Extra006 漫談版

ミトラ教の歴史


 まいど。

 ケノです。妙なことになりまして、酒の肴に「ミトラ教の歴史」を話しました。まぁ、時間もなかったし、PCがなかったこともあり、用意したことの3分の1位しか喋れませんでした。で、そのお粗末ブリをテキストにしましたので、お暇の方はご覧ください。当日は、パワーポイントの打出しとホワイトボードというスタイルでしたが、下のテキストは話そうと用意したものです。当日の脱線は入っていませんので、違うゾ!と怒鳴りこんで来られないようお願いいたします。

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挨拶

 本日は、ご多忙のなかお集まりくださいましてありがとうございました。いつぞやの新年会で、私が用を足しに立っている間に、コウ言う有意義な勉強会が立案されているとは思いませんでした。で、初回が私だとご指名に預かりましたが、嫌いな方じゃありませんから快くお受けした次第です。そして、設立の尊い精神を汚すことなく、本日の役を果たしたい所存です。

1 タイトル「ミトラ教の歴史」

 で、本日の演題は「ミトラ教の歴史」というものにしました。これは2年前に気になる当りがあってチョット調べ物をしたら、意外な大物が釣れたというものです。で、ここのケノというのがハンドル名、いわばインターネット上の私の芸名ですね。

2 世界は「へ」である

 歴史ですから、大雑把なイメージを掴んで頂きたく、こんな題をつけました。「世界はへである」、「へ」という字で世界史がイメージできるわけです。「へ」の頂点にあるのが西南アジア、文明が一番進んでいる。ココから伝播して来るか、独立に開かれて行っても、両端の文明は頂点より遅くなっている。左の打ち込み部分が中国などの東アジア。「へ」の右尻がヨーロッパ …。

 その根拠は、宮崎市定の本から採ったのですが、古代と中世の区切りのイベントの並びに現れています。「へ」の字とは実際の地理は左右が逆になってまして、頂点の西アジアの古代の終りがアレクザンドルの大遠征で、次が中国の漢王朝の終り、魏呉蜀の三国の分立です。遅れること実に700年、民族大移動−西ローマ帝国の滅亡となります。このように「へ」の字となるわけです。

 中世の終りも「へ」です。ヘジラというのはご存知ゴジラの屁ではありません。マッカからメジナへとムハンマドが教団の根拠地を移した、いわばイスラムの始まりの日です。ここから近代的な法治国家が始まります。アラブ的なナショナリズムの始まりでもあります。次が中国の宋。遼と金に北半分を奪われ、攘夷思想と言いますか、民族主義が芽生えるわけです。ルネッサンスも西洋の文化的な目覚めですね。でも一番遅れているわけです。ここでも「へ」の字となります。

 で、今日は他に「へ」の字は書けないかと、古代宗教に目をやると…あるんですね。それが今日の本題の「ミトラ教」です。

3 古代ペルシャ帝国

 先ず、この地図をみてください。主にイラクあたりがメソポタミアです。バビロニアとアッシリアですね。古代文明の発祥地です。右はイラン高原でアフガニスタンまで含んだ地域がペルシャです。もっと西、オクサスと書いてありますが、アムダリア川と北のシルダリア川の間がソグディアナですね。バクトラとかサマルカンドがあります。北はアルメニア…、西にポントス…、この半島には昔はトルコ人がいませんので、小アジア半島と歴史的に呼んでいます。で、マケドニアとギリシャです。この黄緑はアケメネス朝ペルシャの最大版図です。エジプトや、東はスレイマン山脈の裏側、インダス川流域まで入っています。紀元前500年頃です。これより少し前から今日の話が始まります。

