「私を差し出せということらしい。どうやら朝廷は私が仲謀どのを見限ると思っているらしいね」
「そ・・そんな」
「朝廷・・・というよりは曹操の思惑だろうがな。おそらく子綱どのにでも伺ったのであろう」
子綱、というのは現在朝廷に赴いている張紘のことである。
張紘は孫策存命の折り、献帝に江東の情勢を報告するために使者として立ったのだが、その留守中の不幸ということになった。
「おなじものが仲謀どののところにも届いていると考えられるが・・・」
「ど、どうなさるおつもりなんです・・・・」
周瑜は微笑んで言った。
「曹操には前から会って見たいと思っているんだがね」
「!・・・ふ、ふざけないでください!継承の儀の時、まっさきに忠誠を誓っていたのはあなたじゃありませんか!」
呂蒙は勢いあまって椅子から立ちあがった。その拍子に椅子ががたん、と倒れた。
「冗談だよ、子明」
周瑜はとりなしたが、呂蒙の目は笑っていない。
「冗談で言って良い事とそうでない事があります」
「・・・・すまなかった」
呂蒙は自分で倒した椅子を起こすと再び座りなおした。

しばしの沈黙が訪れた。

「・・・・すみません、つい、かっとなってしまって」
呂蒙は素直に謝った。
周瑜は口元をわずかにほころばせた。

「おまえは素直だね、本当に」
そう言って周瑜は遠い目をした。
その先に何が映っているのかは知る由もない。

「・・・殿のご判断に任せようと思う」
「公瑾どの・・・・」
「私を行かせるかどうかは、殿のご判断なさることだ。私はそれに従うのみ」
周瑜の言っていることは正しい。
朝廷からのお声がかりを蹴るかどうかということは重要な問題である。
蹴るにしてもそれ相当の理由が必要なのだ。
「あの曹操がこの混乱に乗じて来ないのは子綱どのが説得されたのであろうな。これはそのささやかな返礼とでもいうべきか」
「もし・・・ですよ。もし、殿が、この申し出を受けられるようなことが、万に一つでもあったら・・・」
呂蒙は自分にわだかまっていることをそのまま口にした。
周瑜はその切れ長の目を呂蒙に向けた。
何度も見慣れた光景だがその度に、呂蒙はいつも緊張する。
まったく、この人の視線は人を殺しかねない、とひそかに思う。
「だからさっきもいったろう?私は従うだけだと」
呂蒙はうつむいた。
「・・・もし、公瑾どのがおられなくなったりしたら、俺・・・さ、寂しいです。どうか・・・行かないでください!」

一呼吸おいて鈴のような笑い声が聞こえた。
呂蒙はあわてて顔をあげた。
「な、何です?急に」
周瑜が声を立てて笑っている。
ここ何年もそんな周瑜を見てはいなかった呂蒙は驚いていた。
ひとしきり笑って、周瑜は自分の頬を片手でぽん、と叩くと
「ありがとう、子明。そんなふうに正直に言ってもらいたいものだね、仲謀殿にも」と言った。
「・・・・・俺、そんなに変なこといいました?」
呂蒙はあまり周瑜が笑うのでちょっとだけムッとして言った。
「ふふふ・・・すまない、そんなつもりじゃなかったんだがね。・・・あまりにもおまえがかわいいことを言ってくれるものだから」
周瑜がそう言って見つめるので呂蒙は真っ赤になった。
「か・・からかわないでください・・。と、とにかく俺は公瑾どのの意志をお聞きしたいのです」
急に周瑜は椅子から立ち上がった。
「お茶を飲むかい?名茶が手に入ったのだよ。そうそう、実は2種類の茶があってね、珠のお父上の喬公にお出しするのにどちらがよいか迷っているところなのだ。飲み比べをして意見を聞かせてくれないか?」
「あ、はい・・・」
はぐらかされた。
茶など飲んでいる場合ではないのに。

この人はまったく一筋縄ではいかない。
自分などでは到底対等にやり合うことなどできない。
周瑜が従者を呼んで茶の支度をさせるのを見ながらそう思った。

茶が運ばれてくるまで、口を利けなかった。
周瑜が勧めるので呂蒙も茶をすすった。
「・・・これはうまいです」
「そうだろう?これはなかなかの一品だ」
「ええ」
「ではこちらはどうだ?」
呂蒙は自分の前の盆に乗っている二つの茶器のもう片方に手をのばした。
「・・・・香りは落ちますがこれはこれでうまいです・・・早摘みなのでしょうが入れ方に違いがあるのかもしれませんね」
「そのとおりだ、子明」
急に周瑜が顔を引き締めて言う。
呂蒙は驚いて周瑜の秀麗な顔を見た。

「最初の茶はまさに名茶。このような一品に巡り会ったあとでは他の茶を飲む気が起こらないと言うものだ。だがこちらもまた名茶。しかしこちらは摘む時期が早かったのだ。それでも注ぐ者の手によって味は変わる」

呂蒙は、最初周瑜が何を語っているのかよくわからなかった。
しかし話を聞いているうちに、周瑜が、孫策と孫権を茶にたとえているのだということに気が付いた。
「私はこの早摘みの名茶を時間をかけて上手に入れたいと思っているのだよ、子明」
不遜な言い方かもしれないが、これが呂蒙の問いに対する周瑜の返事なのだ。
「は・・・はい。公瑾どの・・俺も、俺なりに尽力します」
周瑜は微笑んだ。
「そうだね。おまえの働きには期待しているよ」
 

周瑜は知らないのだろう。
自分のその一言がどれほどの効き目があるのかなどということは。
 

手始めに、黄祖を討つ。
軍を訓練し、その準備をしようと思う。
周瑜の室を辞したあと、呂蒙はまっすぐ孫権のところへ向かった。
 
 
 
 

(了)