼きを肴に(勝手に御神酒と呼んでいる)カップ酒の熱燗を啜って帰りました。持ち帰りのタコ焼きが夕食です。

 この厄除祭は近世中国の全真教と同根信仰の分流だとケノは考えています。正月19日に神(真人)が降りてきて願いを聞くので、土曜日曜に合わせればもっと人出があろうに、19日に本祭という日程は動かせないのです(旧暦正月19日は今年なら新暦の2月10日、去年は21日)。ところが、今年は18日の前夜祭に多数集まっていました。ケノは19日から雨なので出張帰りながら強行したのですが、皆さん同じことを考えていたようで、真人といえども天気には勝てなかったのです。というわけで、正月休みのハードカバー読書は;

樺山紘一, ルネサンスと地中海, 中央公論社
ルネサンスと地中海  ルネサンスというとJ.ミシェルが「文化の更生」の意味で学術用語とし、ブルクハルトが「文化の復古再生」と再定義して「近代の出発点」として位置づけたが、今では様々の反論が出ている。(1)中世から欧州で様々の文化運動はあったし、(2)欧州にはなかったが地中海世界には古代が継承されていたし、(3)何よりルネサンスの知性の核心は占星術と錬金術であり、(4)ルネサンスと近世とは近いものではない、ということである。これらの反論に沿うように樺山氏は、ルネサンスの春・夏・秋を綴っている。【つづき

 § 

 服部禎男という旧動燃出身の技術者がホルミシス効果の根拠の一つと考えられる実験事実をクセのある喋りで解説しているのが話題になっています。あのコンベルソ急先鋒の武田氏ですら、5mSv/y までなら放射線は体に良いというようになりました。それは、100 〜 500 mSv/5min という強いα線照射でマウスの SOD や GPO という活性酸素分解酵素の活性が数倍に上昇すること、ならびに同様の照射で細胞膜や核膜の透過性が向上することです。活性酸素の DNA 損傷の強さは自然放射線(2.4mSv/y)の一千万倍もあり、大気中で生きる生物は DNA の修復をし続けている。一説には、細胞1個あたり一日百万回の修復という。従って、放射線は細胞損傷の防御や修復促進に役立つということになります。そこで池田信夫氏のこんな論も出てくるわけです。

 ケノも直感的ですが、子供や女性は原発近くの浜通りの風下は避けたが良さそうですが大人にとってはラジウム温泉と同じだろうと想像しています。要は、愚にもつかないメディア等による風評に踊らされず(上水処理場や夜光塗料でTVは恐怖心を広げたことを思い出してください)、奇怪な処理対策による無駄をせず、淡々と被害対応をすれば何の問題も起きないと想像しています。厄は塵ではなく心に付くのではないでしょうか。

ではまた。

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□120128 快適な寒さ

まいど。

 土曜の朝、曇ながら空は明るく、降るようには見えないのに、雪が疎らに舞っています。きっと中国山地から瀬戸内側へ飛んできたのでしょう。これでも寒さはまだ序の口で、来週の木曜日に寒波が来て、いよいよ氷点下の朝になるに違いありません。今月は24日に「道路溜水凍、寒椿花落、三色菫と梅花咲在」とメモがありました。出勤で寒い中を歩いていて冬に花が咲いているのに驚いたのですが、この日より最低気温は下がっているのに氷を見ませんね。水気がなくなったのかも。

 寒いといえば、風で耳が痛くなるので耳当てをして歩いています。古い i-Pod nano を借りて、折畳み式のヘッドフォンに毛の耳当てアダプタをつけて、Mozart のPコンを聞くわけです。i-Pod は今まで使ったことがなかったのですが、こりゃイケます。i-Tune も x25 倍速で CD を読み込んでくれるし、音質も聞けないという程ではないし。本来の目的は耳の保温ですが、けっこう暖かです。更に、耳が温かいと顔が冷たくても寒く感じないのは不思議ですね。快適です、さすがに電車の中では外しますが。というわけで、背筋が凍るほどではない今週の通勤読書は;