4 ザラスシュトラは斯く語りき

 ザラスシュトラ、ツァラストラ、ゾロアストレス、ゾロアスター、皆同じで言葉によって違っているだけですが、ゾロアスター教の宗祖とされている人です。伝説では笑って生まれたとあります。普通の人はオンギャーと泣いて生まれます。それはイツかは死ぬことを分って生まれてくるからだ−と。ゾロちゃんは意気揚揚と生まれてきたわけです。で、後世に残る大仕事、宗教改革をやった。お釈迦さんが生まれたのがBC490年、イエスが生まれたのがBC4年。ここでも「へ」の字ですね。モーゼが生まれはBC1200年頃だったという話もありますが、理論だった教義をもつ普遍宗教の開祖の話をしているんで、モーゼは数えません。このゾロちゃんがやったのは、呪術みたいなものから神話を体系化した教義を作ったわけです。牛とハオマを禁止した。ハオマというのはチョウセンアサガオに似た蔓性の植物からとった幻覚剤です。祈りなのか乱交なのか分らない儀式をやめた。そして、インド−イラン共通の神話をひっくり返して独自の神話と教義を作ったというわけです。

 ここにあるデーヴァ、天神さんのことですが、シリアでBC1500年頃に勢力を誇ったミタンニ王国にも同じ神様がいます。これがイランに行くと悪い神様ダエーワにされる。アシュラは破壊する神様ですが、アフラとして正義の神さんになります。

 これらは後世の3世紀ぐらいのササン朝で作られたゾロアスター教におけるゾロアスターの伝説でして、実は3つの神さんを同時に崇めていたようです。アパムナパートというのが水神さんで、後にアッシリアからアナヒータという大地母神と変るんですが、彼女と天神さんのアフラとの子供がミトラになります。でも本を見ると一定してなくて諸説あるようです。ミトラが一番古いとする本もありました。

 脱線しますが、インドのリグヴェーダにはソーマというヤッパリ幻覚剤が出てきます。これもハオマと同じだろうと考えられてきたんし、マガタやコーラサのような王国ができる頃にはハオマや大麻で代用するようになっていた。しかし「3つの濾過」工程を経て作るとリグヴェーダに書いてあることの意味が分からない。一つ目は太陽光線です。天日干しにせよ。次が羊毛で、水で戻して搾り出した汁を羊毛で濾すわけです。でも次がわからない。「インドラの胃の中で清められよ。熟知する汝は、船で川を渡るように向う岸へ渡せ。勇者のように戦う汝は、我らを恥じより救え。」とある。コレを解いた人がシベリア原住民の習俗の研究家ワッソンだったんです。ソーマとは紅テングダケのことで、第3の濾過器とはバラモン僧の身体だった。第2の濾液を飲むと嘔吐や下痢が起こる。そこで一人が犠牲になって飲んで、そのオシッコを他のバラモンが飲んでリラッたと。白土三平のアフリカ物語に似たようなシーンがありましたね。と言っても知ってる人はいないでしょうが。

5 ミトラ神

 いよいよミトラ神にはいります。ここでは一番土臭い書き方の本からミトラ神の特徴を引いてきました。弥勒から持ってくるとミロク(魅力)的に書きすぎていますので。アルボス山というのは何処か分らないのですが、高い山でしょう。日の出に最初に山頂に日が当る、そういうイメージでしょう。ペルシャ時代にあった太陽の祭りがミフラジャーン。下にあるようにミフラはミスラやミトラと同じです。パルティア時代にはミトラカーナという王権主宰の祭りもできています。名前で行くと弥勒がコータン語のミフラクの音訳で、佛教のマイトレーヤより先にできています。ソグド語のミロから中国語の蜜ができています。

 また脱線ですが、弘法大師が七曜すなわち「六曜蜜」を日本に伝えたのですが、月火水木金土の6曜度に最後の蜜、蜜曜ということですが、それは唐でソグド語の太陽(日)の「ミル」を音訳して「密」又は「蜜」としたわけです。当時の佛教では、太陽は大日如来という根本佛と同じですから、密は「日」だということで、大日如来の教えを「密教」としたわけです。秘密の密、顕教に対する密教、ではなかったんです。蜜曜は日曜に。ところが、ここで分りますように、ソグドでは太陽はミトラだった。同じことは、sunday にも言えます。七曜は西洋も使いますが、これもミトラ教の守護神から来ています。あとからまた出てきます。

