(5)

柴桑に戻った孫権は、皖の移民について報告をさせるため、丹楊へ報せを出した。

丹楊には叔父の呉景が太守として赴任している。
ところがこの呉景の体の具合がよろしくない、という報告が入った。
呉景はまだ40を過ぎたばかりである。

心配した周瑜は孫権に、丹楊へ自分を派遣してほしい、と願い出た。
孫権はしばらく考えた。
この時期に、曹操はうごく気配はなく、さして大きな戦があるとは思えないがまだあちこちに反乱の火種はある。
なにより柴桑から丹楊は遠い。

丹楊、呉、会稽は重要な土地である。
このときから孫権は、都をもっと東へ移そうと考え始めていた。

周瑜が呉景の見舞いに行きたいと考えているのはわかる。
初陣のときから共に戦った仲である。
だが、仮にも中郎将である将軍にお使いの役目をさせるわけにはいかない。
「気持ちはわかるが、おまえには都にいてもらわねば俺が困る。それにまだ各地で反乱がおこるだろう」
周瑜は孫権のいうことも尤もだと思い、呉景には手紙を書くことにした。

孫権は孫策からひきついだ部下たちを各地方の太守や要職に任じている。
朱治、歩隲、顧雍、虞翻らである。

虞翻が会稽郡の役所に詰めていたとき、孫策の従兄である孫高が軍を率いて会稽にやってきた。
孫策の遺言とはいえ、ろくに武功のない孫権が跡目を継ぐことに対し、孫高は孫権を侮っていた。
それで、自分の任地であった会稽郡の支配権を自分に譲れと言ってきたのである。

虞翻は当時、会稽郡の富春の県長に任じられており、孫策の葬儀の際も、他のものたちが皆、葬儀のために任地を留守にする中、彼だけは動かず、そのまま任地で任務を果たしていた。それを不義理者と呼ばわるものもいたが、虞翻という男は命じられた任務を命令もなしに離れることは上意に反することであり、またそうやって任地を離れることは現場の仕事が滞ってしまうことである、と意に介さなかった。

まったくそのような最中の出来事であり、孫高もまたそのような急場を狙って動いたと言える。

だが、役所には虞翻をはじめ、ほとんどの役人が詰めており、彼らは民衆を動員して城門を閉ざし固めた。
孫権は自分の従兄でもある孫高と事を構えるのを良しとせず、虞翻を使いに出して説得させた。
虞翻の説得は成功し、孫高は引き揚げて行った。

このようなことが立て続けに起こったために、孫権はそうそう安穏とはしていられなかった。

庭に出てひとり、溜息をついていると、朱然がやってきた。
「殿」
「義封か…」
「なにか、お心にかかることがございましたか?」
朱然は孫権とは机を並べて勉強していた仲であり、今でも仲が良かった。
孫策の跡を継ぐことになったときも、朱然に対してだけは愚痴を言ったりできた。
「なかなか、思い通りにはいかんもんだなあ…」
「会稽は山越も多いですし、駐屯させる軍も数を減らすわけにはいきませんから」
「う…ん、それも頭の痛い問題だな…」
「義父が呉郡へ参ってからもそのように聞いております」
朱然の義父とは朱治のことである。
朱然は朱治の姉の息子であるが、男の子を授からなかった当時、朱然は13歳の時、朱治の養子となった。
「俺にはまだやらねばならんことが残っている。亡き兄上がやろうとしていたことだ。なんだかわかるか?」
「いえ…私にはわかりかねます」
「仇討ちだ」
「あ…!江夏の黄祖ですか」
「ああ、そうだ」
「その前にいろいろと片付けておかなければならんか…」
「お命じください、私も微力ながらお手伝いいたします」
「うん、義封、おまえにはこのあと、会稽郡に行ってもらおうと思っている」
「は…会稽ですか」
「句章か余姚か、決まったら正式に辞令を出す。もう少し待ってくれ」
「わかりました」
本当は、朱然には傍にいてもらいたい。愚痴を聞いてもらえる数少ない人間の一人なのだ。
だが、信頼できる部下にまだ安定しているとは言い難い土地を任せなければ、立ち行かないのも事実だ。
「なあ、義封…俺はちゃんとやれているかな?」
「はい。殿は立派に果たされております」
「兄上が健在であったなら…」
そう言いかけて孫権は嘆息する。

