山陽路を下るブルトレを撮ろうと中2と中3の夏休みに撮影旅行を行いました。

資金はお年玉やお小遣いでやりくりするとしても,問題は撮影地までの移動です。
ホテルなどの宿泊は無理ですが,どこかで夜を過ごさないと朝のブルトレ撮影は不可です。
ところが,当時はあの「ながさき」号がありました。時刻表でいろいろ検討してみると,
夜行普客「ながさき」号で門司まで乗ってると。下関での駅撮りはできそうですが,(生意気にも)
当時中3の私は,どうしても走行写真を撮影したかったので,新幹線で新下関まで行き,近辺で
撮影することにしました。
朝1番の「こだま」の新下関到着と「さくら」通過がなんとか間に合いそうでした。

実際に実行してみると,30分くらいの余裕があり,「さくら」〜「あさかぜ2号」までを撮影する
ことができました。結果的にEF65 500番台と20系「あさかぜ」の後の勇姿をフィルムに残す
ことができました。


*写真はすべて,1977 8.4  新下関〜幡生


 夏休み 撮影旅行



「はやぶさ」のHMとEF65 500の組み合わせは好きでした。

下関からの帰りに,寄った博多での20系「あさかぜ」が見納めでした。
最後なので,車掌さんの目を盗んでナロネ22のルーメットに腰掛けてみたりして,名残を惜しみました。(乗りたかった)

当時はどちらかというと,EF58は敬遠傾向にあって,シャッターを押さずに見送ることが多かったです。
デッキ付きの旧型電機と新型電機の間の中途半端な存在のためだったからでしょうか?

この2枚は光線状態が良かったのと長州屋根瓦の色に目がいったから撮影したのでしょう。

EF60は今から見ると好きなELですが,当時はF級機のくせにサイドがD級機(ED60など)の
ようなのでバランス悪く感じていました。ED72も同じです。

「湘南 金太郎」 直流線区の西端にいてもつい「湘南電車」とは変な感じですが,この時も移動で乗りました。
旧2等車の車内は座席のモケットが熱を吸収するのか,旧3等車よりも室内が暑く,乗客は旧3等車の方に
乗車していたように思います。(飯田線の流電も同様でした)

下関から小倉に寄り,駅撮りしました。確か,この年の秋に日豊本線のED74が廃止されると知り,
もしかしたら,を期待しての駅撮りでした。
記憶では,ED74らしきものは東端の測線を通過していき,撮影できなかったのですが,この当時に小倉までの仕業があったのでしょうか?

でもお気に入りのED73や75 300が撮影できて良かったです。このELは中間台車がなくすっきりしたD級らしい姿なので好きでした。
(撮影には間に合いませんでしたが,ED19なども大好きです)

「西鹿児島行 にちりん」 まだ,日豊本線は末端区間が非電化でした。
(3年前までSLが走っていたのです!)

シャッターを早く切りすぎてしまい中途半端な写真ですが,ホームの様子を細かく見てみると,
この時の暑さや喧噪など,当時の撮影の雰囲気を思い出します。

この時の,中3の夏にもどってみたいです。


今回はネガの状態が悪く,プリントからのスキャニングでした。  (了)