 インドではアシュラは軍神でしたが、イランではアフラという天神になったんで、ミトラが軍神を引き継いだようです。もとから要素として持っていたのかも知れない。ミトラも古い神様ですから。たとえば、BC1500年頃ミタンニが隣国のヒッタイトと結んだ契約書に、ミトラ・ヴァルナとして太陽と月のセットの神様として出てきます。他にインドラ・アシュビンが出てきます。インドラは雷の天神様ですね。アシュビンは調べがついていません。

 また面白いのが、境界の神様なんですね。太古には部族の境に目印の石を置きました。日本でも「道祖神」とか「賽の神」とかあります。日本の場合はアップダウンがあって坂の頂上や峠に石があります。坂そのものが境という場合もあります。黄泉津平坂ですね、あの黄泉帰り(蘇り)の。あとで医学の神と習合しましたが、ヘルメスも境界の神ですね。で、場所ではなく人と神の間に立つと神の意志を伝えるものになります。善悪の境にいると裁判の神様になる。

 同じように「千の耳、万の目」という監視者でもあるから、正義の味方です。で、国の王、ダフユ・パティである。ダフユはイランでは国ですが、インドではダーサとなって悪い意味、野蛮人とか敵の意味になります。このダーサが「ダサい」の元じゃないかと考えています。南インドと日本は近いのでね。

 他に牛を屠ふること、矢、これらも神話でのミトラのエピセット、属性になっています。また、ローマに入ってからですが、冬至の日に岩から生まれたという神話がでてきます。イランでもバガスターナという岩からバガ、ミトラの別名ですが、生まれる神話に由来する祭りもあるし、アナーマカ(no/name/month)という冬至に始まるミトラ誕生月もありますが、明確じゃない。ローマでハッキリしたということです。これらも、様々な繋がり・展開がある事柄ですが、民族学になり収集がつかなくなりますので、今日は置いてきます。

6 ミトラ教の系譜1

 アケメネス朝末期にミトラ教が完成します。先に出しましたゾロアスターはペルシャの前です。キロス大王がペルシャ・メソポタミア・小アジアを平らげるのが BC500年位。古ゾロアスター教といいますか三アフラ教の内部で、諸派があって、そのうちアフラが生んだ善の神スプンタ・マンユとアフラが習合してアフラ・マズダとなり、悪神アンラ・マンユが独立して、完全二元論、絶対二元論ができてしまう。これを、マズダー教と呼びます。いわゆるゾロアスター教になります。この神様の呼び名が、中世ペルシャ語でオフルマズドとアフリマンに変ります。マズダーという神さんの由来はハッキリしていませんが、アナヒータが入る前のアパムナパートではないかと言われています。

 一方、ミトラ派の方は、バビロンあるいはカルディアの占星術を取りこみ、またズルワーンという上位の神を持ってきて穏健二元論に戻そうとします。これがミトラ教の完成になります。アケメネス朝がアレクサンザンドルにより平らげられて、ギリシャ文化がペルシャに入ってきます。いわゆるヘレニズムですが、西アジアはここで古代が終わります。  アレクザンドル大帝が死んでそのデアドコイがセレウコス朝を開きますが、すぐ殆どの領土をペルシャに奪われます。騎馬系のアルサケス朝パルチア、中国名、安息国と、ソグディアナのバクトリアができます。支配者は騎馬系のアリアンですが文化的にはヘレネスで、コスモポリタンなミトラ教が勢力を得て、国教までになります。

 ローマとパルティアの緩衝地帯にできたコンマゲネ王国やポントス王国でもミトラ教は国教になります。トルコのクルディスタンのウルファ(古名エデッサ)の北のカフタというところに「アンティオコス陵墓」があってコンマゲネ王国時代のモニュメントがあって、アンティオコス王とミトラ神が握手しているレリーフが残っているそうです。