田中貴子, 百鬼夜行の見える都市, ちくま学芸文庫
百鬼夜行の見える都市  百鬼夜行とその周辺を整理した本である。本の表紙にあるのは「百鬼夜行絵巻」であって、これは本来の百鬼夜行ではなく付喪神(器物の化物)が夜行しているのであるから、いちど話の初では別物として考えておく。田中氏は百鬼夜行をさらに分解する。鬼とは?夜行とは?と。鬼そのものではなく「心の鬼」という言葉を取りかかりとするのである。日本古来の神や怪異は見えないものであるから鬼も人の心で見る。心という考えは、法相宗の唯識論が影響を与えた。その上で古代中国の「無名羅刹集」が人の煩悩を羅刹(鬼)でなぞらえた事を受けて「心の鬼」という表現が出たとしている。やがて自己制御できない邪悪な心が鬼として自立する。それは仏教や民俗的な行事で鬼が演じられ、また地獄の鬼(獄卒)が絵に描かれたので、鬼は実在をもったイメージとして定着した。鬼はいはば恐怖の共同幻想なのである。
 中世の説話に、百鬼夜行とであった話が出ている。その時、どこそこに夜行するのが出るかもしれないという予感と恐怖心とともに語られる。「大鏡」には二条大宮の「あははの辻」で出ることになっている。平安末期ともなると大内裏の建物は火事でやけ再建されることなく「内野」になっていた。二条大路を隔てた向かいの神泉苑では猪狩りをするほど荒れていたのである。もはや、一条・二条のあたりに平安京という都市に空虚な空間が出現していたのである。
 もう一つの百鬼夜行の出現スポットは一条戻橋である。吉野での修行から帰ったばかりの浄蔵がこの橋の袂で父親の葬列に会い法力で父を蘇生させた話だの、安部晴明の妻が恐ろしがるので式神を橋の下に隠したとの説話が書かれている。一条戻橋のある場所は、大内裏の北東にあり、平安京と外との境界である。陰陽師が厄払いの儀式を執り行った場所に違いない。先の夜行出現の日時場所が決まっていることと考え合わせると、百鬼夜行は陰陽師が人々の恐怖心を背景に作り出した「制御可能な異界」であったといえるのである。この恐怖心が具体的にどこから発生したかを「夜行」を鍵に探ってある。まとめると、(1)行疫流行神、(2)田楽行列、(3)検非違使の下部(看督長と放免)であると。そして恐怖は同時に差別も生んだと。
 こうして本来の百鬼夜行の謎はだいぶ明らかとなった。続いて、それから付喪神による百鬼夜行絵巻にいたる道筋の追求がされる。直系ではないが大いに関係すると言う。一応、次のような系譜が書ける。以前に小松和彦氏の本も読んだ事だし、絵巻の系統推定の話はパスする。

     陰陽師の祓儀式
      ↓
     捨てられた式神−−−−−−−−−−−+−−行疫流行神
      ↓                +−−田楽行列
     人形(ヒトガタ)に性根がつく     +−−検非違使の下部
      ↓                ↓
     木偶に・動物に・器物に性根がつく  ↓
      ↓               恐怖心
     動物の化物が消える         ↓
      ↓               百鬼夜行
     付喪神

 ここでケノ的に絡んでおく。付喪神が生成する理由が、種々書かれてあるが、素人考えの仮説を追加してみたい。室町期に手工業が盛んになり、生活用具器具の流通が増えたことが、付喪神を生んだのではないかと考える。器物は古くなると性根がついて付喪神という化物になるから早く捨てたが良い、というのであるから、新しい器物にどんどん買い換えてくれ、という器物業者の宣伝ではなかったのか。現在の保険会社が不幸になるリスクを煽って保険加入を勧める恐怖宣伝とおなじことではなかったのかと考えるが、どうであろうか。
 ともあれ、百鬼夜行は崩壊する古代と来るべき中世の狭間の<都市>に現われた。この中古代の都市伝説を上手に掬い取った本となっている。高島俊男氏のお言葉は誉め言葉ではなかったけれど、ケノには十分に聞き届けられたように思う。まぁこの夏にでも中古代のお化け屋敷を覗いてみてはどうか。


 蛇足ながら「我々が恐怖すべきことは、ただ一つ、恐怖そのものなのである(1933年ルーズベルト)」。

ではまた。

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□120204 高価、不幸か

どうも。

 今週も「快適な寒さ」でした。手帖には火曜と金曜の朝に氷張るとのメモがありました。特に金曜には会社近くのホテル敷地の池が凍っていました。池に流れがあるので、氷の一部は側溝に突き出ていましたが、厚さ5mmはありそうでした。ここK戸でも夜間は氷点下2−3度になったとの事です。でも、通勤には音楽付き耳当てがあるので、実に快適な Mozart じゃなかった、歩行でした。

 水曜と木曜の夜十時ごろ、南中するカノープスが見えました。木曜日は裸眼でも見えました。連夜見られたのは珍しいことです。これで何となく幸せな気分になれますネ。とは言え、星の直ぐ左下の山際近くにゴルフ練習場があって一晩中煌々と無粋なナトリウム灯を点けていますので、妨害されて水曜は裸眼では見えませんでした。寒いので客は夜間はいないでしょうに何と莫迦なことをやってくれます。以前も書きましたが、神戸の吉川(よかわ)付近の航空写真を見て分るように、黴菌が山の緑を食べつくすゴルフ場が広がっていますが、このアホさ加減が分らないようです。日本から過剰なゴルフ場とスキー場、全てのパチンコ店は排除して欲しいものです。というわけで、今週の通勤読書は;

高橋 治, 蕪村春秋, 朝日文庫
蕪村春秋  T京駅傍の円善内にある松○本舗にあったのを購入。与謝蕪村の名句を四季の風物に寄せて三四句づつ紹介してある。映画監督だけに蕪村の映像美・人情味とか暖かさが存分に描かれている。言葉少なく、それも俳句的に感想が付けられている。同じ題材の芭蕉の句との比較がある。確かに芭蕉は厳しく孤独で、蕪村は優しく暖かい。先の小西甚一『俳句の世界』と併せ、俳句の魅力が少し分った気がする。正剛紹介は当りが多い! 本屋に走り、角川ソフィア文庫の蕪村句集を手に取ったが、1300円とみて本棚に戻した(<ヲイヲイ)。

