続・再会
〜後編



歴陽に入城した後、ようやくもやっと、呂範は周瑜と話す機会を得た。

周瑜は孫策軍に合流して日が浅いというのに、陣中においては多忙を極めていた。
軍議では献策をし、自分の持ってきた兵と糧食の管理、町では部下たちと募兵と資金集めに奔走していた。
孫策がそんな周瑜を見かねて、配下の功曹に事務的なことをやらせるよう言いつけた。
だがそれでも下の者が仕事を直接周瑜に持ってくるのをやめなかったので、あまり効果はなかったようだ。
周瑜は自分がまだ年若く、また軍に参じて日が浅いこともあってかそういった雑多なことでも文句ひとつ言わずこなすことが当然と思っていたようだった。
そして孫策はそれが気に入らないらしく、周瑜に雑務をやらせることを禁じ、参軍として軍務に専念するよう申し渡した。
それで、古くからの臣下の中には周瑜に対し、不服を言うものも現れた。
それも仕方のないことかと、呂範は思う。
周瑜にはまだ、この軍での武勲がない上、どのような才能があるのかも、孫策とごく一部の者しか知らないのだ。

そんな折、呂範は周瑜が陳武となにやら話しながらやってくるのを見て、声を掛けた。
「公瑾殿、少し話があるのだが、よろしいか?」
「呂子衡殿…」
周瑜は先だっての一件で、なにやら注意なり警告なりされるのかとも思ったが、笑みを浮かべて快く承諾した。
陳武はじろり、と呂範を睨んだ。
背が高い故の上からの、しかも背筋が冷たくなるような陳武の視線を感じて呂範は一瞬ひるんだ。
「な、なんだ陳子烈。何か言いたいことでもあるのか?」
「…いえ」
言葉とは裏腹に、陳武は一緒にいる周瑜を横から奪うことに対し、抗議しているようにみえた。
だが、
「では子烈、おまえは先に行って準備しておいておくれ。私はあとで行くから」
そう周瑜が指示を出すと、すんなりと頭を下げた。
「はい」
と、素直に返事をしてその場を去って行った。
呂範はほっ、とひとつ息を吐いた。
周瑜はクスリ、と笑い、呂範を見た。
その様子に、馬鹿にされたと思った呂範は少しムッとしたが、周瑜を先導して部屋に入った。

呂範は、いつぞやの海陵での話を聞きたいという。
周瑜は最初、話すことを躊躇していたが、呂範がどうしても納得できないというので、周瑜は覚悟を決めてすべて話すことにした。
「…なるほど、ようやく納得できました。しかし、あそこであなたに会ったのは本当に運が良かったということなんですね」
「そうですね。これも天の配剤とでもいいましょうか」
周瑜はにこやかにそう言った。
呂範はその周瑜をじっと見つめ、つと、視線を下に移し、頭を下げた。
「…周公瑾殿、私はあなたに謝らなくてはならない。私は大変な勘違いをしていました」
その様子に驚いたのは周瑜であった。
「呂子衡殿、どうか頭をあげてください、一体どうしたというのです?」
「私は最初、あなたが殿の幼馴染みというのをいいことに軍の中で特別扱いをされていい気になっているのではないかと思っていました。そしてそれを良く思ってもいませんでした」
「呂子衡殿…」
「ですが、今の話を聞いて、殿の人を見る目は確かなのだと確信しました」
「私のことを、どう思っておられたのかはだいたい察しがついていましたよ」周瑜は微笑んだ。
「申し訳ない。よくよく考えてみれば、あの殿がこれほどまでに信頼する貴方が、凡庸なお方のわけはないのに」
「それは買いかぶりというものですよ」
周瑜は恐縮して言った。
呂範はそんな周瑜を見て、少し顔を綻ばせた。
「では今度の戦で見せていただくとしましょう」
それへ、周瑜は微笑しただけで答えなかった。
「それではこれで」
周瑜が立ちあがって行こうとすると、呂範は忘れていたことがあったかのように慌てて声を掛けた。
「ああ、あともうひとつ」
「はい、何でしょう」
「あの…、公瑾殿と殿は…どういった関係なんです?」
きたな、と周瑜は思ったが顔には出さず、涼しい顔で呂範を見た。
「同年の幼馴染で、義兄弟の間柄です。伯符さまは私にとって大切な方です」
「はぁ…」
周瑜はクス、と笑った。
「でも、あなたが心配するようなことはありませんよ」
「えっ?」
呂範は心を見透かされたようで、慌てた。
「それから、あなたの方が年上でもあるのですから均しく殿の臣下として、私に対してそのような言葉遣いは無用です。どうぞ、他の者同様、目下の者として普通に接してください」
「は…」
そう言って周瑜は去って行った。

