偽説 孔明秘伝 〜三顧の礼編〜



「孔明が会うそうです」

三度目の訪問で、劉備はやっとその言葉を孔明の弟らしき人物から聞いた。

草盧へ訪ねたのは「臥龍」を得るためであった。
臥龍、鳳雛のうちどちらかを手に入れられれば天下をとることも叶う、と言われて劉備が是非にと望んだのだ。

「兄者、孔明とかいうヤツ、あまりにも兄者を馬鹿にしすぎる。会ってやる、とばかりのこの態度、俺は許せぬ」
一緒についてきた張飛はそういって怒る。
もう一方の関羽はといえば、黙ったままだ。
「まあ、そう怒るな。水鏡先生のお言葉をきいて、私はいてもたってもいられなくなったのだ」
「ちっ、元直のヤツ、余計な事を教えやがって」

室に案内されてみると、茶を沸かしている女がいた。
「おい、女。孔明はどこだ」
張飛がそう訊ねる。
「どうぞお座りになってください」
女に促されて、三人は床に座って待つことにした。
しばらく三人とも黙っていた。
関羽は隣の劉備が懐から何か取り出して、手を動かしているのを見た。
「兄者、何をなされておる?」
「ああ、これは牛の尻尾を編んでいるのだよ。軍旗の飾りにしようと思って」
関羽はあきれた顔をした。

「やれやれ、大志あるお方が、いくら暇だからといって牛の尻尾を編むとはね」
そう言ったのは茶をいれていた女だった。
「なんだと!女、無礼ではないか!」
女は顔をあげて、怒鳴った張飛をまじまじと見つめた。
張飛は女の視線をま正面から受けて少したじろいだ。
綺麗な女であったからだ。

「あなたが張翼徳ですか。思ったとおりの人ですね」
「なんだと!?」
女はゆっくりとした動作で茶をいれると、案の上に並べ、どうぞ、という。

「かたじけない」
劉備はそういって、床に座って茶に手をのばす。
「あ、兄者・・・」
「おまえもいただけ。ちょうど喉がかわいていたところだ」
孔明は口元を隠して笑う。
「あなたが劉玄徳どのですね。三度もおいで戴いて申し訳有りませんでした」

劉備は大きく目を見開いた。
「・・・・こなたが諸葛・・・・孔明どのか?」
「そうです。だいぶ驚かれておられるようですが、徐元直どのは私のことを一言でも男だと申し上げたのでしょうか」
「い、いや・・・・そうではないが・・・」
張飛も関羽も手に茶器を持ったまま固まってしまった。
「お、おまえが諸葛亮・・・・・?」
張飛は女を指差した。
孔明はうなづいた。
劉備は立ち上がって一礼する諸葛亮を改めて見た。
女にしてはスラリと背が高く、顔立ちは端正であった。
「女だからといって馬鹿にするものではありません。古来南蛮では女だけの戦闘部隊などいくらもございました。それに」
声も、凛としている。
聞きほれてしまうのはなにも劉備だけではなかった。
「私の戦は腕力ではなく、ここでしますから」
といって、自分の頭を指差した。

「面白い。諸葛孔明どの、ここへ来た甲斐があった。是非ともわが元へ来られたい」
劉備が手を差し出す。
「正気か!?兄者!この女を連れて帰るてぇのか!?」
「・・・・・・」
張飛と関羽はそれぞれに違う反応を示したが明らかに反対していた。
「女だということがお嫌なら、女のような男を連れ帰ったということにすればよろしい。私は陣中にあっては女の衣装は一切纏いませぬ」
「しかし・・・・」
「翼徳よ。雲長も聞け。私はこの孔明と二人きりで話がしたい。すまぬがちと席をはずしてくれ」



「よう、雲長の兄ぃ。どう思うよ?あれを」
「あの女か?」
「ああ、胡散くせえんだよな」
「長兄がいいというなら俺は反対はせん」
「本気か!?」
「・・・・なかなかいい女ではないか」
「おいおい・・・」


やがて、劉備が室から出てきた。
「おう、兄者」
「待たせたな」
「あの女は?」
「支度してくるといった。少しここで待つとしよう」
「これだから女ってのは・・・」
張飛が辟易として言う。

しばらくして、孔明が出てきた。
男ものの衣装をまとい、冠をつけている。
三人ともそれを呆然とみていた。
「・・・・た、確かにこれなら欺けるな。女のような男とは色男のことを言うからのう」
劉備はそういって、孔明の手をとる。
男たちの顔をそれぞれに見やりながら、孔明は微笑みを浮かべた。

「劉皇叔さまはさすがに大器なるお方。女とて重用してくださる意気にこの孔明感激致しております」

「…そなた皇叔、と申したか」
「はい。あなた様は漢室の正統なるお血筋のお方。私には他にお呼びするお名前が浮かびません」

それを聞いた関羽と張飛は孔明をまじまじと見つめた。


「さて、皇叔様。我が君、とお呼びしても?」
「あ、ああ、構わんが」
「うふふ、嬉しゅうございます」
孔明は妖艶に笑った。
劉備も関羽も、そして張飛ですらその微笑に魅了された。
「曹操はもともと南下してくるつもりだったのですから、こうなってはもう夏口まで逃げてしまっても恥ではありません。夏口城に世話になりましょう」
「しかし夏口城は劉g君の城だ」
「我が君は何を遠慮なさっておいでなのです?あなた様は豫州の牧であり、あの劉表が後継ぎにしようとしたお方。後継者争いに負けそうな劉gどのに恩を売る絶好の機会とお思いください」
劉備は少し怪訝な顔をした。
「恩だと?」
「そう。曹操に敵対する力と機会を与えてやるのです」
「…どういうことだ?」
「江東の孫家です。曹操と互角に戦うためには、孫家を、東呉を利用するしかありませんよ」
「簡単に言うがな…」
劉備は頭を掻いた。
「私のここにあるのは天下三分の計、というものです」
孔明はそう言って自分の頭を指差した。
「私にお任せください」
孔明はそう言って、礼をした。

それまで黙っていた張飛が口を出した。
「おまえ、徐庶元直とはどういう間柄なんだ?」
孔明の目が瞬間笑った。
「友人ですよ。…ああ、でもたしか、1度私を妻に迎えたいなどと言っておりましたので説得して辞めさせました」
「あの徐元直がおまえを妻に…!?」
「ええ。ですがずっと友人と思っていた男にどうしてそのような心を持てるでしょう?」
「おまえ、徐元直の求婚を断ったってのか」
張飛はあきれた顔になって言った。
「私は我が君にお仕えするのですから、もうそのようなお話はよいでしょう?」
そういってふくれっつらになった孔明を見て、劉備は笑った。
「よいよい。だがそのうち話してくれよ」
「我が君も俗話がお好きと見えますね…ま、よろしいでしょう。これでも私、浮いた話はいくらもございますので、酒の肴くらいにはなりましょう」
「楽しみにしているぞ」
まだ劉備は笑っていた。

そうして臥龍は草盧を出ていったのである。




〜三顧の礼編 終劇〜