「殿。…無礼を承知で申し上げます。私は、殿の亡き兄君が…実のところ、恐ろしゅうてなりませんでした」
そう朱然が切り出した。
意外なことを聞いた気がして、孫権は目を丸くした。
「おまえが、兄上を?なぜだ?」
「兄君はあのとおりの気性で、時に気分で物事を判断なさることもあったようです。気に沿わぬ小姓や功曹を切り殺すことなど日常茶飯事でした。そのことがあまり人の口に上らぬのは、すぐに別の者が替りを務めたからで、殿のお母上がご忠告なさるまではそのようなことが当たり前のようでした」
「そういえば、そんなことを聞いた気もするが…そんなに多かったのか?」
「特に、殿や周公瑾殿にはそういったことは話されないようにしていたのでしょう。あるいはそのようなことで問題を起こしたくなかったのかもしれませんが」
「そうだったのか…」
「私共のように下々の者にとってみれば、本来の性格など知る由もございませぬゆえ、殿の兄君はそうやって力で人を支配しようとなさっておいでのように、見えました。ですから私は恐ろしいと申し上げました」
「…私には厳しくも優しい兄だったがな…」
「もちろん、そのような力と気性であったからこそ、あれほどの速さで江東を平定できたのでしょう。ですからそれを否定しようとは思いませんが、あのままの気性で国を統治するとなると、話は別です」
そういえば周瑜も似たようなことを言っていたな、と思い起こした。
兄はそんな自分の気性を知り、統治に関しては弟の自分の方が向いている、などと言ったのだろうか。

「ですが、殿は違います。恐ろしいから従う、というようなことはございません。殿はそのように武力のみで治められる方ではございません。賢くそして理に適った君主におなりになると、確信しております。そのような殿だからこそ、私の忠誠心は揺るがないのです」
朱然は生真面目な男だ。小柄だが、勇敢でもある。
その彼がそのように自分に心を寄せてくれることがなにより嬉しかった。
「うん、義封よ、俺もその心に恥じぬような主になりたいと思っている。俺はたぶん、兄のような武勲を自ら立てることはないだろう。だがおまえのような臣下をたくさん持てれば、きっと兄の時以上の武勲を立てられると思う。…ようやく、俺の生き方がわかってきたような気がする」
「殿…」
「俺は焦っていたのだ。早く何か力を示せなければ、皆俺の元を離れていってしまうのではないか、と」
「決してそのような」
「ああ、わかっている。いや、ようやくわかってきた。俺を信頼してくれている者だけが残ればよいのだということを」
「はい、殿」
孫権はこの同年の友とこうしてしばらく語り合った。

(6)

孫権には母親が二人いる。

産みの親である呉夫人と、その妹である呉国太と呼ばれる側室である。
孫権はどちらの母も尊敬していたし、大切にしていた。
呉夫人は、まだ若い孫権のために心を砕き、旧臣の元を訪れたりしていたのだった。
そんな心労が重なったのか、あるとき呉夫人は熱を出して病の床に伏せるようになった。
心配した孫権は、毎日のように見舞いに訪れたが、夫人に一喝されてからは側近に様子を聞くにとどめた。

