(6)エピローグ


江夏へもどってきた周瑜を待っていたのは凌統であった。
周瑜が柴桑へつくなり、凌統は膝をついて叩頭した。
「殿の温情を持ちまして、いまだこうして生きながらえております。都督にはご迷惑をお掛けしました」
「反省しているのならそれで良い。だが軍律を乱す行為は今後二度と起こしてはいけない」
「肝に銘じております」
「孫仲異殿は会稽へ戻られたが、そなたの処遇については特に思うところはないようだ」
「・・・」
「今回のこと、己の胸によく刻むのだな。甘寧のことにしても同じだぞ」
「・・・・あれは・・・あいつのことは、別です」
「たしかに以前は敵だったかもしれぬが今は違う。余計な騒動を起こして軍律を乱すな。恨みを忘れろとはいわんが、軍人としては気持ちを区別しろ。わかるな?」
「・・・わかるよう努力したいと・・・思います」
凌統は視線を地面に移して小声でそう言った。
「まあいい、もう済んだことだ。おまえにはこれから江夏攻略という、大きな戦がまっている。準備を怠るな」
「は」
それを機に凌統は周瑜の部屋を辞した。

「文嚮、いるか?」
周瑜が声を掛けると、徐盛はすぐにやってきた。
「お呼びでしょうか」
「すまぬが小姓に茶を運ばせてくれないか」
「某がお持ちいたします」
有無を言わせず、徐盛は部屋を出て、しばらくして茶を持って入ってきた。
それを受取ながら、
「何度も言うようだがね。文嚮。おまえは側仕えではないのだから、こういうことはしなくていいんだよ」
となかばあきれたように言った。
「小姓に頼むより某が行った方が早いかと思いましたので」
「おまえの腕は茶を入れるためにあるのではないと思うのだがね」
「無論です」
そういいながら周瑜の前の卓に茶を置く。
それに手を延ばして、一口口に含む。
「江夏はどうだ?」
「・・・都督が出立なさってから二度小競り合いがございました」
「ふむ。首尾は?」
「いづれも甘興覇が追い払いました」
「そうか」
「それで、また凌公績が甘興覇にいろいろと突っかかりまして」
「甘興覇の方は?」
「相手にしておりません。それがまた凌公績には気に入らないようで」
「まだ17だからな・・・・」
「・・・・・あれでも家督を継いでいる身ですから大丈夫でしょう」
周瑜は徐盛をちらりと見た。
「・・・確かにそう言ったのは私だな」
「左様です」
「おまえは物覚えがいいね」
「恐れ入ります」
「・・・まあ私怨だからな。仕方有るまい。頭でわかっていても気持ちを整理するのはなかなかに難しいものだ」
周瑜は、もう一口、茶をすすった。
「感情を素直に行動に表すのと、智謀を使い、遠回しに行動するのでは、もたらす結果は違うものだな」
「・・・なにか、ありましたので?」
「うん。・・・まあ、近々動きがあろう。おいおい知れることだが、事が事だけに今は聞かないでおくれ」
「承知しました」

