エビチリの涙


「ちょっと〜〜〜ぉ!お酒ないわよぉ〜〜ぅ」
「ああ〜もう、やめとけって・・」
「なによぉ〜なんか文句あんのぅ〜?仲権〜〜」
「伯約・・・」
夏侯覇と姜維は二人で居酒屋に来ていた。
すっかりできあがった姜維に手を焼いている夏侯覇であった。

どうしてこんなに姜維が荒れているかというと、それは数時間前に遡る・・・。
 

諸葛亮と姜維は査察のため荊州の江陵に来ていた。
ここに営業所があり、夏侯覇たち営業マンも数名来ていた。
姜維は一人で遅くなったランチのあと、通りを歩いていた。
「あれ・・・?あれは孔明さま」
姜維が見間違えるはずがない。
朝から、孔明は泊まっているホテルから会社に電話をし、 用事ができたので出社しない、と連絡してきていた。
先に江陵入りしていた諸葛亮は姜維とは別々のホテルを取っていたのだ。
通りの向こうに濃紺のスーツに長髪を首の後ろで束ねた長身の男がカフェに入っていくのが見えた。
諸葛亮であった。
誰かと一緒に歩いている。
女だ。
車の通りが多くて、はっきりと見て取ることはできなかったが、背の高い、スラリとしたスーツ姿の黒髪の女だった。
姜維は気になって、横断歩道まで行き、通りを渡ってこっそりカフェに入った。
諸葛亮は一番壁際の席にこちらを向いて座っていた。
姜維は伺うようにそ〜っと覗き込んだ。

「いらっしゃいませ!お客様何名ですか?」
その不審な行動の姜維にウェイトレスが声をかける。
「えっ!?あっ!し、し〜〜っ!」
慌てた姜維は口元に人差し指をあてた。
「??」
ウェイトレスは首をかしげた。
姜維はわたわたと身振り手振りで静かにしてくれ、とウェイトレスに言ったつもりだったが、まったく通じていない。
「あの?お客さま?お入りになるんですか、どうなんでしょうか?」
「いえ、あのあの・・」

入り口でなにやら騒がしいのが偶然諸葛亮の目に入った。
一瞬、厳しい目つきになって、諸葛亮は席を立って、姜維の方に歩いてきた。

「何をやっているんだ」
「あ・・・はは、は・・・孔明さま・・・やだ、みつかっちゃった・・・」
姜維はひきつった笑いを顔にこびりつかせた。
「あ、あの・・・孔明さまがここへ入られるのを見て私・・・」
「つけてきたのか」
孔明はきつい口調で言った。
「い、いいえ!そんなつもりじゃ、私・・・」
あたふたと言い訳する姜維を孔明は冷ややかに見つめた。
「帰りたまえ。私は午後からも用事がある」
そう言って孔明は踵を返した。
「孔明さま・・・」
姜維は拒絶されたような気がして呆然と孔明の背中を見つめた。
その孔明の向かう先の席には黒髪の女が背中を向けて座っていた。
視線に気付いたのか、ゆっくりとその顔をこちらへ向ける。
「・・・・・!」
その顔に見覚えがあった。
いつか、荊州へいく途中の列車で見た顔だった。
だが、誰なのかは姜維は知らない。
ただ、ものすごい美女であることだけは確かなのだ。
「失礼しました」
と言って孔明はにこやかにその女の向かいの席に座る。
姜維にむけた厳しい顔はもうどこにもなく、端正な笑顔のまま向かいの女に語りかけている。

「孔明さま・・・・!」

誰なの、その人は。

姜維はそのまま立ちつくしていたが、やがて店の外にでると、がっくりと肩を落としながら社に戻っていった。
その日の午後も、孔明は戻らなかった。
仕事熱心な彼にしては珍しいことだった。

「あの人と一緒なんだ・・・きっと・・・」

姜維は自分のデスクに座ったまま泣きそうになった。
そこへ、同僚の夏侯覇がやってきたのだった。
夏侯覇にしてみれば、せっかく出張先でいっしょになれた姜維を誘わない手はない、との想いでやって来たのだ。
「よ!どうした?」
「仲権〜・・・」
夏侯覇を見上げる姜維の瞳がゆらゆらと涙でゆれている。
「・・な、なんだ?どうしたんだよ・・・」
すると突然姜維は夏侯覇に抱きついて泣き出した。
夏侯覇は嬉しいやら困ったわで混乱した。
「か、会社じゃなんだから・・そうだ、飲みにいこう!な?」
というわけで姜維を連れ出したわけだった。
 

「もう〜〜っ・・・だれなのよぅ〜あのオンナはぁ・・」
「おいおい・・」
夏侯覇は姜維の手からグラスを取り上げる。
「アタシの孔明さまにぃ〜・・ちょっと〜仲権、なにすんのよぅ、よこしなさいよぉ〜」
「いい加減にしとけって」
夏侯覇にたしなめられてピンク色に染まった頬をふくらます。
それからうだうだ文句をいっていたが、夏侯覇がちょっと目を離した隙に姜維はとうとうテーブルに突っ伏してしまった。
「わわ!おい!それエビチリの上・・・!」
夏侯覇が言うより早く姜維の顔はエビチリの皿の中に突っ込まれていた。
文字通り、エビのチリソース炒め、という辛い料理である。
「うう〜〜ん・・・え、えびが・・・」
夏侯覇は慌てて姜維を抱き起こし、エビチリまみれの顔をおしぼりで拭いてやった。
その口は小ぶりのえびを咥えている。
「あ〜あ・・まったくもう・・」
夏侯覇はそのえびをとってぱくりと自分で食べた。
姜維はこてん、と夏侯覇の肩に頭を寄せた。
瞬間、夏侯覇のおしぼりを持つ手が止まる。
「・・・・伯約・・・」
夏侯覇は姜維の肩にそっと腕を回した。
(か・・かわいい・・・!かわいいぞ・・・!!)