 ポントスは黒海沿岸の王国ですが、クルド人が作った国で、王の名にミトラテダスがあります。聖書に出てきます。ミトラが祝福した者ですね。クルド人には今でも「天使教」というミトラ教の末裔みたいな宗教が残っています。

 その後、ギリシャやローマ帝国に入って行きます。また、バクトリアはサカ族の大月氏に滅ぼされ、また200後に同系のクシャナ朝にとって変られますが、ここにもミトラ教が入って行きます。これらは系譜2に続きます。

7 ミトラ教

 先ほどミトラ神を説明しましたが、ここでは簡単にミトラ教の特徴をまとめておきます。ズルワーンという神様を作ったといいましたが、これは永遠の時の神様です。ギリシャのストア派はヌースとか「トヘン(一者)」と訳し、ローマ人はクロノスとかサチュルヌスに対応させています。かれが善と悪を生むのですが、その前に代理者のミトラを生むと言伝えます。ここでは完全二元論と違って悪も独立していないわけです。時の神様ですから、時間に五月蝿い。3段階になってすすむと。善神支配が3000年、次3000年、次の戦いの時代が現代でこれも3000年続きます。やがて最終的にミトラの助けで善神が勝って、又3000年の支配が始まる循環的なアイデアです。だから戦いの時代では救世主の登場を望み祈るわけです。

 3000年と言うサイクルは、これは確かめていないのですが、多分、地球の歳差運動と関係があると考えています。地球は自転しますが、コマのように回転軸もスリコギ運動をする。北極星も2500年前は真北ではなかったんです。それが 26,000 年周期ですから、十二支宮の一つあたり約2000年となります。当時のカルディア占星術師の観測精度では3000年だったんじゃないか? その動きをズルワーンの時代支配の神話に取りこんだということじゃないのか。先走りますが、イエスのマーク、シンボルに魚ウオがあります。これは丁度そのころ、春分点が「雄羊座」から「魚座」へ入る時で、その時代の切れ目に救世主が現れた!−というサインを魚のシンボルで表したわけです。この春分点の移動は十二支宮の動きと逆です。そろそろ「水瓶座」へと春分点が移りつつあるのが今です。

 話しを戻して、宗教儀礼は従来の拝火神殿もあるのですが、独特のミトラ密儀ができます。これは直ぐ説明します。この時代的な特徴ですが、ヘレニズムの影響で国際的であり、雑多な宗教を取り込んでいます。

8 ミトラ密儀(ミトラス教)

 パルティア時代のミトラ教よりもローマ時代のミトラ教の証拠がタクサン残っています。ミトラス教とはローマ時代のミトラ教のことです。本は、キュモンの『ミトラの密儀』平凡社とフェルマースレン『ミトラス教』山本書店がありますが、買いそびれたのでエリアーデからまとめました。もう一つ、オカルト屋さんの東條真人『ミトラ神学』があるのですが、これはオススメしません。

 さてミトラの密儀は、イラン・オリジナルではなく、バビロン又はカルディアの占星術と融合してできたものです。死のイメージはないのですが、洞窟に入って回復するというテーマの儀式があります。これはキリスト降誕のモチーフと同じだとエリアーデが書いているのですが、よく分りません。しかし冬至の太陽がまた輝きを増すとか、或いは冬枯れした草木が春に芽吹くとかの農耕的な生命循環のイメージはあります。

 次も農耕的ですが、牛を担いで洞穴まで持って行き、顔を背けて屠殺する儀式です。死んだ牛の肉から動物が生まれ、土に垂れた精液から植物が生まれるとされています。この屠牛は、格下の太陽神ソルから命じられてミトラが執り行います。そして牛を食べるのですが、儀式中に食事が入ってきます。これはパンとブドウ酒のキリスト教の儀式に影響を与えたと。確かに、TVなんか見ると、未開の種族に受け入れられるのは、食事をして土地の食べ物を身体に入れる−という儀式があります。その発展したもののようです。この屠牛と会食の儀式をローマのど真ん中でやっていたはずがありません。絵や焼き物を見ながら司祭の話を聞いて、食事をしたのだと考えられています。