「…そんなことをおっしゃったのですか」
夫人の元を訪れて話し相手になっていたのは周瑜である。
見舞いに来て、そのまま夫人の話し相手になってほしい、と中ば強引に部屋にあげられたのだった。
「だってあの子ったら毎日見舞いに来ているものだから。その間だって何が起こるかわからないでしょう?だから、こんなところに来ている場合じゃない、早く帰って自分の仕事をしなさい、とね」
「それはなかなかに手厳しいですね」
周瑜は苦笑した。
「あの子なりに頑張っているのよ。若いと言っても継いだのは伯符の時よりは年上なのだからね」
「ええ」
「でもあの子が唯一伯符に勝っていることがあるわ」
「唯一、ですか?」
「ええ、そうよ」
「はて、それは?」
「女よ、公瑾」
呉夫人はクスクスと笑った。
「あなたも伯符も妻をもらうのにずいぶんかかったでしょう?本当に、女っ気がなくて心配していたのよ」
「はぁ…」
周瑜の心境は複雑だった。
孫策の嫁取りが遅れたのは自分のせいでもあるー。だがそんなことを言うわけにはいかない。
「そこへいくと仲謀は、あの年でももう妻を3人も抱えているのですからね」
そうだった。
いずれも孫策とともに江南の各地を転戦していた際に見染めた女たちである。
孫策は弟のために後宮を作らせた。もちろん、まわりの者たちはそこに孫策の夫人たちも入るのだろう、と思っていたのだが。
「そうですね、当主となればそのくらいいてもおかしくはありませんよ」
「ええ、そうね。あの子はもう当主…あんなに学問ばかりしていた子が…」
呉夫人はふっと、遠い目をした。

「…伯符が…あの子がいれば、本当にどんなによかったか…」
夫人はそっと目頭を押さえた。
「呉后様。それはもう…」
「ええ、わかっているわ。あなただって辛いわね、公瑾。そう、あなたがいてくれて本当に良かった。仲謀のこと、よろしく頼みます」
「はい、それが伯符様の遺志でもあります。この私の全力をもってお支えいたします」
周瑜はそう言いながら、呉夫人を見つめた。

(おやつれになった)

年齢を重ねてもその美貌は褪せることはなかったが、やはり心労が重なったのだろう。
夫を亡くし、息子を亡くし。
そしてまた年若い息子に責任を負わせることに。

おそらくは夫が兵を挙げた時から、覚悟はあったのだろう、と思う。
この方のためにも、もう二度とあのような悲劇を繰り返してはならない。
周瑜はそう思った。



孫権はこのところ、人材をよく登用している。
特に文官をよく選んでいるようだ。
もちろん、その筆頭は張昭であった。
その張昭と話をしたあと、周瑜は孫権に呼ばれた。

「呉景叔父の容体はどうだ?」
「あまり思わしくないようです」
「そうか・・・」
「それで殿。呉丹楊太守からの伝言でございます」
「ん」
「自分の後任を選んでおいて欲しい、と」
「…そんなに悪いのか」
「そのようです」
周瑜は神妙な顔をした。
「後任か…。誰が良いと思うか」
「先ほど、張公にも申し上げましたが、後任にはやはり殿のお身内がよろしいかと」
「わかった…そのように人選に入ろう」
その数ヶ月後、呉景は病のために逝去するのだったが、その後任には弟の孫翊を充てることになる。

「各地でまた山越が跋扈しているようですね」
「ああ…頭の痛いことだ」
「要と思われる地には文官でなく武官をお送りになればよろしゅうございましょう」
「そうせざるをえんな」
「必要とあらばこの私も」
孫権はそう言う周瑜を見つめた。
「おまえには傍にいてもらわねばならん。でないと俺のまわりは口うるさい文官ばかりになってしまうからな」
「そのような…」
周瑜は思わず微笑んだ。
その微笑を美しい、と思った。
兄はどんな気持ちで一緒にいたのだろうか。
男だろうと女だろうと、この美しさと人柄に惚れてしまうだろう。
まさか、兄の想いまで継ぐことになるとは。

「…公瑾、俺はもう、大丈夫だ」
「はい、殿。そのようにお見受けいたします」
「そうか」

孫権がそう頷いたとき、ふと一陣の風が吹き抜けた。
肩越しに窓の外を振り向いた。

-兄上か?

孫権はなぜかそう、思った。
だがそこにはなにもなかった。
孫権は苦笑した。

そうだ、俺はたしかに、心の奥で兄を恐れ、そしてー
嫉妬していたのだ。
だがもう、何者も恐れることはない。
俺は、俺の道を切り開く。

「殿、どうかなさいましたか?」
秀麗な口が動く。

「いや、なんでもない。気のせいだ」





(了)