夏侯覇は唇が触れそうなくらいのところに姜維の顔があって、胸をドキドキさせていた。
彼は姜維のエビチリのついた唇を見つめた。
「伯約」
今にもキスしてしまいそうな距離で夏侯覇は動きを止めた。
姜維が口を開けたからだった。
「な、なんだ?伯約・・??」
「か・・・・」
姜維は口をぱくぱくさせながら叫んだ。

「かっらぁ〜〜〜〜〜いぃぃぃ!!!」

耳をつんざく姜維の叫びに、店中の視線が夏侯覇に突き刺さった。
「は、伯約・・・」
夏侯覇は視線を集めて真っ赤になった。
いたたまれなくなって姜維に水を飲ませ、急いで店を出た。
 

もう人通りがまばらな夜の通りを酔いつぶれた姜維をおぶって歩く。
夏侯覇の背中で姜維はまだ孔明と一緒にいた女のことを口走っていた。
半分、寝ぼけている。
「そりゃあ・・・綺麗な人だったけどさぁ・・・・」
姜維がくすん、と鼻を鳴らして言う。
「おまえだって綺麗だよ」
夏侯覇は背中の姜維に向かって言う。
点数稼ぎのセリフではなく、本心だったのだが、 それへの答えはもう返ってこなかった。眠ってしまったのだろう。
「しょ〜がないな・・・・・」

夏侯覇は姜維の泊まっているホテルまで彼女をおぶっていった。
ホテルに向かって歩いている途中、それはふいに夏侯覇の目に入ってきた。

「あれは・・・!」

前方のホテルのロビーから走って出てきた女。
それを追い掛ける男は諸葛亮であった。
女は絶世の美女と言っても良かったが、見たことのない顔だった。
女は腕を掴まれると諸葛亮にしっかりと抱きしめられた。

(わ・・・なんだ、ありゃ。孔明さんもすみにおけないなあ)
そう思って、ちら、と背中の姜維を気にした。
こんな場面を見たら絶対ショックを受けるに決まってる。

夏侯覇は姜維をおぶったまま、壁ぎわに身体をひそめてホテルの入り口の方を見ていた。
二人は何事か話し合っていたが、女が一人でタクシーに乗っていってしまい、孔明は一人残された。
髪を掻き上げながら、ため息をつく。
そうして、自分もタクシーに乗っていった。

それを見送って夏侯覇は歩き出し、ホテルに入った。
(さっきの人・・・孔明さんの彼女なのかな・・・だとしたらこいつ・・・かわいそうだよな・・・)
ホテルの部屋の番号を眠っている姜維から聞き出そうとしたが一向に起きないため、夏侯覇はロビーで姜維の部屋番号を聞き、エレベーターに乗りこんだ。
「おい、伯約。伯約!部屋についたぞ!おい」
「う〜〜ん・・・・」
姜維の部屋の前まで来たが、当然カギがないと入れない。
このままほっぽり出すわけにもいかず、
「カギ、どこだ?」と聞いた。
姜維はうっすらと目をあけた。
「かばん・・の中」
「よし」
夏侯覇は姜維の肩にかかったままのショルダーバックを開けた。
「なんだこりゃ」
姜維の鞄の中身はぬいぐるみやらドラ焼きやらおよそ通勤鞄とは思えないものが入っていた。
「なんでこんなもの鞄のなかに入れてんだこいつ」
コンパクトドライヤーにキティちゃんの歯磨き粉、何に使うのか謎だがテレビのリモコンらしきものまで入っていて驚いた。
「おいおい・・・ドラえもんじゃないんだから・・・・」あわてものの姜維らしくて苦笑した。おそらく携帯電話と間違えてリモコンをいれてきてしまったのだろう。
やっとみつけたカギはカード型で、定期入れのなかに入っていた。
それを取って、夏侯覇はため息をつく。
定期入れの中に隠し撮りしたと思われる孔明の写真が入っていた。

カギを使って、姜維の部屋に入る。
ワンルームの、そう広くもない部屋だった。
姜維をベッドに寝かせ、一息つく。
「・・ったく無防備なんだから」
夏侯覇はそう呟くと寝ている姜維の枕元に近づいた。
「送ってきてやったんだから、このくらい、いいよな?」
そういいながら姜維の顔に唇を寄せる。
「うう〜〜ん・・」
夏侯覇が顔をよせると姜維はうなりながら体を寝返らせる。
寝返りをうった拍子に夏侯覇の顔面に姜維のエルボーが、ごん!と直撃した。
「って〜〜っ!」
(くそ〜〜わざとやってんじゃねーだろーなあ!?)
ちょっと涙目になりながら夏侯覇は鼻を押さえて姜維のうしろ頭を見た。
姜維の髪にさっきのエビチリのソースが固まったまま少しだけついていた。
(・・泣いていたな、こいつ)
いろいろと心の葛藤はあったものの、夏侯覇はなにもせず帰ることにした。
彼の宿舎はここから30分ほどいったところに会社が借りている寮なのだ。
部屋を出て扉を背にしたまま、天井を仰ぐ。
(俺だって・・充分カワイソウだよな)
泣きたいのはこっちだ、とも思ったが、夏侯覇はそのまま帰路についた。
 
 
 
 
 
 

(終)