 § 

 高い本といえば、\4,700 もするので簡単に買って読むのは躊躇していますが、旧約聖書の記述は考古学の知見から殆ど虚偽であるという本が話題のようです。I・フィンケルシュタインとN.A.シルバーマン『発掘された聖書』によれば、モーセ出エジプトのシナイ山からカナンの地に入るまでの40年の行程のどこを掘っても何もでない、BC800−900年代にはソロモン神殿の証拠はどこもでない、出たのは時代の違うBC600年だけ、南のユだ王国は断崖上の台地にあって養える人口はせいぜい五千人程度であり当時のエルサレムは人口500人と推定されソロモンの栄光は何処にもない等々。

 考えてみれば、古事記や日本書紀の記述に幾らか事実のモデルがあるとしても、記述そのものが本当だとは誰も思わないものです。同じように聖書も後代に記述された物語ですから本来創作と虚偽だらけの筈なのですが、宗教上の聖典となっている関係で背光効果というか煙幕効果というか疑うとか口を挟むことをしなかっただけなのです。これも買ってないのですが、シオ二ズムの批判書として名高いシュ口モーサンド『ユだヤ人の起源』が現代のユだヤ人・民族というのは発明なのだとしていることと合わせ、聖書についても実に妥当で常識的な結論がやっと出たのであろうと思います。

 何だか最近、未読本が増えてきました。ずっと以前は「積読卓袱台」に載るだけしか買わないとしていたのですが、それが枕元まで増殖したので、卓袱台方式をやめて、A4ファイル用に自作した本棚を空けてココに未読本を収めました。「積読箱」です。机の横に置くと PC をしているときも目に入る位置にあるので暗にプレッシャーとなります。この正月までは何とか減りつつあったのですが、外出が増えたのが原因でしょうが亦増えてとうとう箱の外に並び出しました。どうにかせねばと思っている矢先に上記の聖書の本の話題です。いやー悩ましいところですね。

ではまた。

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□120211 立春次候

まいど。

 今日は久しぶりに晴れて、八時半過ぎの朝日が当たり、窓際に背を向けて座っていると、背中や首にカイロを当てているようです。陽の力がだいぶ強くなっているのが分ります。でも、三月上旬までは気が抜けません。その頃に太平洋岸を低気圧が通り、寒気が列島の背骨を越えて吹き込み里雪になります。そのボタ雪の試練を越えなければならない。春は未だ先です。

 ところが私の頭は既に春から初夏になっています。正月に樺山『ルネサンスと地中海』を読み、新しい読書ノートに長刀研ぎ万年筆で書きなぐり、近代史や現代史の本を買い込み、通勤ではモーツアルトのPコンや喜遊曲を聴き、と「始まりの風」が吹き始めています。いやいやコレこそが「蟄虫始振」だともいえそうです。で、昨年の冬の憂鬱と何が違うのか振り返ってみたのですが、決定的に違うのが、今年はミカンを良く食べているということです! どーもコレが頭に来ているようですネ。というわけで、今週の通勤読書は樺山つながりの;

樺山紘一, 世界史への扉, 講談社学術文庫2065
世界史への扉  世界史の見方について当時(1992年)の新しい考え方を紹介してある。「時代」という長いスパンで27節と「事件」という切口で27節の二章から成る。古代に資本主義があった、フランスの新旧論争から歴史は進歩だとの考えが出てきた、江戸後期は日本のルネサンス(文芸復興)だ、1865年各国間の通商条約締結で世界商業システムができた、N.エリアス『宮廷社会』で近代人の行動と思考様式に宮廷文化が持続していると指摘がある、贅沢が資本主義の源で世界を動かしているというゾンバルト説、植民地経営にラテン型単身赴任方式と英国型家族移住方式があり植民地存続期間にも影響が出た、19世紀に起きた交通と通信の革命は産業革命以上に人の時空観念に大きな影響を与えた、等々。
 政治−経済−社会制度−文化の領域はつながっているが、それぞれの寿命で移り変りがある。序章ではアナール派の紹介、A.ドプシュのローマ帝国末期から中世初期までの経済・社会の組織に連続性があるとの指摘、上記のエリアスの宮廷文化の継続などの話が織り込まれている。また、ある世紀が世界的に同じ傾向を示すという不思議を指摘した上で一言で言い表す。すなわち、8-10世紀は「みやこ」の時代、12世紀は南の時代、13世紀は武士の時代、15世紀は海の時代、17世紀は鎖国の時代、18世紀は最後の幸福な夢の時代、19世紀後半は万国博の時代、1870年代は帝国主義の時代。
 本書で一番記憶に残ったメッセージは「二つの歴史」である。正史・顕史に対して稗史・秘史が言われる。公に示された歴史しかないと考える人が増えているが、トンデモない。巷の噂に本当の歴史があり権力者が隠す真実がある、というわけである。樺山氏はこれほどのネット情報の氾濫は予想しなかったろうが、今や巷の噂は政府やマスコミの隠蔽・虚偽報道を越えて高速に広範に広がって行く。樺山氏は19世紀の交通と通信の革命の影響を取上げたが、今のネット情報も同様の意識革命を起こしていると言える。権力者・マスコミの情報力が相対的に弱くなったのである。ここで個人の力が重要となる。ネット情報の真偽の見極めと判断・対応が個人任せとなったわけだ。個人判断となると真偽だけではなく、時事を個人の意味としてどう捉えるかというカイロスも要素に加わる。将に人々は「二つの歴史」を生きてゆかなければならないのである。
 本書は高みから歴史を見下ろしたようなチョッとキザな書き振りに見えるが、そうではない。チャンと地に引き戻す言葉が用意してある。何より、気楽に読める香気あふれた本である。でも読み手が試される本にも思えるのだナ。

