「いや〜昨日はどうもどうも」
背のそれほど高くない中年男が手を軽く振りながら歩いてくる。
それは洛陽の中心部にある一流ホテルのラウンジの朝の風景であった。
「ああ、いやいや、昨夜はご馳走になりまして」
日焼けした孫堅の精悍な顔から白い歯が覗く。
「それにしても文台殿、腕を上げられましたな」
背の低い男は孫堅の傍までやってきて、ゴルフのスイングの真似をした。
「いや〜孟徳殿には敵いませんよ。練習量が違う」
「はっはっは。私はもう引退してすっかり暇になってますからなあ」
笑ってそう言う男は株式会社北魏の会長を務める曹操孟徳である。
「いや、しっかりしたご子息で羨ましい」
「なんの、お宅の伯符くんこそなかなかのやり手だと聞いていますぞ」
二人して、息子に社長の座を譲った者同志、誉め殺しあいである。
そこへ、がっちりした体格の男と、猫背の風采の上がらない男の二人連れがやってきた。
「おう、孟徳。早いな。文台殿も」
体格のいい男の方が二人に話しかけた。
曹操も孫堅も少し面を引き締めて挨拶した。
この男は河北物産の会長を務める袁紹である。曹操とは幼馴染の間柄だが、実はあまり仲がよくなかった。
曹操は昔袁紹に借金をしたことがあって、そのときの取り立てのしつこさに嫌気がさしたものだ。
「儂は腹が減っているので先に食事を摂らせてもらうぞ」
猫背の男は挨拶を交し合う男達の傍をそう言って通りすぎた。
「あ・・・ああ」
袁紹はそれだけ言うと、男の去った後に舌打ちした。
「袁術め、相変わらず愛想のないやつだ」
猫背の男は袁術公路、袁術グループの総帥である。
袁術グループというのは流通組織を牛耳る上の組織で、どの会社も無視できない立場に在る。
一旦、袁術グループに目をつけられたら、商品に関税がかけられ、その流通がストップしてしまうことさえあるという。
要するに他国との貿易に支障をきたすのだ。
そして袁紹と袁術は従兄弟同士である。
「今日はどうされるのですかな?」
袁紹が訊く。
一昨日から昨日までゴルフコンペがあり、昨夜はその後飲みに行ったのである。
優勝は曹操、最後まで袁紹と競っていたのだ。
孫堅は飛距離を競うドラコン賞を獲得した。
参加者は他に、劉備、鮑信、孔融、公孫サン、馬騰、張魯ら。
この中で、張魯以外は全員自分の会社を経営している。
張魯は新興宗教の教祖で、実は馬騰はその信者だったりする。
それが嫌で家を飛び出した息子の馬超は蜀漢カンパニーの重役をやっているのだった。
劉備は昨日のうちに帰ってしまっていた。妻が危篤だという報せが届いたからだった。
「玄徳殿の奥方のことも気にはなるが、せっかくこうして集まったわけだし、どうですかな、これから私の別荘にいくというのは」
曹操がそう提案した。
「話に聞く、銅雀台か。1度行ってみたかったんだ」
袁紹はにこにこしてそう言う。
「では私も伺いましょう」
孫堅も同意した。
その孫堅に袁紹が耳打ちする。
(あやつ、妻に内緒で銅雀台には美女をごまんと囲っておるそうだぞ)
孫堅も噂にはきいていた。
正直いって、興味はある。
孫堅だって嫌いじゃないのだ。
曹操の別荘は高台にあって、綺麗な湖がすぐ前にあり、ボートなんぞが繋いであった。
「いや〜風光明媚とはこのことですな」公孫サンが思わず声を上げる。
「いやまったく」孔融も頷く。
「それに・・・」袁紹は別荘の玄関に立つと、出迎えた美女達を見やった。
玄関に出てきた美女たちは3名、さらに中にも数名いる気配がする。
男達は居間に案内され、ソファでくつろいだ。
美女たちが彼らの話し相手になり、なかなかご満悦であるようだ。
孫堅も最初は美女の相手をして出されたブランデーなどをちびちび飲んでいたが、やがて飽きて窓辺から湖を臨んだ。
「お気にめしませんかな」
曹操がその傍らに立った。
「あ、いや・・・彼女らは一体何です?」
「ああ、実は今度ナイトクラブを始めるんですよ。それで今研修がてらこの別荘を提供しているんです」
「ほほう。ナイトクラブですか。あなたにとっては趣味と実益を兼ねるビジネスになりそうですな」
「いやいや、これはなかなかにキツイですな」
曹操は苦笑いをした。
つい最近も曹操の正妻の卞夫人に、愛人との浮気の現場を抑えられて離婚騒動があったとか聞く。
「袁術殿は帰られたのか」