 日月火水木金土の七遊星が守護聖になります。魔法の世界では、近い順は、月が一番近く、月・水・金・日・火・木・土で、土星が一番遠く、神様の世界です。7と言うのが聖なる数字、聖数です。ラッキーセブン、六曜蜜の七曜もそうですね。短期記憶の限界が7つと言われてまして、古代人もそれを経験的に分っていたのかも知れません。組織も7段階になっています。大烏−新妻−兵士−獅子−ペルシャ人−太陽の使者−父パテルです。最後が、パテル−パパです。ローマ教皇はなんて言います? パパです。

 女性は密儀に入れなかった。その他の例から「男性結社」だとエリアーデは言います。丁度、村の青年団の成人式のようなものから発展したんだと。ここで行き方を学ぶわけです。男性の階級組織であり、正義と軍隊の守り神ですから、ローマの兵隊にはやったわけです。彼らが各地に持っていったわけです。スコットランドにもミトラ教の集会所が見つかっています。

9−11 ローマのミトラス神

 ローマの休日でオードリ・ヘッバーン扮するお忍び旅行の王女様を、グレゴリーペック扮する記者がローマ市内を案内しますね。そこで太陽を顔をした「真実の口」という石版に手を入れて、ヘッバーンをからかいますね。あそこは真実の口教会というですが、その地下にはミトラ教の集会所があります。隣は大競技場です。カラカラ浴場の近くにもあります。どうも公共施設に隣接してミトラ教の集会所が作られたようです。サンクレメンテ教会の地下の集会所には有名な屠牛のレリーフが残っています。ローマには100はあっただろうと言われています。で、ある歴史学者が言うには「キリスト教が躓けば、世界はミトラ教のものになっていただろう」と。

 キリスト教とミトラ教は200年くらいの付合いがあります。後でまとめますが、キリスト教はミトラ教からだいぶ頂いています。それは意識的にパチッたのもあるでしょうが、習合してしまったという面もあると思われます。

12 ミトラ教の系譜2

 さていよいよ、ミトラ教の「屁」は世界じゅうに広がることになります。横軸が地域です。真ん中のペルシャを中心に東は日本、西はガリア=フランスまで。ササン朝を建てたアルダシール1世は、ペルシャからギリシャ=ヘレニズムの影響を振り払おうと、マズダー教を国教にします。次のシャイプール1世は、ミトラ教の流れを汲むマニ教を一度は認めるのですが、2代あとのハバラム1世は、神官キルデールの意見をいれてマニ教他を弾圧します。でもマニ教はペルシャ以外の地域では着実に勢力を広げて行きます。

 少し後になりますが、4つに分れたローマ帝国内で主導権争いがおこり、2回のトーナメント戦となります。この時、XPの旗印をつけて戦ったのがコンスタンチヌス帝で、XPとはギリシャ文字のカイとローでギリシャ語のクリストの頭2文字です(XPIΣTOΣ)。すなわちクリスト教徒を味方につけたわけです。戦いに勝ちぬいて、コンスタンチノポリスを作り遷都します。その後、5〜60年くらいゴタゴタはありますが、392年にキリスト教が国教化されます。しかし直ぐローマ帝国が分裂し、さらにゲルマンの侵攻が始まります。北アフリカでマニ教徒だったアウグスチヌスがキリスト教徒になるものこの頃です。先に、キリスト教会の地下にミトラス教の集会所があるという話をしましたが、習合して吸収していったのだと思います。

