昔は今のように情報が簡単に手に入らなかっただけに,
突然出会ってしまった多種多様な車両には強烈な思い出が残っています。
今回はそういった車両たちをピックアップしてみました。
8.10 幡生〜新下関
新下関でブルトレを撮ろうと下り列車の方ばかり構えていて,軽いホイッスルとともに
何気なく幡生方をふり返ったら,EF58 60(浜) でした。
あっ!と思って,あわてて撮ったこの写真よりも,ふり返った瞬間に見た,朝の順光線に
輝く「58」の正面が今でも強く印象に残っています。
この年から鉄道写真を始めた私の,記念すべき最初の取り逃し写真になりました。
7.23 西鹿児島
西鹿児島で駅撮りしていた時に,「発見」しました。車両配置表などで知る人は知っていたのでしょうが
駆け出し中学生の私には「大発見」でした。
当時は50oレンズのみだったので,車両の全体を収めようとホームギリギリまで後退して撮影しました。
「ナハフ」のファーストナンバーは,横川に保存されていますが,こちらはこの2年後(?)くらいに廃車に
なりました。同じファーストナンバーでもその後の運命は異なりました。
しかしながら,車両のファーストナンバーがありがたいのは不思議なものです。
8.26 佐世保
一方こちらは,「次男坊」。
鳥栖客車区に所属し,専ら長崎・佐世保線の普レに運用されていたので,見かけることが多い
なじみの車両でした。
この写真の約20年前に新製され,先ほどの1番とコンビを組んで優先的に山陽特急「かもめ」に
使われ,蒸気時代はその軽さから各種の優等列車に使われていたようです。
画期的な軽量車両なので,蒸気時代は重宝されたようですが,後年その軽さがあだとなって,
この写真頃には,すでに「ボコボコ」の状態でした。また乗り心地や台車の走行音も何となく
安っぽく,乗車するときはスハ43系の明るさやオハ33系のやや重厚な雰囲気や乗り心地が
好みでした。
この「次男坊」も「長男坊」と前後して廃車されました。
8.10 新下関
(広)所属の「58」20の試運転です。塗装からして,全検上がりではないようですが,
何か不具合の調整だったのでしょうか?
ヘッドマーク?に目がいっての撮影でした。
9.19 牛津〜肥前山口
団臨の運用で鳥栖から肥前山口に出迎えに来た,鳥栖所属スロ81の2100番台です。
貨物のスジでも使っているのか,それとも臨時で遅いスジなのか臨時の回送ダイヤらしく,
ものすごいスロースピードで1/250でもぶれていないので30キロくらいだったのでしょう。
(さすがに,肥前山口からの折り返しは通常速度でした。
このように日時不明・車種不明で突然にに出会う列車は強く思い出に残るものです。
(しかし,事前に情報を仕入れておく事に越したことはありません) (了)