「ええ、なんでも娘さんの学校の体育祭だったようで、自家用飛行機で帰ったようですよ」
孫堅はとたんに嫌なことを思い出した。
(体育祭・・・出てくる前にすっごく怒っていたっけ・・・ああ・・・帰りたくない・・・)
「どうしました?浮かない顔をして」
曹操は孫堅の浮かない顔を見て言った。
「ああ、いえ・・・」
「そういえばお宅の伯符くん、結婚はまだでしたな」
「ええ」
「うちの娘なんかどうでしょうね?」
「・・・でもたしかお嬢さん、まだ小学生じゃありませんでしたっけ」
「ああ、ははは、気にしない、気にしない」
「そりゃ、うちの下の息子の誰かの方が釣り合えますねえ」
孫堅はぼ〜っと外を見ながら話をした。
「うちの伯符ねえ・・・実は袁術殿の娘さんとの縁談があるんですよ」
「ほう!袁術殿の!それは良いお話ではありませんか」
曹操の眉がぴく、と動いた。
「それが・・・ねえ。うちの息子恋人がおりましてね・・ムリヤリ別れさせるのもどうかと思っとるんです」
「はっはあ・・・わかりますよ。実はうちの息子もね・・・人妻に横恋慕してしまっていてねぇ・・・」
孫堅は驚いた顔で曹操を見た。
「あの子桓くんが?・・・なんだってまた・・彼なら女性に不自由しないでしょうに」
「私にもよくはわからんのです。それにね・・大きな声では言えませんがね、その相手の人妻ってのは袁紹殿の次男の妻でして」
「はあ?顕奕くんの奥さん・・?」
「もう半年くらい前になりますかね、さるパーティで踊ってから一目ぼれしたらしくて」
「大変ですなあ」
「ま、あいつのことだからいつまでそうしてるか・・・ってとこですがね。次から次へと女を変えているんですが・・・今度ばかりは結婚したいと言い出して、困っとるんです」
「それは・・・で、どうなさるんです?」
「さて、相手次第というところでしょうかね。なにしろあの次男は袁紹殿に嫌われているので有名ですからね」
曹操は人の悪い笑い方をした。
「ああ・・・なんでもギャンブルに手を出して多額の借金をしたために失踪中だとか。で、奥さんは実家に?」
「そうなんです。それで息子のやつ、毎日花束を持って実家に通いづめで・・・」
孫堅は、両手いっぱいの花束を持った曹丕を想像した。・・・さすが親子だ、と思った。
「ところで、文台殿、あなたのところには噂に名高い美女がいるとか。もしかしてそのためにあなたの目が肥えてうちの美女たちでも霞んでしまうのでしょうか」
「ああ、周瑜と大喬、小喬のことですか。確かに彼女らは美人ですな。私が美女に免疫ができたのも彼女らとうちの妻のおかげですよ」
孫堅はさりげなく自分の妻の自慢をした。
「はっはっは、是非お会いしたいものだ。もし会社を辞められるようなら是非うちに・・・」曹操は聞いていない振りをして話を続けた。
「勘弁してくださいよ、孟徳殿。あの美女三人はうちの社の活力源なんですから」
「もしかして伯符くんの恋人はその中の誰かですか?」
「ああ、まあそんなところです」
「それは残念・・・・ま、いいか。今日はとにかくゆっくり・・・・」
その途端、孫堅の携帯電話がけたたましく鳴った。
「すまん、失礼」
と言って慌てて電話に出る。
電話の向こう側でおそらく妻であろう声の主が叫んでいるのが聞こえる。
近くにいた曹操にさえ聞えるほどである。
「はあはあ、体育祭でお宅の息子さんががんばったと・・・で、お祝いするから早く帰って来い、と」
曹操は聞えたままを口にした。
「無理だって!何日かかると思ってるんだ!俺は車できてるんだぞ!今日なんか絶対無理!」
孫堅も声を荒げて言う。
「飛行機で帰って来い・・・?おいおい・・・」
曹操も聞いていて呆れてきた。
「わかった!帰ればいいんだろう、帰れば!」
孫堅は遂に怒り出した。
「やれやれ・・・・どうなさるおつもりかな?」
電話を切った孫堅は曹操に向き直り、頭を下げた。
「申し訳無いが、私はこれで帰らせてもらうとします。また、次の機会に是非」
「それは残念・・・ではまた」
孫堅はその場を辞して駐車場へ行き、真っ赤なポルシェをぶっ飛ばして戻って行った。
それを見送って曹操は一人呟いた。
「袁術の娘との縁談はまずいな・・・なんとかせねば。これ以上東呉商事を大きくさせてたまるか。それにしても、くそ、子桓め。あいつがもっとしっかりしていれば・・・」
(終)