 ペルシャ内ではマズダー教が勢力を持ちますが、ミトラ教やマニ教が消えたわけではなくて、残っていた。5世紀ごろは災害が多く、社会運動、世直としてミトラ教の末裔がでてくる。これがマツダック派です。7世紀中頃、イスラム教が広がるわけですが、ペルシャのマズダー教やマニ教は弾圧されました。マニ教は北アフリカや西域へ逃れるように広がります。イスラムも一枚岩ではなく、アリーの党派、シーア派がありまして、こことミトラ神学が結びつくことになります。シーア派はムハンマドの孫のアリーの血筋をカリフに選ぶべきだという勢力ですが、ウマイヤ朝にはしてやられ、アッバース朝には騙されて、勢力が落ちてきます。そこにミトラ神学が入って理論強化されるわけです。それは10世紀のはじめてのシーア派の国家、ブアイ朝のさきがけになったといわれていますが、イスラム神学は井筒俊彦という山を越えないといけないので、ここまでとします。

 もう一つが佛教への流れです。ミフラクの音訳が弥勒だと言う話をしましたが、弥勒教が佛教のなかで重要な役割を果たすことになります。

ミトラ教から直接の影響、それとマニ教を通じての影響、この2つの波が東西に「屁」のように広がって行きます。以下、東西の2つの流れを簡単に見ていきます。

 なお、この赤い点線が引かれていますが、これは西暦535年の線です。この線以降、歴史は大きく変ります。主だった国が滅んで50年くらいの間に新しい国が、洋の東西を問わず現れます。後で謎解きをします。お楽しみに。

13 西方への影響

 ユダヤ教徒は、BC年ころバビロンの捕集にあいますが、ペルシャがそれを解きました。でもイスラエルに帰らずバビロンに残ったグループもいまして、彼らを通じてミトラ教の影響を受けました。メシア思想が入りますし、唯一の神と人間との中間の大天使を設定するのです。メタトロンは、ミットロンとかミトラトンとも呼びますが、ミトラ神の境界者としての性質を持っていますから、モロ影響を受けているわけです。

 ミトラス教はローマ帝国に根を張っていて、キリスト教とは200年間の付き合いがあるので、習合したようになっています。まず、クリスマスがキリスト生誕のミサの日に設定されましたが、これは元々ミトラ神の誕生日の冬至近辺です。そもそも3人のマギ、聖書では3博士ですが、カルディアン・マギ、占星術師がお祝いの来ることがオカシイ。イエスはユダヤ教徒ですから。だから別の登場人物の話をパクッた可能性があります。で、イエスはキリスト、要するに救世主です。これもミトラ神の属性です。更に、三位一体の一つ、聖霊ですが、これはヘレニズム世界ではパラクレートス、ナルジャミーグ、神の声の伝達者として一般的な概念だったわけで、これもミトラ神の属性です。ミトラをキリストと聖霊に分割したように思えます。儀礼的食事は前に話しました。面白いのは、教皇がかぶる三角帽がミトラ帽と呼ばれています。ミトラ教の7位階の最高位がパパだったことを思い出してください。

 ミトラ神がローマに入る前は、小アジアのギリシャ世界に、ペルセウス(ペルシャ人)として紹介されました。やがてアポロと意訳され、不滅の太陽として根付きます。

14 マニ教

 マーニーは父親がキリスト教の洗礼派に入信してそこから出て「二元論者」のところに弟子入りします。その後、インドに行ったと言われていますが、240年ころペルシャに戻りまして布教を始めます。シャプウル1世の許可を得て布教をはじめますが、その2代後のワフラーム1世の時、キルデールというマズダー教の祭祀長から訴えられて投獄され獄死又は処刑に合います。マニ教は弾圧されますが、小アジアや北アフリカさらに西域へと各題してゆきました。

 で、この「二元論者」をどう捕らえるかですが、マニ教の教義は完全二元論ではなく、穏健二元論となっていますので、どうもミトラ教が元であったろうと考えられます。また、マニ教徒とが弾圧の際、ミトラ教徒がかくまったとされていますので、創唱宗教であっても、ミトラ教の血を引いているものだと考えられています。佛教教団のように在家と出家の2重組織で、それぞれ戒律がちがいます。簡単な聴聞者の五戒がそのままイスラムの戒律になっています。

