(13)

祖茂の容態は一旦は落ち着いたが、重体である。

傷口が浅かったこと、周瑜の手当が素早かったことなどが幸いしたとはいえ、もともとの負傷で血を失っていたため、回復力が著しく低下していた。

孫堅はいづれにしても祖茂と、兵をいくつか残し、長沙へ戻ることには変更がないことを皆に伝えた。
 

「俺が残るから、おまえ達は殿と一緒にもどれ。いいな」
呉景は孫策と周瑜にそう言った。

周瑜は何か言いたそうにしていたが、結局頷いただけで、何も言わなかった。

「おまえ、残りたいんだろ」
孫策が俯いたままの周瑜の心中を言い当てた。
「・・・・」
「あいつの傍にいたいんだろ」
孫策の目が、顔をあげた周瑜を射抜いた。
「いいえ・・・私がいたところで、何をしてあげられるわけでもありませんし・・」
その目を受け止めながらそう応える。
孫策は少し言いにくそうにしていたが、
「・・・おまえがあいつを好きなのは・・・構わないんだけどさ。少しは俺のことも考えてくれよな」
と鼻の頭をかきながら言った。
「こないだのこと、悪かったな」
こないだのこと。
そうだった。
そのことを祖茂に相談しにいったのだった。
周瑜はふと思い出して、意図せず孫策の唇に目がいった。
かあっ、と頬が熱くなるのを感じた。

「俺はさ、あいつみたいに大人じゃないから、・・その、ああいうことは上手くできなくて・・・さ」
ごめん、と孫策の口は言った。
 

祖茂といると、自分が女だということを思い出す。
それは彼が周瑜を女扱いするからだ。
だが孫策といるときには、男でありたいと思う。
孫策は自分が女であると知ってからも態度が変わらない。
だからかも知れない。

孫策のいうように、周瑜は祖茂のことを好きなのかもしれない。
でもその「好き」は自分の運命ではないように思える。
 

周瑜の口からでた言葉はこうだった。
「・・・私にとって大栄は兄のようなものです。そう、わかったのです」

「・・・そうなのか」
「ええ。伯符さまは私のことを好きだとおっしゃってくださいましたけど・・・それは私が女として、ということでしょうか」
「・・・・わかんね。別にどっちだって構わないんだって気もするんだよな」
「伯符・・・それってもし私が男でもあんなことをしたかも知れないということ?」
周瑜はくす、と笑った。
華が咲いたようだ、と孫策は思った。

「・・・そうかもなあ。だって俺の好きなのは、今の公瑾だから、さ」

その言葉を聞いたとき、胸のうちに燻っていた塊が一瞬にして氷解するような気がした。
「伯符さまはすごい・・・」
「な、なんだよ。急に」
「・・・・だって私のずっと考えていたことをすらっと言ってしまうんですから」
「なんのことだよ?」
「私も同じ気持ちってことですよ」
周瑜はにこやかに笑って見せた。

周瑜がおそれていたのは自分が女であることが今の関係を壊してしまうということであった。
だが男と女の関係すらもこの人の前では自然だ。
それが、すごい、と思う。
 
 

「私も今の伯符さまが好きです。私は伯符さまのお役に立つために、ここにいるんです・・」
言ってから、妙に感傷的になっている自分に気付いた。
 

(若君の覇道を共に歩む者になってくれ)

・・・・あれは自分に女に戻るな、と暗に言っているのだろうか。
でも・・・嫁になるか、と言われたとき、正直心が揺れた。
やっぱりからかわれたのだろうか。
 
 

孫策は好き、と言われて気を良くしたようだった。

「伯海のやつ、手が足りないっていってたから、手伝いに行こうぜ」
「ええ」
 

(私の運命はここに)
そうやって隣にいる孫策を見つめる。

「なんだ?」
「いいえ」
「俺のかっこよさに惚れたか?」
孫策は屈託なく笑う。
それが真実なのだとは告げずに笑い飛ばした。
 
 

周瑜たちが出立する朝になってようやく祖茂の意識が戻った。
皆、安堵の息をもらした。
周瑜が甲冑をつけたままの姿で傍へ寄ると、
「やあ、勇ましいな・・・」とだけ言って、微笑んだ。
「早く良くなって、戻って来てください」
そう言いながら周瑜は祖茂の手を握った。
祖茂は力無く微笑んで、それでも周瑜の手を握り返した。
「ありがとう・・・大栄」

それが、祖茂との別れになった。
 
 
 
 

その一年あまり後、孫策の運命を変える出来事が起こる。
父・孫堅の死。
その報せの後、そのまま砦の警護の任についていた祖茂が行方知れずになったという。
孫堅の仇を討ちに単身黄祖のもとへ乗り込んだのだとも、故郷へ帰ったのだとも言われていたが、真実はわからないままであった。
置きさられた祖茂の所持品の中から発見された宛名のない書簡を、砦から呉景が持って返ってきた。

呉景は自分にも何も言わずに去ってしまった祖茂への恨み事をもらしていたが、やがて書簡を取り出して言った。

「公瑾。これをもらってほしい。あいつは・・・よくおまえのことを話していた。よほど、気に入っていたんだと思う」
呉景は周瑜の憂いを帯びた秀麗な顔を見た。
そしてひとつ、思い出したように笑っていった。
「冗談だろうが、あいつ、酒を飲むたびにおまえを嫁にもらうんだとかなんとか言っていたくらいだからな」
周瑜は苦笑したが、無言だった。
祖茂は一体、どこまで本気だったのだろう。

渡された書簡をそっと開いてみる。
そのとき、周瑜には祖茂の本心が見えたような気がした。
 

そこにはこう書かれていた。
 

-知人者智、己知者明
 士之愛人也以危
 我為知己者生 
 我為知己者死-
人を知るものは智なり、己を知る者は明なり
もののふの人を愛するは危うきなり
我は己を知る者の為に生き
己を知る者の為に死す・・・
 

「あなたらしいです・・・大栄」
周瑜はその書簡を胸に抱き、そっと呟いた。
 
 
 
 
 

(了)