豊橋だから,いなり寿司でもと思ったが,結局,ありきたりのファストフードですませる。
食事よりも冷気にあたっていた時間の方が長かったが,体調は回復する。
流電の方も,牛久保の電流線でお昼寝しているらしいので,市電の撮影をする。
市電は細面の形状で,好きなタイプだったので何枚か撮影する。
14時を過ぎ,そろそろ本来の目的である飯田線へ復帰するべく駅へ向かう。
遠征旅行 1978 その2
親戚宅で2泊した後,8月12日に帰路につきます。
「さざなみ」始発に乗る。親戚宅での2日間の思い出よりも,これから行く飯田線の事で
頭がいっぱいである。今日の「さくら」は東京から乗るように発券しているが,実際は豊橋
からの乗車である。東京〜豊橋で車掌がキャンセルと間違えて車内で他の客を補充しない
よう,新幹線ホームから「東京車掌区」へ電話する。意外にも好感の持てる対応で,さすがに
日本を代表する車掌区だと感じる。
「こだま」で豊橋へ下る。早く飯田線の旧型電車を見たいので,各駅の停車したり,「ひかり」に
追い越されたりする「こだま」がまだるっこしい。
そうは思っても,さすがに新幹線で,10時過ぎに豊橋へ着いた。
豊橋 クモニ83
飯田線 船町
東海道線が側を走り,直線で駆け上がってくる線形も良かったので,船町で
撮影することにする。いつ流電が来て乗ってもいいように切符を買うために
駅先端の階段を下る。
せまっ苦しいところに小屋のような駅舎があり,駅員がいる。すぐ横に貨物ヤード
があり,さらに3mほどの飯田線ガードがあり,飯田線や名鉄が通る度にうるさい。
東海地方だけでも暑いのに,ヤードから熱風が吹いてくる。暑さでうだっている
駅員から切符を買う,めんどくさそうに発券してくれる。
ホームに戻り,スタンバイするが,飯田線や名鉄のボロ電車よりも東海道線を
走る貨物やきれいな初期型の153系に目移りしてしまい,シャッターを切る。
そろそろ流電が来る頃なので構えていると,時候表に載っていない時刻に
信号が変わり,何か来そうである。貨物だと思い,EF10を期待していたら,ED
62が来るのでシャッターを切る。
ED62に落胆していたら,突然のように流電がやって来た。
さっそく,先頭車両に乗り込む。モーター音は旧型国電とかわらないが,
この丸みを帯びた運転席を見て,流電に乗っていることを実感する。
たった1駅ではあるが,充実した時間を過ごす。到着しても折り返しの
ためと暑さ防止から車両の出入りは自由である。運転席などの室内
写真を撮る。旧2等車は厚手の座席で見栄えこそ良いが,熱を吸収
しているらしく,他車両よりも室温が高い。旧サロに乗るのは涼しい
時が良さそうである。
もう一度外観を眺めようと,ホームの先に行くと流電と42系が並んで
いる。「戦前の関西スターの競演」と言う鉄道誌的なタイトルが頭に
浮かびシャッターを切る。
正午を過ぎ,腹が減ってきた,それよりも,ますます暑くなる。
旅先で熱射病では困るので,涼みがてら昼休みとする。
いろいろ考えたが,最後の撮影地は船町〜小坂井とする。築堤や橋梁があり名鉄と東海道本線が合流分離していて,
なかなか面白い場所である。
豊橋からの下り車両や東海道本線の貨物ばかり気にしていたら,突然のように飯田線の上り貨物が通過する。ED62と
EF10の重連である。後部のED62は片パンで,一見して訓練運転であることがわかる。予想していなかったので,中途
半端な写真となるが,まあ。仕方がないモノはしょうがない,と言うことにしておく。
いくぶん暑さが和らぐと,夕方の光線に変わりだし,列車密度も多くなる。
合間にやってくる名鉄の車両も,意外に夕日に映えている。この色は写真よりも実車で見るとイメージが変わる。
いろんな編成の旧型国電が通過する。「さくら」に乗らず,また明日も来たくなるが,帰りたくもある。
いよいよ撮影最後の流電が来た。名残惜しい気がするのは,今日帰るからではない。
秋の改正で廃車となるからである。ギリギリ間に合えて良かったと思う反面,もっと早く訪れたかったとも思う。
去る者あれば,来る者あり,飯田線で流電とEF10が引退するが,佐世保線では15系がデビューする。
いろいろ思いながら,築堤を後にした。 (了)