 § 

 先週、折畳みのヘッドフォンを物色に電器量販店に入りました。1000円から7000円くらいまで種々ありました。イヤフォンは対象外。ヘッドバンド型は少なく、耳掛けタイプが多いのです。ケノはメガネなので選択肢が狭く、諦めて帰りました。今までどおり、ゴッツイ奴でこの冬を乗り切ろうと思います。早く春になって爽やかな風が吹かないかなぁ。解散風が吹くかも。

ではまた。

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□120218 雲の切れ間

どぅも。

 今日土曜日は朝から曇。雲に切れ間があって10分に1分ほど陽が指すのですが、寒々としています。暗さが増したので外を見ると粉雪が舞ってました。直ぐに止んで眩しい陽光また曇。TV で生姜の話が出ていたので、朝食は生姜ミルクとガーリック・トーストを食べました。体の中から温まろうという考えたのですが、暫らくすると眠くなるのです。烏の声の他は静かな休日です。というわけで、早々に今週の通勤読書は;

半藤一利, 墨子よみがえる, 平凡社新書589
墨子よみがえる  傘寿になる御大が、歴史上の逸話を織り混ぜながら墨子の思想を噛み砕いて説明した本である。孟子・荘子は勿論、淮南子にも出てくるそうだが、墨子の著作は戦国武将や江戸の知識人には結構知られていたと言う。その思想を「兼愛非攻」「有言実行」「天譴説」と一言で片付けるが、本書では露伴・芭蕉・「史記」・勝海舟・楠木正成・米内光政「魔性の歴史」・「葉隠」・林子平・魯迅・チャップリンなどが登場する賑やかな解説がある。「任侠」「墨守」も墨子の思想からでた言葉であると。姪の「おろく」女史との掛け合いもある。解説の記載から戦前戦中の異様な社会風景も見えてくる。「非攻」の話は何やら遺恨もからんでいるようで論理が弱い。戦争廃絶に関して一利氏の岳父の言いようが正しいのだ。武器商人・戦争商人が生まれた時から、戦争は金儲けのためにある。金で物も人も買えるのだから戦争はなくならない。義では起こらない。操られた憤怒で起こる。今や南西アジアが狩場になっていることを見ても分る。次は極東かもしれない。本書は、読み物として面白い出来だが、御大の主張の書として今ひとつである。で、氏の昭和史は読む必要はないと見た。


 静かなのは世界では普通じゃない。2月4日に書いたユだヤの歴史の本の紹介についてリンクを追加しましたので見てください。「10の嘘」です。まぁありそうな話ですね。パレスチナには元ユだヤのキリスト教改宗者やイスラム教改宗者が居て、そこに東欧やマグレブ住民のユだヤ教改宗者が入植して「ユだヤ民族」の名の下に前者を追い出している構造の奇妙さ。迷国からの年間30億ドルの軍事援助により成り立つ国ですから、迷本国の経済弱体に伴って、西アジア石油利権の番犬国家という擬制体制もいずれ崩れるでしょうね。英植民地の南アフリカがアパルトヘイト政策を35年続けた後に崩壊したように。対照的に見えるここ日本も実は隠れた擬制体制があったりするのかも。

 昼近くになって、雲が少なくなりました。明るくなってきたので、散歩しましょ。先週、七八年ぶりにGパンを買いましたので、お披露目に出ましょうか、って床屋ですけど。

【追伸】甘かった! 午後はガンガンに雪じゃないですか。床屋帰りには車や植込みに雪が積もって、子供が雪達磨を作ってました。帰り着いて即ラム酒タップリのアラビアンドリーム珈琲ですね。

ではまた。

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□120227 濃い墨の灰泥流れる橋の下

まいど

 所用で土日は家を空けました。まぁ体重計がだけが心配なところです。先週末に出張があり、本をお供に乗り込みました。その一つを紹介しましょう。ケノも週報ともつかぬ日記をつけているので「日記」という言葉に引かれ、読もうと思ったときはもう絶版になっていました。偶然、ある古書のサイトに行当たり、古本を手に入れて読みました。10年前の本ですが、古くなっていません。流石です。というわけで、先週の通勤読書は;