 キリスト教とマニ教が北アフリカでぶつかっています。有名なキリスト教の教父(おしえの父)であるアウグスチヌスは親がクリスチャンなのにマニ教に入ります。その後またクリスチャンとなってマニ教の批判をしています。

 マニ教は、西と東に広まるのですが、その東への動きに後から歴史上、重要な役割を果たします。それはアルメニアでパウロ派というキリスト教の言葉を持つマニ教が広まりますが、東ローマ帝国が攻めてきて奴隷や兵隊としてアルメニア人をブルガリアへつれてゆきます。10世紀になってボゴミールという教祖が教えを広めます。これがパウロ派マニ教と似ているわけです。しかしこのボゴミール派は後に穏健二元論と完全二元論の2派になります。それらがボスニアや北イタリアに広まり、パタランと呼ばれるようになります。変わり者という意味で、マンガのパタリロの名の由来でもあります。

 更に、南フランスに持ちこまれ「カタリ派」になります。12世紀の南フランスは北フランスとは半独立状態で、トゥールーズを中心に宮廷文化が栄えました。吟遊詩人の訳で知られているトゥルバドゥールが活躍したわけです。恋愛という概念が生まれたのもここです。農民らにカタリが広がり、多くの聴聞者が完全者ペルフェクティの修行を支える組織をもっていまして、これは清浄者の呼び名が変わっただけの全くのマニ教だったわけですが、だんだんと完全二元論に傾いてゆきます。キリスト教会のイノケンチウス3世が脅威に感じ異端と断じて討伐に向かいます。これが1208年のアルビジョワ十字軍です。最終的には1243年のモンセギュール城の陥落をもって終わるのですが、宗教戦争のほかに北フランス、オイルの国が、南フランス、オックの国を飲みこんだ政治的な意味合いがありました。カタリ派の末裔は、15世紀までボスニアにいた事が分っています。

15 佛教への影響

 直接の影響は、西域でミフラクを弥勒と音訳し、仏教の中で菩薩という微妙な地位を獲得します。人物であった釈迦が神様になりますから、そのお付の者になるわけです。理論はインドで生まれたようで、ミトラからの派生語ミトリーが慈悲深いという意味で、それからマイトレーヤができます。サンスキリット語の弥勒ですね。弥勒教・弥勒信仰とは、その菩薩が約57億年後に地上に降りてきて教えを説く時に出会いたいという信仰です。弥勒は出番を待つ救世主というわけです。一方、57億年も待てないので、死んで弥勒さんの傍に行き、そこで修行すれば早く涅槃に行けるという上生信仰もできます。この前のほうの救世主を求める下生信仰が歴史上の大きな動きを作りました。

 佛教の出会いで起きた事件は、仏教が仏像を創るようになったことです。ペルシャ人はレリーフが大好きで、その上ギリシャ人が彫刻を持ち込んだ所がガンダーラです。ここで仏像が生まれたわけです。クシャン朝は今のパキスタン・アフガニスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタン辺りを押さえていましたので、アフガニスタンにも多くの仏像がありました。バーミヤンの大仏は記憶に新しいですね。

 で、弥勒教として佛教と一緒に東へ進み中国・朝鮮・日本に入ります。中国では上生信仰で大人しかったようです。朝鮮でファランドと読みますが「花郎道」という大衆運動が盛り上がります。岩から生まれた弥勒さんが子供格好で現れてイーことをするという信仰なんですが、下生信仰と檀君神話とが結びついたもので、これを新羅政権が上手くまとめて朝鮮統一を成し遂げます。

