月光夜話 〜微香外伝〜


 
 
 

「なんという月だ。まるで太陽のようだな・・・」
孫権は自室の格子から差し込む月の光を仰ぎ見て呟いた。

「殿、周瑜です」

「公瑾か、入れ」
扉を開けて周瑜が入ってきた。

「見ろ、なかなか見事なものだろう?」
部屋は、中庭に面しており、手入れのされた庭園を眺められるようになっていた。
「ええ。今宵は月の光と相まって一層うつくしゅうございますね」
孫権の前に周瑜は座し、一緒に中庭を見ていた。

「ときに、殿。私に用事とはどのようなことでございますか」
周瑜が尋ねると、孫権はいたずらっぽく笑って言った。
「相談というのは口実だ。おまえと二人きりになりたかった」
「は・・・?」
「用事がないとおまえは来ないだろう?」
「いえ、そのようなことは・・・」
「子瑜が言うには、おまえは近づきがたいんだそうだ」
子瑜、というのは孫権に仕える幕僚の一人諸葛瑾の字である。
「おまえに憧れている者はここには大勢いる。皆がおまえに話しかけられたいと思っているんだそうだ」
「ご冗談を。私などになにしにそのような」
「おまえが女だと知ったら、皆どのような顔をするかな?」
孫権は角張った顎に手をあてて軽く笑った。
「殿」
周瑜が厳しい口調で言った。
「わかった、わかった・・そう怖い顔をするな。冗談だ」
孫権は両手をあげて周瑜にとりなそうとするが、周瑜は首を振り、眉をひそめて言った。
「殿がそれを皆にうち明けられるのならば、私はここを去らねばなりません」

しばし、沈黙が訪れた。

「・・・俺のものにならないか、公瑾」
孫権は急に、身を乗り出して言った。
「もう、戦うのをやめて、女として俺の傍で生きるつもりはないか?」

周瑜の目が大きく見開かれた。
急に、孫権が周瑜の両肩を掴んだのだ。
「殿・・・・お止めください」
「公瑾、俺はずっとおまえが好きだった」
「あっ・・」
孫権の力で周瑜はうしろになぎ倒された。
そのとき、頭を強く打ったようだ。
「公瑾・・・?公瑾!」
孫権は慌てて周瑜を抱き起こした。
気を失っていて、ぐったりしている。
「公瑾・・・・!」
孫権は青ざめた。
なんども周瑜を揺り起こす。
やがて周瑜は孫権の腕の中で目を覚ました。
「殿・・・?」
「公瑾・・・よかった・・!気が付いたか」
周瑜は孫権の腕で支えられながら、自分の頭を押さえた。
「すまん、俺が悪かった。大事はないか?」
「・・・頭を打ったようで・・・少しぼんやりしています」
孫権は周瑜の体をそのまま両腕で抱き上げた。
「殿・・・」
「じっとしていろ」
抱き上げられて、隣の部屋に運ばれた。
そこは孫権が寝所として使っている室であった。
孫権はしつらえられた寝台の上に周瑜の体を横たえた。
「朝になったら念のために医師を呼んでやる」
「・・・申し訳ありません」
「何を言う。俺が悪いんだ・・・おまえを無理矢理奪おうとしたから・・」
「・・・・」

周瑜は寝台の上で孫権を見つめた。
「殿・・・お願いがあるのですが」
「なんだ?」
「服を、脱がせてくださいませんか」
「えっ・・!?」
「少し苦しいのです。このまま横になっているのが」
「そ、そうか・・・」
突然の申し出に孫権はおろおろした。
おそるおそる周瑜の胸元に手をやる。
孫権はごくっ、と唾を飲み込んだ。
思い切って、袷の前を開く。
白い喉が目に飛び込んできた。
見ては行けないものを見たような気がして、孫権はぎゅっ、と目をつむった。
そして顔を背けた。
「・・・おまえは俺を試しているのか?」
「いいえ、決して」
「おまえを抱くぞ」
「・・・・・」
「いいのか?」
「・・・・・」
「返事をしろ、公瑾」
孫権は焦れた。
「・・・・・・いいですよ」
ふいをついて返事がきた。

孫権は再び周瑜の白い顔を見た。
「な・・・」
「私を抱いてください、殿」
何かの聞き間違いではないか、と耳を疑った。
「ほんとか・・・・?」
周瑜はうなずいた。
「そのかわり、これは今夜だけのこととなさってくださること。それが私からのお願いです」
「・・・それではまるで俺がおまえの体を目当てに脅かしているみたいじゃないか。一回だけ抱かせるから許してくれだなどと。そんな条件は飲めん」
孫権は周瑜の横たわっている寝台の脇に腰を下ろした。
「申し訳ありません・・・」
「謝るな」
孫権は周瑜に背を向けたまま立ち上がった。
「もういい。今夜のことは無かったことにしてくれ」
「殿」
周瑜の呼びかけに振りむきかけたが、そのまま室を後にした。
 

月の光が照らす庭を見渡す部屋に戻って、月を眺めた。
大きな月だ。

「・・・・殿」

背後から、孫権を呼ぶ声。

「公瑾・・・おまえの心には今、誰がいる?」
孫権は振り向かずに問う。
ふいにその体を後ろから抱きしめる白い腕。
思いがけない行動に、孫権は驚く。
「・・公・・・瑾」
孫権は暖かいぬくもりを背中いっぱいに感じた。

「私には殿と、この東呉のこと、それだけがすべてです」
孫権は今すぐ振り向いて背中にいる者を力いっぱい抱きしめたい衝動にかられた。
だが、実際はその両手に力を込めて握りしめただけだった。

夢だ、と思った。
それとも月の光が見せた幻か。
周瑜が自分を背中から抱いている・・・。
 

「・・・しばらく、このままでいてくれないか」
孫権はそういうのがやっとだった。
周瑜は返事の変わりにその体を抱きしめ続けた。
 
 
 
 
 

(了)