阿久悠, 日記力『日記』を書く生活のすすめ, 講談社プラスアルファ新書
日記力  2007年に亡くなった作詞家の本。イタリア製の Day by Day というB6位の革張り日記帖に23年間毎日書き続けたという。一日中、アンテナを立てて気になったらメモを残し、夜23時に「一人編集会議」を開き、ベスト5の事柄を選んで編集・レイアウトして書くのである。赤囲みや赤下線をつけ、切抜きを貼ることもある。気象や数字、訃報記事、政治の事、スポーツ等。私情は入れず情報を書く。アンチロマンという。とは言え、短歌の形式で少し情を含んだ人間観察を後に追加した。この日記は、氏のアンテナが錆付かないように磨くためのツールであると。

  works4Life Season VI
  日記五箇条
  マーケティングの天才・阿久悠を読み解く
  森本毅郎・スタンバイ!2003.12.18

 多くは日記を書き続けることに驚愕し背を押され、マーケッターは「今日を生きる人間」の言葉磨きを言及し、ファンは大作詞家の魅力の根源を探ろうとし、文具マニアは革張り日記帖に注目した。
 単に日記について書いているというより、ケノは告発書として読んだ。阿久悠は日記を通して真の世界が見えてしまった。2001年に癌治療で入院しており、2003年書かれた本書はヒョッとしたら遺書として書いたのかもしれない。冒頭に「語り下ろし」という儀式の下で書いたとある。遺書は時として枕元で語り下ろして書くものだからだ。ケノが注目した告発部分を引用してみよう。この本がα新書から消えてしまった理由が分る筈だ。

『 少々被害妄想的ないい方をするなら、世界中の人々は百年(二十世紀)かけて、「写真は真を写す。だから写真になっているものは真である」という常識を刷り込まれ、すっかり映像に対して無抵抗にされてしまったわけです。ところが、この無抵抗さを利用しようとする特定の人たちと無抵抗さに好意を示しながらビジネスを構築しようとする人々によって、大多数の人々は自分の判断を放棄しようとしている。これは歴史上前例のない人間の危機と言えます。…つまり、二十世紀が映像の世紀であるならば、二十一世紀は映像催眠の世紀。』(p.76)
『 その(テレビの)ニュース報道は人の手によって編集されている…ひどく人工的なつくり方がされている。…つまりニュースを見るにも個人の防衛力や自衛措置が必要なのです。』(p.78)
『 たとえば、フセインの銅像を引き倒すときの映像はとても狭かった。』(p.79)
『 検査の結果、癌を告知されることなりました。…入院中も日記をつけなかった日はありません。…世界を震撼させる大事が伝えられたのです。そう、突如アメリカを襲ったテロ事件の非日常的な映像が繰返し映しだされた。』(p.119)
『 戦争の報道というのは、本来どこでするかといえば着弾点です。…ところが、湾岸戦争を境にそれが変りました。着弾点ではなく発射点の論理になってきました。』(p.154)
『 人の書いた資料や報告書というものを信用しない。…たとえば、外務省の役人が外務大臣に提出している報告書が絶対に正しいかと言うと怪しいものです。』(p.172)
『 日記の効果が著しく表れるのが、日々報道される政治や経済です。…本当に怖いのは、徐々に相手を弱らせて、やがて死に追いやる「砒素」のほうです。…これ(日本の現在の政治)を「政治砒素論」と呼んでいます。』(p.111)
『 同一人物であっても、その言い回しは日々微妙に変化してゆく。』(p.110)
『 日記は、曖昧で不確かなものを明らかにしてくれる意味でも、非常に価値あるものだといえます。』(p.175)

 § 

 八朔というから夏柑かと思ったら八策だそうです。八は全方位の道教的数字ですから、政策は全面的に展開されているかというソウでもなさそうです。何となく不満がたまっているような事の打開策ポイ事柄をあげているだけに見えます。殆どが制度や体制を変えることを挙げており、法律を変えたぐらいではドウにもならず、憲法や更には官僚の心を変えないと実現できない事ばかりです。でも一つだけ国会で議決すればよい項目があります。それはTPP。要するに、TPPさへ通せばそれでよいのが橋ノ下維新組というわけです。

 これは濃い墨内閣と同じです。特殊法人や特別会計を批判していましたが、真の狙いは「遊星」民営化だけだったのと同じです。万人受けの良い現状批判をやって人気を取り、議員数を殖やして特定のほぼ私的な目的の実施だけを行うというものです。一種のショックドクトリンです。缶やBKドジョウのできなったことを橋ノ下にさせようとしてるわけです。二度も同じ手に騙されるなんて、国民はそれ程甘くはないのですが、もし騙されそうな人がいたら教えてあげてください。

ではまた。

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□120303 金の屏風に春の風

どうもぅ。

 「灯を点けましょ雪洞に…」の童謡はまだ歌われているのでしょうか? 『小さい秋』もそうだけど、サトウハチローの歌詞は、儚げで美しく、なんとも魅力的です。『うれしいひな祭』は、飾り棚を設えてから幻想世界に入り、やがて何やら決意したように晴れ姿になって現実世界に戻ってくるという歌詞です。

