「なあ、兄者、おいらはあの女がどうも気にくわないんだが」
張飛は片膝を立てて酒の入った器を呷った。
張飛の隣でもくもくと酒を飲んでいた関羽はそれには応えず、一瞥くれただけであった。
曹操に追われた身で劉備は孔明を迎えに来て、ずっと部屋にこもってなにやら話をしているようなのだった。
「孔明ってのが女だとは思わなかったけどな・・・徐元直のヤロー、うまく俺達をだましやがって」
そこへ趙雲が戻ってきた。
「おお、趙子龍、戻ったか。おぬしも一献、どうだ」
張飛が酒を勧めると、鎧姿の趙雲は結構、と首を横に振った。
「それより、将軍はどちらに?」
「そっちの部屋だ。女と一緒だぜ」
「翼徳!」
関羽に一括されて、張飛は口をつぐんだ。
「女・・・?奥方さまか?」
そのうちに劉備が部屋から笑いながら出てきた。
「おお、趙雲か。紹介しよう、こちらは我が幕僚に迎えたばかりの諸葛亮孔明だ」
劉備に背を押されて前に出されたのは劉備より背の高い、スラリとした人物であった。
その容貌は美しい。
女といわれればそうだが、男装をしている。男に見えなくもない。
趙雲は礼をして、
「趙雲、子龍と申します」
と名乗った。
おなじく礼をして孔明も名乗った。
「諸葛亮、孔明と申します。あなたが趙子龍どのですか。お初にお目にかかります。以後お見知り置きを」
孔明は挑戦的な視線を送った。
それに趙雲は気づいた。
何を意味するのか、わからなかったが、とにかくこの孔明というのは女らしい。
しかも髪を結っていない。
葛巾をかぶっているだけだ。
人前だというのに、なかなか型破りな性格だとみえる。
「この孔明はあの水鏡先生が推薦するほどの才だ。臥龍、鳳雛のうちどちらかを配下に迎えられれば天下を取れる、ともいう。これはその臥龍であると」
劉備は手放しに喜んだ。
いや、はしゃいでいた、といった方が良かった。
趙雲は少し考えたが、こうまで劉備が心を寄せるのであれば、ただ者ではないということなのだろう、と思った。
女といえど、主君にこうまで信頼されているのであるから、おそらくそれなりの人物なのであろう。
それにしても主君は懐が深い、と思わざるを得なかった。
そして、再び、孔明に視線を移す。
その際に目があった。
孔明はにっこりと笑みを返した。
趙雲は慌てて目を逸らせた。なぜか、目を合わせられなかった。
こんなふうに自分をまっすぐに見つめる瞳の女に会ったのは初めてだった。
「・・・・・また、お酒を飲んでいらっしゃったのですか。翼徳どの」
孔明はそう言って張飛を見た。
「ふん。どうしようが俺の勝手だろ!」
「酒を飲むのはよろしいですが、飲まれては困ります。これから出立せねばならぬと言うのに」
「何?!これから?」
張飛はおどろいて立ち上がった。
劉備が口をだす。
「これから夏口へ行く。趙子龍よ、すぐに軍をまとめよ」
「夏口へ・・・ですか」
趙雲は少し意外な顔をしたが、すぐに頷いた。
「わかりました」
出立の準備をしている最中、孔明が趙雲の元を訪れた。
「なんです?」
趙雲は馬に鞍をつけながら孔明に声をかけた。
「先ほど、あなたはなにか言いたそうでしたね」
「・・ああ、夏口へ行くと言ったときのことですか。てっきり東へ逃げるものとばかり思っていましたので」
「逃げる?・・・ちがいますよ。戦う準備をするために夏口へ行くのです」
「・・・・・孫権と結ぼうというのですか」
「お察しのとおり。やはりあなたは信頼に足るお方です・・・それに」
趙雲は孔明を見て首を傾げた。
「それに?何です?」
「いいえ。なんでもありません」
孔明は意味深に笑っただけだった。
趙雲はいぶかしげに孔明を見送った。
(・・・どうも、今ひとつどういう方なのか、つかみどころのない御仁だ)
孔明は趙雲のいた厩舎を後にし、ひとりほくそえんでいた。
(あのような逞しい武者にここで会えるとは)
要するに、孔明は趙雲に一目惚れしたのであった。
しかし、劉備から趙雲が女より戦が好きだと言っていたということを聞き、決して自ら行動しないようにしよう、と思うのだった。
(同じ陣にて天下を分けようというのだから、色恋でどうにかなるようなお方ではあるまい)
というわけで孔明はすこぶる機嫌が良くなった。
好みの男が同じ陣にいるというだけで、俄然やる気がでてきたのである。
「翼徳よ、おまえはなぜそんなにあの孔明を意識するのだ?」
関羽が張飛に問う。
「はあ?俺があいつを意識してるって?冗談じゃねえ!」
「そうか?それならば構わぬが」
「ふん。けったくそ悪いだけさ。だいたい、長兄がいけねえよ!ここんとこいっつもあいつと一緒じゃねえか!そんなんじゃ、奥方さまにだって誤解されちまうぜ!」
この会話を聞いていて、劉備は言った。
「孔明はたしかに女だが、私にとってはそんなものではないのだよ。私と孔明とは水と魚。二つが揃ってこそ大海に出られるというものだ。わかって欲しい」
「・・・・兄者がそう言われるなら」
関羽はさっさとそう言った。
「・・・・」張飛も渋々、といった面持ちだった。
「ん?兄者、その箱は?」
関羽が目ざとく劉備の横においてあった箱を見つけた。
「ああ、これか。これは孔明にやろうとおもってな」
丁度そこへ孔明が軽い足取りで入ってきた。
劉備は孔明を呼び寄せ、箱を示した。
「開けてもよろしい?」
「ああ」
孔明はにこにこと笑う劉備を目の前に、箱の蓋をそっと開けた。
「まあ!」
中には羽扇が入っていた。
それを取り出し、手にしてみた。
「なんてすばらしい!」
孔明はいたく気に入って、それでさっそく扇いで見たりした。
「そうかそうか、気に入ってくれたか」
劉備の顔はますますにこやかになり、孔明がはしゃぐのを見ていた。
「孔明よ、それは我が軍師への贈り物だ」
孔明は羽扇を手にしたまま礼をした。
「我が君、この白羽扇に恥じないよう存分に尽くす所存にございます」
二龍、遭逢す〜終劇〜