さようなら 九州特急 ブルートレイン
〜朝の東海〜
目覚めても列車は走っています。たいてい名古屋の手前で目を覚ましていたように記憶しています。
スカーレット・レッドの電車を見て,「めいてつ=もうすぐ名古屋」を自覚します。寝ている間も列車は
走り続け,目覚めたら遠くまで来ている,あるいは故郷に近づいている。寝台列車の原点です。

名古屋の停車は,大ターミナルの駅らしく,まるで終着駅のように停車します。ナロネ21の乗車では
海側,山側のどちらにも座った(寝た)のですが,山側にあるバスターミナルビルが印象的です。
停車中に,ビルの中からバスが降りてくるのを不思議な気持ちで眺めていました。しばらくすると,
EF65の汽笛で動き出します。5分近く停車すると,始発のような感じを受けます。

名古屋を出るのを境に,「さくら」の中は朝を迎えるようで,洗面所方面へ向かう人の足音やどこから
ともなくタバコの煙が漂ってきます。東海地方の通勤列車とすれ違ったり追い越したりしながら,
寝台の片付けが始まります。食堂車で夕食を取らない反動か,寝台の解体が始まると食堂車へ
向かいます。食堂車の位置は,佐世保編成のロネからは近かったように記憶していたら,復刻の
時刻表でその通りであることを確認できました。長崎の編成端のナハネフ23も憶えています。

同じ事を考える人もいて,食堂車は満席。通路から行列で少しずつ進んでいきます。喫煙室側で
待ったような,厨房側通路で待ったような曖昧な記憶ですが,あのパンとバターとみそ汁の混ざり
あった香りは確実です。いつも,豊橋に着く頃は座席について食べていたので,朝食ということも
あって回転率は良かったのでしょう。豊橋では,親が飯田線を横須賀線の電車と言っていたのが,
記憶にあります。上りは洋朝食,下りは和食のイメージで,みそ汁と海苔が朝の戸畑界隈通過の
イメージでした。まだこの頃は,バターやジャムも別容器で出され,バターが丸まっていました。
洋朝食ではオートミールをチョイスすることが可能でした。この「ミール」は曲者で,他の人が食べて
いるのを見るとおいしそうに見えるもので,つい,「大丈夫!」と注文してしまい,
届いた現物を見て興ざめして食べずに怒られた記憶もあります。

食堂車から戻り,プルマンに変わった座席に座る頃には浜名湖あたりで,そろそろ新幹線が見え始め
東京が近づいている事を実感します。この付近から静岡までの印象は弱いです。起床から朝食
までの疲れが出るのか,もしかしたら二度寝でもしていたのかも知れません。車窓も金谷近辺の
子どもにとっては退屈な隘路区間になります。(牧ノ原のトンネルを丹那トンネルと混同していました)
静岡を出ると,富士山が見えたかどうかで車窓に目をこらすので,興津や由比の景色の記憶は強い
です。この時の富士山の記憶が無いのは,運に恵まれなかったからでしょう。

〜丹那越え,関東入り〜
由比付近から富士山で盛り上がるせいか,沼津近辺の記憶も曖昧です。時間帯から,「10時の
おやつ」になるので,車販のアイスが記憶にあります。沼津の次の停車駅が横浜なので,両側に
山が迫り始める風景とともに気分が変わります。丹那トンネルは,子ども向けの鉄道本でも難工事や
犠牲者,慰霊塔などが出てくるので,通過時には怖い印象が強いです。
丹那トンエルを出ると,熱海です。やや徐行気味に通過していきます。新幹線の駅を通過するので
不思議に思いながらも,優越感を感じます。曖昧な沼津近辺から,メリハリのある熱海や根府川を
通過します。丹那トンネルの暗さと右窓に広がる相模灘の明るさの対比が強烈です。この印象が
あるためか,私にとっての東海道本線の印象は,朝の由比興津と昼前の根府川が象徴的です。

〜そして,終着へ〜
東京へ来た印象が最初に強まるのは小田原です。小田急を見るのと,線路が複々線になって
列車のすれ違いや追い抜きが見られるようになります。車窓にかじりつくのですが,親は荷物の
整理を始めたりするので慌ただしい雰囲気にもなります。やたらとトイレに行かされます。
そして,大船からは横須賀線と京浜東北線の姿を見て,ますます気持ちが高まります。都会の
風景が続く内に戸塚の先では山の中に入るようになり,トンネルを抜けると横浜に近づきます。
このトンネル付近は今でも変わらない風景で懐かしいです。

横浜では,再び京浜東北の「水色」電車と出会い,「赤」の京浜急行とも出会います。東京や横浜
滞在中はこの「赤」電車にお世話になるので,すこし,嬉しくなります。

品川付近で山手線の電車が見える頃に,「あと,10分で東京に着きます。」などど,最後の車内
放送が入ります。長かった乗車をねぎらったり,感謝したりする,長距離ブルトレ独特の車内放送
です。「ずっと乗っていたい」気持ちが湧いてきますが,品川〜田町でいろいろな電車や機関車を
見ると,降りてみたい気持ちも湧いてきます。
「さくら」の快調な足取りも,新橋を過ぎる頃にはテンポも弱まり,ゆっくりと銀座をかすめて有楽町を
通過します。信号関係,機関車牽引のブレーキ関係,いろいろな要因があるのでしょうが,当時も
今も,このゆっくりと東京入りする列車の所作は,九州ブルトレの見せ場でグランドフィナーレだと
思います。

名残り惜しいナロネの通路を通ってドアから出ると,そこは東京で,どこからともなく聞こえてくる
慌ただしい音と空気に包まれていました。