あかりをつけましょ  ぼんぼりに
お花をあげましょ  桃の花
五人ばやしの  笛太鼓
今日はたのしい  ひな祭り

お内裏様と  おひな様
二人ならんで  すまし顔
お嫁にいらした  姉様に
よく似た官女の  白い顔

金のびょうぶに  うつる灯を
かすかにゆする  春の風
すこし白酒  めされたか
あかいお顔の  右大臣

着物をきかえて  帯しめて
今日はわたしも  はれ姿
春のやよいの  このよき日
なによりうれしい  ひな祭り

 「うれしい」と題しながら短調で大正ロマン風に作曲してあるので、サトウ氏の実姉へのレクイエムと言われています。しかし起承転結の流れからすると、春風が吹いて右大臣が出てくると場面は変転し晴れ姿へ顛末する、こちらの方が大事だろうと思います。3番と4番の歌詞の間に飛躍がありますネ。この歌の主人公は、妹のほうです。空想に遊ぶ視線が右大臣にいたり、官女がそうだったように右大臣が誰かを連想させたので、幻想世界が断ち切られた。で、右大臣って何?とか「このよき日」とは何?と考えを経巡らすと、姉に続いて妹も嫁に行くのだ、と想像されるのです。そもそも雛遊びは婚礼ゴッコだったのですから、サトウ氏はその風習の中から発想し、女の子最後の日に焦点を当てて作詞したとも想像されます。見事です。

 ケノも接待疲れで風邪を「めされた」ので、先週の気合がありませんワ。というわけで、今週の通勤読書はありません。

ではまた。

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□120310 国税不納運動

まいど。

2012年1月−3月 気温変化  朝夕は冷え込まなくなって、春が近いかなぁと思わせる頃となりました。通勤路の桜を見ると、蕾はしっかりと外皮に覆われているものの何となく膨らんでいる感じです。近所に桃の木は見えないのですが、そろそろ始めて笑っているかも。烏が煩くなりました。雨水(うすい)を過ぎて町のBGMにモーツアルトのKV.596が流れていました。18時前に会社を出ると空に明るさが残っています。何故か本屋に寄ってドッサリ買込んだりします。でも今日は曇。

 先週は風邪のため活動量が落ちてました。生姜ミルクをたっぷり飲んで体温を上げて、本当に安静にしていました。断片的に眠りに入ると奇妙な夢がでてきます。結構楽しいのですね、これが。でも面白さは言葉にできないので次に風邪を引くまでお預けです。というわけで、先週今週の通勤読書は;

小松和彦, 福の神と貧乏神, ちくま文庫
福の神と貧乏神  福の神を見る前に福や幸について語源や社会経済学的定義を整理してある。人の欲望が満たされている状態が「幸せ」「福」であって、直ぐに手に入らないような障碍・距離があって欲望が発生する。それを手に入れると新たな欲望が生じ、どんどん欲望は肥大する。だから幸せの中身も時代・人・文化によって相対的である。また、幸せ獲得の仕方に物語が生まれる。日本人は、外来思想のために抑圧することはあったとしても、古代から現代まで現世利益を追求する思想が基層信仰といえるほど衰えることなく続いていた。その現世利益を授けてくれる神仏を「福神」と呼んだ。【つづき


 「記録がないのでメモを付き合せて概要を作成しました」って、1年後の話です。それにしても会社の議事録でももう少しマシな物ができます。この概要はオカシイ! 本当はメモがあるはず。しかし議事録がなかったことにしたい分けです。でも何か残さなければならない。そうすると揚足を取られないように、不都合な所は全てカットして書く。空缶の評判悪いので頑張った風に書いとけ! とかね。こんなん税金を取って仕事したって言えません。会社員は難しいけど、国税不納運動でもオッパジメないとあの輩は反省しません。この国政不納運動はデフレ対策にもなります。国の貧乏神が誰なのかハッキリしましたね。

ではまた。

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□120317 挙手の練習

どうもぅ。

 気温上昇は足踏みの一週間でした。今日は、低気圧の南側にある両前線の袴に入り、曇時々雨。後で気温は上がるとの予想。でも、春雷が鳴り、雲が厚くて暗く、外出したくない日です。洗濯物のシャツ用干し具が風で廻り、キリキリと奇妙な音を立てています。それはまるで卒塔婆を廻して経を読んだことにする道具のようです。半透明の雨カッパを押えて風に向って老婆が歩いています。後姿は何かに祈っているようにも見えます。今日のケノの眼は変です。

 週半ば、年来の仕事が一段落して自分へのご褒美をネットで探していたら、激安中貨万年筆があったので冗談で\450を付けたら後続がなく落ちちゃいました。送料の方が高いし、到着した物は首軸の口が細く普通のコンバータがさせないのです。中貨万は安いし当たりハズレがあって楽しいのですが、これは全くダメですね。もう中貨万は止めにします(前もそう決意したはずですが)。そしてコレをご褒美にはできません。今週もご褒美探しをスルモンネ。というわけで、黄色の表紙つながりの今週の通勤読書は;