周瑜はしばらく黙っていたが、傍に立つ徐盛を見て、言った。
「勝てぬとわかっている陣に死ぬ覚悟でついていくか、勝ち馬に乗って栄達を目指すか。人それぞれだな。少なくともおまえは前者だろうが」
「・・・・某の主は勝てない戦は致しませぬ」
「それは盲信というものだ。この世にそんな者がいたらとっくに天下を取っているはずだろう?」
「それは・・・私欲がないからだと某は思います」
「私欲がない・・・か。ではその者はなんのために戦をするのだろうね?」
「某の想像にすぎませんが・・・守るべきものがあるのではないかと思っております」
(守るべきもの・・・はて、私の守るべきものとは、一体何か?)
徐盛の言うことに、しばし思考をとられたが、それを徐盛に聞くことはしなかった。
「ふん。・・・では、おまえは?」
矛先が自分にむいても、徐盛は慌てなかった。
「某は主のために戦っております」
「ふむ。正しい答えだな」
「・・・・」
「今後、おまえが別の将の元につくことになっても同じ答えを持つように」
「都督・・・・」
「それが誰であっても、だ」
徐盛は何も言わなかった。
そんなことは考えたこともなかったからだ。
「・・・某をうとましくお思いですか」
「そうではない。我が軍は有能な将が一人でも欲しい。私に茶を持ってくるような将ではなく、だ」
「・・・・」
「おまえには実力がある。こたびの柴桑、ならびに宜城の山越討伐でもそれは実証された」
「それも都督のお側にいたからこそ、です」
「それがおまえにとっての実習の場だったのだとしたら、その期間はもう充分だったということになるな」
徐盛は立ったまま、両脇に下げた拳を握りしめていた。
「・・・某は亡き討逆将軍様に、あなたをお守りするよう命ぜられました。その命が今日までの某のすべてです。都督が某をもう不要と言われるまではどうかお側におおきください。それが某の望みです」
「栄達を望まぬというのか」
「はい」
「馬鹿な・・・」
「どのように仰せられましても」
「私がおまえに戦功をあげて栄達してもらいたいと望んでいても、か?」
「都督の元でならご期待に添うよう善処します」
周瑜はやれやれ、といった風体で徐盛を見上げた。
「だがずっとこのままというわけには行かないのはわかっているだろう」
「・・・」
「何度もいうようだが、おまえの主は私ではなく、孫呉の主公だ。殿のご命令なればおまえは従わぬわけにはいかぬ」
「はい」
「その時がいつきても、おまえは慌てずいつもどおり行動すればよい」
そんな時が永遠にこなければいい、と徐盛はひそかに思った。
周瑜の傍にいて、こうして二人で言葉を交わす時が何より彼にとっては至宝であったのだ。
他に何も望まない。
周瑜を守ることが今の彼の最大の使命であった。




しばらくして、孫輔の反逆があきらかになった。
曹操への挨拶の密書を送ろうとしたことがバレたのだ。
孫権と張昭を前に、しどろもどろの言い訳をしていたが、密告してきた間者と密書を差し出されてぐうの音もでなくなった。
間者を捕らえた孫瑜は、孫輔に対して叔父である孫静からも考えを改めるように働きかけがあったことを孫権たちに伝えた。だがその時、周瑜のたっての願いもあり、この件に関して周瑜の名を出すことはなかった。
周瑜は一族のことは一族にお任せするほうがよい、と言ったのである。

孫輔は丹陽太守を解任され、会稽近くの邸に警備をつけられ、軟禁されるようになった。
親族が何度か訪れ、許しを乞うよう勧めたが、孫輔は応じなかった。

孫輔のあとをうけて丹陽太守には、この件で功のあった孫瑜が任命された。
実際は周瑜の指示通りに動いていただけであったという自覚から、最初は戸惑い、周瑜のもとへ文を送った。
それに対して周瑜はすぐに返事をよこした。
まず、孫瑜を感動させたのは次の一文だった。
『私への恩賞は、まず、あなたが己の功のことで私へこのような手紙を下さったことで、充分果たされています』
そして、そのあとに続く、
孫瑜に命令した覚えはないし、こたびのことは孫瑜の裁量で行ったことで、自分の指示があったとしてもそれを実行した孫瑜にこそ功があるべきで、この人事に対しては正当なものであるから、あなたは何一つ気兼ねをすることはない、それよりも前太守よりもよい治世を行うことが肝要である、との周瑜からの返事は、孫瑜を勇気づけた。
彼はかの地をよく治め、人心を得ることに成功し、その後も栄達を続けることになる。

孫輔はその数年後、軟禁されていた邸で亡くなった。
病死とも毒殺とも言われているが真実はいまだわかっていない。






(了)