 大人しいと言えば、宝冠弥勒半跏思惟像は美しいですね。これは半分は観音さんが混じっているように思います。

 中国の隋から唐の時代に三階教というものがはやる。これが3時代歴史観なわけです。元々、摩耶経というのが550年頃に翻訳されます。そこに3時代分類が出てきます。正法サッダールマ、これは完全に仏の教えの時代で、教え通りに修行すると悟りに至る時代。次が像法サッダールマ・プラチルーパカ、これが偶像みたい形は正しい。教えは正しいのだけど、修行しても悟りに至らない時代。最後が末法サッダールマ・ヴィプラローパ、教えと言う言葉だけが残っている時代。佛教では「三時の説」と言います。何となくズルワニズムの影響を感じるでしょう? これを指摘した本を読んだことがないんですが、私の勉強不足でしょうねェ。なければケノ仮説にしますが。

 で、三階教に戻ると、時代は末法である。場所は、穢土、汚れた所。人は凡人。こんなんだから、エライお釈迦さんじゃ救えない。だから普遍的な仏、普仏じゃないと救えないんだ−という宗教が流行るんです。私はこれもミトラ神かマニ教の一種じゃないかと思うのですが、証拠固めが全くできていません。これは則天武后が潰してしまいます。

 さて、この辺りで「12ミトラ教の系譜2」の赤線の謎解きをします。535年は大変な年だったんです。夏がなかったと記録が残っています。ディヴィット・キースと言う人の仮説ですが、インドネシアのクラカトゥワ火山が大爆発して、その塵のため気温が下がり2年間に渡り地球全体が寒冷化したというのです。で、各地で暴動が起き、多くの国が滅んだと。大きな時代の区切りになったというわけです。同じことは、パリコンミューンや天明の大飢饉の原因が、アイスランドのラキ火山と浅間山のダブル噴火による急激な寒冷化だと指摘されていますが、その1200年前の大事件だったと言うわけです。

 さて、ミトラ教の歴史の最後になりました。それは明の建国に関わっています。モンゴル帝国の中国支配は元王朝でした。冒頭に中国の近代は宋に始まったとの宮崎説を紹介しましたが、その時は女真族に中国北半分を奪われたけど、元には全てを奪われたのです。漢民族の自律意識が高まっていました。そこへ黄河改修の賦役を課せられ頭に来た人々が反乱をおこしました。紅巾の乱といわれます。紅フンならぬ、紅い鉢巻を締めていたからです。これが弥勒教とマニ教と浄土行の合わさった運動だったのです。まず弥勒が救世主として現れるという思想ですね。乱を起した韓山童は明王、マニ教のミトラだと言われた。また、独立に西で挙兵した叙は、生毛が光る弥勒さんの生まれ変わりだと言われたんです。

 世界認識が二宗三際、善悪の二つがあり、始めは燃灯佛が支配する青陽の時代、次がお釈迦さんの赤陽の時代で終わろうとしている、やがて弥勒が支配する白陽の時代が来るんだ−という将にマニ教やズルワニズムの時代認識ですね。

 で、この白蓮宗と言うのは、白蓮社という阿弥陀信仰集団から来ているのですが、自分の中に浄土を見るという異端なんですね。ある種の瞑想法を持っていた。

 これら3つが結合したのが白蓮教といわれているんですが、私に言わせれば、みんなミトラ教なんですね。阿弥陀佛がなんでミトラ教由来かというと、阿弥陀如来は、アミタユース、無量寿、無限の命、又はアミターバ、無量光、無限の光、というわけですから、これはズルワーンのことです。ズルワーンがインドに入り、リメイクしたのが阿弥陀じゃなかったのかって思っています。映画スターヲーズのアミダラ女王は、もちろんこの阿弥陀さんから来てますね。

 で、紅巾の乱に最終的に勝利した朱元璋は、明王=弥勒さん=救世主になろうとしたんです。国の名前も「明」です。

 書いてませんし調べもついていないのですが、布袋さん、これもミトラの化身ですね。というわけで、今日は西南アジアで生まれたミトラ教が「ヘ」のように世界じゅうに拡散して行く様をお話しました。これでおしまいです。それでは、これからミトラさんのハオマを頂くことにしましょう。

[03.02.14]

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