内田樹, 「おじさん」的思考, 角川文庫
おじさん的思考  ネットに上げた2001年頃のエセーから抜粋したもの。学生向きに書いてあり手軽に読めるが、ラカンやレヴィナスが出てきて時々身構えが必要となる。最後にある「大人のなりかた−漱石の場合」は人生訓として読ませるものがある。曰く、大人とは自分が既に知っている事は価値がなく真に価値のあるものは外部から来るという「物語」を受け入れる者である、と。他にも、学ぶとはその時の基本的マナーを知る事だ、とか、学校では自分が何を知らず知識や技術はどのように手に入れるかを分るような知性の働きを教えればよい、とか。硬骨の武道家と陰のあるプライベートや或る種の劣等感の裏返しの匂いとが同居する、複雑な本だ。ケノはそうしたが、地下鉄の騒音の中で読むような本ではなさそうである。

 § 

 その昔、CDが出始めた頃の話です。曽爾井がCDプレイヤーとクラシックスCDセットの抱合わせ販売をしていたのですが、その際に高級布団販売詐欺と同様の手口を使っていました(『音楽の力』に書きました)。この頃から曽爾井はアブナイと思いましたネ。で、手口はコウでした。販売員のセールス・トークは本来の商品説明から脱線して、安い景品がもらえるクイズ・コーナーが始まる。客は答えようとハイハイと手を挙げる。急に定価の半額以下でCDセットを売ると言い出して「買う人は手を挙げて」とやると、かなり高価な商品でもポロポロと手を挙げる人がでてきたのです。即ち、クイズは手を挙げる練習だったわけです。商品価格への心理的なハードルも下げてあるし。

 実は、昨年の大震災でも似た手口が使われています。急に増税の話が出てきましたね。震災直後にはケチのケノでさえ災害募金を入れました。人のために自分の身を少し削っても良いという気持ちに国民全体がなっている時です。ここに増税の話を出すわけです。サブプライム・ローンと同じように「直ぐではなく2〜3年先からですヨ」とハードルを下げてある。ホラ、曽爾井の抱合せ販売と同じ構造ですね。募金は身を切る練習というわけです。これに便乗して増税を言うのです。こういった商品販売は詐欺ですが、政策ではショック・ドクトリンと呼びます。

 腐爺裕久税調会長は、大蔵官僚よろしくデフレ時が増税に向いていると大嘘をこくようになりました。パフォマンス波止山は、消費増税関連法案付則の「景気条項」を問題にして結果的に増税賛成と言い出しました。ニュースの小見出は発言の曲解ばかり。こんな魍魎の言には騙されなくても、先の「挙手の練習」には心が揺れるのです。「絆」や「友達」も怪しさ一杯の言葉です。サブリミナルの世界は怖いですね。くれぐれもご注意を。

ではまた。

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□120324 人生に三回

まいど。

 春分の日は久しぶりに晴れたので、奥S磨公園コースの速歩(こんな感じ)でした。コースから見える団地の法面には梅や黄水仙?が咲いて春の彩でした。鶯もケキョケキョと練習を始めていました。今日は雨が上がって曇と晴が交互する風の強い日です。雨が降らなければ、今日も速歩の予定です。

 随分以前に「人生の中で3回スポーツに嵌る」と聞いた事がありますが、ケノは将にそのとおりで、どうも持久力系が好きなようです。禁煙してタバコの脂を体から排出するためにジョギングを始め10年は続いたでしょうか。膝を痛めて泳ぎに切替えて無手勝流からトータルイマージョンへ進化したものの事故でリタイヤ。今度は医者が「走るな」と言ったので歩くなら良いだろうと速歩を始めました。泳いでいるときから運動負荷のために夜間ウォークを夏場にやっていたので、速歩の研究はしていました。膝に負担がかからないしピッチの調整が簡単なので、万人向けなのですが、如何せんダサイ! でも、人目を気にせず(ケノは近所でオ鎌さんと思われていますヨ、キット)、腰と背骨で上手に振動を抑えると、頭だけが水平運動になり景色が流れてうっとりする程ハイになれます。お勧めです。というわけで今週の通勤読書は;

伊達宗行, 数の日本史, 日経ビジネス人文庫
数の日本史  縄文時代から明治初期までの数と算術(数学)についての通史である。それに止まらず、数の歴史の背景説明を越えて文化史・政治史まで踏込んで書いてある。著者の言葉では「日本列島の五千年、数の文化史」と。圧巻は江戸時代の和算である。本の前書きに本の章立てと概要があるので、ケノの興味をひいた箇所をツマミ食いしておく。【つづき


 M村管理組合の仕事がありますので、早々に失礼します。

ではまた。

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□120331 虚無への供物

どうもぅ。

 今日はチョイと外出なので、いきなりの今週の通勤読書。昨年秋からの南北朝物の延長です。家訓「ハ−ドカバーは休日に読め」を無視して、地下鉄で読みました。鞄が重かったワ。というわけで;