それを見送って、呂範は思った。
(ははぁ…、若いのに本当によく頭と気のまわるヤツだ。それに…)
周瑜の前に出ると、陳武や呂蒙ではないが、妙な胸騒ぎを覚える。
あの妖艶な美貌のせいだろうか。
孫策の言うとおり、あの美貌がいつも隣にあれば、妙な噂も立つというものか。
杞憂であればよいのだが、どうも、孫策の様子を見るにつけ、本当に断袖の仲なのではないかと疑いたくなる。
周瑜は先ほど否定したが、それでは孫策の一方的な想いということになるのだろうか。
それはそれで複雑である。
…と、そこまで考えに至った時に、呂範ははっと我に返った。
別に孫策と周瑜が仲がよかろうとなんだろうと構わないのだ。
ただ、孫策が傷つくようなことにだけはなってほしくない。
呂範はただ、そう思っていたのだった。
(…なんだ、別に殿が男が好きだろうがなんだろうが、私はどっちでも構わないんだな。だが殿が公瑾に袖にされるようなことにでもなったら、そっちのほうが恐ろしいことになりそうだ)
先日の、孫策の目を思い出して、呂範は背筋が寒くなった。
(いや、あの周公瑾ならば、そこらへんもうまくやるだろう。私程度が心配するまでもないか--)



数日後、周瑜が呂範に話したことを孫策に報告すると、彼は大声で笑った。
「で、あいつは何も言わなかったのか」
「はい。私の言うことを信じてくれたのでしょうか」
「さてな。どうやら、そういう不遜な噂をしている者を捕えては罰しているという話だぞ」 
「ははぁ…」
「ま、いいじゃないか。そうやって役に立ってくれるのならば」
「…そうですね」
周瑜は少し複雑な表情をした。
「何だ、何かまだひっかかるのか?」
「いえ」
孫策は片眉を釣り上げた。
「おまえ、呂子衡に真実を隠していることに罪悪感でも感じているのか」
周瑜は孫策の顔を反射的に見た。
その反応から、図星なのだと、孫策にはわかった。
「伯符さまには隠せないですね」
「フン、おまえの考えそうなことくらいわかるさ。おまえは策士の割に性格は清廉潔白そのものだからな」
孫策は胸の前で両腕を組んだ。
「だが、やめておけよ。ひとつ漏れれば砂の如く崩れてしまうぞ。…もっとも俺にとってはその方がいいんだがな」
「ご忠告ありがたく受け取っておきます」
周瑜は頭を下げた。
「伯符さまにはいらぬ心労をおかけして申し訳なく思っております」
「いいさ、俺は。戦と男が好きなのだ、と思わせとけばいい」
「伯符さま…」周瑜は苦笑した。
「それなら俺に嫁取りをうるさく言う奴も減るだろうと思ってな」
孫策は、そうそっけなく言ったが、「嫁取り」という言葉に周瑜は鋭く反応した。
「ああ…そう…ですね」
わざと顔を伏せてそう同じた。
「そうですね、ではないだろう。おまえ、そんな人ごとみたいに」
「えっ?」
「俺はおまえに求婚したんだぞ。忘れたのか」
孫策は少し憤慨したように言った。
「忘れてなぞおりません」
「…だが、今はそれどころではないのは皆わかっている。戦が始まれば誰も気にしなくなるさ」
「ええ」
「別動隊を率いるんだったな」
「はい」
そこで、孫策はもう一度、周瑜の戦略を反復するように確認を求めた。

ひととおり聞き終っても、孫策は周瑜の端正な美貌を見つめていた。

「…何か?」
「いや。不思議なものだと思っていた」
「何がですか?」
「おまえが女だてらに戦に出ているというのに、俺はおまえのことをまったく心配していない、ということがだ」
「信頼してくださっているということでしょうか」
「そうだな。おまえがいて戦に負けるということが想像できん」
「伯符さまが勝つために私がいるのです」
「…そこだ。俺が複雑に思うところは」
周瑜は孫策のために男として戦場に立つ。
もともと、そのような出会いであった。
だが、やがて孫策は周瑜を女として求めるようになった。

「もし、お前との出会いが最初から男と女だったなら、どうなっていただろう、とこの頃よく考える」
「私も、それは考えないでもありません」
「父のように、出会ってすぐに奪っていたかな」
「私はそうは思いません」
「なぜだ?」
「伯符さまの気性を考えたら、女に興味など示すとも思えませんから」
「やっぱりおまえも俺が戦さえしていれば満足だなどと言うのか?」
「だってそうでしょう?」
周瑜は笑って言った。
孫策は頭を掻きながら、口を歪めた。
「…まあ、否定はしない。確かにどこそれに美しい娘がいる、という話より、ひとかどのこういう男がいる、と聞いた方が興味はあったな」
でもそれは、自分の隣りに周瑜がいたからだ、とも思う。
「伯符さまは幼い頃から腕を磨き、大人たちに交じっては馬を駆り、戦術を学んでこられました。そんな伯符さまと一人の娘が出会ったとして、何の意味を持ちましょう」
「…普通に考えたら俺と周家の娘が出会うことなどありえないな」
「そうですね、出会ってもいなかったかもしれません」
「そうすると、今こうして隣にいるのは誰だったのか」
「さて。呂子衡殿あたりでしょうか」
「…色気がないな」
「当たり前でしょう」
周瑜はそう言ってクスクス笑った。
「過ぎ去りし日のもしものことを思っても詮無きことではありますね」
「まったくだ」

孫策は腰をあげた。
「さて、行くか。おまえの才を皆に見せつけてやれよ」
「はい」

そうして二人はまた、戦に向かう。
この後、転戦に次ぐ転戦になるだろう。
その先に何が待っているのかまだ彼らには知る由もないが、今の彼らには過去よりも未来よりも現在を生きることに輝きを見出していた。



(了)