松本徹, 風雅の帝 光厳, 鳥影社
風雅の帝 光厳  著者が光厳院ゆかりの地を巡りながらその時点の地理や風景の話をかく。書いた端から改行もなく南北朝時代の光厳院周辺の歴史小説の記載となる。会話文はない。光厳院の心は『風雅集』の和歌を引いて示す。文体で特徴的なのは文語文である。太平記と現代の両時代を埋めるに相応しい手法と思える。足利氏に利用されたとはいえ一旦は天皇位に就いたにも拘らず後醍醐天皇の復位により其れがなかったものとされた。しかし尊氏に新田討伐の院宣を出し足利氏の軍事的優性下で治天の君となった。北朝が軍事的に劣勢となるや、南朝方に親子四人が捉えられ賀名生に幽閉されもした。果ては一禅僧となって京の山里で過ごし他界した。それを淡々と描いている。南北朝の歴史に重要な人物でありながら北朝天皇ということで忘れれられているのは寂しいと、風雅集から光厳院の和歌を詠むことで経の代わりとした。ここで本は終る。寂寞と虚無に満たされた小説であった。

 早速『風雅和歌集』に目を通す。光厳院は「太上天皇」として31首納められている。最初の歌は、巻第一春歌上に次がある。

 20   霞を           太上天皇
  天の原おほふ霞ののどけきに春なる色のこもるなりけり

 霞が春の生命力を閉じ込めたガス体であることをもっと明確に歌うのはこれであろう。

 44   題しらず       後伏見院御歌
  花鳥の情までをぞ思ひこむる夕山ふかき春の霞に

世界の平均気温の推移  春は曙じゃなかったのか。ここで霞と夕日との取り合せに興味をいだき前後を調べる。すると風雅集の時代は、霞と夕日の光とが溶け合う世界に美があったことが分る。ターナーの絵を想起させるのだ。18世紀後半は火山噴火のためか世界的に寒冷期であり、13世紀の日本列島と似た大気環境にあったのかも知れない。清少納言の生きた10世紀末とは気候が全く違っていたのである。それはともかく、風雅集冒頭の一部を引いてみよう。

 25   野径霞ということを   順徳院御歌
  夕づく日かすむ末野に行く人のすげのを笠に春風ぞ吹く
 26   春の御歌の中に     伏見院御歌
  夕暮の霞のきはにとぶ鳥のつばさも春の色にのどけき
 27   題しらず       前大納言為兼
  しづみはつる入日のきはにあらはれるかすめる山の猶奥の峰
 28               従二位為子
  のどかなる霞の空の夕づく日かたぶく末にうすき山のは

 この四首は物語を構成するために配置されたと考えられる。行く人はシルエットとなって末野の霞に消えるや、それは心を表わす鳥となって飛び続ける。そして入日の瞬間にだけ、憬れの別世界を垣間見るのであるが、直ぐに何事もなかったように春の夕明りが残るという趣向であろう。猶奥の峰とは言うまでもなく西方浄土である。京極派の人々にとって、霞・夕日・行人・鳥・峰・山端はいずれも明確な象徴的意味があったにちがいない。この部分は花園院の手になる配列と思われる。光厳院の後の信仰と相容れないからである。

 松本氏は、光厳院が「一禅僧」となって行脚したと書く。院が賀名生に幽閉されたとき、その夏に西大寺の僧元耀を戒師として出家した。西大寺といえば叡尊により中興された真言律宗の寺である。光厳院は律僧となったわけだ。光厳院が最後の庵を編んだ所が今の臨済宗の常照皇寺となっていることから、作者は禅僧であると断じたものと考える。いづれにしても浄土信仰に近いものではない。

 小説「風雅の帝」に戻る。ネットで本書の感想記事を探すと中国ウォッチャーとして著名な宮崎正弘氏の「辛口コラム」に当たった。氏のメルマガを購読しているが記憶にない。光厳院への興味というより三島由紀夫文学館館長である松本徹氏に興味があったと想像するが、全く辛口ではない書評であった。

 小説の松本氏が歩いた風景の記述の中に異様な箇所があった。男がその母親と思しき女へ孫の赤子を預けるシーンが描かれている。地理の記述はそうでもないが、ここだけは妙に記憶に残っている。現実描写も光厳院の心中の象徴表現なのかも知れない。どうもこの本が読めていないようである。日を改めてジックリ再読しようと考える次第である。

 『風雅和歌集』や光厳院について書かれた興味深い頁を紹介してお茶を濁し、本の紹介を終ります。

 ついでに一言。ЙHKが先頭に立って、多くのTVが露骨に橋の下の応援に廻っているでしょう。あれはTPPを通すために維新ノ会の候補を当選させようとしているのです。眠主−臭民 野合に失敗しましたから策戦を変えてきたのですヨ。消費税論議はヒョットしたら時間稼ぎかも。TVに騙されてはイケマセン。濃墨の先例を忘れないでね。

【追伸:20120406】あたってましたね。

ではまた。

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